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03 天使-嘘=知らない方が幸せな裏側

 *


 斯くして、一度目の相談日。これ以上無いほどの憂鬱な気持ちを抱えたまま、周囲に「おい、なんか顔色悪いぞ。保健室行けよ、保健室」などと欠片の救いもない言葉を掛けられつつ「うん、そうだね」と平静を装った自分。体調云々に関わらず、行くんだよ保健室とも言えない。それが何だかいっそうのこと不憫に思えてきた。

 やや足早に向かい、到着した保健室前。ふとドアを見れば『不在』の札が。


「よし、帰るか」

「……あの、香野さん」


 思わず叫ばなかった自分に、感謝してほしい。意図したわけではないのだろうが、かなりの至近距離で耳元に囁かれた声は鳥肌ものだった。

 片手で口許を押さえて振り返ると、件の天羽少年が立っていた。


「保健室の先生が、お昼休みの間は札を出していて構わないって。あと、不安なら鍵も預かってるけど」

「……鍵?」

「うん、札だけで心もとないならって。施錠の許可も一応もらってる」


 どうする? と問われて、迷わずにおれようか。確かに万一、他の女生徒に二人きりでいる場面を目撃されたらと思うとぞっとしない。きっとその時点で、翌日からの生活は地獄と化すだろう。

 しかしだからと言って、よくも知らないクラスメイトと鍵をかけて保健室に入ると言うのは何やら意味深だ。

 正直相手が自分以外なら彼はその場で捕食されるのでは、と思わないこともない。中学生女子のアグレッシブさを舐めたら痛い目にあうのである。

 ちなみに自分自身の名誉のためにも誓って述べるが、自分はここには含まれない。そこは断固として主張しておきたいところだ。


 ――よし、ここはひとまず相手に丸投げしよう。そうしよう。

 とりあえず誰にも見られない内に中へ、と先に天羽少年を保健室に押し込んでから返答した。


「天羽君の判断に任せる」

「うん、じゃあ閉めるね」

「…………」


 閉めるんだ、と内心では大分慄く。どれだけ信用されているのだ自分。もしくは天羽少年が純朴なだけなのか。

 いずれにせよ、その時にほんの少しだけ過った違和感を、自分はもっとしっかり考えておくべきだったのだろう。まぁ、それも後々になってから気付いたところで遅すぎた感慨のひとつだが。

 ――『今』となっては、どうしようもなかったりする。過去は変えられないのだ。



 ひとまず向かい合ってソファに座ったところで、何やら中学生らしさの欠片もない深い深い溜息が聞こえてきた。一瞬気のせいかと思ったが、そもそも自分と彼の二人しかいない保健室で気のせいも何もない。


「……はぁ、落ち着く。正直なところ、前の学校でもここまでじゃなかったんだ」

「前の学校というと……あぁ、隣の市の?」

「うん、本当のところを言うとね、親の転勤云々の前に転校することは避けられなかったと思うよ。この容姿の所為でまともな日常生活は送れないし、面倒事は絶えず付き纏うし、雌は絶えず発情期だし……」


 んー、何やらすごく不穏な発言が聞こえた気がする。

 平静を装うも、どう返答しろというのだ。難易度が高すぎる。いや、それよりも何よりもまずは――


「天羽君、本当は慣れているね?」

「嫌でも慣れるよ。だってそれが日常だから。下手な言葉を投げて逆上させる位なら、下手に出て様子を窺う方がまだマシだろうと思ってね」

「……天羽君。まず、根本的なところを問い質したいのだが」

「うん、相談っていうのは名目」

「はい、終了。私はこれで――」

「だーめ。もし君がそうするなら、この状況を噂に流して君を孤立させるところから始めるけど?」


 天使が悪魔に切り替わった瞬間、というものを初めて目の当たりにした自分はとてつもなく間抜けな顔をしていたのだろう。

 対面に座る彼は、とても楽しそうに笑う。悪魔の笑顔である。もはや極上の悪夢といって差し支えない。

 ひとしきり笑った上で、ようやく彼は天使の皮を被り直した。


「嘘は吐いたけれど、君と話をしたかったのは本当。周囲の雌は自分の傍だと冷静に話も出来ないみたいだから、真っ当な会話が成立する君は貴重なんだよ。だから……」

「要するに、愚痴の相手をすればいい訳か?」


 ――ふむ。これもある意味で縁と言えばそうなるのか。とりあえず悩む。見る限り、疲れているのは本当らしい。そこは同情しないでもない。それに加え、彼が下心ゼロの会話を望む心象も分からなくもなかった。せめて同世代との会話くらいは神経をすり減らさずに、純粋に楽しみたいものだろう。それに美醜は関係ない。

 リスクはある。いや、むしろリスクしかない話だ。

 全身全霊で叫んでいた。関わるな、ここは心を鬼にしろと。

 けれどもあの時、目が合った時に自分が感じた『何か』。最終的にはそれが、決断を下させたような気がする。

 若気の至りか、はたまた単純に自分が愚かだったのだろう。


「――分かった。いいよ、天羽君。噂云々を勘弁してくれるなら、時々こうして貴方の愚痴を聞こう」

「いいの?」

「元より選択肢は無いんだろう? 割と諦めは早い方なんだ」


 早々に降伏し、白旗になぞらえて保健室のカーテンをひらひらさせる。それが何やらツボにはまったのか、お腹を抱えて笑う彼は年相応に見えた。

 さてもおかしな方向へと転がり始めた関係性は、それからもひたすらにおかしな方角へ向けて坂を下り続けた。

 転がる石は、何とやらである。


 二年目の夏、秋、冬と季節が移り替わっても保健室における愚痴対談は変わらずに続いた。

 流石に長期休みの間は解放され、思う存分平穏を満喫できたことも心にゆとりを生んだ。まぁ、一切合財平穏とは言い切れないものの、何とかなるだろう。個人的にはそう総評出来た二年目だった。

 そうして迎えた三年目、これも拍子抜けするくらいに穏やかなものだった。少なくとも、後半までは。

 クラスも進路云々がチラつき始めた時点で、ぐっと落ち着きを取り戻していった。

「はは、記者会見が見られないとみられないで、少し寂しい位だな」「まぁ、大分あれにも慣れたしな」

 そんな男子諸君の声をBGMに春、夏、秋と順当に過ぎ去った。


 そして中学校生活も、終盤。三年目の冬に至っては早々に進路も決まって安穏としていた自分。

 こう見えても勉強には手を抜かない方だ。生活面で問題を起こしたこともない。やれ、来年の春からはついに自分も高校デビューとやらを果たすのかと。

 しみじみと思いを噛み締めながらの、保健室での一時だった。

 慣れ親しんだソファ、窓辺、対面する天羽君と順番に見遣った後でふと気になったところを問い掛ける。


「ところで天羽君、貴方はどこへ進学を?」

「……今更何をいってるの? 君と同じところへ進むに決まってるじゃない」


 この頃になると、というよりか三年目にも入ると愚痴も粗方尽きたのだろう。いつしか本を読んだり、卓上型の遊戯をしたり、一緒に課題をこなしたりと、普通に友達付き合いらしいあれこれを保健室でするようになっていた。当初の目的云々は立ち消えになったようである。

 一度問い掛けた際にも「だから?」と言わんばかりに視線が帰って来るばかりで、まぁ要するに黙殺された。

 唯一変わらないモノを挙げるとすれば、いまだに施錠の習慣が健在であることくらいか。


「……いや、今更と言われてもな。そもそも聞いていないぞ、多分」

「そこは否定できる。絶対に言ったから。春の時点で伝えた時、君が生返事だっただけ」


 そうだったかな、と一人首を捻るも同席している第三者がいない。今更確かめようもなかった。

 不満げに溜息を零す彼を見詰め、それにしても長い期間『彼』と共に過ごして来たのだなぁ、と何やら感慨に似た何かを覚えると共に。

 ふと、思った。

 なんだ。もしやすると高校に行ってもこの関係性を続けるのか――いや、現実的にそれはないだろう。そもそもこの状況からしてそもそもあり得ない――と自問自答を繰り返し。

 ふと、馬鹿馬鹿しくもなる。

 これはあくまでも、愚痴対談。そこから始まったいわゆる惰性的な付き合いだ。だからこそ、新たな環境で『彼』が愚痴を呟きたくなったところで『自分』はもうお役御免だろう。

 人も増える。それに従い繋がりも中学に比べて格段に広がっていく筈だ。元からあった関係性も、不要になれば自然と立ち消えていく。

 ほんの少し、寂しいような気持ちもする。けれどもどこかで、そういう終わり方を望んでいた気もした。

 いそいそとソファに仰向けに寝そべって、黄昏の空を仰ぐ。うん、悪くない。


「……遊里、襲うよ?」

「疲れているのか、天羽君? 冗談を言うのは珍しい」


 いちいち真に受けていたら、天羽君との会話など端から成り立たないのである。仮にも一年半ほどの付き合いがあれば、彼が性的なことにどこか嫌悪にも近い感情を抱いていることや、まして彼自身が恋愛感情を抱くことがゼロに等しい現状を嫌が応にも認識できるというものだった。

 それを踏まえての、問い掛け。

 束の間の、空白。

 後から思い返したところで、遅かったのかもしれないが。

 それは、どうやら軛を外すに十分な理由を与えたらしい。


 ――不意に、翳った視界と触れる熱。瞬いている間に『コト』は既に済んでいた。ぞっとするほど艶やかな微笑。頬を撫でる指先。互いの唇に籠る熱。それら全てが相まって、瞬く間に現状を伝える。

 思考が冷静に立ち返るその間際だ。

 とん、と押されたまま沈み込む身体。覆い被さるように手を付いて、覗き込むのは薄い虹彩。

 同じソファに重なり合う、その状況。

 それは思考を真っ白に塗りつぶすのに十分すぎるほどの威力を秘めていた。


「……冗談だと、思う?」


 耳元に掠めた熱に、身を捩るも一蹴される。大柄では決してないのに、力の差はいつしか歴然としていた。

 見せつけるように拘束された腕。そこへ点々と付けられる紅い痕。

 まさかのR指定タイムだ。思考が全くもって追い付かず、茫然とされるがままになっている間にも。

 熱を帯びた指先は、容赦なく潜り込んでこようとする。

 そこで急に、思考が醒めた。


「阿呆か」


 ばちん、と両頬へ叩き落した手。一瞬のゆるみを見逃さず、勢いで振り抜いた結果の快音である。いわゆる火事場の何とやらだ。

 顔を寄せ過ぎれば二の舞。そんな無意識に従って、一定の距離を保ったままはっきりと言い渡す。


「そういう事がしたいなら、どうして愚痴要員を相手にする? 貴方は女を軽蔑しているんだろう? それとも私を媒体に見立てて復讐をしたいのか? ――答えろ」

「違う。遊里は……」

「私は貴方の事を、友達だと思ってきた」


 瞠った目の中に、泣きそうな顔の自分がいる。あぁ、案外自分はこの関係性を嫌いではなかったのかもしれないな、と思った。

 思えば、余計に辛くもなる。自然と、声が滲んだ。


「違うと言うのなら、もし天羽君もまた私の事を少しでも『友人』として見てくれたことがあったなら、お願いだ。もうこれ以上、私に貴方を嫌わせないでくれ」

「――――っ、」


 触れていた指が、一気に遠くなる。

 突き放されるようにして解放された後、見上げようとしたところにもう彼はいなかった。

 片方が走り去って、一人きりになった保健室。中途半端に差し込まれたままの鍵。半開きのドア。


「……逃げたな」


 ポツリと呟いて、なにやら虚しい気持ちにもなる。これもある意味ヤリ逃げ……いや、意味が違うのか。何にしてももう、手遅れだった。

 穏やかに、自然に、喪われていくとそう思い続けていた関係性はこうして唐突に幕切れを迎えた。


 ――――そう、締めくくれたならそれはそれで、物語としてはありだっただろう。


 実際、当時の自分はそう信じて疑いもしなかった。保健室で再び『彼』と会うこともなかった。

 卒業までは会話をすることもなく、目線を交わすことすらなく。無い無い尽くしで、まるで今までが全て白昼夢だったのではないかとそう思わせられるほどに。

 ざわざわとした人波を隔てて、私と『彼』は遠く離れていた。

「流石に卒業式だな……記者会見どころか、握手会レベルだろ。あれ」「一人ひとり対応して行ったら、多分夜になるな」「だな」

 傍らを過ぎていく男子諸君のさざめきを横に、迎えに来た両親と共に校門を潜る。

「遊里ももう中学卒業か……子供の成長は早いなぁ」

「もう、お父さんったら。子供の成長が早いのは今に始まった話じゃないでしょう。そんな感慨に浸っている間に、娘さんを下さいとか言ってくる人が現れるわよ」

「はは、母さんは気が早いなぁ……」


 全くだ。父の言うとおりであると。

 そう思っていた自分が、今となっては懐かしいばかりだ。いやはや、何と言うかあの頃はまだ良かった。

 そうして始まる高校生活を前に、平穏に浸って入られたあの日々。

 戻れることなら戻りたい。

 そうして出来ることなら――――『彼』と出会う前に、やり直したいと。

 幾度も、愚かしく、ただひらすらに、願ってやまない。

 今となっては虚しい願いだと知っていても、尚。


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