第14話
金が欲しい〜〜
誰か俺に一兆円くらいくれないかなあ〜〜
――夢を、見ていた。消えていく流星に手を伸ばすような、そんな悲しい夢を。
だけど夢の内容は、目が覚めた時にはもう、思い出せなくなっていた。残っていたのは、ただ、悲しい、と、怖い、という感情だけだった。
ガーフィールさんに部屋へと案内され、その後夜になり、皆が寝静まったであろう時間。暗くなった室内で、私は体を起こして、荒い呼吸を繰り返していた。
じんわりと汗がにじんでいる。どういうわけか頬を涙が伝っていて、胸を突き抜けるような喪失感が体を震わせている。垂れている長い髪はいつの間にか真っ黒に戻っていて、無意識のうちに魔力を発していたらしいことが伺えた。
シキ、こと私は、奇妙な体質を持っている。それがこの「魔法を使うと髪が黒くなる」というものだ。
正確に言えば、魔力を発すると黒く染まる――否、元に戻るのだが。これはジパングの民だからということではなく、私という人間が特別珍妙なのだ。
本来ジパングの人間であろうと、髪を染めればしばらくは持つ。しかし私はこの体質のせいで、あまり全力で魔法を使えないし、時折眠っている間に魔力を発して黒髪に戻っていることもある。私はこの体質に辟易していて、毎回髪が戻る度にため息をついていた。
私の隣のベッドでは、レンファがいびきをかいて眠っている。いつも通りに呑気な彼女を見て、私は少し微笑んだ。
――と。私は無意識に、この部屋にいる、もう1人の男を探していた。
少し離れた位置に移動されているベッドに目を向ける。ほんの少しシーツや毛布が乱れた跡があったが、そこはもぬけの殻だった。
「――ハク?」
ドクン、と。味わっていた喪失感が強くなり、私の心が暴走を始めた。
「――ハク!」
私はベッドから降りて、部屋を飛び出し慌てたように彼の姿を探した。
なぜこんなにも焦っているのか、正直わからなかった。ただどういうわけか、漠然とした恐怖が全身を苛立たせて、いてもたってもいられなくなった。
走って走って、ふと、窓の外を見た時。噴水のある中庭で、1人の男が立っているのが見えた。
――ハクだ。私は慌てて中庭へと向かい走り出した。
やがて裸足のまま芝生の庭へと飛び出して。私は月明かりに照らされて、目を閉じ呼吸を整えている彼と面した。
――ああ、よかった。自分でもよくわからなかったけど、そんな気持ちが溢れて、私は思わずため息を漏らしてしまった。
「シキか?」
と、ハクは私にそう話しかけた。心臓がドキリと跳ねて、体が固まってしまう。
「――待ってろ」
ハクはそう言うと、深く、深く息を吐いた。
なにをしているのだろう? 私は彼の行動を不思議に思って、マジマジと見つめる。
すると、一際強い夜風が吹き、それが庭にある木から木の葉を攫った。木の葉は風に巻かれ、不規則な円を描きながらハクの元へと飛んでいく。
瞬間、ハクは腰に挿した刀を抜き、あっと声を出す暇もなく、飛んできた木の葉を斬った。私が「おお」と呟くと、彼は地面に落ちたそれを拾いあげる。
木の葉は、1本の小さな枝のようになっていた。あの一瞬で葉脈以外を斬ったのだ。あまりに繊細な技術に私は驚き、言葉も出なかった。
「……眠れないのか?」
と、ハクは目を開いて、私の方を見もしないで尋ねてきた。
私は彼の顔をじっと見つめて、小さく「うん」と呟いた。
「そうか。奇遇だな。僕も、今日は寝付けない。まあそういう時は、こんな風に少し動いてから眠るのだがな」
ハクの言葉は聞こえていたし、認識もしていたのだが、だけど私はどこか上の空で彼の顔を見続けていた。
なぜだろう。アイツの顔を見ていると、凄く安心する。出会って間もないはずなのに、まるで永い年月を一緒に過ごしてきたかのような感情が、溢れて仕方が無いのだ。
「……ハク、さんは、」
「ハクでいいよ」
「――ハクは、いつもこんなことを?」
「そうだな。こうやって修行をすることは日課になっている」
「……すごい。努力を重ねられるってさ、普通はできないよ?」
「どうだか。だが僕から言わせてもらえば、当然だ。修行をするかしないか、その僅差が仲間を殺すことだってありえるんだからな」
「……仲間のこと、すごく考えてるんだね」
「そんなにもてはやすことじゃない。あまり僕に幻想を抱かない方がいいぞ? 言っちゃあなんだが、僕は性格が悪い」
「そんなことはないよ。ハクは、すごい人だよ。パーティー追放されてからも、ずっとコニーちゃんのこと考えてたし、私たちへの指示も的確だった。だから私たちは、あの子を助けられたの。……本当に、憧れるよ」
ハクはそうして、少し間をあけてから、「そんなことはない」と私に返した。こうやってすぐに謙遜を見せるところが、すごいところなのに。
「――それに比べて、私は、さ」
私はそう言って、真っ黒になった髪をいじりため息を吐いた。
「本当に、情けないよ。髪はいつも染めてるし、いつもビクビクしてる。周りの目ばかり気にして、本当に、自分が嫌になる」
「――ふむ」
「……ああ、ごめんね。こんなに暗いこと、言って」
「気にするな。……それで?」
「え?」
「いろいろと思うことがあるんだろう? 話しておいた方がいい。精神的な負担は愚痴を言えば軽くなる。もっとも、君が話したかったら、だがな」
「――アハハ、何それ」
私はなぜか、彼の言葉にホッとしてしまった。
まるでそうであるのが自然であるかのように。朝目が覚めると、母親が温かいミルクを渡してくれるかのように。だからだろうか、私はつい、「じゃあ、話そうかな」と、言葉を紡いでしまった。
「――その、なんだろう。……あんたも、経験あると思うの。黒髪でいると、町を歩いているだけでバカにされたり、石を投げられたり」
「……ああ、ある」
「私さ、それが怖くて髪を金色に染めたの。そしたら、今度は――同じジパングの人に、『奴らに屈したクズめ』って言われちゃった」
「……ああ、そういう手合いは、どの世界にもいるな」
「それで、ね。私、どうしようもなくって。黒髪がバレるのが怖い、だからって、同じジパングの人に嫌われるのも怖い。できる仕事が無いからって、レンファの紹介で冒険者にもなったけど――だからって、いつ死ぬかわからない世界にいるのも、正直、怖い。魔法を使って戦うことも、髪が元に戻って、結局、みんなから嫌われるから怖い。私の世界はね、こんなにも怖いものであふれているの。――それが、どうしても情けない。怖いものだらけで、何もできなくなって、結局ビクビク震えながら、ずっと、立ち止まったままでいるのが――」
「……」
「私ね、レンファと出会ってから、ずっとアイツに守ってもらっているんだ。私、きっとね、アイツがいなかったら死んでるよ。それがすごく情けない。今でもアイツに頼り続けているのが、すごく、すごく情けない」
「――そう、か」
「だけど、ハクは違う。みんなから邪険にされるってわかってても、なお黒髪を貫いている」
「もう一度言うが、これにはそんなに深い意味はない」
「それだけじゃないよ。生活は全て1人で自給自足してるし、クエストにだって1人で出かけている。かと言って協調性が無いわけじゃないし、いざパーティーを組むと、すごい的確に指示を出してくれるし。そうだ、そういえば魔法も使えないんだ。……なのに、魔法使いがやってることも全部自分の知識と経験だけで埋め合わせてさ。それに、仲間の窮地にも臆せずに駆けつけて、まるで絵本の中に登場する英雄のように、誰かを助けちゃって。――本当に、本当にすごいよ。憧れる。こんなの、誰にもマネできないよ」
「……」
「だから、ハクはすごいよ。私なんかとは全く違う。同じジパングの人間なのに、こうも違うなんてさ。本当、怖がってばかりいる自分が情けない。情けないよ、本当に」
私は少しずつ声を小さくして、やがては顔をうつむけてしまった。
自分で言っていて、辛くなってくる。自分という存在が小さくなっていくのを感じながら、ふと、少しの間をあけて、ハクが声を出した。
「――1つ、言っておく」
私は彼の言葉に顔を上げる。彼は眼鏡のレンズの奥で、先ほどまでと一切変わらぬ瞳で私を見つめていた。
「君は臆せず、と言ったが、間違いだ。むしろ僕は、存分に怖がっている」
「――え?」
「僕は常々思っている。死にたくない、死んでたまるか、と。スティノドンを相手にした時も同じだ、僕は奴を大いに怖がって戦っていた」
「え――じゃあ、なんで、」
「簡単な話だ。スティノドンに挑み殺されることも無論怖かったが――同時に、コニーがあそこで死ぬことも……いや、違うな。助けられるはずの仲間を、みすみすと殺してしまうことが怖かった。そのせいで自分の中の何かが大きく変わってしまう――それもまた怖かったからこそ、僕はアレを相手にしたんだ」
「――」
「僕は怖がりだ。ありもしない可能性にまで目を向けてしまった、いつだって予測できない恐怖におびえている。だからいつもあんなにも不要な用意をするんだ。
だけど、これだけはわかる。恐怖は、無くてはならない感情だ」
ハクが断言する、私はそれに惹かれ、彼の立つ姿から目が離せなくなってしまっていた。
「恐怖を持つこと、それ自体が情けないわけでもないし、そしてそれにより動けなくなることもまた、情けないわけじゃあない。それはむしろ当然の反応だ、人間である以上、生き物である以上仕方がない。
――僕が真に嫌悪するのは、恐怖に駆られて、仲間を蹴落とす奴だ。
いくら仲間とは言え見捨てなければならない瞬間があることは重々承知だ。それ自体は問題ない、仕方がないからな。だがそうなるまでに、迫る恐怖に対し最大限の抵抗もせず、その果てに仲間を見捨てた犠牲にしたのなら、いくらなんでも目に余る。本当に誇りが無いのは、そうして身勝手な何かに任せて他人を蹴落とす連中のことだ。
いいか、君の金髪も、レンファに守ってもらっていること自体も。僕にとっては、情けないことでもなんでもない。君はそれでもなすべきことはしているのだろう? ならそれでいい。弱者の立場を利用して甘えこんでいるわけでもないのなら、僕は君を情けないとは判断しない」
私は言葉を出せなかった。ただ、月明かりの下にいる彼の言葉に、息をのみ、すべてを聞き入れて。
ああ、この人は、こんな私でさえも、否定しないのか。そんな彼の根とも言える部分が持つ、本物の優しさに、また、惹かれてしまった。
「――ハクは、やっぱり、すごいよ」
「そうでもないだろう」
「ううん、すごいよ。そうやって自分と違う人を簡単に受け入れちゃうところ。だからかな、アンタの前だと、私、凄く安心するんだ。怖がらなくていいんだって」
「……? 人と人が違うのは当たり前だろ?」
「そうだね。でも、そうは思わない人もいるって言うのが、残念なところなんだよ」
「まあ、それは確かにな」
私はハクの言葉にキシシと笑った。
なんでだろう、コイツの言葉は、妙に私を安心させてくれる。堂々と、まるで私の背中を支えてくれているかのように。
「――どうやら、それが君の素みたいだな」
と、ハクは私の顔を見てぽつりとつぶやいた。
「え?」
「いや。君と会話をしていた時、ずっと違和感があった。この人、自分を隠しているなって」
「え、うそ? バレてた?」
「ああ。変に肩肘を張っているような感覚があった。……やっぱり、君がそうして自分を騙るのは、黒髪が理由かい?」
「――うん。だって、ずっと下手になっていれば、それ以上なにもされないから……」
「なるほどな。まあ、話し方程度はどうだっていい。――僕としては、今の君の方が気兼ねがなくていいがな。そっちの方が君も話しやすいだろうし」
「なるほど。……じゃあ、2人の時は、今の感じでいい?」
「ああ」
「ケシシ、ありがと」
私はまた、笑ってしまった。
「――さて」
と。ハクはそういうと、屋敷に向かって歩き始めた。
「そろそろ寝よう。さすがに夜も遅い、あまり夜更かしをすると翌日に響くからな」
「うん。――ハク」
「ん?」
「ありがとう」
「――まあ、僕は何もしてないがな」
ハクはそう言ってクスリと笑った。
――こうやって、私の話を聞いてくれたこと。それが私には、すごくありがたかったんだよ。私は心の中で呟きながら、彼の後ろを追った。