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第二章スレート②

 マイは「ガラス細工の蛙」をチーの首から優しく外し、呟く。

「紅い風、青い大地に、ウイスタリアの雲運び、モーブの雨をしくしく降らす。トゲトゲト光る黒太陽が、テカテカと笑う人を焼き尽くし、蛙がニギニギと鳴き喚く。」

 チーの身体が次第に薄くなり消えていく。

 マイはチラリとチーを見た。そして、目を瞑り、ガラス細工の蛙を空高く投げ、言った。

「おはよう。ランプブラック。ご飯の時間だよ」

 と、橋は、黒く大きな生物に姿を変えた。その姿はまるで黒猫。

 巨大な黒猫は、一瞬の内に口を裂けんばかりに開く。鋭い牙が眩い光を放つ。

 今まさに、空飛ぶ蛙を噛み砕こうとした時だった。何か小さな丸い物体が、一瞬でその蛙を奪い取った。

 そして、その物体はマイの方に飛び込んできた。マイはギリギリでそれを避けた。

「ギリギリだぜ。間に合った、間に合った。うん、うん、いい魂、ついに見つけたね。俺とピッタリだ。隠れてたかいがあったぜ。」

 その物体をマイは知っていた。次第に人の姿になっていく。

「スレートっ!」

「お、ようやく気付いたかい。ずっとあの男と一緒にいたのにさ。いやー、さすが俺だね。ばれないものだねー。おっと、お急ぎで悪いが、お嬢ちゃんと話してる暇は無いんだ。へへっ」

 スレートは捲し立てる。しかし、変化に戸惑っているらしく、中々その場から動こうとしない。どうやら頭が出ないらしい。

「なんのつもり?ここからは私達の仕事のはずよ」

 言葉の通り、人間とスレートは共同でこの仕事をしていた。

 人間の魂を、「生の世界」と「死後の世界」に案内する仕事を。彼岸と()(がん)に送る仕事を。

「へへい」

 頭が胴体からポンと出ると、顔に凹凸が出来ていく。少しずつ形作られていくその目は、しっかりとマイの目を見据えていた。

「俺はね、人間にならなきゃいけないんだ。それが、どんなに辛い世界だと分かっていてもね」

 想像してもいなかった言葉と、聞き覚えのあるその声にマイの身体が固まる。

 スレートは、青井チーと全く同じ姿、形になっていた。

「それには俺と合う魂が必要だったってわけ。これ無いとよ、身体造れないし、向こうにもいけないからよ。いやー長かった、長かった。うーん、俺凄いな」

 マイは言葉に詰まった。人間になりたいスレート?そんな事、今まできた事が無い。それに、一体何が目的なの?

「スレートが此岸に行けるわけない!それに、そんな聞いた事も無いよ…あなた、過激派?」

「いや、違うね。でもな、これから同じような事が頻繁に起こると思うぜ」

「何が目的なの?過激派と同じで、人間に対する恨み?」

「残念。不正解だ。そんな事にほとんどのスレートが興味を持っていない。過激派だけだ」

「じゃあ、なんで?」

 マイにはもう何がなんだか分からなかった。

「灰界はもう死ぬんだよ」

「えっ?」

 驚きの答えに、マイは呆気にとられた。

「おっと、ランプちゃんが御腹を空かして不機嫌になってきたね。ちょっと急がなきゃ。邪魔はしないでくれよ。手荒なまねはしたくないんだ」

 「ちょっと!答えなよ。灰界を壊す様な真似は許さないからね」

 と、スレートの背中から本物の青井チーの身体が少しずつ表れる。スレートは苦しそうに顔を歪める。

 マイは思わず目を背けてしまった。直視出来ない光景だった。


 視線を戻した時には、スレートは呼吸を整えていた。その足元に本物の青井チーが横たわっていた。

「青井さん!」

「大丈夫だ…。ただ、しばらくは目覚めないだろうよ。…ハア…こいつはお前が面倒見てやれ。此岸にはいけないからよ。俺ってやさしいなあ。ハア、フウ…さてと…」

 そして、

 「今から此岸に向かう準備をする。邪魔をしなければ、手荒な真似はしない。まあ、本気でやりあったらどうなるか分かっていると思うが」

と続けた。ガラス細工の蛙を握り締める。青井チーの姿を模したスレートが、次第に薄くなっていった。

だが、マイも黙って見ているわけにはいかなかった。例え、自らの魂を壊されて灰界から消えるとしても、此岸に届けなくてはいけない。それが私の仕事。

 「行かせない!」

 マイは掌上に小石くらいの光の玉を作る。

 そして、力一杯投げた。光の玉は空間を切り裂くように速度で飛び、チーの姿になったスレートの頭を貫通して広がる青空に抜けた。頭から出た黒い液体が、水面に飛び散る。

 悲しげな表情を浮かべ、スレート大きく溜息をつく。

「フウ…しょうがないか…」

掌をマイに向ける。そして、無数の黒い針が放たれると、一瞬でマイを取り囲んだ。

「動かないでくれ。一歩でも動いたら魂がどうなるか…」

光の玉が貫通した部分が、次第に元通りになっていく。

 スレートは、「ガラス細工の蛙」の中に再び自らの肉体と精神を描き始めた。次第に身体が薄くなっていった。

 マイは黙って見ている事しか出来なかった。地面を思いっきり殴る。土で出来た道が、が思ったよりもひんやりとしていた。


                        ○


 頭が全て消え、胴が、腕が消えた。ガラスの蛙は落ちもせず、回転していた。明るさを変え、透明度変え、色相を変えている。

ブラックランプは暇そうに川一杯に寝そべり、魚と戯れていた。

そして今、太腿辺りが完全に消えようとした時だった。

「認証エラー、デスネ」

 機械的な声が、蛙から発せられた。

 下半身しか残っていなかったスレートの身体が、少しだけ全体の色を取り戻す。

「青井さん」

 マイが驚きの声を上げる。

 スレートは酷く慌てた。

「なんだよ!何で意識が戻るんだよ!」

 スレートの足首を、本物の青井チーが強く握りしめていた。

 チーはスレートを、偽者の自分を見上げる。涙で顔がグチャグチャだった。穴という穴から液体が溢れていた。しかし、唇は強く結ばれていた。

「僕の、身体返せ…」

 その声は、いつもの声とは全く違い、高く、冷たく、そして鋭利であった。身体を取り返さなくてはいけない。ただ、それだけの心をもって放たれた言葉だった。

声の刃が、スレートの心を抉る。思わず身体がよろける。身体の内側から破壊される感覚。初めての感覚。なんなんだこいつは。

 腰に手をかけ、チーは立ち上がろうとする。足が言うことを聞かない。これ以上こいつの声を聞いたらまずい。

 だが、慌てる事はなかった。スレートはチーの本当の気持ちを分かっていた。

スレートはチーに笑いかける。

なあ、チーよ、隠すことはない。今回の転生、嫌だろ。俺は知ってるよ。だから俺が代わりになってやる。俺は此岸に行きたい、お前は行きたくない、な、何も困る事なんて無いじゃないか。この灰界は良い所だ。おれが保証する。それに、世界が変われば、もしかしたらお前の悲しく、絶望的な運命は変わるかもしれない。思い出せ、「未来の記憶」をさ」

 チーは、自分と同じ顔をしたスレートを睨む。蘇る「未来の記憶」。思い出したくない記憶。それは運命と同じ。

 「な、だから手を離せ」

 「…うるさい…」

 絞り出した声が、スレートの魂を切り刻む。これ以上は危ない。これが死の感覚か。

だが、声はそれで終わりだった。

 身体からチーを引き剥がすため手を、足を、腰を、身体を動かした。チーは力なく地面に崩れ落ちた。


                      ○


 スレートは、右手をチーの腹に押し当て衝撃波を放つ。身体を九の字に曲げ、土の道を勢いよく転がった。

「さすがにもう、起き上がれないだろうよ…ああ、気持ちがいいもんじゃねえな」

 自らを右手でひっぱたく。そして、掌を、もはや意識の無いチーに向けると、黒い鋭い槍を取り出し、頭めがけて放った。

 悪いとは思ったが、もう邪魔されるわけにはいかなかった。

 空気を引き裂き、悲鳴にも似た音を空間に満たし、漆黒の槍はチーに向かって飛ぶ。切り裂かれた空気から、焦げた匂いが空間にジワリと染み出し、軌跡を残す。

 その時、横から一閃。

 強烈な衝突音と共に、その漆黒の軌跡は僅かに逸れ、チーの耳を掠めた。

 直後、太陽の光と草花の甘い匂いが、空間に染み出す。その匂いは、チーの目の前で軌跡を変えた。

 軌道を変えた光の玉は、スレートに向かって突進してくる。反応。瞬時に黒い針を作り、それにぶつける。

 光の玉は軌道を変え、股の下から抜けた。

 マイは絶望し、膝から崩れ落ちた。


 スレートはマイの周囲を囲んだ針を使うべく、掌を向けた。

 恐怖でマイの心が潰されそうになる。輪廻転生を拒絶された魂はこの灰界に来た。この灰界で死んだらどうなるのだろう。そんな事が頭によぎる。

 駄目だ、こんな事を考えちゃ駄目だ。

 考えを振り切り、必死に声を絞り出し尋ねる。

「お願い、教えて。灰界が死ぬってどういうこと?もし大事なことならなおさらです。私達も何か出来るかもしれない」

 マイの必死な表情がスレートの心に響いた。

「分かった…教えてやるよ。あのな、正確に言うと俺達が住める世界が死ぬって事なんだ。お前たちと灰界の視点に立って言えば「転生」、つまり此岸に行くって事だな」

 スレートはマイの目をじっと見て、そして続ける。

「此岸に行った灰界はどうなるかは俺達、スレートにも分からない。しかし、その世界には住む事は出来ない。なぜなら、スレートは死者に寄生する事でしか生きられないからだ」

「つまり、灰界は死んでいるってこと?」

「その通り。だから最近死んだ世界、そう、お前たちが此岸と呼んでいる世界に移住することになった。ただ、今の俺達の姿では何故か向こうでは生活できない」

「だから私達の身体を奪うと」

「まあ、進化ってやつだな」

「何それ、自分勝手過ぎじゃない」

「そう悪く言うなよ」

「そもそも、灰界を死なせないっていう気持ちは無いわけ?」

「言ったろ、この灰界は此岸に行くんだ。運命なんだよ。それは誰にも邪魔する事は出来ない」

「だからと言って、此岸の人間の身体を奪うのは納得いかない」

 マイの語気が強くなる。

 スレートは背を向けマイに背を向けた。ブラックランプは待ちくたびれ、眠い目を擦っている。

「ここまでだ。もう時間が無い。失敗は許されないんだ。だから、悪く思わないでくれ」

 そう言うと、無数の黒い針はマイに向かって放たれた。


                        ○


 ガラス細工の蛙が、大きく開けた口の上にまで来た。ブラックランプはようやくの食事に、両手を叩き喜ぶと、ムシャムシャと食べ始めた。

 近くではチーとマイが気絶している。針が放たれた瞬間、マイは気を失った。

そのため、スレートは針を止めた。やはり、出来る限り手荒な真似は避けたかった。


 青井チーの姿をしたスレートは、今は何も無い、橋の接続部のところに立った。

ブラックランプは喜び、真下へやってくる。

スレートは目を瞑った。確かに、青井チーから奪った未来の記憶は恐ろしいものだった。並みの人間なら何年と持たないだろう。

 しかし、残念ながら俺はスレートだ。並みの人間どころか、人間ですらない。どのようにこの未来が変えてやろうか、想像するだけでもワクワクする。

 ブラックランプが口の中は、まるで、洞窟のようであった。それは。暗黒の世界

だが、一番奥から微かに光が漏れているのが分かった。

 スレートは、今まで生きたこの世界に別れを告げると、その洞窟に飛び込んだ。

 


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