律法と人間の共通点
神様の与えてくださった律法は人間を守るため、幸せになってもらいたいため、愛しているからこそ与えられたのだと私は思います。守る事によって、自分自身が守られるのです。わかりやすい例えが信号です。
信号<交通規則>
青→すすめ。渡ってよし。
黄→もうすぐ赤になるので、注意せよ。
赤→止まれ。渡ってはいけない。
この決まりは守れば守られるし、守らなければ危険に合う可能性が高いといえるでしょう。神が人間に与えられた律法も人間を縛り付けるためではなく、人間を守るために与えられていると思います。
だから、その神が与えられた律法と、神が造られた人間の身体に共通点があるのは当然といえるでしょう。そこで、まず神が人間に与えてくださった律法(訓戒)を紹介します。
二戒 <新約聖書> ※イエスキリストを通して与えられた。
一、心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。
二、あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。
十戒 <旧約聖書> ※モーセを通して与えられた。
一、あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
二、あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。
三、あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
四、安息日を守って、これを聖なる日とせよ。
五、あなたの父と母を敬え。
六、殺してはならない。
七、姦淫してはならない。
八、盗んではならない。
九、あなたの隣人に対し、偽証してはならない。
十、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。
上記の律法には当然、信号の交通規則のようにそれを守る事によって恩恵があります。
次に、十戒の二と五のあとに恩恵についての記述があるので、それを紹介したいと思います。
二、→わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。
五、→あなたの齢が長くなるため、また、あなたの神、主が与えようとしておられる地で、しあわせになるためである。
恩恵を要約すると、”恵み” ”長寿” ”幸せ” です。 これは、私たち人間が願っている事ではないでしょうか?
ほとんどの人間には二本の腕と、十本の指が与えられています。何事にも例外がありますので一概には言えないと思いますが、私たちが働く時、この二本の腕と十本の指を使う事が多いのではないでしょうか?
学校の先生の受け売りですが、”働く事は一人ではできない” と聞きました。確かにそうです。どんなに優秀で色々なスキルを身につけた人でも、世界にたった一人になった時に仕事を提供する人がいないと働く事はできません。仕事や働きには必ずそれを受け取る人が必要なのです。いいかえると仕事をして働く事は、それにより何か恩恵を受ける人が必ずいるという事です。なので、さらに言い換えると働く事は愛する事を実行している事になると思うのです。
神が人間に与えられた律法の二戒と十戒と、人間の身体に与えられた二本の腕と十本の指。
この数が共通しているのには訳があると私は考えました。
”神は愛である” と聖書に書かれています。そして、神の律法も要約すれば ”愛しなさい” であると私は思います。そして、私たちが愛するために、愛を実行するために、神は私たちに二本の腕と十本の指を与えてくださったのではないでしょうか? 神は愛しているから律法を与えてくださった。そして、私たちにはその愛に答えて、神の愛に応答するようにと、隣人を愛するようにと、この身体を与えてくださったのではないでしょうか?
一方通行の愛がどれだけむなしいか、片思いや失恋を経験した事がある方はご存知だと思います。愛したら、愛されたい。それが普通です。神様も同じではないでしょうか? 愛する人間からの愛の応答を神様は待っているのではないでしょうか?
ですが、私達人間は自分の力では律法を全部きちんと守る事ができません。それが人間の弱さであり、また、それも神様の計画の一部なのかもしれません。自分を誇る事のないように、神様は人間に弱さも与えてくださいました。実際、弱さがあるからこそ、人は助け合い、慰めあい、愛し合えるのではないでしょうか?
私自身、本当に大切な事は何もわかっていないのかもしれません。いや、全然わかっていません。隣人を愛する事もできていません。ですが、私はすべての人間が心の奥底では神を求め、神を愛していると思います。なぜなら、神様は私たち人間の源だからです。




