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第三章 灰色の光①

 チーは目を覚ました。

 広がる天井、ではなく、バートンアンバーの顔が瞳に一杯に映し出された。

 あまりの近さに吃驚して、高速で回転しながらベッドから落ちる。頭を打ち、再び夢の世界にいくとこだった。

 僕は何故ここで寝ている。そうだ、マイさんは無事なのか?それにあいつは、そうだスレートだ。スレートはどこにいった。

僅眠気を飛ばすため、目をゴシゴシと擦る。

「あの、えっと、スレートは?それにマイさんは?」

「お、やっと目を覚ましたな。まあ、落ち着け」

 バートンアンバーは顔を近づけ、微笑む。

 しかし、何故にこんなにも顔を近づけるのか。男と知らなければその美貌にただ歓喜がするのだが、あ あ、でも身体は女性か。一体どっちなんだ。

 バートンアンバーは高らかに笑う。

「ちょっと、なんでこんなに顔を近づけるんですか」

「なに、起こさせるなら綺麗な女性、しかも間近で、男ならこれが一番だろう。しかし、3日ぶりとは思えないほど元気がいいな。いい事だ」

 うんうんと頷く。肩まで伸びた真っ黒で艶のある髪が揺れる。

 「いや、男じゃあ…」と言いかけて止めた。今言うこと事はそれじゃない。

 「あの、マイさんは大丈夫なんですか!」

 表情が曇る。

 「唾を飛ばすな、まったく…。無論、マイは無事だ、ピンピンしている。それに、肉体の損傷は私達にはあまり意味が無い。核となる部分、つまり魂だな。それが無事なら問題は無い。

 それを聞き、ホッと胸を撫で下ろした。

「よかった」

 しかし、一瞬の笑顔の後、再び表情が曇った。

「あの、スレートは…すいません…僕のせいですよね…。僕が連れて来たってあのスレートが言ってました」

 バートンアンバーは静かに首を横に振り、その柔らかい右手を優しくチーの肩に手を乗せた。そして、左手で優しく頬を撫でる。

「違…」

「違うよ」

 バートンアンバーの言葉を遮り、マイの声がチーの耳に飛び込んできた。

「おお、マイか。今日は何時に無く早起きじゃないか」

 縛っていない長い髪は、寝癖で爆発している。マイはそれを直そうとしているものの、何度直してもピョンコと髪は跳ね上がる。

「バートンさんも朝っぱらから何してるんですか。誘惑しちゃ駄目ですよ」

「はっはっはっ、良いじゃないか」

「よく飽きませんねえ、まったく。冗談は程ほどにして下さいよ。そのうち本気にする人がでてきますよ。」

 呆れたように言うと、マイは腰を落とし二人の目線に合わせた。

「さて、本当に、冗談はこの位にしますか。バートンさん、こっちに」

 二人の顔から笑みが消えた。

そして、バートンアンバーはマイの隣に移動し、正座した。クリクリと丸いマイの目がチーを見る。じっと、じっと見る。

流石にそんなに見られると、どこか恥ずかしい。頬の辺りが熱い気がする。

 凝視していたマイはゆっくりと話し始めた。

「今回は完全に私達のミスなんです。青井さんのミスじゃない、だから気にしないで。無事に案内出来なくて…。本当に、本当にごめんなさい。謝っても許されることでは無いのは分かっています……」

 言葉に詰まる。瞬きの回数が次第に増えていく。そして頭を深々と下げる。

 バートンアンバーも続いて深く頭を下げた。

「まさかこんな事態になるとは思わなかった…。君の未来を潰してしまった。完全なる私達の危機管理不足。青いチー君にはなんお落ち度も無い。申し訳ございませんでした……」

 チーはその姿を見て慌てた。

「そんな、そこまでしなくても…バートンさんとマイさんが言いたいことは良く分かりました。なら、両者とも非があったということで…。どうか頭を上げて下さい。それに、どうせ、ろくでもない未来だったんです。だから、未来の事は気にしないで下さい」

 二人にそう訴える。必死にその喜びを伝えようとする。

 そう、これは本心だ。本当にホッとしている。曖昧な夢のように、具体的な事は思い出せない。未来の記憶は、バラバラになってしまったようだ。

 しかし、その欠片からでも分かることがある。絶望的な未来。途切れの無い悪夢と、湧き上がる暗黒、 内外からの漆黒の圧力と刃、そんな辛く苦しい未来。

 しかし、その目を背けたくなるような、自分の五感を抉り取りたくなるような未来はもう来ないのだ。

 本当にうれしい。その思いが、心の奥から湯水の如く溢れ出す。そして、一つの事を決めた。

 

 二人は静かに頭を上げた。チーの柔らかい笑顔に、二人は複雑な表情を浮かべながらも、どこか覚悟を決めたようであった。

 軽く咳払いをすると、バートンアンバーは

「ありがとうございます。」

 と短く言った。

 マイも続く。

「ありがとうございます。それで、今後の事なんですけど、一週間前後は私達と共に生活する事になります。本部が新しい生活場所を決定しだい直ぐにそちらに移動できるので、ご安心下さ…」

 全てを言い終える寸前、チーはマイの顔の前で思いっきり手を叩いた。あまりに大きな破裂音に二人は吃驚して目をパチクリとさせる。

 心に決めた事。それはこの世界が悲しみに包まれない様に、出来るだけ明るく振舞うこと。

 そう「未来の記憶」は関係無くなった。明るく、楽しく生きよう。

「はい!ちょっと固いね、というか固すぎる。こんな人じゃなかったはずだ。全体的に軽くて、どこか抜けている人だったはずだ。バートンさん、お茶持ってきて!この子をリラックスさせなきゃ、元の姿に戻さなきゃ、そうだ、あと大福もね。やっぱバートンさんの茶がないと駄目だね。」

 チーの思いもかけない行動に二人は呆気に取られた。しかし、直ぐにバートンアンバーは立ち上がり、「わかった。用意しよう」と言い、やれやれと部屋を出て行った。

「マイさん、短い間だけどよろしく。きっと、これも何かの縁です。悔やんでも仕方ないです。一緒に…楽しくやりましょう」

 マイもチーの言いたいとする事が分かった。そう、いつまでも落ち込んでいてもしょうがない。

「ん、よろしく。仕事モードの私と実際の私は違うから、気をつけなさい」

 二人に笑みがこぼれる。相変わらずマイの口調は明るさの塊なものの、声はそれほど大きくないのがまたおかしい。

 そして、混じり気の無いマイの笑顔を始めて見た気がした。

「あ、笑ったな。本当なんだから、まったく。じゃあ、朝ご飯にしよ。大福はその後ね。」

「え、今朝だったんですか?」

「フフッ、そうよー。灰界は日が沈まないんだから。これから慣れていかなきゃ。あ、そうだ…あ、いやなんでもないよ、うんうん。じゃあ、青井さん、もし分からない事があったら私に聞いて、ちょっと間を置いて答えるから」

「あ、チーでいいよ。ところで何で間を置くの?」

「そう、じゃあ私はマイでいいよ。じゃあ、朝食の準備するよ。今日は納豆だー」

 ぽんぽんとチーの頭を叩くと、手を取り、そのまま扉まで引っ張って行った。

 

 どこか無理をしている感があるのはしょうがない。一瞬で心が繋がるはずがない。心に溝があるのは当然だ。

 ただ、この溝はすぐ埋まるはずだ。もちろん確証は無い。そんな気がしただけだ。

 

                       ○


 チーは今、マイとバートンアンバーの家の前にいた。

 家の前は青々とした芝生が敷き詰められており、花壇には色とりどりの花が植えられていた。どうやら庭のようだった。

 刺すような太陽光が地面に降り注ぐ。塵一つ無く、気持ちが良い。

チーは両腕を天井に思い突き挙げ、大きく背伸びをした。土の道の先には99番駅舎が見える。意外に二人の家から近い事に驚いた。

 二人の家は平屋建てで、和洋折衷不可思議な感じがするが、どちらと聞かれれば和であろう。

 マイは近くのベンチに腰掛け、「うー、うー」と唸っている。

どうやら待ちくたびれてつかれてきたようだ。バートンさんの準備の長さについて散々文句を垂れていた反動であろう。あんだけ喋ればそれは疲れるに決まっている。しかし、そんなマイの身支度は、もちろん長かった。

 相変わらずの白いミニスカートとノースリーブとラフな格好がだが、見る人が見れば中々の着こなしなのだろう。

 高く、雲ひとつ無い空に向かって、チーはサンダルを思いきり足元から発射させた。

 足を勢いよく振り切ったため、後方に倒れしまった。

 バートンさんから貰った青いサンダルが三回転半、四回点半と回転の回数を増やしながら昇っていく。

 やってしまった。せっかく服を貰ったのにいきなり汚してまった。動きやすい服に変わって調子に乗っていしまった。やはり、あのボロマントはそうとう動き辛かった。

 半そでハーフパンツという物は、ここまで動きを自由にするものか。

 ギリギリで落ちてくるサンダルを避けようと思ったのに、マイが横から奪ってしまった。そして、うれしそうにチーに周りをカエルの様に飛び跳ね回ると、サンダルを再び空に向かって放り投げる。

 変な人だなと思いつつ、チーはマイと共に昇り続けるサンダルを見上げていた。

 


「今日はね、街に行こうと思うの。シュウウもキウも来ないしね」

 朝食を終え、バートンさんが淹れてくれたお茶を啜っている時、マイはそう言った。今日は99番駅を利用する人(彼岸に行く人を『シュウウ』此岸に行く人を『キウ』と言うらしい)がおらず、「この後どうしようか、何かしたいねえ、折角チーが私達の仲間になったんだから」とかなんとか、とにかく今日の予定について、あれこれ話している時だった。

「シアンていう名なの街なんだけど、結構大きな街なの。私達はいつもそこで買物するのよ。楽しいよ。それにさ、これから生活していくんなら知らないと色々不便だろうしね。よし、決定っ。私が街を案内するよ。バートンさんも行くでしょ?」

「なるほど、いい考えだ。付添おう」

「僕も構わないよ」

「じゃあ、決定ね」

 そう言うと、マイは席を立ち、箪笥(たんす)の上にある小物容れから古い腕時計を取り出すと、それをチーに手渡した。両方で縛った髪が、扇風機からの風でゆらゆらと揺れ、チーの掌に微かに触れていた。

「へへっ、可愛いでしょ、あげるね。灰界では時計は必需品だから。さっき言った通り、太陽は阿呆だから、いつまでも真上で止まってるの。絶対に日の位置で時間を予測しないでね。間違えるから」

 時計かは少し古く、コチコチという針の音が、小さいながらもチーの耳に届く。

「じゃあ、街へ行こうか。さあ、準備を始めようっ。さて、まずはチーの服を何とかしないとね。もう、シュウウじゃないからね」

 マイは楽しそうに立ち上がった。


 その後、マイにいい様に着せ替え人形にされたものの、なんとか自分の着たい服を着ることが出来た。

「せっかく女の子みたいな顔なのにさ」

 マイは大変不満そうだった。何故かバートンアンバーも不満そうだった。

 


 バートンアンバーは家の扉を閉めると、いそいそ二人の方へ歩いてくる。今にもスキップしそうだった。

時間をかけた通りなのか、大変お淑やかな服装である。

「すまない」

「バートンさん、遅いですよ。マイ寝ちゃいましたよ」

 あまりに静かな日差しの下、二人は並んで白いベンチに腰掛、バートンアンバーを待っていたのだった。すでに1時間以上経過していた。

「仕方がない、私が起こそう」

 そうしてマイの頬をぺちぺちと叩く。

「これがマイの起こし方だ。覚えておくといいだろう」

「適当じゃだめなんですか?」

「適当に起こすと寝起きが悪い。しかし、この起こし方だと何故か寝起きが良い。いちいち不機嫌な奴の相手するのは面倒だからな。試行錯誤の末考案した」

 バートンアンバーはひたすらにマイの頬を叩き続けた。「うん、うん」とマイは唸っている。

 太陽は阿呆なりに、背筋を伸ばし続ける。暑さはあるものの、静かで穏やかな世界が広がっていた。

 チーは大きく欠伸をした。

 さて、いつになったらシアンに行けるんだろうか。


                       ○

 

 三人はプラットホームで電車を待っていた。電車の到着を知らせるアナウンスが鳴り響き、電車が参ります、と書かれた電光掲示板が光る。電車の音が次第に大きくなっていく。

 会話も弾み、マイの気持ちが良い笑い声が周辺を包む。どこまでも続く向日葵畑が三人の目の前に広がっていた。

 と、チーは目を凝らした。朝食時にマイが言っていた、天国への路が咲き乱れる向日葵の隙間から見えた。それはあまりに狭い路で、きっと歩けば両肩が向日葵に触れてしまだろう、と思った。

「何みてるの?ああ、天国への路ね。あの先に小さな丘があってね、そこには向日葵トンネルていうのがあるの。後でみんなで行こうね」

 向日葵トンネルか。確かにそれは楽しみだ。

 


 マイはぺちぺちと起こされた事に対し当然のように文句を言ったが、バートンアンバーが「本部からの電話があった」という言葉を聞くと表情が引き締まった。しかし、話が進むにつれ次第にマイの表情は柔らかくなり、最後には笑顔になった。

 どうやら街に行く用事がもう一つ増えたようであった。

 三人は軽い足取りで駅舎へ向かった。

 駅舎でチーは小さな飴玉を渡された。どうやら塵に魂と肉体を喰われずらくなるという。

 肉体は、灰界では塵から魂を守る防御服らしく、只の損傷は問題は無いものの、塵での損傷は、魂の損傷に繋がる場合があるらしい。

 これは助かると、チーは喜んで飴を舐め、あまりに酸っぱさに顔が崩れた。

 そのチーの顔に、他の二人は笑いをこらえるのに必死だった。

 電車が来るまで少しだけ時間があったため、バートンアンバーは空間から座椅子を出した。

 その他に、手のひらサイズの箱を取り出してした。

「なぜこんな便利なことを他の場所で使わないのか」とチーは聞いた。「ここでしか使えん」とバートンアンバー笑って返し、そして、

「この場所は元々肉体の創造と修復を行なう場所らしく、他の物品を出せるのはおまけみたいなものである」と。

 そして、「この場所があったからこそ、人間は灰界で生きることが出来るし、この場所に彼岸と此岸に行くための駅が造られた」とバートンアンバーは言った。

 その言葉にマイが補足をする。

「バートンさんが男なのか女なのか分からないのは、この空間の肉体生成機能が狂ってるせいなの。この世界の人達はみんな輪廻転生を終えた時の肉体のはずなのに、バートンさんだけは性別も、外見もまったく違うのが生成されるの。男なのか女なのか、おかげでこちらは不便でしょうがないのよ」

「まあ、別にワタシは困っていないがな」

 バートンアンバーは笑い、マイは頭を抱えた。


 電車が停まった。三人は一番前の車両に乗り込んだ。バートンアンバーとマイの顔に気付いた太めの、饅頭のようなスレートは帽子を軽く持ち上げ挨拶した。

 二人はそれに気付き軽く会釈をする。チーもそれにつられるように挨拶した。話には聞いたが、スレートとはこの世界でどんな存在なのだろうかとチーは疑問に思った。

 

                         ○


 ボックス型の座席の窓際にチーは座っていた。目の前にはマイが、隣にはバートンアンバーが座っていた。現在二人は、街での巡り方について熱く話し合っている。

チーはやれやれと窓の外に目をやった。

 どっしりとした腰つき山が、広がる田の中に唯一つ、小さいながらも尊厳を持ち存在していた。その背後では入道雲が、高く、高く伸びていた。

「あの山、何か名前あるの?」

 チー思わず聞いてしまった。

「あーあれはチクハ山だよ」

 ちょうど話し合いが中断したらしい。そう、マイは答えた。

「へー、しかし小さい山だなあ」

 バートンアンバーは持ってきたバックから水筒を出し、入れてきたお茶を二人に配った。

「でも、綺麗でしょ」

 コクリと冷茶を飲み干し、マイは言った。

「ああ……そうだな。」

 チーも茶を啜りながら、答えた。


                        ○


 シアンに到着し、チーはその駅の大きさと人間とスレートの多さに驚きの声を挙げた。

三人は改札を通過する。

 駅前の狭い道には多くの石造の建物が連なり、やはり多くの人とスレートが歩いていた。

「スレートって意外と普通にいるね」

「そうよ。あ、まだ言ってなかったっけ?あのね、私達人間とスレートは共同でこの灰界を守っているの。つまり、灰界に悪影響を与える『未来の記憶』を封じ込めているってわけ」

「あーやっぱり敵じゃないんだ」

 チーは少し声のトーンが上がった。ようやくすっきりした。

 桜コハクのが降りた時に出会った乗務員が、どうみてもスレートにしか見えなかったからだ。

 よく分からない危険な生物が運転手をしているなんて、よく考えてみればおかしな話である。

「なんでシュウウに嘘をついてるの?」

「うん、それはシュウウが他人と積極的な接触をとるのを避けるため。ホントの所を言うと、スレートは乗っ取るなんてことはしないの。来世の記憶が開いてしまった人の記憶を閉じ込めているだけ。ま、その中にはちょっと脅かすような行動をとる者もいるけどね。ただ、それはあくまで言葉だけ…実際に身体を乗っ取ったスレートはいないはずだし、そんな事が出来るとも私達は思っていなかった」

 そして、ゆっくりと言葉を続ける。

「…そう、あの橋での事があるまではね」

 二人が真剣な表情で話をしている所に、バートンアンバーの暢気な声が響く。

「うん、腹が減ったな。腹が減った。何か食べようじゃないか。そして、その後には甘いものだ」

 チーとマイはそのあまりの暢気さに、噴出しそうになってしまった。


 商店街と思われる場所は、看板は一つも出ておらず、全ての扉は閉ざされていた。商店が集まっているとは思えない程、静かな通りであった。

 その中にある二階建ての建物の前で、マイは立ち止まった。そして、扉をノックし入っていった。二人も後に続いた。


 建物の中薄暗く、まるで夜のようであった。

 古びたランプが橙色に光り、黒色の石壁を照らしている。そして、高音が美しい笛が不思議な旋律を奏でていた。

 多くのお客が、テーブルの上でぼんやりと燃える蝋燭を囲み、静かに食事を楽しんでいた。

 三人は奥の席に案内された。途中、はっきりとは見えなかったが、夜空に漂う満月を描いた油絵が天井にある事にチー気付いた。


 運ばれてくる民族風の海鮮料理に、舌は大いに喜んだ。

「あの、バートンさん」

「ん、なんだ?」

「不思議な街ですね。看板も無いし、それに、全部の扉が入口を閉じてるなんて」

「ああ、そのことか。ワタシもはじめ戸惑ったが、どうやらスレートの文化らしい。看板とかだけでなく、どの店内もこの店のように薄暗い」

「そうだったんですか」

 それを聞いていたマイは口を拭き終えると、

「でも、私達はこの文化は嫌いじゃないの。特に、この夜をイメージした店内は私は大好き。灰界には夜は来ないからね。なんか此岸にいた頃を思い出すの…」

 と言った。どこか寂しげであった。

「それは同感だな」

 バートンアンバーも同じ様に静かに頷いた。


 食事を終え外の出ると、眩い太陽光がチーの目に飛び込んできた。腕時計で時間を確認したところ、丁度12時であった。少し早めの昼食だった。

 太陽の高さと時間が一致していると何故か気持ちが良い。心の中のしこりが一時的に取り除かれるようだ。

「あ!」

 突然マイが声を挙げる。

「どうした?」

 バートンアンバーが少し驚き、尋ねた

「レグさんがいる。」

 マイは両手で大きく手を振る。

 長身の男が手を振りながら、こちらへ少し駆け足で近づいてくる。

「あの人は?」

 チーは問う。

「ん、あの人はレグホーンさん。私達と同じ駅員あんだけど、以前は99番駅で働いていたの」

「こんにちは、カーマインにバートンアンバー、そして……」

 レグホーンは息を切らしながら挨拶し、チーを見る。

 無表情な男だなとチーは思った。

「そして…そして…そして…そして…そして…」

 どうやらチーの名前を必死に思い出そうとしていようだった。ただし、顔には必死さの欠片も見られない。

「レグさん、チーはハジメマシテですよ」

「ああ、チー君か久しぶり」 

 レグホーンは丁寧にお辞儀する。

「レグホーンさんは相変わらず礼儀が正しい」

 バートンアンバーは感心している。

「いやいや、ハジメマシテって言ったじゃないですか。バートンさんも適当な意見を言わないで下さい」

 「ああそうなんだ。間違えてごめん、チー。はじめまして」

 チーは苦笑いをするしかなかった。

「今日はお買い物ですか?」

「そうだった。実はカーマインの家に電話をしたんだ。安心して、誰も電話に出なかったから」

 そりゃそうだ、とカーマインは思ったが口には出さなかった。一々突っ込んでいた切が無い。

「なんか用事でもあったんですか?」

「うん。今日は暇だから、16時からみんなで集まろうだって」

 マイは両手を叩き、うれしそうに答える。

「本当ですか?久しぶりだねっ。オウケイ、じゃあいつもの場所で。あ、でもこれから本部に行かなくちゃいけないから、ちょっと遅れるかも」

「分かった。そしたら先に始めてる」

「レグホーンさん。再戦を楽しみにしている。今度は負けん」

「俺もだよ、バートンアンバー」

 やはりレイボーンの顔の筋肉は少しも動かない。

 バートンアンバーはその様子を見て、にやりと笑い、

「さすが、余裕ですな」

 と言った。

 なんの話をしているのか分からないチーは、マイに小声で聞く。

「何の話?」

「行けば分かるよ」

 悪戯を楽しむ子どもの様にマイは笑った。

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