30億の命と贖罪と
評判が良ければ、この世界観でのお話を作っていこうと考えております!
誤変換や脱字に関しましては、後日修正いたします。2018/08/05
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夜空に煌めく星々と、眩い月光がとある軍事要塞を照らす。その要塞からはヒト種の叫び声と喘ぎ声が響くが、傷ましいほどに耳障りでしょうがない。そして、それらとともに鳴り響く太鼓の音やチカチカと薪の燃える音、さらには汚らしいゴブリンの雄叫び声とくる。
今朝の戦勝を祝った宴の最中なのだろう、この要塞を攻略しようと試みたヒト種連合軍と呼ばれる軍隊が早朝を狙って襲撃したが、日没までに制圧できず無能な指揮官の撤退命令が出される頃には壊滅状態に陥っていた。
ゴブリンたちは予想以上に強靭な肉体と高度な知恵を持つゴブリンエリートと呼ばれる進化体の個体数が多かったためか、被害はあまりないように見える。ヒト種連合軍とやの完全敗北でその日の戦は終了した。
因みに、ヒト種連合軍の指揮官は数人の部下を引き連れて敵前逃亡。指揮をする者がいないのだから、陣形が崩れて瓦解するのは目に見えていた。
以外にも、要塞の攻略に参加した敗残兵の半分以上が生きたまま捕らえられている。男も女も扱いは変わらない。拷問して情報を吐き出させ、用が済んだら慰み者。捕らえられた人数が多いためか、まだ拷問すらされていない者たちもいるようだ。全員が鎧や武器を剥奪され、先に手に掛けられている仲間たちの苦悶の声を耳にしながら静かに怯えている者、泣いている者、後悔している者、まだその身に闘志を抱いている者。
俺は、その有り様を丘の上から傍観していた。俺には俺なりの準備というモノがある。要塞の周辺を円状に囲む砲台を魔力で数時間かけて作りあげた。
ここからが、本番だ。実は、砲台を敢えて設置しなかった場所がある。そこは俺にとってのお客様が華々しく突撃すると思われるポイントで、そこには何も手を出していない。今回の主役はそのお客様であり、俺じゃない。俺はただそいつらが活躍するためのお膳立てをすることのみ。表舞台に立つのは、勇者様御一行だと相場が決まっているらしい。まぁ、その方が俺らしく目的を完遂できるから有り難いのは事実だ。
近くの茂みに御一行が到着し、先行した斥侯役からの要塞内部の情報を確認しているようだ。
「そろそろか――――」
俺は集中し、自身の魔力と砲台の魔力器官とのパスを順に繋ぐ。
二、八、十八、三十四、六十六・・・・・・・・・三百三十、三百五十!
時間にして、約二分程度。百を超える魔力パスの同時接続なんてなかなかする機会はないだろう。思った以上に時間がかかってしまった気がする。
勇者様御一行は、どうやら攻めあぐねている様子。なら、わかりやすい突撃の合図を鳴らそう。
「砲弾の魔力生成完了。装填良し、全砲台浮上開始!」
砲台は、地面から上空に浮遊し、要塞の壁を目がけて下方修正を開始する。
「下方に角度修正完了。全砲台の砲撃準備完了」
大きく息を吸い、吐き出すのと同時に―――、
「砲撃開始!」
要塞を囲む砲撃が開始する。その音は雷のように轟き、瞬く間に要塞の壁をほぼ一掃する。明らかに過剰砲撃だが、そんなことは知ったことではない。捕らえられている者たちが多少巻き込まれたところで構うものか。
砲撃の音と要塞の有り様を目撃した勇者様御一行は、数秒程度あっけにとられながらも、勇者を筆頭に迅速に突撃を開始する。流石だと素直に称賛すべきだ。
勇者はその剣でゴブリンたちを次々に切り捨てる。ゴブリンエリートたちも戦闘に加わるが、勇者の元へたどり着く前に、後方支援のエルフの弓兵や魔法使いによって阻まれ、その二役を護衛しながらも勇者との距離を一定に保つように気を配る獣人とドワーフ、常に勇者の傍で強化魔法を唱える精霊と後方からドワーフたちを強化する天界人。こうみるとバランスが整っていて連携も充分にとれている理想のパーティー構成になっているとみて間違いない。どことなく戦い方が絵になる様は、見ていて気持ちのいいものかもしれない。
数十分が経って、決着が着いたようだ。ゴブリンたちは六十匹程度はいただろう。初めの砲撃で二十は片付いたとして、残り四十程度は間違いなく彼らの戦果だ。これで文句はないだろう。裏方の俺の仕事はここまでだ。
「お疲れさまです先輩」
俺のしたことに気づいているのは、この喋る魔導書こと後輩だけだ。だが、それでいい。俺のしていることなんて、ただの償いでしかないのだから。
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ロドニー・・・ロドニー・・・。
気が付くと、見たこともないような幻想的な場所に俺はいた。思わず涙が頬をつたう。俺は、この風景に間違いなく感動していた。
印象としては、永遠の夜とでも言おうか。見たこともないほど大きく鮮明に浮かぶ月と星々。そこかしこから聞こえる獣の遠吠え。そしてなにより、俺の眼前に佇む黒い衣装を身に纏った気品あふれる綺麗な女性。
「こんな世界・・・俺は知らない」
思わず呟いた言葉がこれだった。
「それはそうでしょう。何せここは冥界。ロドニー、アナタは死んだのです」
俺が・・・死んだ?いや、そうだ俺は死んだんだ。少しおぼろげな部分はあるけれど、確かに俺は自分の死の瞬間を覚えている。
「まだ少しボーッとしているようですね。わかりました、ゆっくり思い出しましょう。生前のアナタを。何せアナタは――――」
「俺は――――」
死刑囚だ。
俺は、とある教団の信奉者だった。土地が貧しく、ロクに栽培もできないようなアフリカの片田舎で育った。そこでは毎日のように人々が餓死していて、紛争地域に隣接した場所でもあったため、生きるためにとにかく必死だった。家族は物心がつく前からいなかったし、子供同士での食べ物の奪い合いなんて日常茶飯事。食糧を配給してくれるという甘言に乗って何人もの子供たちは捕らえられ、兵士として育成された。俺も含めて、みんなが生きるために戦わざるおえない状況にあった。
死にたくなければ死んで来い、運良く生き残ったら飯を食うために死にに行け。いつもそんな生活だ。武器は半年ごとに性能が良いモノを貰える。十年以上戦ってきた身としては、もう人の死というものに感じるモノがないと思っていた。
そんなある日、俺たちの前に一人の救世主が現れた。その救世主はとある教団の司祭ということで、俺たちに教えを説いた。
『人を殺すということは、慈善行為に他ならない。この世界に肉体を持つ人間は、その全てが世界という楔によって拘束されている状態と同義である。
人間は、死した瞬間から初めて生まれるのである。死、無くして生はあり得ぬように、不幸があるからこそ幸福を噛みしめられるように、相反する属性は同じ土台に立っているからこそ互いに存在を意識する!なればこそ、その真理にいち早く気づいた我らの役目とは何か?・・・そう、解放である。この真理に至っていない哀れな者たちに、我らが手を差し伸べるのだ。無論、死を与える以外に方法などありはせぬ。
人は、世界は、死をもっと身近なものとして捉えなければならない。諸君はどうだ?毎日が戦場、戦場、また戦場!これまでどれだけの家族を、友人を、恋人を失ってきた。それ以前にも、この痩せこけた土地でどれだけの餓死者を目の前にしてきた?
少なくとも、今ここに集う者たちに、世界へ声を上げる権利は間違いなくある!諸君、我らと共に人々を解放しようではないか。人々に、死を与えようではないか。諸君らは運命が作り上げたキューピットだ。天使だ。そして、死神でもある。この世界を解放するために、人類が皆争いのない平和な世界の元で生まれ変われるように、我らと共に少数の犠牲になることを厭わない勇敢な者は、付いてきてほしい!諸君らは、間違いなく正義そのものなのだから!』
それらの演説をどこまで理解できたのか、それは今でもわからない。俺たちは、わからないまま縋る先が欲しいがために戦っていた。朝も、昼も、夜も。国境も、陸や海、空でさえ関係なく、その全てが慌ただしく、緊迫感のある。色気なんてこれっぽっちもない死と隣り合わせの日常。俺たちは、彼らの言葉に惹かれて教団に入ることにした。
教団に入ってからは、着るものや食べ物に少しだけ余裕ができた。誰かが言った、司祭のいっていることは、要は死を与えることは救済に他ならないのだと。その解釈は間違いなく、曲解だった。しかし、その言葉によって踏ん切りがついた者たちはとても多く、殆どの子供たちはそのまま教団の考えに陶酔した。自分たちが不幸な目に遭っていたのは、いつかこうして正義を執行するためだと。・・・正直な話、俺にはその考えが良く理解できなかった。
そうして、俺たちは数々の教団の教えを学び、武器の扱いやその他もろもろの教育を受けた。その先に待つのは、数十億の犠牲を伴う凶悪という表現では収まりきらない領域のテロ行為だとは知らずに。
「色々、思い出せましたか?」
黒い衣装の女性は、俺の顔を覗き込む。
思わずドキッとしてしまったが、あまり緊張はしなかった。
「はい、それよりアナタは?」
「私は、この冥界で死した魂を流転させる案内人。特定の名はございませんので、冥界の案内人と呼ばれています。略称で案内人さんと呼ばれることも多々ありますよ」
冥界の案内人と名乗る彼女は、俺の好みの容姿をしている。というか、ドンピシャだ。
「私の姿に見惚れているんですね?でしょうね、私はアナタの好みの容姿を着飾っていますから」
今のはどういうことだろうか?着飾っている・・・というのなら、本当の姿ではないということだろうか。なら、どんな姿をしているのかそれはそれで気になる。
「私は、特定の名を設けていないように、姿も同様です。アナタが視ている私は、ただの魂。私は私の魂を見る者の理想の姿として認識されるようにできています。ですから、アナタが私のことをどのように視えているかは存じ上げませんが、それは虚妄です」
よくわからなことを捲し立てられても、どう反応していいのかサッパリわからないからやめてほしい。というのは、我儘だろうか?正直、話についていける自信が無い。
「さぁ、アナタは生前の記憶を思い出しました。そんなアナタに半強制でお願いしなければならないことがあります。でも、それを言う前に一つ伺ってみましょうか。もしアナタが生まれ変わることができるとしたら・・・あぁ、このことを転生と言うんですけれども、転生できるとしたらどのような環境の下で生まれ変わってみたいと思いますか?」
話がいちいち回りくどいと思うのは俺だけだろうか?
けれど、そうだな。司祭も言っていたけれど、生まれ変わるということ自体は本当にあり得る話なのかもしれない。生前は話半分に受け止めていたけれど、なんだか現実味が湧いてきた。
「――――そうですね。もし本当に生まれ変われるのなら、平和な場所で生まれ変わりたい」
「平和な場所?少々抽象的ですね。具体的には?」
「生前、聞いたことがあるんです。世界には、銃を持たないし殺し合う必要がない。そして、命の奪い合いからかけ離れた環境にいるからこそ独自に今も発展し続けてる娯楽の文化を大切にした国があるって。衣食住に困らないだけでも俺たちにとっては天国に思えるのに、そこに住む人々の殆どがいろんなものを贅沢に使う余裕があるって・・・そんなの聞いたらさ、憧れもしますよ」
本当にそんな国があるのなら、きっとそこは心も身体も健康で裕福なんだと思う。食べ物の奪い合い何てしなくていいし、餓死する友達もいない。死んだら死んだで、そのまま蛆虫やカラスの餌になるんじゃなくて、ちゃんと丁寧に扱ってくれる。そんな優しい国で生まれたい。そう思うのは、間違いだろうか。
冥界の案内人は、俺の言葉を紙のようなモノに書き留めると、そのまま仕舞う。
「承りました。転生先の候補として登録しておきましょう」
「じゃあ、ホントに俺は生まれ変われるんですか?」
冥界の案内人は笑みを浮かべながら応える。
「ええ、アナタのこれからの頑張り次第で、理想の転生が可能になるでしょう。本当にアナタ次第ですがね」
含みのある言い方は、正直あまり好きじゃない。物事はハッキリと言ってほしいと思うのは俺が子供だからか。
「しかしですね、実はと言いますと、今のアナタは冥界の規定により転生する許可が下りないのですよ。ええ、残念なことに」
「だったら、今までの流れは全部いらなかったんじゃないですか?」
何が転生だ。期待だけ持たせて終わりとか、あくどいにも程がある。
「まぁまぁ、話は最後まで聴くものですよ。コホンっ!」
咳払いをして声の調子を整えているのだろうか。でも、俺には人間に見えているだけで実際は実体がないって言うなら、咳払いなんてそもそもできるのだろうか?という疑問をぶつけたいどころだけれど、流石にそれは空気を悪くしそうだ。
「本来、魂の転生は死した魂の全てに等しく与えられる権利として冥界規定に定められています。こと転生に関しては、その魂がいた世界でのルールは適応されません。もっとわかりやすく言うと、人間が作った法律や条例、契約等は一切関与ができない理の中で進められる処理です」
生前に何をしていようが、転生する分には関係ない。どれだけ悪いことをしても、良いことをしても全て等価値ということだろうか。
「じゃあ、俺が生前に犯した罪も、全部チャラってこと?」
「アナタの場合、銃殺刑だけでは到底納得のできない所業ですからどうでしょうかね。まぁ、何度も言うように冥界では関係ありませんが」
やっぱり、俺がしたことはそうそう都合よく許されることではないのだろうか。命を奪う行為は生きていく上で当たり前だとは思うけど、流石にやり過ぎだという周りからの声も正直なところ尤もなんじゃないかと考えたことは確かにある。自分のやっていることは本当に正しいのか、もしかしたら何の正当性も無いただの無差別テロなんじゃないのかって。
「冥界としては、アナタ方の世界でどれだけの死者が出ようと口を出すつもりも、罪として認識することもありません・・・でした。この度アナタが仕出かしたことによって、その認識が覆されることになろうとは思ってもいませんでしたよ。何せ、アナタ単体で三十億人もの命を処理するなんて考えてもみませんでしたからね」
こうして俺の犯した罪が少しずつ詳らかになっていく。死んで尚、所業を思い出すだけじゃ償いにならないのだと自覚させられる。
「冥界は、アナタに一つの償いを求めています。今回の件で、魂の流転が混み合うという異常事態が引き起こされ、さらには流転の運営そのものに多大な負荷がかかってしまったことで遂にはパンクしてしまいました。現状、他の管轄の者も順次補助として対応中ですが、とても間に合いません。これもすべて、アナタが過度に死者を出してしまったが故です。このことから、アナタには弁償としてとある世界・・・アナタからしたら異世界ですか、死者として異世界に向かって戴きます。そこで、指定された職務を果たしてください。それがアナタに用意された償いです」
俺が出した死者が多過ぎるから、その償いをしろ・・・か。うん、これはどんなことをさせられても文句が言えないかもしれない。素直に、受け入れるしかないのかもしれない。
「その職務っていうのは、具体的にはどういうことをするんですか?」
それがどれだけ辛く苦しいことだったとしても、俺はきっと従わなければいけない。だって、俺が一番嫌いな奴らが俺の家族を皆殺しにしたように、それと同じことをその比にならない規模でやってしまったのだから、もう俺は人でなしだ。憎くて嫌いで、絶対にこいつ等と同じ道にだけは進みたくないって心に決めていたことを仕出かしてしまったことに、死んだ今になってようやく気づいたのだから・・・、もう色んな意味で俺に救いようはないのかもしれない。転生を望むことも、烏滸がましいことなのかもしれない。でも、それでもやっぱり平和に暮らすっていうことへの憧れは、どうしても捨てきれない。チャンスがあるなら掴みたい。
その為なら―――――。
「では、アナタに向かって戴く異世界の管理者に説明をして頂きましょう。ニルトリート様、どうぞ」
ニルトリートと呼ばれるソレは、この冥界と言う世界にとても似合っている姿をしている。身体を持たない光の靄、俺にはそうとしか見えない。
「・・・冥界の、訊いても良いか?」
「はい、なんなりと」
「視たところ、この大罪人とやらは計り知れない運命を背負っている。逸材だな、何処で仕入れた?」
「地球ですよ。それともアース?テラ?」
手を顎に添えながら冥界の案内人は応える。
「あの忌々しい多言語世界か。神秘を否定する世界からとなると、少々常識を操作しなければ順応できまい。面倒なことだ」
「けれど、その手間がどうでもよくなるくらいの期待ができますよ?特に、其方の要望に十二分に添える形で」
少しの沈黙を経て、ニルトリートと呼ばれる異世界の管理者は、その曖昧な姿のままこちらに近づく。
「君は・・・なるほど。緊張しすぎると喋り過ぎる癖があるようだな。それと、宗教に入っていながら奇跡に半信半疑とは、これだからあの世界の住民は困る。いいかね、君が成した鏖殺劇は、とても人間が個人で完遂できることではない。それを君は一人で成したのだ。これを奇跡と言わずしてなんという?君はもう、十二分に奇跡そのものなのだ。認めなさい」
ニルトリートの声は、中性的な声だ。男の声にも聞こえるし、女の声にも聞こえる。
「あの・・・はい、えっと、認めます」
「取り敢えずの感覚で認めるのは感心しないな?私に失礼ってものだ。そういった部分も少々いじくるとして・・・ふむ、こんなところだろうか」
さっきから、どうにも話しづらい。こちらの心を読まれているようだけれど・・・。
「えっと、ニルトリート様は・・・」
「様はいらぬ。どうせ、この仕事を続ければ自然と私に悪態をつくようになる」
「はぁ。それで、俺は何をすればいい」
「フンっ!急に口調が砕けたな。良い、私の前で隠しごとは無為であるとようやく悟ったか戯け」
急に話し方が雑になったのはお前も同じだろうが。仕事始める前からコイツのこと嫌いになってきた。
「ハンッ!結構、それで良いぞ。さて、本題に入ろうか――――」
「あのぉ、私とっっっってもここに居づらいんですけど・・・」
冥界の案内人は汗をかいているのか片手でパタパタと扇いでいる。実態なんて無いクセに。
「そうは申すが冥界の、お主の持ち場はここだろう?なら、我慢せい。それと、話の腰を折るのは感心せぬぞ」
「ええぇぇぇ・・・」
「さぁ、今度こそ本題に入るぞ。私も暇なわけではないのでな」
なんだか、どうでもいい茶番を見せられていた気がする。
「実際、茶番だろ?よし、それではまず私の世界、ニルトリートの現状を説明しよう。この世界は君の居た地球と同じく球体型の惑星だ。丁度中心に帯状で大陸が続いていて、両面から海に挟まれている。君のような人間の他にもエルフやドワーフ、ワイバーンやゴブリンといった種族が多数存在しているが、その全てが共通の言語を用いている。多少の訛りはあるがな。そして今、この種族たちは二つの派閥に別れて戦争をしている。
人間、エルフ、ドワーフ、魚人、獣人、精霊、天界人で構成されたヒト種連合軍。
魔王が率いる魔族、種族が多過ぎて最早収拾がつかない魔族連合軍。あいつら異種配合し過ぎて元の生態系保ってないからな。
今は断然ヒト種連合軍が劣勢状態でな。大陸の二割をヒト種連合軍が、六割を魔族連合軍が支配している。残りの二割はまだどちらの手にも渡っていない。だが、その二割の土地には戦争より何世代も前の者たちによって創られた遺跡がいくつか隠されている。そこには、所謂アーティファクトと呼べる兵器たちが眠っている。君には、そのアーティファクトを探しながら魔王打倒を目指している勇者一行を陰ながら助けてやってほしい。そのために必要な能力は全て冥界側で用意してくれるから、そうそう困ることは無いだろう」
一気にいろいろな情報を開示されたが、案外、一回の説明で覚えられたことが少し嬉しい。
「魔族の説明を暈かしたからな。全部説明しようとすると私と揃って途中で困惑する自信がある」
もうコイツと話すときは、喋る必要ないな。全部読まれている。
「それはそれで寂しいからちゃんと言葉に出しなさい」
「わかったよ。でも、ヒト種連合軍を助けるにしても、具体的にどうすればいいんだ?その勇者一行っていうのに聞けばいいのか?」
そもそも、勇者とはなんだ。どうやって勇者だと判別すればいいのだろうか。
「・・・勇者はな、どんなに劣勢でも決して諦めない勇気のあるヒト種のことを指している」
「えらく、大雑把だな」
「君が勇者だと直感した奴は大概勇者だ。それと、これだけは何があっても守ってほしい大原則がある」
今までとは打って変わって、神妙な声色を放つニルトリート。おかげで少し委縮してしまった。
「無暗に生者の前にその姿を晒すな。君の存在がこの世界の生者たちに広く知れ渡ってしまうと、世界が君を拒絶して追い出そうとする。当然だろう、君は別の世界の住人・・・いや、死者だったか。まだ君の世界と君の魂は繋がっているようだからね、君の所有権はこちら側には無い。であれば、異物として処理されるのは理に適っているというわけだ。そうなれば、君は罪を償えないし、私の世界はパワーバランスを完全に失う。双方にとって損だ」
ニルトリートの言葉からはどことなく必死さが伝わってくる。ここまで丁寧に説明されて尚、非協力的な態度を示すのは間違っている気がする。素直に引き受けよう、俺も罪を償って生まれ変わりたいんだから。
「わかっ―――――」
「そうか、これで合意だな。契約成立だ、すぐに準備しようではないか!」
「・・・・・・・・・・・」
「ん、何かねその目は?」
俺、やっぱりコイツのこと嫌いだなぁ・・・。
♦
「でも、具体的にはどうやって償えばいいんだ?勇者たちを助けるっていうのはわかるんだけどさ」
素朴な疑問だ。俺にどんな能力を用意してくれるのかはわからないが、基本的な方針はきまっているはず。
「何をいうのかと思えば・・・そんなもの、訊くまでもないだろうに」
そうは言われてもピンとこないものはしょうがない。
そしてまた、ニルトリートは冷たい声色で俺に返す。
「何のために君を選んだと思っている?どんなに自分を誇張しようが、過大評価しようが、君にできることは一つしかないだろう?地球史上最悪の鏖殺者。それが奇跡として認められたが故に君はこうして私の前にいるのだ。であれば、殺せ。殺して殺して殺しまくるといい。その結果、救われる命の方が多いのなら、それで良い。君が地球で殺した数はざっと三十億なのだろう?端数は抜いてやる、私の世界で三十億人の命を救え。それが君にできる唯一の償いだ」
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「おい、新入り!お前も連合軍の端くれなら突っ立ってないで戦え!魔法で追い払え!」
太陽の陽が照りだす明け方、深い森の中にはヒト種連合軍の野営地が設けられているのだが、野営地そのものは既にあられもない有り様になっていた。
「お、俺実戦なんて初めてだよ・・・」
「くそっ!寝起きで頭が回らない!」
魔族連合軍の部隊が偶然にも鉢合わせしてしまったのだ。
この野営地に駐在している兵士たちは、そのほとんどが新兵。実戦経験のある兵士はそれこそ指で数え足りる程度しかいない。
戦況は初めからヒト種連合軍側の劣勢で始まり、なかなか覆せそうにない。そんな折、魔族連合軍側からの一声がこの森の中を木霊する。
「ヒト種の者どもに告げる、貴様らの中で最も強き者は我の前に名乗りでよ!一騎打ちを所望する」
声を荒げるのは、青白いスライムモンスター。しかし、その形状はワイバーンの造形と酷似している。
スライムモンスターの誘いに乗ったのは、槍使いのエルフだった。
「私がこの部隊の指揮権を任されているエルフのレイモンドだ。其方の一騎打ちの相手は私が応じよう」
レイモンドは、エルフ特有の長い耳が片方だけ削ぎ落とされている壮年の槍使いだ。
「エルフか・・・てっきり人間かドワーフ辺りが出てくると思っていたが、いやはや。エルフは弓と魔法を得意とするのではなかったのかね?なんだその槍は、私がスライムだからと嘗めてかかっているのかな?」
スライムモンスターは、羽根をバサバサと羽ばたかせて少しずつ宙に浮く。
「生憎、そこまでの余裕はないさ。見たところ、其方は〝名前憑き〟だな。であれば、油断ならない相手として見るしかあるまい」
〝名前憑き〟それは、魔族特有の階級を意味する言葉だ。この世界に突如現れた魔王という存在。その力はあまりにも強大で、魔族を支配するためのルールを世界に敷くという常識外れの理を自ら築き上げた。その最たる例が名前憑き。これは、魔王の魔力を供給できる適性を持つ種族が魔族に偏っていることを利用して、魔族を強化する手段として現在も用いられているという。
元々、魔族の殆どが個別の名前を有するという文化を持たないものが多く、云わば契約。名前を与え、魔王自身の魔力を分ける代わりに従順な駒となれ。そういった意味合いがある。
「ほう・・・そこまでを肌で感じ取っているのならば、話は早い。早々に弓を持てレイモンドとやら。さもなければ勝敗は一瞬で決するぞ?」
スライムモンスターは不敵な笑みを浮かべる。
「嘗められているのはこちらの方だな。生憎と私は数百年前に兵士としての現役を退いている身、今はただの教導補佐だ。だがな、教導の身であるからには真の意味での文武両道を求められる。得物が変われども、使いこなせないようでは終わっている」
レイモンドは自身の身の丈と同じ程度の槍を軽々と弄ぶように振るう。その様は達人そのものだ。
「いや、失敬。不要な問答につき合わせてしまったようだな。我が名はカシム、魔族連合軍の幹部が一人」
ここで互いの名乗りがようやく終える。それは、この世界における一騎打ちを成立させるための契約。この契約が成された場合、他の第三者が介入することは、例え魔王であっても許されない。
「「・・・ッ!」」
決闘の開始に合図は必要ない。互いに殺し合いが始まれば、自ずと身体は前に出てしまうものだから。
♦
野営地から離れた湖で、一人の少女が水浴びをしている。黄色の長髪は水を含み、木漏れ日によって金色に美しく輝く。少女の名前はエメリア、ヒト種連合軍の新兵で人間だ。この野営地に着任してからのルーチンワークとして毎日明け方に湖で身体を清めるという作業を行っている。いつものことならこの後に故郷から肌身離さず持ち歩いている詩集の本に読み耽るはずだったが、この日はその予定を崩されることになる。
「――――っ!そこに誰かいるの?」
森の茂みから、誰かに覗かれているような気がする。
「・・・感知魔法起動―――あれ、やっぱり誰もいない?」
エメリアはさっさと身体をタオルで拭き、魔法兵用の服を着る。
依然として何者かからの視線を感じるのだが、いくら感知魔法を用いても反応しない。
「ちょ、ちょっと不気味かも・・・今日はもう野営地に帰ろう」
エメリアは荷物を纏めて野営地へと向かう。しかし、いくら兵士と云えどもエメリアはまだこの世界での成人年齢にも至っていない少女。このような戦争さえなければ、今頃はどこかの村で慎ましく平和に暮らせていたのだろう。
湖から野営地までは走って数分程度。飛行魔法で加速させれば数十秒で着く。
魔法を使う際に用いる木製の杖を通じて周囲の重力を操る魔法。その魔法により、エメリアは迅速に野営地まで向かうことができた。
しかし、エメリアが野営地に辿り着いた時には、もう勝敗は決していたようなもの。
ヒト種連合軍の野営地は蹂躙され、兵士は新兵含めてかなりの人数が命を落とし、遺体は無残な姿のまま地に捨てられていた。
「そんな・・・私がいない間に――――、」
それでもまだ、戦線は崩壊し、最早撤退することさえままならない状況であっても、諦めずに一人で戦う兵士がいる。それは、エメリアたちの教官補佐を務めるレイモンドだ。
レイモンドは終始押されながらも、ギリギリのところで耐えている。槍で突き、躱されることを見越して身体を捻って蹴りをいれる。スライムに打撃はあまり有効ではないことはわかっている。だからその蹴りは攻撃の為の動作ではない。槍で突くという大きな隙を作ってしまう動作をカバーし、すかさず体制を立て直すための蹴りだ。
「先生が戦ってる!それに、その周りで捕まってるのは・・・」
♦
レイモンドとカシムの一騎打ち。その周囲を囲むように魔族連合軍の兵士たちが観戦している。そして、ヒト種連合軍の生き残りが捕らえられた状態で二人の闘いを見守っている。レイモンドの勝利を信じ、この絶望的な状況から脱するために。
カシムの両翼から無数の羽根が発射される。それをレイモンドが躱すと、その背後にいた魔族も、ヒト種も関係なく身体中を貫かれる。
しかし、レイモンドはそんなことに気を取られるほど青くはない。できるだけ流れ弾が部下たちに向かないように考えて立ち回るつもりではあるが、相手は魔族連合軍の幹部。自分の命を優先しなければ守れるモノも守れないことは承知している。
構わず槍をカシムの眼を目がけて突き刺す。しかし相手はスライム、今度は自身に刺さった槍を飲み込もうとする。
レイモンドはすぐに槍を手放す。あのまま槍に固執していたら自身も飲まれて負けることが決定していただろうという長年の勘が彼に正しい判断を下す。
「さて、武器はもう無いのか?無いならここいらで終わりにするとしよう。貴様では私には追いつけない。そのことが十二分に示されたのだから、もう遊ぶ必要もない。捕虜を生かしておく必要もない・・・」
「ま、待て。まだ勝負はついていない!だから、待ってくれ!」
レイモンドは戦闘中であるにもかかわらず、カシムに縋ったが、それがカシムの琴線に触れてしまった。
「おい、その手を離せザコ」
魔族の特徴として、強者への服従という生存本能がある。しかし、裏を返せば弱者への感情など抱くだけ無価値なのだ。隷属させるという発想も本来は存在しない。魔族が抱く感情は、下剋上。自身を従える存在をいつか出し抜くことのみを考えている。つまり、魔族たちにとってヒト種というのは個々でやりあえば分が悪い存在だが、勝敗が決して戦う術を持たない相手には、食糧としての見方しかできない。弱者のすべてが家畜と同様なのだ。
しかし、魔王により見出された〝進化種〟はソレ等とは発想が異なる。生存本能に従って戦うのではなく、娯楽として命を奪う。カシムをはじめ、大陸の各地に点在する幹部クラスは、魔王の魔力を直接身に含む存在。至るはずのない領域に足を踏み入れた亜種。それが、この世界の魔族種だ。
「無駄だとわかってはいるが敢えて頼む!部下たちの命だけは、見逃してくれ!」
興が冷めたとでも言うかのように、あからさまに落胆するカシムは、一つだけ条件を提示した。
「わかった。捕虜の命たちだけは保証しよう。その代わり、俺の目の前で自分の首を刎ねてみろ」
魔族の部下たちによって惨殺されたヒト種の腕を引き千切り、持っていた短刀をレイモンドの目の前に突き刺す。
カシムはその腕を体内にゆっくりと頬張りながら、ただ黙ってレイモンドが自決するのを待つ。
「ま、待ってくれ・・・それは、あまりにも酷だろう。お前たち魔族もわかっているだろう、私たちヒト種は――――」
自害を禁忌とする。
魔王がこの世界に君臨してから、様々な理が変質した。そのうちの一つがヒト種の自害による魔人化。ヒト種連合軍に参加する一部の種族を除いて、そのすべての種は自殺行為による死を迎えると、冥界へは行けずに世界に魂を縛られる。そうなれば、身体を持たない魂として未来永劫その世界で摩耗するしかない。その過程で、魔性に堕ちてしまうのだ。
「ゆっくりと時間をかけて、自分たちが忌み嫌う存在と同一になるのだ。魔王様の君臨前まで、我らはお前たちヒト種に腫物のように扱われ、知性を持たない害獣という根拠のない烙印を押されて駆逐されてきた。貴様の現役時代は、そういったことが盛んだった時代だろう?なら、我らの傷みをその魂に刻み付けるがいい!」
カシムはあくまでもただ見下ろすことだけに徹している。レイモンドという強者から弱者に堕ちた家畜が、さらに堕ちていくのを見守る。それ以外には何も求めていない。
「・・・・・駄目だ、やはり私にはできない」
遂に見かねたカシムは、座り込んでいるレイモンドと視線が合うように自らも座り込む。
「では、貴様は自身のプライドの為に精魂込めて鍛え上げてきた部下たちを見捨てるというのだな?」
「・・・・・・・ッ!」
それはそうだ。今行っている問答は、あくまで捕虜たちの命をどう扱うかということ。レイモンドが提示された条件をのめないというのであれば、その部下たちの命が奪われるのは当然のこと。
「せ、先生!助けて!」
「アナタは!私たちを見捨てるんですか!」
「黙っていろ!先生、自分たちは兵士です!死ぬ覚悟はできています!」
「お前こそ黙ってろ!そんな覚悟できてねぇから命乞いしてんだろうが!」
魔族にとって、弱者の命乞いは羽虫の羽音よりも煩わしい奇声。勿論、周囲を囲っている下級の魔族たちにもその感性が備わっている。中には、痺れを切らして捕虜に暴行を加える者も出てくる有り様だ。
「見てみろ、貴様の決意が固まらないから捕虜たちは嬲られる。まだ遅くはない、今ならまだ私の部下たちを制止することはできるぞ?これが最後のチャンスだ。首を刎ねよ」
周囲にいる魔族たちは容赦なく捕虜たちに手を掛ける。衣服を破り、鞭で打つ。短剣を使って皮膚を徐々に徐々にと剥ごうと刃を差し込む。どれだけ美しかろうが、高貴な種族の者だろうが関係ない。性別問わず生殖相手としても玩具としても利用しようとする。
悲鳴も悲痛も一色淡。加虐行為で被虐される。
腹を鳴らす者たちも遂に現れる。
「・・・・や、やっぱりぃ、私にはできない」
レイモンドは、自身を慕い憧れる教え子を捨て、自身の死後のプライドを選択した。
「―――――そうか、なら一つだけ教えてやろう」
ここまで期待を裏切られると、最早カシムの眼にレイモンドは映らない。完全に興味を失ったのだ。
「な、なにを」
「貴様との打ち合い、そして問答で理解した。貴様が何故私の挑発に乗り一騎打ちを受け入れたのか・・・それは、部下たちを護るためでも、逃がすための時間稼ぎでも何でもない。貴様はただ、強者という言葉に反応しただけだ。現役時代はさぞ武に自信があったのだろうな。過去の栄光に呑まれた時代遅れの戦闘狂の残り滓。それが貴様だ。実に、魔族向きな思考だとは思わないかね?貴様は既にエルフという高貴を語る傲慢な種族とは一線を画している。ただの獣だよ、ようこそ魔族連合軍へ!フハハハハハハ」
レイモンドは涙を浮かべながら、呆然とする。もう、言葉を発する気力も無く、口からこぼれるのは、言語として成立しない、知性の欠片も感じられないようなただの声でしかなかった。
そんな家畜の姿に満足したのか、カシムはレイモンドの首を切り落とし、身体だけを体内に頬張った。
♦
野営地での一連の出来事を遠くの茂みから目撃していたエメリアの顔には恐怖が宿っている。そして、そんな自分が情けないと思う悔しさも。
たしかに、まだ兵士たちは生きている。助けようと思えば数人は可能かもしれない。けれども、全員ではない。自分には捕虜となった仲間たち全員を救う自信が無い。誰かを救うということは、誰かを切り捨てることなのだと自覚させられる。
エメリアが割って入れるタイミングは、それなりにあったはずなのだ。けれども、踏み入る勇気が出ない。自分が割って入って何人かを救えたとして、他の切り捨ててしまう仲間たちはエメリア本人をどう見るのだろうかと・・・。
エメリアが持つ兵士として致命的な要素。それは、取捨選択ができないということだ。
そうして悩むうちに、師は死に、友は暴虐の限りを尽くされる。
救えたはずの命さえも手繰り寄せられなかった不甲斐無さ、それが彼女の心を蝕む。
「私に・・・もっと勇気があったら」
エメリアは血が滲み出る程に唇を噛む。白く細い手で作られる弱々しい拳が、これでもかというくらいに握られる。
「私に・・・私に勇気を、一歩を踏み出す勇気をください!」
そう願った時、不意に背後から囁きが聴こえる。
『君に不足しているのは勇気じゃない、非情さだ』
「―――え?この感じ、さっきの・・・」
先程湖で感じた視線。それと同じものを感じ、さらには声が聞こえる。
『俺にはわかる。君の魔力は自然の嬰児としては異常だ。きっと魔王にだって並べるぐらいの才能を持っている』
エメリアは弱々しくも、囁き声に問う。
「・・・・私に、彼らを救えますか?」
数秒の沈黙の後、囁き声は答えを発する。
『・・・死もまた救いだ』
その囁きが、一人の魔法使いの才能に火を点けた。
エメリアは空中に浮かび上がると、魔族たちの直上まで移動する。
それにいち早く気づいたカシムは、魔族の部下たちへの指揮を捨てて自身だけがエメリアに向かって上昇する。
「年若い魔法使い、貴様は何者だ!」
エメリアは、問答無用で地上にいる魔族に目がけて詠唱を開始する。
【すべてを包み込む石壁、すべてを沈める大いなる洪水よ、その古き処刑をここに再現せよ!】
詠唱が始まるのと同時に、地上には巨大な魔法陣が敷かれる。そして、詠唱が進むにつれて、巨大な石で象られた壁が四方に立ち並び、壁で蓋がされていない上面から大量の水が流れ込む。水かさが増すにつれて中にいる者たちは浮力で上昇するが、満杯になるのと同時に蓋が閉められる。
「詠唱一つで、私の部下たちがすべてあの中に・・・。いや、そうじゃない。おい魔法使い、貴様、捕虜までも巻き込んでこんなものを作り上げたな?どういう神経をしている」
「・・・・・です」
「なに?」
「死もまた、救いです!」
エメリアは自身の杖を力いっぱいに握りしめ、その身に抱き寄せる。自身の感情の全てを今の魔法に込めた。そのせいか、エメリアの涙は止まらない。
「き、貴様ァァ!」
カシムにとって、魔法使いは苦手な相手である。スライムは物理攻撃には強いが、魔法や呪術等にはめっぽう弱い。だからこそカシムが魔法使いを相手にする場合、とれる手段は限られる。自身の身体からダミーを作って切り離し、盾として魔法にぶつける。そして、その隙に距離を詰めて捕食する。
カシムが一連の対処法をとろうとしたそのとき、地上の石壁が轟音と共に爆発する。
その爆音に気をとられたカシムは、逆にエメリアに距離をとられ―――――。
「はあぁぁぁぁ!」
「ぐわぁぁあぁぁぁあああぁ」
エメリアの杖から出る雷魔法で作られた剣によって切り裂かれ、石壁の残骸に向けて墜落する。
そして、様々な生き物を食らったスライムであるカシムにとって、その落下地点は最悪の場所だった。
「あああああぁぁぁぁぁぁぁあああああぁぁぁああああああああ!」
エメリアが魔法で生み出した水は海水を再現したモノ。そこに雷魔法による電気を帯びたカシムが墜落する。石壁から漏れた海水の範囲全てに電気が通り、ぎりぎり溺死を逃れて咽かえる魔族を巻き込むすべてが感電する。
「はぁ・・はぁ・・・これで、終わったのかな」
エメリアは地上に降りるとその場で座り込む。疲労したからではない。集中力が切れたわけでもない。エメリアが持つ魔力量は、魔王にも並ぶ程。この程度では消費した内に入らない。
魔法を扱う少女は極度の緊張状態にあった。なにせ今回が初の実戦。おまけにはじめて人を殺す決意をしたのだ。戦闘中は勝つこと、生きることでいっぱいいっぱいだが、戦闘が終わり、思考に余裕ができれば、自分のしたことを見つめなおしてしまうのはしょうがない。
「・・・私、無我夢中で、みんなを巻き込んで―――」
少女は、陽が空を昇りきるまで塞ぎこんでしまった。
♦
陽が最も高い位置に昇り、あとは落ちていくだけとなった頃、少し離れた場所から声が聞こえる。
「え、まだ敵がいるの?」
少女が顔を上げると、茂みの方から頭を押さえたり、足元がおぼつかない仲間たちがこちらに歩み寄ってくる。
「み、みんな・・・生きてたんだ!」
信じられない・・・。そんな気持ちがエメリアの思考を鈍らせる。
「おう、エメリアって・・・え、なにこれ」
「うへぇ、これ全部、お前がやったのかよ?」
エメリアが突入する前、茂みに隠れていたときに生存を確認していた仲間たちの殆どがその場に集まった。
「み、みんな・・・本当に大丈夫?幻じゃないよねぇ!」
あわあわとするエメリアの仕草のおかげか、先程の緊張状態とは打って変わり、温かな笑いが込み上げていた。
「うわぁぁぁぁん、よかったよぉぉぉ!みんな生きてたぁぁぁ」
「あははは、まぁみんなってわけじゃねえけどな」
全員の視線が一つの首に集まる。ここにいるヒト種のすべての師であるレイモンドの首だ。
「先生は・・・俺たちを見捨てたってことで、いいんだよな」
「うん・・・認めたくないけど、そうなんだと思う」
誰も認めたくない事実がある。尊敬していた師の最期、その死にざまは、あまりにもカッコ悪い。しかし、それは自分たちの写し鏡のようにも思えて、とてもではないが責めることなんて誰一人できなかった。
感傷に浸っているそのとき、仲間の一人が石壁の残骸の方から動く影を感じ取る。
「おい!あのスライム野郎、まだ生きてるぞ!」
全員が振り返ったとき、カシムは既に浮遊していた。
「ちっ、ここまでやられるとは思わなかった。そこの魔法使い!貴様には再戦を申し込むだろう。なにせ私がここまでのされたのは魔王様以来だ。気に入ったぞ!」
カシムはそれを捨て台詞に撤退した。
これでようやく戦いは終わった。しかし、ゆっくりしている暇はない。仲間たちの遺体を弔い、魔族たちの死骸を処理しなければならないのだから。
「そう言えば、あの石壁の中にいるときさ、変な声聞こえなかったか?」
「あれ、あなたも?あたしも聞こえたわ」
「変な声?」
作業に入ろうとする仲間たち全員が耳にしたという声。その声に、エメリアは心当たりがあった。
「その変な声って、若そうな男性の?」
「そうそう。水中なのに偉くハッキリと聞こえたんだよな。耳で聞いたっていうよりは、頭に響いた感じ?」
「そ、それ具体的に教えて!」
/3
その後、件の野営地の部隊は撤退し正式なヒト種連合軍の兵士として無事に着任。スライムモンスターの幹部カシムを撃退したという証言と状況証拠からエメリアは三階級特進という異例の出世コースを進むことになり、ひと月でその名は大陸中に知れ渡ることになったが、英雄視されている一方で多くの兵士や貴族・官僚に妬まれてもいる。
それからというもの、エメリアは一個中隊を任さられる中隊長に任命され、部下に当たる兵士たちはすべて自分よりも歳上という、彼女にとってはなんともやりづらい環境の中で、日々を過ごしていた。
「あ、あのぉー・・・そろそろ休憩にしませんか!」
「いいえ、エメリア中隊長。自分たちはまだ訓練中なのです。余計な口は挟まないでいただきたい」
「う、ごめんなさい・・・」
現在エメリアの部隊がいる場所は、カシムとの戦闘があった野営地に最も近い砦。もとい、あの時カシム達魔族連合軍が駐屯していた砦がカシムという主を失い、下級の魔族だけが残された状態だったのを占拠したものだ。
予定ではもう半年ほどこの砦を拠点に周辺の調査を任務とすることになる。
英雄、天才少女、勇者、色々な呼び名がつけられた彼女に与えられた任務は、実のところただの左遷だ。その左遷に付き合わされた不憫な兵士たちを連れているというのが実情である。それもあってか、エメリアは部下たちに対してなかなか強気になれないでいる。
「中隊長、どちらへ?」
エメリアが砦とは反対方向に向かおうとしているのを見かけた兵士がエメリアに呼びかける。
「少し、砦を空けます。すぐそこの湖にいますので、何かあれば知らせに来てください」
「了解しました」
エメリアはトボトボと湖の方へ歩いていく。一際大きく綺麗な純水の溜まり場。中隊長という地位に昇ってからは、毎日ここでボーッと一人黄昏ることだけが唯一の癒しとなっている。
「はぁ・・・」
歳に似合わないため息をついてから、エメリアは裸足で湖の中に足を浸す。
「うーーんっ冷たくて、きもちい・・・」
水の温度に肌が慣れると、軽くバタ足で水しぶきをつくる。その姿は年相応の少女に他ならない。
「―――――っ!」
突如として、この湖の周辺に毎度のことのように仕掛けている感知魔法に反応が出る。
「間違いない・・・あの方だ!」
エメリアは、すぐさま立ち上がって後ろを振り返る。しかし、そこには誰もいない。感知魔法にはこの周辺に自分以外の魔力反応は一切示されていない。それでも、彼女にはわかる。何故なら、エメリアの使う感知魔法はこのひと月で飛躍して進化し、魔力以外のことも感知できるようになったからだ。
「そこにいらっしゃるのなら、お姿を拝見させていただけませんか?私の感知魔法は、魔力を感知する以外にも、範囲は少し狭まりますが感情も読み取れるようになったのです!ですからどうか、アナタ様のお姿を拝見させていただけませんか?」
しかし、反応はない。
「また・・・駄目でしたか」
エメリアが肩を落とし、視線を地面の草花に移したその時。目の前から、何かが草の上に着地するような音が彼女の耳に届いた。
♦
「う・・・そ」
私の目の前には、砂埃ですこし汚れているようにも見える白い生地の外套と、フードを被った男性が立っていた。
男性がフードを脱ぐと、その顔が顕わになる。童顔というよりは、本当に若いのだと思う。私よりもちょっと上くらいの歳かな。背丈だってそこまで大きいわけでもない。
髪が青白くて、目が茶色い。頬のあたりに少し傷跡があるのだけれど、随分と古い傷のように思える。頬の傷だけに注目すると少し怖いと感じるけれど、今の私にはそんな些細なことはすぐにどうでもよくなる。
「やっと・・・会えましたね」
私のこれでもかっていうぐらいに気持ちが込めた言葉を聞いて、男性・・・いえ、青年は無表情のまま深く頷いた。
「一緒にお話ししませんか?アナタのことはあの日この場所で会ってからずっと気になってました!」
この方とは、ひと月前の魔族連合軍幹部カシムとの闘いの際に出会った。思えばあの日から、私の日常は変化していったのだと思う。
青年は私の誘いに乗って、歩み寄ってくれる。青年から感じるのは、敵意ではなく寧ろ好意に近い。
「隣に座ってください」
私が湖に足を入れながら生い茂る草の上に座ると、青年は私の隣で胡坐をかいた。
「あの、いつも私の傍で見守ってくれているのって、アナタですよね?」
私は青年の顔が見えるように顔を斜めに傾けて話をするけれど、青年はまるで遠くを見据えているのかのように、視線を合わせてくれない。けれども、私の問いかけには逐一頷きや首振りで反応してくれる。それならそれで根気よく私の方から話しかけるだけのこと。聞く耳を持たれていないわけではないのだから
「―――――ありがとうございます。ひと月前のあの時、茂みに隠れていることしかできなかった私に、その、後押しをしてくれて」
青年はただ頷く。
「アナタは、何物なのですか?」
我ながら直球過ぎる問いを掛けてしまった気がするけれど、でもやっぱりこの青年の声をもう一度聞きたいと思ってしまう。
「・・・・・・・・」
青年は手を顎に添えて考えている。素性を明かすのを躊躇っているのだろうか。
「教えてはいただけませんか?」
ここは、敢えて引かずにぐいぐい行くべきだという直感がある。
「・・・・・俺は、罪人だ」
やっとの思いでこぎ付けたお話しのチャンス。青年の第一声は、そんな自己紹介だった。
「えっと・・・罪人、ですか?」
結果として私が返せた反応は、ただの復唱だ。
「俺は、この世界の人間じゃない。だから、この世界のことをよく知らない。環境も理も、色々なことが俺が生まれた世界とは異なる」
「環境も理も異なる世界・・・」
それはつまり、異世界。つまり、この方は転生者ということ?
「昔、故郷で聞いたことがあります。この世界には、稀にこことは異なる世界から転生した方たちが存在すると・・・」
転生者。転生そのものは珍しいことではなく、命あるものは皆、亡くなればこの世界のどこかで生まれ変わると伝えられている。しかし、異世界からこちらの世界に転生するというのは殆ど聞いたためしがない。過去に数人程度いたかどうかといった程度と聞かされた。
「俺は転生者じゃない。どちらかというと召喚の方が近い。なにせ元の世界で死んで、死んだままこの世界の管理者に雇われてる身だ。この身体だって、魔力を込めない間は基本的に霊体になるよう作られているから、この世界に魂が定着しているわけでもない」
意外と色々話してくれることにちょっと驚いたけれど、これってある意味チャンスでもあるよね。
「あの、どうして私のことを護ってくれるんですか?」
私は思い切った問いを掛けてみた。
「・・・・別に、口止めはされていないから言っても問題ないか。教えるのは良いけれど、念のため他言無用という条件を呑んでくれ。俺がこの世界から弾かれるかもしれないからな」
私は口外しないということを約束して青年の話を聞いた。
なんでも、元の世界でとても悪いことをしたから、罪を償うまでは転生できないと言われてしまったのが事の発端。そこで、この世界のヒト種と魔族とのバランスを調整する役目を受けたがために私たちを助けてくれているのだということだ。
「つまり、私たちヒト種連合軍にとっての救世主ということですね!」
「・・・・まぁ、劣勢の内はな」
そう一言添えた彼の心を無作法にも感知魔法で拾ってしまった。どうやら彼にとってこの世界のヒト種にはあまり親近感が無いらしい。容姿は私と同じ人間なのに、どうしてだろう・・・。
「さて、話は済んだか?俺はまた消えることにしよう」
「待ってください!まだ、私の質問に答えてませんよ」
そう、彼が答えてくれたのはヒト種連合軍を助けてくれる理由。でも、私が聞きたかったのは、私を護ってくれる理由だ。
「ん?答えられていなかったか・・・そうか、えーっとヒト種全体を護る理由ではなくあくまで、キミを護る理由か・・・」
私がこの問いにこだわるのには理由がある。私はこのひと月で随分と大陸中に知れ渡る人物になってしまった。それを喜んでくれるヒトたちはたくさんいたし、私も別に悪い気はしなかった。けれど、大人の事情というやつなのだろう。私が活躍すればするほど、それを邪魔に思う人々もいる。
「このひと月、私の傍にいてくれたアナタにはだいたいの事情は分かってくださっていると思います。ヒト種連合軍は現在士気の向上という名目で勇者を擁立する動きがあります。しかし、それはあくまで連合軍の思惑に沿った勇者とその一行です。彼らが勇者になることで政治的な意味合いがあるのでしょう。そんな折、何の前触れもなく私に活躍する転機が訪れました。そう、カシムとの闘いです。あの件以降、私は主に非戦闘員である一般人の皆さんから厚く受け入れられました。それこそ、勇者様なんて呼ばれもしましたね。でも、その名前が余計でした。私は、より一層連合軍の中で煙たがられるようになり、カシムを撃退したという功績だけは評価せざるおえないという点で地位だけは得ることができました。それが今の役職です。でも、左遷されたときに今一緒にいる兵士さん達もその人事異動に巻き込まれてしまったためか、あまり私の話を真面目に聞いてくれる方がいません」
彼は無言で聞くことに徹している。おかしいな、私が訊く側だったはずなのに。それでも、話を真剣に聞いてくれる相手がいることがとても嬉しい。
「毎朝、私が起きるといつも寝室に何者かの死体があります。身に着けている武装からしてほぼ間違いなくヒト種連合軍が裏切り者を排除するために組織した特殊征伐部隊です。でも、私の寝込みを襲いに来るのはわかりますが、企みは必ず失敗に終わっている。それは、アナタが護ってくれているからなのですよね?」
私も少々しゃべり過ぎたのか、喉が渇いてきた。
「俺の仕事は、この世界の種族間によるパワーバランスを調整することだ。そのために、勇者として魔族に対抗する者を援助しろという命令を受けた。俺はそれに従っているだけだ」
「その話だと、私が勇者ということになるんですけど・・・勇者様は他にいらっしゃいますよ?」
そう、勇者は既に候補が決まっている。そして勿論その中に私は入っていない。それでも、彼は私のことを護ってくれるというところが引っかかるのだ。
「俺は、てっきりキミが勇者だと勘違いしていた。キミには初めて会ったあの時からその素質があると見込んでいたんだ。力量も才能も、勇気だってある。ただ、大事なものを捨てる覚悟が無かっただけ。実際、俺がキミにしたことは言葉を掛けただけだ。それだけで、キミがすべて解決しただろう?」
「つまり、私が勇者だと思ったから助言をくれただけで、もし勘違いだと知ってたら・・・」
あの場でみんなが蹂躙されるのを見守るという最悪な結果が待っていた?
「いや、元々キミたちを助けるつもりだったから、キミがやらなければ俺がカシムたちを討伐していただろう」
「でも、それなら私のことなんか放っておいて、みんなを先生を助けることはできなかったのですか?」
私たちの先生であるレイモンド先生は、カシムとの一騎打ちの末に自ら敗北を認めて殺された。それを防ぐことはできなかったのか・・・。
「もし、アナタが私のところになんか来ないで、先生たちと一緒に戦ってくれていれば、もっと多くの命を救えたんじゃ――――」
彼は掻いた胡坐を解いて立ち上がる。そして、私の方を見つめて―――――。
「あくまで結果論だが、キミがこの一か月で見捨てずに拾った命と、あのとき死んでいった兵士たちの命が等価値だとするなら、俺の選択に間違いはない。あの時に死んだ兵士は二十人程度、キミが今の地位を得た後に救った命は、その数倍だ」
彼はあくまでも無表情を貫く。
「アナタには、ヒトの死に対する感情はないのですか?」
「少し仲が良かっただけの人間の命が奪われること、それ自体は別段珍しいことじゃないだろ?その程度で心が揺れるなら、俺だってこんな有り様にはなってないさ」
その声には、怒りも困惑も読み取れない。ただ淡々と、事務処理のような無感情さで経験談を述べているだけ。それ以上でもそれ以下でもない。
「アナタが抱えている罪は・・・いったい、どれだけ重いというのですか?」
「キミなら或いは、容易にできるかもしれないことだ」
「私なら、できること?」
私にできることで、罪になること・・・。それは―――――。
「アナタは、私が思っていた以上に行き詰った人なのですね」
もし、私の想像が当たっているのだとしたら、彼をこのまま一人にするなんてことはできない。いえ、そんなことをしてはいけない。私にはわかる。彼は近いうちにその在り方を見失う。罪を償うということ自体がどうでもよくなるくらい、同じ罪を永遠に重ね続けることになる。
「もし、もしもだ。俺に同情しているのなら、それはよしてくれないか。自分のことだ、何処に向かっているのかぐらいは見当がついている」
「だったら!」
「それでも、もう止まれない。止まるわけにはいかない。この償い方法を聞いた当初は疑いもしなかったが、もう後戻りはできない。それに、俺が出した犠牲者たちの総意がこの程度で納得してくれるというなら、原価以上の釣りが出るくらいだ」
もう居ても立っても居られない。私は立ち上がって彼の胸に全身を預けた。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
私の目線は彼の胸にあるので、彼がどんな反応をしているのかまではわからない。けれど、感知魔法でおおよそのことは伝わる。
ドキドキしている。頬の感触でもわかるが、彼は今かなり緊張している。
顔を見上げると、彼の顔は少しだけ紅潮していた。
「もしかして、女の子に慣れていない感じですか?」
「からかうなよ。そういう雰囲気じゃなかっただろ」
「アナタが勝手にドキドキしているだけです。抱き着いた理由は別にあります」
彼を縛る罪をどうこうすることはできない。過ぎてしまったことを変えることなんて、魔法でさえ不可能な大原則、この世界にとどまらないあらゆる事象の摂理。けれど、償う方法は一つだけじゃないはず。きっと、他にも方法がある。それを探して、彼の前で提示しない限り、第二の魔王が生まれる。
「・・・俺が、何かに変質すると危惧した。違うか?」
私に、その問いに答える気はない。きっと、彼は本当にすべてわかっていてやっているから。きっと、彼はこう考えている。いつか、自分が自分でなくなった時の為の保険を用意しなければいけないと。彼は、罪を償い続けるために、私を救っているんじゃない。自分の後始末をしてくれる人を探している。だから、勇者でもない私を日々護ってくれるのだ。この世界で、魔王の次に強い魔力を持つ私に救済を求めている。
「私は、アナタを殺したくない・・・」
そんなとき、草花を力強く、素早く踏みつける音がする
私がその音のする方向を見ようとしたときには、既に彼は光の粒となって姿を眩ました。感知魔法で近くにいることはわかっているけれど、どこか寂しい気もする。
音の方向からは、砦の兵士が全速力で駆け寄ってきた。
「エメリア中隊長!伝令です。現在、魔族連合軍による奇襲を受けています!」
「なんですって!向こうの統率者は判明していますか?」
「はい!魔族連合軍の幹部、スライムモンスターのカシムと思われます!」
♦
二人が密会している頃、ヒト種連合軍の軍事拠点となっている砦に異変が起きていた。
「ぐぎゃぁぁぁ」
「ぐ・・・ぐるじっ」
砦の外で訓練をしていた兵士たちが呻き声を上げながら荷台に運ばれている。
「すぐに手当てを!それと、後方より魔族連合軍の軍勢、数はおよそ二千。至急エメリア中隊長を呼び戻せ!」
砦の中で待機していた兵士たちが応急処置を試みると、途端にその兵士は事切れてしまった。
そして、荷台の通った道と同じルートを辿ってカシムとその配下が行軍していた。
「あれは、スライム?幹部のカシムか。いやでも待て、何か様子がおかしくないか?」
カシムとカシムが率いる魔族連合軍の周囲にはどす黒いオーラとともに辺りの空気を汚染するような不純と不快感が漂っている。それは、視界に収めるだけでも気分を害する、汚物そのもの。
カシムと思われるリーダー格が合図を出すと、途端に周囲にいる魔族たちが一斉に雄叫びをあげて行軍速度を速める。
「砦の中にいる兵士は全員持ち場に着け!エメリア中隊長が来られるまで、絶対に門を死守しろ!」
戦闘部隊の隊長を務めるサーシェスが指揮を執る。
「トレニーはいるか?」
サーシェスは、妖精族のトレニーを呼び出し指示を出す。
「カシムはスライムモンスターだ。ここは魔法を使える者に足止めを任せたい。トレニーやってくれるかね?」
「うふふ、お任せあれ」
「それと、死ぬなよ?お前に任せるのは二つ、カシムの足止めと、弱点の調査だ」
「弱点の調査?魔法全般ではないのかしら?」
「その確認も頼む。どうにもきな臭い。奴の体液を浴びて死んだ兵士は、毒状態に似た症状だったが、解毒魔法や解毒薬の一切が効かなかったらしい」
その事実が表す答え。それは、概ね二つ。解毒不可能なレベルの高純度の毒攻撃か、はたまた、毒ではない別の属性を持っているかだ。
また、この地で戦争が始まる。
♦
「エメリアは何処だー!エメリア、私は再戦を求む!この素晴らしい能力の試運転を貴様でしてやるというのだ。さっさと私の前に出てこい!」
しかし、カシムがどれだけ叫んでもエメリアはまだ湖。すぐには到着できない。
「残念、エメリア中隊長はお出かけ中でしてね、よかったら、それまで私の相手をしてくださる?」
進行する魔族たちはそっちのけでカシムの目の前まで飛んできたのは、妖精だ。身体は人間の手のひら程度の大きさで針のように細い杖を持った羽根付きの女性である。
「・・・貴様、名は?」
「私の名前はトレニー。この要塞にいる妖精の中では、一番優秀で強いと自負しているわ」
得意そうにするトレニーは、この時点でいくつかの策を練っていた。
そう、勝つための策を。
「私の名は―――――」
「いけ、私の可愛い子供たち!」
トレニーのような妖精族にとって敵の名乗りは、ただの攻撃チャンスでしかない。自分が名乗ることで相手にも名乗らせ、その隙をつくという狡猾な戦術だ。
周囲の木々に命令することで、木々はそれぞれが根を地中から離し、自律行動を始める。
「話を聞けといいたいところだがなるほど。肩慣らし程度にはなってくれよ?」
カシムはその体躯を蛇の形に変化させ、トレニーの木々がまるで手で叩くように枝を振るうのを容易に躱す。その上で、カシムは足だけを即座に象り、バネのような動きによって木々をジャンプ台のように屈伸運動を加えた蹴りをぶつける。ジャンプ台となった木々は折れ、カシムの身はすぐさまトレニーの元へと到達し、捕まえる。
「これで終わりだな、妖精!」
「あまり私を嘗めないでくださる!」
トレニーは杖をカシムの後方に投げると、その場で身に炎を纏い、そのまま自分ごとカシムの手を焼き尽くす。一瞬で身を燃やし尽くす直前に、トレニーは何かを口ずさむと宙を落下する杖と自分の位置を入れ替える。
「なるほど、なかなかやるな。この控えめな戦い方からして、あくまで偵察。エメリアが来た時の為の情報収集というわけか」
「あら、魔族の癖に頭が回るのね。スライムに考える力は無いとばかり思ってたわ」
トレニーの煽り文句を真に受けるほど、カシムは情動的な性格ではない。それがカシムの強さでもある。
「私は魔王様に認められし、魔族連合軍の幹部の一人だぞ。この程度の状況分析ができなくてどうする」
「私だけじゃないと思うけど、頭の回る魔族は嫌いよ。殺しづらいったらありゃしないわ」
自律行動をする木々は即座にカシムの身に根を巻き付ける。
「そんなもの、喰ってやる・・・いや待て、これは」
「もう遅い!」
【火は炎に成り焼き尽くす、風は伝播の薪となる】
トレニーはカシムに巻き付いた木々に燃焼魔法をぶつける。その後にはすかさず風魔法による火炎の強化を怠らない。
「根を導火線に・・・私を燃やし尽くすつもりか!」
「さぁ、これでどう?身動きが取れないお前はとりあえずこの炎を直に受けるしかない。これで死ななくても、まだ色々試すことはあるのよ・・・っ?!」
その時、トレニーの身体に異変が起きる。一瞬だけ魂が抜けるような感覚がした後、羽根の動きが鈍くなりそのまま地面に落下する。
「んっ!な、なにこれ・・・まさか、毒?いつの間に」
肌が少しずつ黒ずんで、そのまま斑点模様ができた部分が壊死していく。
「な、なんなのこれ・・・痛い、痛い・・・浸食速度が速すぎるぅ」
「フハハハハ!これこそ魔王様に頂いた新たな能力。属性に選り好み無く吸収し、順応できるスライムという点を活かした、新たなる属性、ウィルスである!」
ウィルス。この世界にはウィルスという概念がまだ普遍化されていない。魔法に頼らない医療技術の研究をする極小の派閥でしか知られていない概念だ。
「しかしてまぁ、私が身動きが取れない状況にあるのは事実。キミの奮闘に敬意を払い潔く焼かれようじゃないか。まぁ、大した痛手にはならんのだがね。そして、せっかくだから教えておこう。キミの敗因は二つ。私に触れられたこと、そして風の魔法を使ってしまったことだ」
トレニーは最期の力を振り絞って、できる限り徹底的に情報を引き出す。
「風の魔法が・・・どうして悪手だったのかしら・・・」
「私のウィルスはね、空気感染といって、風に乗って広がるのだよ。範囲に限度はあるが、ここからなら、キミたちの砦にいる者たちには届くだろう。全員が感染した暁には揃って私たちの餌となるのだ!」
「でも、それだと・・・お前の仲間たちも」
「彼らは私のウィルスに適合した者たちばかりだ。つまり、接触すれば感染するし、近接戦に持ち込むだけで充分感染の可能性は跳ね上がる!」
最早、悔し涙でさえ黒く濁る。しかし、トレニーには自分の命すら犠牲にした情報をサーシェスに届ける義務がある。
「犬死にだけは・・・するもんかァ!」
「お前たち、喰っていいぞ」
カシムの許可が下りた瞬間、常に空腹に苦しむ魔族たちはトレニーの身体を奪い合い、その結果食べやすい大きさの五体に別れてしまった。
♦
「エメリアはまだか!これだから若造は困る。第一、砦を留守にするとは何事か!」
サーシェスは憤りを抑えきれずに辺りの物を壁に投げつける。
「トレニーの方はどうだ?何か連絡はあったのか」
「今はまだ。しかしあのトレニーですから、そう簡単には死にませんよ!」
部下の返しにムッとしたサーシェスは、部下の襟を掴み、首を絞める。
「あ、あががががあああがが」
「これは戦争だぞ?なんだその浮かれた物言いは、そんなもの根拠にならん。いつ何時、何が起きてもおかしくないのが戦場だ。身近な者も親しき者も前触れなく平然と死んでいく。それを忘れるな」
襟を離すと、部下はそのまま咳をしながら倒れ込む。
そして、最悪の知らせが舞い込むことになる。
トレニーには、収集した情報を無事に持ち帰ることが困難な場合に、魔法による遠隔操作で会議室にある紙に情報が記されるように準備させていた。そして、その紙に次々と敵側に関する情報が記されていく。
「・・・よくやった。安心して眠れ」
「ま、まじかよ・・・」
「この非情さが戦争だ。命のとり合いだ。勉強になったな。全部隊に通達!これより風魔法を使える者と遠距離攻撃を行える者のみで、防戦体制に入る。遠距離攻撃部隊は、なんとしてでも魔族どもを一匹たりとも砦に近づけさせるな!風魔法を使える者を最優先でかき集めろ、奴らが放つウィルスを逆に押し返す!」
♦
エメリアが砦まで浮遊して向かっていると、先に見えたのは砦ではなく、カシムだった。
「ようやく再開できたな。さぁ、再戦と行こうじゃないか」
互いに空中で相対する魔法使いとスライムは、ひと月前との変化をまじまじと観察し合っている。
「アナタ、随分と良くないモノを溜めこんでいるのね。スライムって病気にかかるのかしら?」
「いいや、違う。かかったのではなく取り込んだのだ。貴様に勝つための手段としてな」
「それにしても、そのカタチ悪趣味よ。デザイン変えたら?」
カシムの身体はスライムである。しかし、スライムは様々な形態に変化しやすく、一定の形を保つことがあまりない。今のカシムはヒト型の形をしている。それもエメリアが良く知る人物だ。
「良いではないか。さぁ、ひと月ぶりの恩師との再会だぞ?」
カシムは、エメリアの訓練生時代の師であるレイモンドの身体に、首だけが無く、ワイバーンの翼を背に付けた姿になっている。
「そうまでして、私に殺されたいの?」
エメリアがカシムに向ける怒りは、次第に殺意へと変わる。
『落ち着け。それよりも状況の確認だ』
霊体化している囁き声の青年は、エメリアが考えなしに突っ走らないように制止させるとともに、先に砦の状況を確認しに向かっていたことから、得た情報を伝える。
その様子を見ていたカシムにとっては、エメリアが一人芝居をうっているようにしか見えない。その行動に何の意味があるのかということを生真面目にも考えてしまう。
そして、そこから導き出された答えは―――――。
「貴様、まさかとは思うが異世界の者と会話しているのではあるまいな?」
その言葉には、エメリアだけでなく青年も驚かされることとなる。
「まさか、図星か?成る程・・・これで合点がいった。おい、見えないがそこの異世界人、貴様があの時、そこの魔法使いが作った石壁を破壊した張本人だな?」
ひと月前の闘いで、エメリアは巨大な石壁と大量の水による魔法で味方ごと地上にいた敵をすべて溺死させようとしたが、そのときに石壁の一部が爆破されたり、中に入っていたはずの仲間たちだけが無事に助かったりと不思議な現象が起きていた。あれらはすべて、この青年の仕業だった。
「貴様が起こした爆発に気を取られたせいで、そこの魔法使いに敗北したのだ。よし、決めた。貴様は捕らえて魔王様の元に謁見してもらおう。何かの縁だ、きっと魔王様もお喜びになられるであろう!」
『どうする?カシムを止めなければ砦にまでついてきて戦場が混乱するのは目に見えている。そして、砦の方の援護も視野に入れなければ、恐らく兵士たちはウィルス持ちの魔族たちに物量で負ける』
「なら、こうしましょう。私がカシムの相手をしますから、その間に私の使い魔という名目で砦に向かってください。そうすれば、少しはアナタも表立って闘いやすくなりませんか?」
エメリアが青年に向ける表情は、例え憎き相手を前にした場合でも年相応の下手に回って伺うソレに他ならない。
『わかった、そうしよう。砦の方が片付き次第、救援に戻る』
「ありがとうございます。でも、私の方が早く終わるかもしれませんよ?」
『それならそれで好都合だ』
青年はそう言い残すと砦の方へと向かう。
「ごめんなさい、待たせたわね。さぁ、始めましょうか」
「応とも!貴様をここで倒し、その強大な魔力ごと喰らい尽くしてやる」
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砦の防衛ラインは既に崩れかかっている。風魔法の部隊は散り、遠距離攻撃部隊と合流。砦の門の前まで、魔族の接近を許した状況になっている。
「サーシェス隊長。先程魔族連合軍の方で動きがありました。どうやら、カシムが戦場を離脱したようです。湖の方向に向かったとの連絡がありましたので、恐らくエメリア中隊長の元へ向かったと思われます」
「ようやく役に立ったか。しかし、それでも今の状況が変わったというわけでもない。こちらはこちらでどうしたものか・・・」
サーシェスたちが軍議を構えていると、突如として振動と轟音が響く。それは一回に留まらず、何度も何度も。
「何事だ?」
「報告です!南側の丘周辺からの砲撃が複数こちら側に発射されています」
「なに?こんなときに、何処の馬鹿だ!」
「わかりません、部隊旗なし。しかし、この砲撃により、魔族側の損耗状況が加速度的に上昇中!このまま行けば、俺たち勝てますよ!」
「馬鹿者っ!無暗に期待するな。とにかく、砦にまとわりつく病原菌共を消毒してやれ!」
♦
「ふんっ!」
「はぁぁぁ!」
エメリアの杖から放出される雷魔法は様々な形状に変化をしながら、確実にカシムの身体に一撃ずつ加えていく。はじめは剣、打ち合いの中で長さを調節し、斧、鎌、鞭と形状を変えることで、変則的な攻撃を繰り返し続ける。それとは反対に、カシムは防御に徹してエメリアの身体を直に触れるチャンスだけを只管狙い、耐え続ける。攻防共にその姿勢を崩さないまま空中で果たし合う。
ウィルスの属性を手に入れたカシムを相手に接近戦に持ち込むのはあまり良い手段ではない。遠距離魔法による早期決着こそが最善の策であることはエメリアも重々承知している。しかし、距離をとろうとすると、その前に間合いを詰められる。そのため、無理に距離をとることに固執するのは悪手だと考えたエメリアは、今のように近接戦での早期決着を試みている。
「相変わらず、貴様の一撃はすべて致命傷になり得る毒そのものだな!直撃は避けれても完全に避けられるわけじゃない。フハハ、ゾクゾクするぞ」
「・・・・っ!」
エメリアは戦闘中に余計な私語を挟むことはあまりしない。その会話の内容によっては相手に次の行動を読まれたりする可能性があるからだ。特にカシムのような知恵と優れた勘を兼ね備える敵を相手にする場合は、致命的なミスになりかねない。
エメリアは鞭の状態にした雷魔法を納め、木製の杖をさらに上空へ投げる。
「何の真似だ?あのまま攻撃を続ける以外に、貴様に手段はないだろうに」
「それ、アナタの思惑に載せられてるだけでしょう?」
このままではウィルスに感染するまで無駄に闘いを長引かせられかねないと直感したエメリアは賭けに出るための下準備をする。
【咎人を拘束せよ、咎人を我が前に引きずり出せ、咎人は罪人に非ず、されど許す者も無し】
上空の杖が太陽の陽を背にさらに輝きだすと、幾つもの鎖が出現し、射出。鎖はカシムの身体を貫通し身動きが取れないように巻き付く。
「・・・?別段魔力が篭っているわけでもないのか。こんなものただの縄だ。すぐさま喰らって見せよう」
【再現するのは山の怒り、無数の怒りは熱を帯び、無差別にぶつける暴力と化す】
杖の直下に位置する地面が突如隆起し、小規模の活火山を作り上げる。
そのまま落下する杖を手に取り活火山に向けて最大の一射を放とうとしたその時、どす黒い液体がエメリアの髪を掠める。
「そんな長ったらしい詠唱をただ聞いていられるほど、私はお行儀がよくない」
カシムは鎖を捕食して、さらに身体の形状を変化させる。手の指がすべて黒く汚れた鎖に変わり、どこまで伸びるのかを確認している。
「ふむ、なるほど。そうか鎖といわず、触手をつくればよいのか」
戦闘の中でカシムは常に成長する。戦術や戦略をその場で発想し、試す力がある。
「・・・・駄目ね、このままだとまた鼬ごっこ。アナタ、以前と比べ物にならないほど強くなってるのね」
「これも、魔王様の魔力の賜物。お褒めの言葉はそのまま魔王様にお伝えしよう。貴様の首を土産にな!」
カシムは指の鎖で自在に攻撃し、エメリアは回避行動に徹する。そのすべてが空中での争い。彼女らを邪魔する者はいない。
♦
青年は魔力使用する場合には霊体化が解けてしまう。よって、砦からは肉眼で見えない距離に移動し、そこから援護砲撃を開始する。
青年は使える魔法の種類が乏しい。その代わりに与えられた能力が詠唱スキップ。つまり無詠唱による魔法の行使だ。それでも、複雑だったり新たな魔法を試す場合には、成功率を上げるために詠唱をすることもある。
丘に備えた百を超える砲台。そのすべてが魔力で編んだものであり、砲弾もまた然り。砲台の幾つかを宙に浮かせ各個で魔族たちに砲撃を行う。
気づけば、砦の兵士たちは最後の魔族を打ち破り、負傷者の手当てや砦の付近にまで迫ったウィルスの除去を試みている。何がどう作用するのかもわからないような状況ではあるが、このまま放っていても自然と消える保証はないというサーシェスの指揮の元、兵士たちは自分にできる仕事をこなす。
その様子を確認した青年は、急ぎエメリアの元に向かうのだった。
♦
エメリアの決死の一撃がカシムの半身を跡形も無く溶かす。放った魔法は溶解魔法。火炎でも燃焼でもなくその上に存在する高等魔法である。
「はぁ・・・はぁ・・・やっと、アナタの弱点、見つけたわ」
「私としたことが・・・この力に溺れていたようだな」
カシムは地面に落下し、身動きが取れない状況に陥った。
エメリアは、その身体を鎖で貫かれたり、カシムとの近接戦が続いたためにウィルスが身体の奥深くに入り込んだりして、立っているのがやっとだった。
「アナタと相打ち、いえ、心中することになるなんて、私もまだまだ未熟なお子様だったのね」
エメリアは最後のとどめとして杖をつきながら、壊死した足を引きずってカシムに近づく。
「それじゃぁ先に逝ってなさい。どうせ私もすぐに逝くことになるから」
「そうだな・・・ああ、そうだな」
エメリアが杖を大きく振り上げたそのとき、カシムは残った身体を勢いよく分裂させる。
エメリアに、それを躱す余裕はもう残されていなかった。
「・・・・・うっうあぁ、ああっぁぁあぁ!」
齢にして十数歳。生まれてその程度の時間しか活動していない、若い少女の人生が尽きることが確定した瞬間だった。
「フハハハハハ!やはり年季の差よなぁ。最後の最期で詰めを誤ったな、魔法使い!」
全身に浴びたその液体は、口や目、鼻を通して体内に入り込み、エメリアは吐血する。眼球の中に生き物が蠢いているかのような不快感を抱きながら、そのまま失明する。
そして、青年が到着する頃には、すべてが遅い。
「おい、しっかりしろ!」
「その声、あぁ、砦のみんなはどうなったの?」
「砦の損害はほとんどない。けが人はいないが、それ以上に感染者が何人か出ている」
「そう、そうなの・・・」
「キミは・・・死ぬんだね」
口調が少しだけ柔らかくなったのは、死者への手向けか。青年はエメリアの前で立ち尽くす。
「―――――ねぇ、アナタの名前、まだ聞いて無かった・・・」
「俺の名前?・・・・・あぁ、忘れるどころだった・・・」
この世界に召喚されてから、青年は一度も自身の名前を用いたことは無かったためか、すっかり記憶から抜け落ち掛けようとしていた。
「俺の名前は、ロドニー。名字は、あるのかどうかも知らない」
「そう、最期にアナタの名前が聞けて・・・なんだか嬉しい。これって変かな?」
エメリアのか細い息が止まりかけている。にもかかわらず、エメリアは無理にでも話しかけようとする。その姿がロドニーには傷ましくてしょうがなかった。
「もういい、早く楽になれ」
そんな突き放すような言葉を冷たいととるかどうかをエメリアがどう捉えたのかは誰にもわからない。しかし、エメリアが呟いた本当の最期の言葉は―――――。
―――――ありがとう。この単純で短い言葉こそが、ロドニーへの想いそのものだった。
ロドニーがゆっくりと片手を挙げると、その頭上には二門の大砲が現れる。一門はエメリアをもう一門はカシムの方を向き、固定される。
「おいおい、私を殺すのはわかる。敵だからな、だがそこの魔法使いも狙うというのはどういう了見だ?」
「彼女の身体に巣食うお前のウィルスたち。それは苗床を失っても成長し、また空気中に混ざって動物やヒトを殺す。違うか?」
「おや、鋭い。その通り、そのまま放置していればいずれ、砦で生き残ったことに暢気に喜んでいる奴らにも感染するだろう。そうなれば、そこの魔法使いは犬死にとなるわけだ」
ロドニーがすることはただ一つ。救うために殺すこと。
「俺は・・・キミに殺されたかったのかもしれない・・・」
僅かに残った少女の呼吸音が尽きる直前、二発の爆音が鳴り響いた。
♦
二度目のカシムとの闘いの後、砦と湖の間にある爆心地にて、スライムモンスターのカシムの遺体が発見された。しかし、そこにはもう一人の少女の遺体は無く、そこから少し移動した湖に、少女が使用していたと思われる杖が墓標のように地面に突き刺さっていた。
/0
あれから数日を経て、俺はもう一人の勇者とその御一行様方を見つけ、進行先にある要塞の付近で待機している。
エメリアが行方不明、戦死したという扱いになり、もう一人の勇者が早くも正式に擁立された。エメリアがたったひと月で上げた戦果は、歴史上類を見ないものだったらしく、新たな勇者御一行様方のハードルは初めから高いモノだった。
今夜が彼らの初陣となるだろう。俺はただ、彼らに悟られないように見守っていこうと思う。
まだ日は明るい。先に準備をしてしまおうと思ったそのとき。
「ロドニー先輩!」
「!?」
えらく聞き覚えのある少女の、もうこの世にいないはずの声がする。幻聴?だとしたら、性質が悪い。
それでも俺は、声の聞こえた方を振り返る。
「あれ?」
そこに人影はない。地面を見ても、自分で踏んでできた足跡以外に人のものらしい形跡はない。
やはり幻聴だったのか。
「先輩、こっちです!」
また、声が聞こえる。上だろうか。俺は声の聞こえる方向をまた見直した。するとそこには、白い本が浮遊していた。
この魔力・・・間違いない。
「エメリアです。恥ずかしながら、この世界に戻って参りました!」
「・・・・俺は、どう反応するのが正しいのだろうか?」
「え、えぇ。いや、先輩らしくして頂ければ、といいますか」
エメリアを名乗る本は、どうにも俺が一か月程見守ってきた少女の雰囲気よりも、随分と明るい声で話す。
「先輩ってなんのことだ?」
「私、先輩に最期を看取ってもらったあと、冥界に行きまして、そこで冥界の案内人さんなる方とニルトリート様にお会いすることになりまして、先輩のこと色々聞いちゃったんですよ。それで、私も決心がつきまして、先輩のサポートをしたいとお願いしたら、この世界に先輩と同じ死者として召喚されちゃいました!だから、ロドニーさんは死者と召喚の部分で私の先輩にあたるわけです」
なんとも見ていられない。生前からなんだかんだ俺に対して憧れのような羨望を抱いていたのは知っていた。だがそれは、本来抱いてはいけない感情だと思っていたし、今でもそう思う。
俺という存在が、全く関係のない異世界の人間の人生を狂わせてしまったのだとしたら、それは人々を鏖殺する罪と秤にかけてどちらが重いのか。そんなことを考えてしまう自分が怖いというのもあって、俺はその身を霊体化させ、彼女との一切の接触を控えていた。
そして今、俺はその秤に押しつぶされそうだ。こんなことなら、最後まで自分の方針を曲げずに貫けばよかったのだ。
その後の祭り感が、たまらなく苦しい。
「先輩!顔を上げてください。先輩が考えていることはわかります。この姿になって、さらにいろんな魔法に磨きがかかりましたから、私の感知魔法も進化しました!だから、言わせていただきます。アナタは私という一人の人間の人生を狂わせたのではありません。寧ろ、救ってくださったんです。少なくとも、本人である私がそう受け止めているんですよ?だったら、先輩が負い目を感じる必要なんてないじゃないですか」
彼女は俺にそう語り掛ける。けれどやはり俺の中では納得がいかない。でも、だからこそ、ここで悩み続けるのは彼女に失礼なのだろう。だから、俺はもう割り切ることにした。
「わかった。言っとくが、この仕事はかなりメンタル的に辛い仕事が多い。それでも俺についてこれるか?」
「ついていくんじゃありません。一緒に頑張るんです。どんなに辛いことがあっても、どんなに哀しいことがあっても、私はアナタと一緒ならケロッとどうにでもよくなれるんです!」
「―――――そうか」
あぁ、俺もキミが隣に立ってくれるのなら、まだまだ頑張れるかもしれない。そう思えた。
読んでいただき誠にありがとうございます!
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