はじめまして
ただ一言、感謝を伝えたかったー。
……ただ、それだけだったのだ。
「悠真様、あの子と付き合ってるって話だったのにねぇ。婚約なんて悠真様もあの子も難儀よねぇ」
「結婚だけして、愛人として迎えるって聞いたわよ」
自分の鼓膜を揺すった彼の名前と内容に、私は身を固くする以外、対処法は無かった。
…お付き合い、されてらしたのか。
その真実になんだか、胸の奥がきゅと痛くなり、なんとも言えない不快感が私を襲った。
しかしここで落ち込むのはお門違いであろうと、小さく首を振って思考を追い払う。
元々だ。本来ここにいるのは私じゃ無かった。落ち込むなんて身の程知らずも良いとこだろう。
「ん〝っーっ、ん〝っん」
ゴホゴホと咳き込みながら、「お嬢様、」と呼ばれ、はいと返した。
「すみません、お嬢様。顔合わせ当日に咳き込むなんて見苦しいものお見せしまして」
にかっ、と茶目っ気いっぱいに笑うその人を見、パタパタと慌てた様に走り去る足音を聞きながら助けてくれたんだなと悟り、小さく笑みが漏れた。
さて、どうしてこのようなことになってしまったのか。
桃はゆっすらと過去の記憶をたぐった。
一番最初、四ノ宮の屋敷にこの婚約の話が来たのは一月ほど前であった。
桃はその話の場に居なかったから分からないが、西園寺の執事が来て頭を下げたらしい。
ここの娘さんと西園寺の息子を、と。
西園寺はここ五十年弱でで大きくなった大富豪である。初代はもう亡くなられたらしく、今は奥様が会長として切り盛りし、そのご子息が社長として全ての仕事を回しているとの事だ。
そして、今回はその会長の孫息子と婚約して欲しいとの話だ。
しかしこれは純粋な好意の話ではない。
裏には大きな思惑があるのはいくら詳しくない桃でも分かった。
西園寺はまだぽっと出で成金だと後ろ指指す人も多い。それゆえ、社交界での発言権は弱く、出来るならば華族、出来るだけ高い位である旧家と言う大きな後ろ盾が欲しいという事だろう。
そこで白羽の矢が立ったのがこの四ノ宮なのだ。
四ノ宮はそれは昔、世が世ならば天皇に次ぐ侯爵と呼ばれた一族である。
が、今や落ちぶれ、母の会社の経営も困難、昔のその姿は見る影も無い。
そこでだ。
西園寺は考えたのだろう。
いくら母の経営する会社が火の車でもまだ四ノ宮は伯爵の地位は返上した訳では無い。
ならば、莫大な借金を肩代わりに四ノ宮の名前を使うつもりなのだ。
なんとも分かりやすい政略結婚だろうか。
そして母は金欲しさにその話に乗った。今や日本で西園寺を超える富豪は居ないとされる為に、その金を搾り取れるだけ搾るつもりだ。
大事な娘を嫁に出すのだ。それ相応の態度を示せ、執事を寄越すなんて舐めているとと母は西園寺の執事に詰め寄った。
西園寺の執事は頭を深く下げ、最初提示して来た額の軽く五倍は超えるだろう結納金を支払うことで許してほしいと願い出た。
元々の額からとんでもない金額だったらしいのだが、その五倍の額に母は喜び、姉を婚約者として出すことと決めたのだ。
誰が見ても華やかで愛らしくて爽やかな姉はそれはもう誰が見ても美人であった。
勉強も運動も出来て穏やかな自慢の姉であった。
そんな姉だからこそ、西園寺もとんでもない額を払ってでも、ご子息の婚約者として望んでいたのだろう。
それで話は丸く収まったと思われたはずだった。
しかし、自由恋愛が許されるこのご時世になんてくだらない、と漏らした姉は昨日のの夜に屋敷から逃亡してしまったのだ。
もぬけの空である部屋を見て、父は青ざめ、母は卒倒した。
「…どうしましょうか…いくら最近出てきたとはいえ、大財閥と今や名高い西園寺との婚約をこちらが蹴ったとなれば、莫大な結納金はなくなってしまいます」
「…今や西園寺の名は有名だからな…。西園寺との縁ができれば会社の経営も安泰するのだが…」
「…こうなったら、見つけるまで影武者を立てるしか無いわね。今日の顔合わせだけ乗り越えられたらその間に見つかるでしょうし」
母が小さくため息を漏らす。
「影武者って…今から蘭に似た女子を手配するのか?」
「そうするしか無いでしょう」
「…お前この短時間であんな派手な娘に似た女子が見つかるとおもってるのか?」
父が咎める様に母上を怒るとではどうしろと!?と母が声を荒げる。
「ウチの娘に是非にと声を掛けてくださったから、あの子を差し出したのに!!あの子の魅力なら、確実に相手を牛耳ることができます!!そしたらあの子の幸せにも私達の幸せにも繋がるのです!そのために影武者でもなんでも手段を選んでる場合では無いでしょう!」
姉上の幸せはそこには無かったから逃げたと思うのだけど、そんな事口が裂けても母にお伝えすることは出来ないので心の中で呟く。
「…そうだわ…桃が居ますわ」
「何がだ?」
「影武者ですわ。蘭にはあまり似てませんが仕方ありません。桃に蘭に変装してもらい今日の顔合わせに行っていただきます。…もしばれてしまっても、この子も一応四ノ宮の者。ウチの娘には変わりないですし問題は少ないかと」
「…そしたら桃をそのまま婚約に行かせれば良かろう」
「それはなりません!蘭は良いところに嫁ぎ幸せにならなければならないのです!桃は後です!…桃、蘭の幸せのためです、出来ますよね?」
母上は自身に似て華やかでとても才能溢れる姉上の事を殊の外溺愛している。ここで私にはい、以外の返事は基本与えられない。逆らうと叩かれる事もしばしばである。
「…はい、母上。姉上のためなら幸せのためなら喜んで」
「それで良いのです、桃。貴女は本当に良い子ですね」
にっこりと母上は大変嬉しそうだ。
「…大丈夫か?桃?」
「はい、父上。まだ未熟ですが、姉上の代わりを精一杯演じます」
父の大丈夫か?は私の身を案じて…ではない。入り婿である父にとって母は絶対。母のお陰で自由気ままな生活を失わずに済むよう、必ず母を悲しませる結果にならないよう出来るかとの確認である。
ならばと母の命令で部屋になだれ込んで来る使いの方々。
美容にこだわる母の為に揃えられた一流の美容関係の人たちである。
「さぁ、桃。くれぐれも粗相だけは起こさぬ様気をつけるのですよ」
「はい、母上」
願わくば、あの人に会えたらいい、なんて。贅沢な願いを持って。私はここに来たのだ。
「お嬢様?ご気分でも優れないっすか?お嬢様?」
トントンと肩を叩かれながら呼ばれ意識が一瞬で元の世界へと戻る。
「…大丈夫です…草壁さん」
頭を一度振りながら笑って見せると草壁さんは困った様な苦笑を返してくれた。
それから口の横に手を添え、小さく声を窄めながら「…何かあったらすぐに頼れよ?妹ちゃん」と言ってくれた。
その笑顔に安心を覚えるのはこの人の笑顔が太陽のように眩しいからだろうか。
草壁さんはこの西園寺に仕える運転手兼警備らしく、時期ご当主である悠真様のお迎えや周辺警護を当たってる人らしい。
一応は西園寺から願っての今回の婚約となっているため、是非とも迎え参じたいと強く申し立てされ、草壁さんが迎えに来たのだ。
そしてこの草壁さんが最初の難題であった。
迎えに来て頂き、車に乗って暫くは穏やかに談笑、和やかな雰囲気に車内はつつまれた。が…草壁さんは突然言いづらそうに所で、と言葉を発する。
「俺我慢とか出来ねぇタイプなんでさっさと聞くんすけど、なんで蘭さんのフリしてんんすか?」
「…んっ?」
なんだろう、今、何か、聞こえてはならない単語が聞こえた気がするんですが…
なんでしょう、幻聴ですかね?
まさか、まさか、影武者開始約十分。
そんな短時間でバレるとかまさかそんなわけ無いと、聞こえなかったふりをしてみる。
「…えっと…蘭さんじゃないっすよね」
うん、どうやら幻聴じゃないらしいです!
と、現実逃避がてらはっちゃけてみるが問題発生、自己解決手段零。一回表スリーアウトチェンジどころか試合終了ですー。
と、いかんいかん諦めたらそこで終了だとかの有名な先生も言ってたじゃないか。
あまりの出来事に軽く己のキャラを見失いながらもさてどうしようかと考える。
普段の様に叫ばなかっただけ褒めてくださいお姉様。
「…ん…?やだなぁ、私は蘭なんだけどなー…」
自分の中の最大限でお姉様の喋り方を真似る。似てないどころか三本役者以下だが気にしないで欲しい。
「ダメだぜ、お嬢様。嘘ついちゃぁいけねぇすよ」
ミラー越しのその強い目線が何故かと理由を問いかけてくる。
「…俺、蘭さんと友人なんすよ。だからお嬢ちゃんの事見てすぐわかった。蘭さんじゃねぇって。……どうして嘘着くことになったんすか。お嬢ちゃんの意思じゃねぇだろ」
例のご両親とやらか?と聞かれ、どうやら本当に姉の友人なのだと思えてくる。
姉は友達こそ多かったが、家族のことは信用できない限り滅多に話す事などなかった人だったからだ。
だからこの人なら大丈夫だと思った。
もう四ノ宮の屋敷に連れ戻されても良い。
でもこの人なら、悪評を広めたりしたいだろうと妙な確信が湧いたのだ。それは、信じたいという願望かもしれないけど。
「……姉は、結婚が嫌で逃げてしまいました」
「マジかよ…やりかねねぇ人とは思ってたけど、まさか実行するとはなぁ…」
あれか?かーさんに身代わりになれって言われたか?
そう問われて、小さく頷く。この人はよっぽど親しい人だったのだろう。またかという様な苦笑を漏らした。
「分かった。西園寺に仕える者として許されないと思うが、俺のせいでおじょーちゃんが例のかーさんに怒られるのは忍びねぇから知らなかった振りするっす」
「…そんなっ!ダメですよ!もし知ってたのを隠してたのがばれたらお兄さんが処罰されます!」
「でも俺は友達の妹は助けたい」
きしし、と笑ってくれるがそんな事許されるわけない。
基本的に使用人は、雇い主やその家族に嘘偽りは絶対許されないはずだ。
反逆や反乱の意思として見なされ、ひどい場合は死に近い罰が下されるはずである。
「良いんだ。蘭さんにはでっけーかりがある。このぐらいのリスク負ったぐらいでようやっと返せるんだよ」
「良いんですか……西園寺を欺く様な真似」
「友情を蔑ろにするぐらいなら主人にだって逆らうよ」
あぁ、なるほど。
姉が何故この人を信用したか少しだけ理解できた。この深い情が彼の魅力であり信用せしめたる部分だったのだろう。
ならばー。
「宜しくお願いします…」
ただ黙っててくれたら良い。それだけで良いのです。
「分かりました。嬢ちゃんが嫌がることはしない」
切れ長な目が茶目っ気たっぷりに笑うのにそれだけを願った。
それから、草壁さんの運転する車で、西園寺の大きな屋敷の門をくぐった。
「うわー…おっきい…」
まず最初に思った感想がそれなんて、なんて情緒もへったくれもない。とは思わないで欲しい。その感想が一番に出るぐらいにはその屋敷は遠くから見ても大きく立派であったのだ。
「何言ってるんすか、四ノ宮のお屋敷の方が広いでしょ?」
「四ノ宮の屋敷は平屋建てなのであまり大きくは感じないです」
それに比べてここのお屋敷は階数もある分大きく感じる。
しかもまだ門の当たりで大きさを感じるなんてよっぽどだと思うんだが。
更には門から屋敷へと続く色鮮やかな花々が、屋敷までの距離の目を楽しませてくれる。
堂々と、でも、屋敷の景観を損なわない、様々な色を、窓越しではなく直接見たくて、桃は口を開いた。
「草壁さんお願いがあります」
「え?なんすか?」
「歩いて向かいたいのです」
「は?何言ってるんすか、時間間に合いませんよ?!」
「立ち止まったりしないので」
「いや……」
「お願いします」
ミラー越しに草壁さんの目をじっと見ると、草壁さんは根負けしたのだろう。渋々車を停めてくれた。
差し出される手を受けとって、桃は車を降りては、鼻腔をくすぐる花の匂いに少しだけ心が落ち着いた気がした。
「お嬢様、まじで時間ないんで行きましょう?」
「わかっているんですけど、もう少しだけ」
一つ一つ綺麗に咲き誇る花達をみやっては、指先で触れる。
命を咲かせた花々は瑞々しく、指先をしっとりと濡らした。
「薔薇綺麗ですねぇ…これ庭師さんが?」
桃が動く気がないと悟ったのか肩を落とした草壁さんはまぁ、と説明をしてくれた。
「作ってる人間は綺麗なんて言葉が似合わないおっかねぇ感じすっけど、花が好きなのは確かみたいっす」
「おっかない人かぁ…でも会ってみたいなぁ…これだけ優しくて暖かいお庭作れる人って優しいんだろうなぁ」
その呟きに草壁はふっと笑う。そう言って貰えたら庭師も満足だろう。
「ほら、お嬢様、もう良い加減にしないと遅刻っす。諦めて行くっすよ」
ううっー。出来たらまた見たいけどもう会えることない立派な庭に心の中で別れを告げ、ゆっくりと歩みを進める。
グラデーションになるように淡い色から屋敷に向かって濃い色になるその綺麗な花々。
一輪一輪瑞々しくて愛らしい。
もう少しだけ、愛でたくて、渋る草壁を無視しては桃は一歩だけ進む。
すると若い女の子達のはしゃぐ声が聞こえてきた。どうやら庭の掃除に来たらしいメイドが、楽しそうに会話に花を咲かしてるようだ。
「そういえば今日だっけ?悠真様の初顔合わせ」
「あー、もうすぐ来るって話だよねぇ…華族のお嬢様だっけ?」
華族のお嬢様って言うのはあれか、姉の事というか私の事なのか。
そして彼女達は熱を帯びた様に楽しげに会話を発展させて行く。
「悠真様、あのメイドと付き合ってるって話だったのにねぇ。結婚なんて悠真様もあのこも難儀よねぇ」
「結婚だけして、愛人として迎えるって聞いたわよ」
ーーー。
そして冒頭への話へと戻るのだ。
出来たら姉には幸せな結婚をして欲しかったのだけど、どう転んでも無理な様である。
(政略結婚の時点で望みは薄いのだけど、それでも好き有って貰えたらと言うのは儚い夢だった様だ。)
綺麗なお花で癒され、上昇していた気分は一気に盛り下がる。
「……お嬢様、来て早々嫌な話を聞かせてすまねえな…あれなら今日会うのやめるっすか、今ならメイドの話を聞いてしまったという理由があるから、もしやめてもお嬢ちゃんは責められないし、蘭さんじゃないってこともバレることもないっす。」
うまく話しつけてきますとニヒルに笑う草壁さん。
ほんと優しいひとだなぁと思う。なんでこの人が姉と友達だったのかわからないぐらい。
でもーー。
「…私、今日、どうしてもやりたいことが有って来たんです。あの方が結婚される前にどうしても」
きっと、桃が、あの家に幽閉される桃が会えるのは今日が最初で最後だから。
そのチャンスを不意にしたくなかった。だからここまで来た。
だから今しかない。
それにあの人に恋人がいても仕方ない。素敵な人だったし…。
だから行くしかない。
すると、草壁さんはまた笑った。
「……成る程、つえぇな」
「え…?なんか言いました?」
「なんもねぇ、よし行くか!お嬢様!」
「はい……」
…と、返事をしたのは良いのだけど。
まさかまさかの数十分後、桃は捕まってしまったのだ。
腕を縛る縄が動く度に、桃の腕をきつくしていった。
メイドの力だと思っていたが、計画的犯行だ。縛り方ぐらい勉強していたのだろう。
静かにため息を零しては桃はどうしたものかと考えた。
桃がお屋敷についてすぐ、草壁が呼ばれてしまった。なんでも、執事長に呼ばれたとの事だ。ならば案内は違う人、となった時に現れたのは一人のメイドであった。
私が案内します、と客人相手にしては愛想笑いひとつもないのに違和感を感じた。
メイドの態度一つで主人に迷惑をかける。そんな当然のことを分かっているメイドはまるで百貨店の販売員であろうかと言うぐらいにきっちりとした笑顔を習得しているはずなのに。
しかし、指摘など出来るわけない。
桃は拭えない違和感を携えながら、メイドの後を着いて行った。
「今回は三階でのテラスをご用意しております」
と言われたが、初めての訪問の客人の事を二階以上に案内することはほとんど無い。例外はあるにしても、基本的にはエントランス横にある談話室などにに通される筈なのだが。
しかも顔合わせなんて畏まった場なのにわざわざテラス席を設けるのか。
「今回はほぼ纏まった縁談の顔合わせとの事で特別に旦那様がご用意されたのです」
「そうですか…」
と言ったものの明らかに場所がおかしい。
屋敷の上部階は使えてるメイドさんや仕える人の部屋が主にある筈なため、部屋の作りはは質素でこじんまりとしてくるのだ。
そして明らかに私が通されてるのは、そういった使えてくれてる人達の部屋があるあたり。
桃は意を決して聞いてみる。
「…お部屋、間違えてませんか…?」
すると目の前のメイドはピタリと立ち止まる。
それからゆっくりとこちらを振り向いた。
その顔には表情は見えないどころか何処か仄暗い。
「間違えてないです、だって、最初からこのつもりでしたから」
「…え?」
ぐいっ、とメイドは強い力で桃を引っ張るともう片方の手でその質素な扉を押し開ける。
軽い遠心力を利用しながら桃をその部屋の中に突き飛ばした。
「いっ…たい…」
その反動でズリおちる明るい栗毛色のウィッグ。その下には姉には似ても似つかない、黒い髪が現れる。
「…ヅラ?…婚約相手は栗毛色の頭髪が美しい人だったっけ。…へぇー…まさか婚約者が黒髪で真っ赤なニセモノなんて悠真様もかわいそーに」
クスクス笑うメイド。
「…一体私をどうしたいんですか?」
どうしてこんなことされるか理解出来ない。
桃はウィッグを抱える様に胸に抱き締めると、メイドは楽しげに笑う。
「あたしねぇ、悠真様が好きだったの」
好きで好きでたまらなかった。
「でも、あたしはメイドだし、悠真様はあたしのこと当然見てくれてない。それでもよかった。綺麗なあの人のお世話をできるだけでよかった。私だけ許された仕事よ?周りも似合いだと、付き合ってるんだって思ってくれて、付き合えるのも時間の問題だった…なのに」
メイドは光のない瞳でこちらを見た。うつろな目に、全ての恨みを込めた目に、桃は今更ながら恐怖を感じ、逃げをうった。
が、それより先に、メイドの方が桃の頭をわしづかみにしては床に叩きつけられ、桃の身体に激痛が走る。
「逃げる気?!私から悠真様を奪っといて!それ相応の罰も受けずに!?」
はぁ…はぁ…と肩を震わせたメイドは乱れ切った髪で桃を見下ろす。
「貴女には当分ここで大人しくしてもらう。全て終わった頃に出してあげるわ、まぁ…生きて帰れるとは限らないけどね」
楽し気にメイドは言った。
「…バレたら貴女が危険な目に合いますけど良いんですか?」
「…良い子ちゃんぶって説教?それとも逃れようとしてるの?」
「ちがいます…ただ、ここで私を幽閉してもし殺したとしても何も変わらない。また違う人と西園寺様が婚約するだけです」
むしろ正真正銘の婚約者である姉だ出てくるだけだ。何も問題はないだろう。
政略結婚なんて所詮そんなものである。
個人なんてどうでも良いのだ。
「くっ!…何も出来ない馬鹿女が煩い!」
どうやら逆上させてしまった様で、思いっきり叩かれる。
ばしん、と自分の頬から響く音と一気に上がる熱量。そのあとじんじんと痛みがまして来る。
「…さっきも言ったけど時間が過ぎたら出してあげる。逃げようなんて思わない事ね」
バタンとドアの音を立てて、メイドは出て行ってしまった。
ドアはプライバシー保護の為だろう、ガチャンと非情な音がなりしっかりと施錠される。
「…痛い」
頬が痛い。そしてどうやら首もいったみたいで、動かすのに違和感を感じる。
どれだけの力を込めて叩いてくれたのか…。
「…なんで私が」
散々だ。
姉の身代わりをさせられ、歪んだ愛情でいちゃもん付けられて。きっと本気で好きだったのだと思う。けど報われない思いは、ポッとでの婚約者を恨むに走った。
彼女の気持ちもわからないでもないけど。だからと言ってこれはないだろう。モモが何をしたと言うのか。
視界が水気で揺らいで来る。
痛いし頬は熱を帯びてるし。
押し倒された際にもひざをぶつけて、膝もじんじん痛む。
「もうやだ…」
その言葉と共に目頭が熱くなってボロボロと何か落ちていく。
ボロボロ、ボロボロ。
落ちていく雫とともに熱いものがこみ上げて来てくる。
「もう、やだ…」
帰りたい、逃げたい、所詮私なんかが会うなんて無理な話だったんだ。
(…あっ…)
そこでふと大事な事を思い出す。
桃は彼に会いに来たのだ。彼にお礼を言いたくて。そのために、どんなきっかけであれ、ここに来たのだ。
思い出しては、落ちていく雫も少しだけ落ちつく。
そう、大事なこと。
大事な言葉。
『それ、かっこ悪いよ。…泣くだけじゃかっこ悪いから、泣いて落ち着いたらさ、前見たら』
それは、心の支え。
「…行かなきゃ…」
ここで大人しくしてるわけにはいかない。せめて一目会いたい。あの人に会いたくて、その為にここまで来たのに助け出すのを待つなんてそんなかっこ悪いまんまじゃいられない。
あの人に見合うだけの強さを持ちたい。
ぐっと強く奥歯を噛み締めると、深く呼吸を繰り返す。大丈夫、もう泣かない。
拭えない目元をそのままに、桃はゆっくりと辺りを見渡す。メイドの自室に閉じ込められた為に辺りには彼女の私物で在ろうものが空間を埋めていた。
化粧台の上、鋏があるのを見つけ、桃はゆっくり傷む足を引きずっては化粧台に近寄って、鏡越しに自分の拘束された腕を見た。少しずつ、手を鋏に寄せては掴む。
掴まれた鋏を少しだけ開いては、桃は縄にひっかかかる様に身体を寄せてく。
手首に走る痛みに、縄だけじゃなく、手首を切っているのだと知るが、躊躇などしていられなかった。痛くても、腕がどれほど傷ついても桃は必死に腕を動かした。
ばさりと音を立て、緩む縄に腕が自由になる。それだけで人心地つくがのんびりもしていられない。
目元も拭うと、桃はドアへと向かった。
数回ほどドアノブをガチャガチャと回したがやはり開かない。気付かれる気配もない。
ならば部屋の中を見渡す。
こざっぱりした部屋はベッドと机と本棚以外何も置いていなく、ほんと鋏が片付けられていなかったと安堵するばかりだ。
両隣りは部屋があるのか窓はなくベッドの真上に可愛らしくシンプルな窓が一つだけついている。
「…まど、」
長いスカートを翻してその窓へと近づいた。
しっかりとした作りの錠を開け、観音扉の窓を開く。
「……木、」
窓の外下の方には小さなこの屋敷自慢の花々が咲き乱れていた。裏庭すらも綺麗だとはさすが西園寺だ。
それからその花々を取り囲むように植えられた木々。
木は屋敷はそんなに距離は開いてない。
「…よし、」
そんなに低い木では無いので、うまく反動をつければ飛び移れそうだ。
「うん…」
長い膝下迄あるスカートは邪魔だから思いっきり捲くしあげる。
下着が見えるのはこの際気にしない。どうせ誰にも会わないので問題ない。
あぁ、さっき落ちたウィッグとそれから姉が好んでハイヒールを投げ捨てる。自分は苦手だから滅多に履かないが、姉らしく振る舞う為に履いていたのだ。
「…行きます」
窓枠に足を掛けると、下を見る。
その高さに身がすくむけど、ここまで来て逃げる訳いかない。
かっこ悪いとこは見せれない。
それにこの高さなら多分死なない…はずで有る。
意を決して勢い良く身体を前に突き出す。
「…っ、せーの、!」
ふわり、と飛び出した瞬間浮遊感が体を襲う。
その一瞬、前の木に落ちれる様足を伸ばした。
いける!
うまく行けば足から着地出来る!
が、そんな目論見は甘かった。
うまく行けば葉っ葉や枝に引っかかる計算だったのだが、思ったよりも若い木樹だった様で枝が呆気なくぱきりと折れる。
しかも葉は上の方にしか付いて無かった様で、あっという間に葉っぱのトンネルは通過してしまった。
「う、うっそ……」
どうしよう!足から着地か!尻から着地すべきか!やっぱ骨の一本折れるより尻餅着いて痛い方がましか!
桃はそこまで決意すると、衝撃に耐える為に思いっきり目をつぶる。
(かみさまっ!)
どんっ!
「………いっ!た、…くない」
激しい音が響いたので、痛い気がしたが思ったよりも身体も、勿論犠牲にするつもりだったお尻も痛くない。
それどころかなんだか暖かくて力強い何かに守られている気がする。
「……それは良かった、人の事下敷きにしといて痛いって言ったらどうしてやろうかと思った」
「…へ?」
恐る恐る聞きなれない声がする頭上の方に頭を上げる。
「……え?」
そこにはもう類を見ないと言うんでは無いだろうかというぐらいのイケメンがなんだか近い場所でこっちを見つめていた。
黄緑系のカーキ色と飴色みたいな色を混ぜた様な甘くて、でもはっきりとした意思を覗かせる強い双眸。
そして、紺色を混ぜて艶を出した様なまるでネイビーパールみたいなさらさらな髪の毛。
鼻筋はすっととおり、薄い唇が何とも色っぽい。
「…あんた大丈夫?頭でも打った?」
「……頭は打ってないです」
するとどうでも良さそうに彼はそう、という。
「ところでなんで落ちて来たの?危ないじゃん」
そう言われてそういえばと思い出す。
そっか、そういえば危なかった事をしたんだ。
それを思い出すとグラグラと心の中の何かが決壊した。
「……う…うっ…うわぁぁあぁぁん」
「ちょっ!…は?なんで泣くの?」
彼が慌てた様に聞いて来るけど、そんな事に答える余裕なんかなくて、ただひたすら、思ったことを伝える。
「…やっぱ怖かったよぉ…ううう゛っ…」
決壊したら最後、さっき飛び込んだ前よりも大きな感情が止まらず襲いかかる。
さっきより酷くボロボロとボロボロと溢れ落ちて、喉の奥が引きつりを起こす。
「…こわ…かったよぉ…」
「…そう」
「…おねえちゃんどっか…いっちゃうし…」
「…うん」
暖かい何かがそっと頭を撫でてくれていた。
それに安心して、何もかもぶちまける。
その暖かい何かの中で。
「うで、しばられるし…いたいしぃ」
「…そう…」
「でも…ううっぐ、あいた…くて、あい…たかった…つっ、から、でぉ…かっこううっわるいとこみせれないからぁ…うっうぐ…とび、おり…うっようって…」
会いたかった。どうしてもその一心だったけど、やっぱり怖かった。
ばれない保証が全くない身代わりも、一人ここまで来るのも、お付き合いされてるって聞いたことも、閉じ込められたことも、飛び込もう、って決めたことも全部怖くて…。
不安で落ち潰されそうだった。
むしろ押し潰された。
でも、会いたい、それだけだった。
「…良くわかんないけど、かっこよかったんじゃない?」
「うっぐ…う…?」
静かで優しい声に欲しかった言葉をいわれて、桃の激しく揺らいでいた感情が少し落ち着く。
「あの高いところからの飛び込みも、その会いたいから頑張るって気持ちも、かっこ良かったと思うよ」
それは桃がずっと求めていた言葉。
あの人を目標にしてからずっと、ほんとはあの人に言われたかったけど、欲しかった言葉。
その言葉を聞いて、桃は嬉しさのあまり涙腺が少しだけ締まる。
優しい言葉をくれた人を見上げ、聞き直した。
「…かっこ、よかっだ、ですか?」
「少なくとも俺はそう思ったけど?」
その言葉の嬉しさはさっきまで襲ってた感情を上回る。
「…かっご…よかっだ……えへへっ」
それは今日初めて漏れた笑みで有った。
「…なんだ、そんな顔して笑えるじゃん」
「…えっど…ご迷惑…お掛けしました」
まだしゃくりが落ち着かないが、段々落ち着いて来る。
「それは良いよ…それで、少しは落ち着いた?」
「はい…」
聞かれ再度見上げると、やはり類を見ない程のイケメンさん。
「…じゃあそろそろおりて欲しいんだけど」
「へ?」
ん?と思い、そういえば私はどこに居るのかと思い返す。
見上げるとイケメンさんの顔。
私の体制はうつ伏せ状態。
そして眼前には真っ白な生地。どうやらシャツの様だ。
…!?
再度見上げる。
イケメンさんが早くしろとばかりに見上げてくる…。
……!!!?
「うっそ!」
状況を理解し瞬時に飛び起きる。
もう全身の血が逆流して、さっき迄の涙腺の緩みとか嬉しいとか一気に吹っ飛ぶ。
つまり、あれです…よね?
そういえば、そういえばなんかそんなこともいってた気がする!
「うわわぁ!助けてくれたですよねっ!わわ!重たかったのに!下敷きにしちゃった!ごめんなさい!」
どうしよう、どうやら事故とは言えイケメンさんを押し倒してしまいました。
しかも押し倒したまま、泣いてしまうなんてなんて迷惑をお掛けしたんでしょう。
そして今気づきましたが泣いてる間、暖かく抱きしめてくれて、優しく頭を撫でてくれて。咎めるでも責めるでも、何か聞いてくるわけでもなく優しい言葉をくれて。
本当に申し訳ない気持ちでいたたまれなくなってくる。
「…ありがとうございました」
「ねぇ、あんた名前は?」
しかし私の謝罪もお礼も聞いてらっしゃるのか聞いてらっしゃらないのか、唐突に聞かれてしまう。
「…四ノ宮、蘭です。」
もう取り繕っても無意味だろうが一応姉の名前を答える。
「違う、あんたの名前。あんた、蘭じゃないでしょ」
やっぱりばれていたらしくあっさりと言いなおしを求められる。
「シャツをタオル代わりに提供したんだから色々知る権利ぐらい俺にもあると思うんだけど」
えぇ。全くの正論でございます。彼のシャツは私の涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっております。こちらはクリーニング代お支払いした方が良いでしょうか?いや、むしろ新しい物をご準備させていただくべきか。
ひとまずその件は後で確認させて頂くとして、素直に彼の質問に答える。
「四ノ宮桃です」
「あんたをここに出したのは?」
「父と母です」
「あんた、このまま家に帰りたい?」
「帰りたいも何も帰らなきゃ」
確実に母上と父上に怒られるだろう。
姉の身代わりすら出来ず、しかも正体ばれて失態まで晒してる。
「分かった、質問変える。西園寺は嫌い?」
「…へ?えっと…」
質問の意図が掴めない。
西園寺と言うのは次期ご当主のことなのか、それとも西園寺全ての総称なのか。
「…メイドさんは怖かったけど、草壁さん優しくしてくれましたし庭師さんの方に会いたいなぁとは思いました」
「ふーん。…そう」
彼はそれで満足したのか、それとも聞くことが無くなったのだろうか、それから何も聞かなくなった。
何も会話がない沈黙の時間。
そういえば、さっきから相手してくれてるこの人誰なんだ、と今更ながらの疑問が出てくる。
イケメンさんで、とても堂々とした喋り方。こんな非常事態なのに落ち着き払ってる…。
そうだ、非常事態で思い出した。
私顔合わせ直前に消えたのだからお屋敷の中はきっと大騒動になってるに違いない。
今回の私の大失態で、四ノ宮の家が潰されかねないと思うと血の気がどっと引く。
これは早急に西園寺のお屋敷に戻って、草壁さん探してお屋敷で待ってらっしゃるであろう次期ご当主に、謝罪を入れなければ!
この謎のイケメンさんにご挨拶しようと振り向く。…が、何て言って離れたら良いか分からない。仕えの方?にしては喋り方がフランクだったし…。西園寺の血筋の方?…え…まさか。そしたら私は大失態の上に恥の上塗りである。
くわぁ、と一つ大きなあくびをするとイケメンさんはこちらをチラリと見る。
「そういえばあんた、誰に会いに来たの?」
「…私は…」
「坊ちゃん!!!」
私の回答はとても大きな呼び声にかき消される。
「急に呼び出してなんなんすっか!今顔合わせ相手探し…って、お嬢様…なんでここいんだ!?」
「…草壁さん?」
必死に走ったのだろう、草壁さんは汗びっしょりで息も荒い。本当に申し訳ない。
そんな草壁さんを見て、隣のイケメンさんはこっちを顎で指して草壁さんに宣言した。
「草壁、俺これと婚約するから」
「………はぁ?はぁぁ!?」
「……はへっ?」
四ノ宮桃、16歳ー。
姉の身代わりで顔合わせに行ったらイケメンさんに婚約宣言されました。




