月夜の鴉
アロセーヌの街は夜の街。
特に新月の夜は最も騒がしい。
昼間港に、畑に、街道に、と散らばっていた人々が一斉に城壁の内側へと集まってくる。アロセーヌの街は夜が深まるほど賑やかになる。立ち並ぶ酒場では船乗りたちが酒をあおり、貴族の屋敷では絢爛豪華な宴が開かれた。
同時にアロセーヌの夜は無法者どもの天下であった。彼らは煉瓦の道を物音ひとつ立てやせず、悪行を働く。月明かりの弱い夜は特に盛んであった。
そんな中、満月の夜にのみ動く夜盗がいる。光を恐れない大胆さと、けしてしっぽを掴ませない鮮やかな手腕はアロセーヌの街をにぎわせていた。
満月の夜にのみ現れるその無法者を”銀色の鴉”と呼んでいた。
「私、”銀色の鴉”の正体を予想いたしましたのよ」
仮面をつけたふくよかなご婦人が問いかける。彼女は今宵の夜会の主催者であった。自然参加者は彼女を取り囲むことになる。
だいぶ人が集まってから、ご婦人は満足そうに続けた。
「昨年亡くなった先王のご落胤というのはどう?」
余韻たっぷりに言い放った言葉に反応するのは壮年の壮年であった。
「やれやれ、ご婦人というものはおとぎ話が好きすぎるきらいがありますね。あの鳥めは貴族、大商人、はては教会すらも気にせず盗みを働く輩ですよ。王家の血筋とみるにはあまりにも下賤すぎる。大方手先が器用な浮浪者といったものでしょう」
「あら、それこそ夢見がちでは? 銀色の烏は憲兵隊が血眼になっても捕まえられない大盗賊ですよ? ただの浮浪者だけでは難しいのでは? やはりある程度の地位や権力……とにかく人を動かす力が必要ではないでしょうか」
「だったら盗賊ギルドってのはどうかね? 奴らのネットワークは侮れない」
議論には次々と参加者が出て、口々に好き勝手なことを言った。
やがて十分経った頃、主催者は少し離れた場所にいた一人の淑女に問いかけた。
「あなたは鴉のことをどう思いまして?」
夜会に出席している面々は皆仮面をつけ派手な格好をしていたが、彼女は更に上にベールを被るという奇抜な姿であった。よりおかしい方が魅力的に見えるこの舞踏会では、地味な出で立ちながら勝利者と言ってもいいだろう。
そんな彼女の喋ることに一同は興味津々であった。
「真珠がよく映えそうな黒くて美しい生き物でしょうか。ぜひとも手なづけて飼ってみたいものですわ」
涼やかな声で彼女は言い切った。
「まあ、ほほほ、その鴉じゃなくてよ」
「それでは……わたくしのことかしら? 確かに、帽子も、ベールも、手袋だって黒いですもの。こういった月明りの無い夜でしたらこの青いドレスもきっと黒に見えてしまうでしょう。これじゃあ鴉と呼ばれても仕方がないですわ」
そういって淑女はどこからともなく扇子を取り出し口元を覆った。更に「あらやだ、これも黒でしたわね」と扇子をひっくり返してみせた。
そのおどけた動きに周りから笑いが落ちたのは当然のことだった。
***
いつまでも続く仮面舞踏会を辞し、シャルロットはゴンドラに乗る。ベールの下につけていた仮面が新月の下では妖しく輝いた。
仮面舞踏会ではお互いを知らぬ存ぜぬで通すのが礼儀。それにこの程度の物をいくらしたからと言って、少ししゃべれば誰が誰なのかなど一瞬でわかるもの。これらは全てただの雰囲気づくり。
それと帰りに注意するため。
「まあ、今宵はよい夜ね。星がこんなにも美しい夜はないわ」
物言わず運河を下る船頭へ話しかける。しかし、返事はない。代わりに彼ははシャルロットの足元に皮の袋を一つ投げてきた。
「……例の物だ」
ヒールの先で突けばジャラジャラとした金属の音がする。
「なんだか”ほんの少し”足りないような気がするのですけれども……肝心の契約書はどちらかしら?」
「別邸にはなかった」
「ねえ、まさか手に入らなかったとおっしゃるつもりなのかしら?」
ことさら音が出るようにシャルロットは袋を踏んでいるかのようだった。
「わたくし、人に待たされるのってそう経験がなくってよ」
「場所はもう検討がついている。次の満月には手に入れた紙の束をあんたのそのご立派な足の踏み台にさせてやるよ」
「安心しましたわ。でしたら、こちらは預かっておきます」
レースのストッキングに覆われた足がスカートから覗いたかと思えば、革袋は蹴り上げられシャルロットの手の中に収まった。
「返すつもりも無いくせに」
「あらあら、かわいい小鳥の持ち物ですもの。飼い主として責任を持って扱いますわよ」
「………言ってろ」
それを最後に船頭は黙った。
「ほんと、本当に今夜は良い夜ね」
船は星と窓から漏れる明かりで水輝く運河を黙々と進んでいくのであった。