第十話 紬さんの秘密のお仕事 8
商店街の皆さんが注文誌に紬屋を訪れております。
今回は店を切り盛りしている佐竹目線をメインです。
最後に、修羅場になりつつある紬さん達の光景つきです。
Side佐竹
無事に今年の展示会も終了しました。紬お嬢さんと孝子お嬢さん達の企画参加等のお陰もあり、来場者数も当日のご成約件数も過去最高の数字になりました。そのせいか、手が空いたら会場を手伝う予定だった次郎坊ちゃんは午後からはずっとバックヤードで経理事務に専念して貰う事になってしまいました。
期間中もご成約は多かったのですが、翌日から展示会で皆さんが着用した着物や浴衣の注文が入ります。
中でも目を引くのが、年頃の息子さんを連れたご婦人の姿でしょうか。
皆様注文される際に、皆様口を揃えて『トムトムさんの所の若い子の様になれるかしら?』と伺われます。
私もどう答えていいのやら分からず、ご子息にお似合いのものをお仕立てしますよとお返しするのが精一杯。
紬お嬢さんの坊ちゃん方はお二人とも着付けも日常家事もそつなくこなす青年になりました。
誕生日も近い孝子お嬢さんと三つ子の様に育ちましたので、孝子お嬢さんもできるんですよ。
ただ、孝子お嬢さんの場合は好奇心が旺盛な為に、アレンジを加える事が失敗に繋がるのです。
最近は無くなりましたが、店の奥の台所で何回オーブンレンジを大破したことでしょう。おいしいとは言えずに個性的な味と答えるしかできない創作のお料理も最近は見かける事が無くなりました。
太郎坊ちゃんと孝子お嬢さんは調理師とパティシエに、次郎坊ちゃんは最終的には公認会計士になるのだとそれぞれに努力をされております。特に次郎坊ちゃんは今では喫茶店の事務を学校に通いながらこなしているとか。
私達が事務所で帳簿を付けているのを面白そうに見ていた次郎坊ちゃんならではの職業選択です。
おっと、話が逸れてしまいました。孝子お嬢さんの機転で急遽召集された喫茶店のアルバイトの皆さんの存在も今回の展示会の成功に導いて下さいました。アルバイトの皆さんは大学生さんなのですが、皆さん法学部の学生さん。初日、彰さん一人では対処できなかった過剰なスキンシップも人数が増えるとそのリスクも分散される形になりました。後でこっそりと彰さんに伺ったのですが、お尻を触られたご婦人がいたのだとか。
うちの店を贔屓にして下さる方にはそんな品のない方はいらっしゃらないので、好奇心で会場を覗かれた方だと推察されます。来年以降はセクハラ対策も考えましょう。
孝子お嬢さんが送ったメールの中には喫茶店の常連さん方も多かったようで、いつもはお母様とご来店で浴衣一式をお買い上げされる鏡野さんの七海お嬢さんも学校のお友達と楽しそうに展示を眺めておりました。
途中でアルバイトの方々とご一緒になっていらっしゃいましたが、ほんのりと頬を染めている七海お嬢さんの姿は、いつもはしっかりしたお嬢さんの印象がお強いのですが、年相応の可愛い女子高生のお姿で微笑ましく思えました。お嬢さんはお友達とご一緒にお揃いの浴衣で内金を入れてご成約して下さり、翌日の夕方には残金をお支払いになりました。店頭に張り出した、紬お嬢さんのアルバイトの方々のスナップ写真や展示会の模様を纏めたエリアを食い入る様に見ておられました。その姿は偶然にお手伝いに来ていた孝子お嬢さんに見られて「七海ちゃん可愛い」って言われると、「だって、お店の制服だって素敵なのに、浴衣姿は反則ですよ」って反論されておりました。どうやら恋まではいかずともお慕いしている方がいらっしゃるようですね。
紬お嬢さんのアルバイトの皆さんなら素敵な男性なので私もお勧めしますよ。
商店街の皆さんも展示会には足を運んで下さいました。展示会の会場でもかなりお悩みだった居酒屋とうてつの籐子様も早々にご注文を頂きました。新作の夏物の着物と従業員とアルバイトの学生さんへの浴衣が5着。
紬お嬢さんと親しくされている店舗の皆さんは、夏祭りの開催時に皆さん浴衣をお召しになります。
アルバイトの皆さんに浴衣を自前で用意させるのは大変だろうからと、現物支給のボーナスとして皆さん浴衣を購入されます。学生さんへの採寸は籐子様がして下さってあったのですぐにお仕立てしますよ。7月になる頃には出来上がる旨をお伝えすると「大変じゃないですか?」とこちらを気遣って下さいます。
籐子様、大丈夫です。展示会直後から7月中旬までは臨時のお針子さんを雇っています。
正しくはかつて店の従業員を臨時の契約社員として採用するのです。女性は自分の意思以外で退職されますが、再就職の足がかりになるようにと大旦那様が紬お嬢さんの小学校に入学した年に決めたものです。原則的に店に通える人に限られてしまうのですが、それでも毎年5人程この時期にサポートしてくれる心強い方々です。
そこにトムトムでお仕事をしながら参加してくれる孝子お嬢さんと太郎坊ちゃんと次郎坊ちゃん。
紬お嬢さんは一番注文が殺到する時期7月になるまではランチタイム以外は紬屋でお針子をして下さります。
勉様が寂しいのではありませんか?と伺ったら、お父さんとの約束ですから我慢するんですってと即答。
大旦那様、勉様に何を要求したのでしょう。すんなりとお嫁に行かれたと思っていたのですが実情はどうも違った模様です。
また話が逸れましたね。籐子様は浴衣の生地はバイトに見せない様にと言及しておりました。その場にいた私は意味が十分に分かっておりますので、メインの反物だけお見せしてお茶を濁しました。かわいい悪戯がお好きな籐子様らしいです。籐子様も商店街で育ったお嬢さん。今ではとうてつの跡取りである徹也様を手伝って、商店街で居酒屋のおかみとして切り盛りされています。
私もたまにお邪魔するのですが、つい長居をしてしまう素敵なお店です。
皆さん、お店が暇な時間帯に注文にいらっしゃいます。
籐子様が注文した後に、ジャズバー黒猫の澄様がご夫婦と甥っ子さんの浴衣とアルバイトの浴衣をご注文されておりました。
澄様はご自身で浴衣を作ってみます。分からなかったら紬さんに聞きますわと言って持ち帰ると申します。
反物4人分と帯4人分は相当の量です。一人で帰れますと言っておりましたが、店のものに頼んでご自宅の前まで送って貰いました。
黒猫は地下にある落ち着いたジャズバーですが、オーナーの趣味で揃えられているワインリストにはかなり通なものが揃っているとか。私は、アルコールには強くないのであまり詳しくないのが非常に残念です。
篠原酒店の雪様は、ご夫婦の浴衣をご注文されました。お店を手伝っている息子さんに新調しないのだろうかと思ったら、ご主人の若い頃に着ていた浴衣を着て貰うとか。それも大変素敵な事です。紬お嬢さんも勉様にと仕立てられた浴衣を今は、坊ちゃん方が着ていらっしゃいます。今時の浴衣の中に古風な柄が新鮮に見えます。
来年の展示会はちょっとレトロ感のある着物や浴衣の提案をしてもいいのかなと構想が思いつきました。
神神飯店の玉爾様は、紬っ氏大変から、私作るよと言ってお嬢さん方の浴衣の反物をお持ち帰りになられました。着物文化を楽しんで下さる方は国籍も性別も関係なく嬉しく思います。
美容室まめはるの千春様は、着付けの時に使える小物のカタログをお探しでしたので、当店にあるカタログをお渡しして、担当者にその場で連絡をして、まめはるで打ち合わせをするようにセッティングを勝手にしてしまい、千春様に苦笑いされてしまいました。こういう仕事はやはり人脈というのものもあります。
「私もスタイリストをしているので全く伝手が無い訳がないのですが助かりました」と言っていただいて幸いです。再開された美容室は完全予約制でスタイリストのお仕事の時はお休みされるとか。カタログをお渡ししてから暫くしてから、素敵な男性と商店街を歩いていたと店の者に聞きましたが、その殿方には浴衣姿を披露しなくてもよろしいのでしょうか?
注文が落ち着いた7月に入って、ある電話が入った。電話の主は商店街の顔役とも言える櫻花庵のご隠居。
私がお受けするより大旦那様が要件を伺った方がいいと思い、大旦那様に電話を繋いだ。
「佐竹、7月以降に仕立ての注文が入ったら最短だといつに上がるんだ?」
「依頼主にも寄りますが、8月の商店街のお祭りには間に合いますが、7月末の23区内の花火大会となると即答はしかねますが」
「それじゃったら最短で上がれるように手配をしてくれ。ご隠居の娘さんじゃから」
「御隠居さんの所は既に納品していますよ」
「違うんじゃ。新しい娘みたいな存在じゃ。ほれっ、とうてつの所の嗣治と結婚したお嬢さんじゃよ」
大旦那様から指摘されてようやく理解できた。そういえば葛木のご隠居もそんなことを店に立ち寄った時に言っておられましたね。そろそろ紬お嬢さんをお店にお返ししようかと思いましたが、もう一つ頑張って貰いましょう。
「いつお見えになるのでしょう?」
「あの子は不規則な勤務をしているそうだから、来る前に電話がかかってくるじゃろう」
そう言うと、大旦那様は事務所の帳簿を眺めていた。
そんなやり取りのあった数日後、桜子さんが一人の女性を連れてきた。この方が嗣治様の奥さんなのだろう。二人は今年の新作をしばらく見てから仕立ての注文をする。桃香さんというお嬢さんは、桜子さんが暴走気味になっているのを引きとめようと試みていましたが、その声を聞きつけた大女将と一緒になって更にヒートアップ。こういうのを女子会と申し上げるのでしょうか?お茶と桜子さんの差し入れの新作和菓子を共に楽しまれていらっしゃいました。お帰りの際に、皆さんお忙しい方でしょうから納品はお届けにしましょうかと提案をしましたら、また芙蓉さんとお話がしたいから私達は取りに来ますとやんわりと断られてしまいました。
余程、お二人とも桃香様を可愛がっていらっしゃるようです。これ以上の無理強いは良くないので仕立て完了の連絡は桜子さんにするということで話はおさまりました。
「桃香ちゃん、またいらっしゃい。お茶位はご馳走するわよ」
「ありがとうございます」
「桜子さんもまた遊びに来て?今は紬がいても遊び相手にならないの」
「芙蓉さん。今の紬ちゃんにそれを求めるのは酷じゃない?孝子ちゃんがいるでしょう?」
「それが、孝子も今年は手伝っているのよ。私達は嬉しいけど、勉君には申し訳ないわね」
二人のやりとりを聞いていた桃香様はふうん、トムトムさんも大変なのねえと思っているようにお見受けしました。
「桃香ちゃん、お帰りはとうてつでいいのかしら?」
「はい」
「だったらその前に、甘いもの食べたくない?」
「いいですね。トムトムさんでいいですか?桜子さん」
「そうね、たまにはコーヒーもいいわね」
「桜子さん、今日のお礼にご馳走しますよ」
周囲が見たら孫と祖母の方な二人が仲良くトムトムに向かって歩いて行った。
仕立ての納品でお届けしているのは本当に懇意にして下さるお客様のみなのだが、お客様の指定時間で店のものが伺えるのならお渡しサービスを試験的に導入してみようと言う事になって今回は実践している。
発案者の孝子お嬢さんが中心となってお届け隊が編成されている。たまに次郎坊ちゃんが手伝っている。
梅雨の中休みかと思う位暑い日の午後に一組のご夫婦がお見えになりました。民宿ゆめくらのご主人と奥様。
暑さで逆上せたのでしょうか、少々お顔の色が悪い様なので椅子に座って体調が落ち着くまでそのままでいて下さいねとお願いしました。余程体調が悪いのでしょうか小さく頷いた奥様は徐々に店をゆっくりとですが隈なくご覧になってらっしゃいます。ゆっくりと立ち上がってある製品の前に立ち止まった奥様の側にゆっくりと近づきます。ご主人の存在が気にならない訳ないのですが、これも仕事だと割り切ります。
「いらっしゃいませ。お気に召した商品はございましたでしょうか」
いきなり私が話しかけたから緊張してしまったのでしょうか、ゆっくりと一点を指差します。
そこには、祝花柄の反物を柄が分かる様にディスプレイしてあった。
「祝花柄、ですね。色々な花があり、願いが込められた柄です。――よろしければその布で浴衣をお作りしましょうか?」
この時期にオーダーを貰っても、商店街のお祭りであれば十分に間に合います。月末の都内の花火大会になると間に合う事はできませんが。
「え、でも、今の時期忙しいんじゃ……」
不安げに私を見上げている奥様に私は店の方針を伝えるまででしょう。
「私どもは、職人ですから、出来ない事はお受け致しません。如何なさいますか?」
奥様からは小さな声で、奥様の分を含めて四人分の浴衣のお仕立ての依頼でした。
「構いませんよ。流石に今月末というのは無理ですが、仕立て上がりのご希望はありますか?」
「あの、できればお祭りの当日の朝までに仕上げて貰えませんか?お墓参りがあるので、出来ればそれを着て、お墓に挨拶に行きたいんです、両親に主人と一緒に」
控え目ではありますが、その言葉に胸がつまりました。皆がお祭りで浮かれている時に故人を偲ぶために新調した浴衣を墓前に報告したいという亡くなった今でも思いやれるその優しい心遣いに。
「作用でございましたか。それでは期日前に民宿の方にお届けに上がりましょう。申し訳ございませんが、これから奥様とご主人様の採寸をさせていただきますね。他のお二方の採寸はどうなさいましょうか?」
ご主人と同じ背格の方なら型紙は使い回せますが、必ずしもそうはいきません。暫く悩まれた奥様は、戻ってからスタッフさんを当店に行くように伝えて下さるようです。
こうして夏祭りのまでに仕立て上がりを依頼された皆様の注文を私共はお一人も断る事も無くお受けしたのでした。
おまけ その頃の紬さん
「母さん、反物裁つの全部終わった」
「オーダー分全部?」
「うん」
次男の担当は型紙に合わせて裁断していく。ここが狂うと全てが止まってしまうのだ。几帳面すぎる次男にはもってこいのお仕事だ。
「それじゃあ、理子さんに聞いてみて。何か絶対に次郎に出来る仕事があるわ」
几帳面だから縫わせても綺麗なのだけども、スピーディーに縫えないのでこんな殺気立っている時は頼めない。
次男は私の元を離れて、理子の元に向かう。
「それじゃあ、今度はこのラインの外側にしつけ糸を付けていってくれてもいい?」
「去年やったのと同じ?」
「そうよ。全部浴衣だから大丈夫よね。上から順に紙が挟まっている所が一人分になっているから崩さないでね」
「はーい」
「理子さん、私も手が空いたけど?」
「孝子ちゃんは、出来上がった着物・浴衣を畳んで収納して。最終チェックは佐竹さんがしてくれるから。佐竹さんが納品できるものを紙袋に入れてくれてあるから、それを納品してくれるかしら?」
「はーい。あっ、もう納品できるんだ。それじゃあ着替えてくるね。髪の毛はどうしよう?」
孝子はブツブツいいながら実家にある自分の部屋で着替えてくるようだ。
お届け隊は、浴衣もしくは今回の新作着物を着てお届けする事になっている。7月なので夏用の着物だから着付け位自分で着てくるだろう。何かあれば叫ぶに違いない。
私はずれたフレームを中指で押し当てて元の場所に戻して、再び作業に戻る事にした。
最近勉さんの機嫌が徐々に悪くなっているんだよね。佐竹が気を聞かせてランチタイムの時はトムトムにいても良くなったんだけど、今一つ機嫌が悪いのだ。
「早く終わらせるために負けないぞ」
「嫌……母さん。程々でいいから」
私の隣で作業しているのは太郎。首元の一番厚い部分を縫ってくれる。この作業が終わったら太郎はトムトムに専念して貰う予定だ。逆に次郎は字もきれいなので、発送準備になった途端に手書きのお礼状を書いたりする細かい作業が残っている。しつけ糸をつけつつ、お礼状を書ける状況になると佐竹からメールが来ているようだ。
文面の方が事前に佐竹が用意してあるのでそれを見ながら書いていくだけだそうだ。印刷・プリントが一番楽だが、それじゃあ気持ちが伝わらないので、展示会後の仕立てを依頼したお客さまだけにはお礼状を封入する。ちなみに展示会のあて名書きも次郎の臨時のアルバイトだったりする。
私達以外の通いのお針子さんは全員で8人。早くても9時から遅くても午後6時には帰宅する。私達は実家で夕飯も食べ店の閉店作業が終わる9時頃に実家を出る事にしている。トラちゃんの機嫌も凄ぶる悪くて、次郎の傍から離れてくれない。最近ではお風呂までついてくるようだ。そんなトラちゃんにまんざらでもない風の次男に少々不安を覚えるのだが大丈夫なのだろうか?
佐竹の年齢設定は、40代後半位。
佐々木蔵之介さんを彷彿させる物腰は柔らかいけど強かな人です。
店に新人で入った頃に当時中二の紬に散々弄られて鍛えられました。
なので、孝子が仕掛けてこようがあしらうのは手慣れたものです。
でもって、売り上げ増加の為なら実は手段を選びません(今回の彰がいい例)