第4話
依頼を受けてから3日ほどが経過した。コニーは森の中を、眉間にシワをよせ、遅い足取りで歩いていた。
冒険者はモンスターと出会うと戦闘を余儀なくされる。特にレックスは血気盛んなため、モンスターに対しては挑むように戦いに行ってしまうのだ。そうして度重なる戦闘で疲れが溜まり、且つ日常生活の様々な物に至るまでを自分1人で面倒を見、さらにはこうして長い距離を移動する。疲れが溜まらない訳がなかった。
そんな自分の状態などつゆ知らず、前の2人はどんどんと先へと行く。
頭が痛い。だるくはないが全身が重たい。走り込んだわけでもないし、スタミナが尽きたわけでもないが、どうにも息があがって仕方がない。コニーは汗をダラダラと流しながら、鉛を巻き付けたように重たい足を必死に前に出した。
――と。
「おい、コニー」
レックスがコニーに話しかけた。
「俺の水筒、水が無くなっちまってよ。お前まだ残ってるだろ?」
「――は? え、まさかくれって言うんですか!?」
「あ? なんだよお前、Sランカーの俺に向かって。Dランクの分際で」
「いや、でも……!」
「いいからよこせって」
コニーは凄むレックスにたじろぎ、腰に着けた水筒を渋々と彼に渡した。
「おう、ありがとよ」
受け取るや否や蓋を開け、とてつもない勢いでごくごくと水を飲む。
――ああ、私の水が。コニーはレックスの持つ水筒と喉仏を交互に見つめた。
「……あ、無くなっちまった」
「あっ、え、はぁ!? ちょ、なにやってるんですか! 私の水ですよ!?」
「ああ? うっせーな、水くらいお前の魔法でいくらでもなんとでもなるだろうが!」
「いや、水が無限にあるなんて思わないでくださいよ! ハクさんだって言ってたじゃないですか、魔法は万能じゃないって……」
「あ? お前、俺よりもあんな奴の言葉の方が信用できるって言ってんのか?」
「いや……その……! そういう……わけじゃ、ないん、ですが……」
徐々に声が消え入り、コニーは結局煮えくり返った言葉を飲み込むことしかできなかった。
レックスが「ったく」と言いながら空になった水筒をコニーに渡す。コニーは1度大口を開けて水筒を逆さに振ってみるが、数滴の水がぽたぽたと落ちてくるだけだった。
「大体だ、コニー。パーティーの要は、戦闘要因だ。当然だがお前より俺の方が強い。だとしたら、俺に優先的に水を渡すのは当然だ。モンスターに襲われた時、俺が満足に動けなかったら全滅の危険もあるからなあ」
その前にこちらが死んでしまいそうだ。コニーは疲れ切った視線をレックスに向け、肩を落とし誰にも聞こえないようにため息をついた。
「わかったな、1番良い選択のためにはこういう判断も必要だ。また1つ賢くなったな」
コニーはギリリと歯を食いしばった。
ああ、こんなことならハクさんの言う通りやめておくべきだった。彼がいなくなって初めてクエストを終わらせた時から何度もそう感じているが、しかし、『やめたい』と言い出せない不甲斐ない自分に嫌気がさす。
と。ヘルガがコニーの肩を叩き、にこやかな表情を向けてきた。
「ファイトだよ、コニーちゃん!」
うるさい。励ます素振りだけしか見せないヘルガに、コニーはまた苛立ちを覚えた。
◇ ◇ ◇ ◇
僕は焚き火の前で、専用の道具で吊るした金属の器を眺めていた。
器の中には水が入れられている。水は基本的にそのまま飲むと危ないので、こうして火の上に吊るし、沸騰するまで待っているのだ。
そんな僕の傍らで、レンファは肉を美味しそうに頬張り、アリスは僕の方をチラチラと見ながら、熱そうに焼いたきのこを食べている(その割にはなぜか服のフードを深く被っているのだが)。
僕たちは夜の森の中で野宿をしていた。この2人と出会ってから3日ほどが経過しているが、今のところ問題は何一つとして起きていない。それもこれも、おおよそ彼女ら2人が冒険者として優秀が故だろう。
2人は元々パーティーを組んでいた(なんとなくわかってはいたが)ようで、レンファは近接戦闘に強く、アリスは魔法を使って遠くからそれを支援する……という具合に役割を分担していたらしい。戦闘以外においても、火を起こすなどの技術はある程度レンファも持ち合わせており、レックスたちのように1人に負担を押し付けるようなことはしていなかった。かなりバランスの取れた良いパーティーだ。本当に、協力を依頼してよかったと思える。
僕たちがなぜ森の中で野宿などをしているか――それは、僕が彼女らに、ある人物の捜索に協力してほしいと願い出たからだ。
ある人物とは、すなわちコニーのことだ。彼女はおそらく、未だレックスのパーティーにいるだろう。僕はそれがどうしても心配で仕方がなかった。
そも、彼らの面倒は僕とコニー2人で分担して見ていたというのが正しい。コニーが占める割合は確かに少なかったが、それでも彼女の魔法は度々役に立っていた。あの子は自信が無く地味な印象を受けるが、魔法の才覚に関しては太鼓判を押せるレベルだと思っている。
しかし、そんな才能ある彼女だからこそ、僕がいなくなった今、あのパーティーの負担は、その大半をコニーが負うこととなるだろう。僕はパーティーから追放されたあの日、無理強引にでもコニーを連れて行かなかったのを後悔した。
なんとしてでも、彼女がレックスたちに殺される前に助けなければならない。そんな想いから、僕はここ1週間あまり、冒険者としての活動はしていない。彼女を連れ出すためにレックスのパーティーを追うことに執心していた。
だがどうにも、ギルドで待ち伏せても、森の中へ入り捜索しても鉢合わせることがない。そうこうしている内にコニーが死んでは元も子もないと考えていた折に、彼女らが現れたのだ。まさに渡りに船と言うところであろう。
そうして現在もレックスたちの捜索をしているのだが。残念なことに、森に入ってから3日が経過しているが、未だ目的は達成していない。レックスたちがここに入った情報はあるから、おそらくまだ戻ってはいないと思うのだが。僕は悩ましく唸り声をあげた。
「……え、えっとお……」
と。アリスが気まずい表情で僕に話しかけてきた。
「あの、ご、ごめんね。その、私の偵察が、しょぼいばっかりに」
アリスは顔こそ笑っているが、そこには罪悪感が見て取れた。
彼女には魔法を使い周囲の様子を探ってもらっていた。しかしここ3日間なにも見つからず、思うところがあるのだろう。僕は首を左右に振り、「いや、」と声を出した。
「君は十分にやってくれてる。偵察の魔法は、探している間ずっと魔法を使い続けなくっちゃならない。恐ろしく大変だ。なのに文句も言わずにやってくれているのは、僕からしたらありがたいことこの上ない」
「でも、何も見つかってないし……」
「何も無いって言う情報が得られた事が重要だ。そこは探しても無駄だってわかれば、次の場所に移れるからな。失くした玩具が部屋にあるかないかがわかれば、それだけで探すのは楽になるだろう? 同じだよ」
「あっ……そ、そう、かな? え、えへ、えへへ、それなら、えと……よかったけど……」
顔は引きつっているが、素直に感謝を受け取ってくれたようだ。僕は小さく笑い、ため息をついてから沸騰している水を取り外し、地面に置いた。
「……」
アリスがこちらを依然見続けている。なんだろう、どうしたのか。もしかして喉が乾いたのか?
「水が欲しいのなら飲みなよ。熱いから気を付けるんだぞ」
「はあ〜、やっぱいいわ〜眼鏡男子……」
「なんだって?」
彼女の突然の発言に僕は目を丸くした。
「しかも火起こしもご飯の支度も水分の確保も全部やってくれて、いやもう楽なことこの上ないわ。料理もお腹周りが気になる女子に嬉しいバランスが良いメニューを出してくれたし」
「そんな気は一切無かったのだが」
「ぐへへへ、家庭的な優男眼鏡とかもう辛抱たまらん。これあれね、執事服着せて髪型オールバックにさせて朝ベッドから起きたらいつの間にかキッチンで朝ご飯作ってて『ああ、お嬢様。起きられましたか。朝ご飯はできていますよ。今日はあなたの好きな蜂蜜たっぷりパンケーキです(超絶エロヴォ)』って感じのプレイさせたらもう尊さでウハーッ!!!! ヤッバテンション上がってきた、後でそう言うシチュで妄想して……」
「おいアリス、何言ってるんだ君は」
「ッハ! し、しまった、我慢できなくてつい……じゃなくて、え、えへへ、実は私たまに淫魔に魅入られることあって……! ホ、ホントダヨ?」
「レンファ、君の連れは変態なのか?」
「変態じゃないぜ、ド変態だぜ」
「うわあ……」
「な、なによ! 女の子が性欲強くて何が問題なのよ! イイじゃん誰とでも寝るようなヤリマンクソビッチじゃないんだし、こちとらヴァージンよ!」
「おいレンファこいつをどうにかしてくれ」
「いつもの1.5倍くらいヤバくなってるぜ」
「1.5!? これでか!?」
僕はアリスを横目で見た。アリスが「ああ、またやらかした!」と頭を抱える。んーむ、どうすれば良いのか。
「ま、まあ、とりあえず襲われなければそれでいいか……」
「うわあもう完全にヤバい奴って感じで見られてるじゃん。もういいわ、なら開き直ってやるだけよ。あ、ちなみに襲われるどうこうは安心して。こういうのは私の中で『1人はOK、相手がいたらダメ』って明確な線引きがあるから」
「知らないし聞きたくないよそんなこと」
僕はがっくしと肩を落とした。さすがに男と言えどもこうも色々と酷いと引いてしまうと言うか。
「ごめんなハク、アリスはこんな感じで自分の情欲を抑えられなくなる時があるんだ」
「いつもこんな感じなのか?」
「いやあたしと2人きりじゃなけりゃいつももっとモジモジしてるんだけど、なんかアイツの中でアンタは例外みたいだな。たぶんエッチな目で見てるぞお前のこと」
「普通逆じゃあないのか……」
僕はため息を吐いた。
なんと言うか、男として喜んだ方が良いのか、悪いのか。僕はアリスにチラりと目を向けた。
アリスは目を逸らして、若干顔を赤くしている。恥ずかしいならやめればいいのに。
「うう……でも仕方ないじゃん。目の前に好みの異性がいたらそりゃあ目で追うというか。それに私だって正直初めての感覚って言うか初対面なはずなのに初対面な感じがしないというかよくわかんないけどああこいつの前ならくだけてもいいかって気分にさせられるというか、なんか初めて見た時に魂の奥底でなにかが疼くようなそんな感じになったって言うか。一目惚れって感じでもないし……」
「あれ、アリスお前一目惚れの感覚わかるのか?」
「知ってるレンファ、一目惚れってとどのつまりただの性欲よ。だから私はしたことがなくても感覚はわかる」
「聞きたくなかったぜ」
「けどなんか違うのよね。……よくわかんないけど。……まあ敢えて臭いことを言うなら、だけど……」
と、アリスは僕の方をチラリと見てから、気まずそうに視線を逸らして、「やっぱしやめとく」と言った。レンファが「なんだよ、気になるじゃん」と文句を言う、アリスがそれに「だって嫌なもんは嫌だもん」と受け答えた。
――気持ちが悪いのを承知で正直に言うと、アリスの感情はわからなくはない。というのも、僕自身、おそらく彼女が抱いているであろう気持ちを味わったからだ。
なにか、魂の奥底で繋がりを感じる。彼女がかわいらしい見た目をしていることはそうなのだが、それとは一線を画した何かで、思わず目を惹かれてしまったのだ。
だからか、正直彼女のこの言動を『悪くない』と受け入れてしまっている自分が心のどこかにいるのだ。僕は頭を掻き、誰にもバレないように小さく呟いた。
「――運命、か」
――いや、まさかな。ありえない。僕はため息をつき、騒ぐ彼女らに向かって「それで、水はいるか?」と再度尋ねた。