第十話 紬さんの秘密のお仕事 7
ラストのみ次郎目線になっております。お気を付け下さい。
「ごめんなさい。6月最初の日曜日は私達が店にいないのね。皆はお店やる?それとも臨時休業にする?」
「あっ、私もその週末は実家の手伝いに行きたいの。デザートは多めに作る予定だけど。無くなった時点で終了にして貰いたいんだけど」
孝子の入れるお茶を飲む会の後の打ち上げの後の店内。久しぶりにあるバイト全員が顔を揃えたので、私は前から考えていた事を皆に提案してみた。
打ち上げの後始末は既に終わっていて、今は皆で好きな飲み物を飲んで休憩タイム。こんな時じゃないとこういう提案はできない。
「あの……その週末は僕もちょっと休みを貰いたいんですが……」
いつもなら、休みのリクエストを入れない彰君が珍しく口にする。孝子と二人で実家の展示会のお手伝いの依頼は5月の連休明けに佐竹から受けている。
トムトムの仕事と並行して二人が紬屋に訪れている事も把握していた。
「そうね……彰君がオフなら……思い切ってオフにしちゃいましょう。それと、もしも私の実家の展示会のお手伝いができる子がいたらお願いしたいんだけど……どうかしら?」
「それって日曜日だけですか?」
「私達は日曜日に行くけど、展示会は土曜日からだから土曜日だけでも佐竹さんに伝えれば大丈夫だと思うわ。この件は直接紬屋に行ってスケジュールの調整をして貰ってもいいかしら?」
「俺は金曜日から発注以外の仕事はしないで紬屋の手伝いしているから」
「そうなの?次郎?」
「うん、設営と土日のバックヤードでの事務処理全般任されているから」
「あら、そうなの。そこは自分の自己責任でやりなさい」
次男は個別に手伝う手筈を既に整えていた用だ。
「次郎……次の週に一級だろ?それでいいのかよ?」
「余裕ではないけど、確実にどちらかが受かればいいと思っている程度。ちゃんと勉強しているよ」
控え目な発言だけども、息子は息子なりに考えている様だからこれ以上は追及しないでおこう。
「太郎はどうするの?」
「俺は、日曜休みなら日曜に行く。それと土曜日はランチ前に差し入れにサンドウィッチを持って行く予定だから、たっこは佐竹さんに伝えてくれよ」
「あら、助かるわ。よろしくね。もちろん当日展示会を見に来るのも大歓迎よ。ああいう場に男性がいるだけでも集客効果あるから」
私がそう言うと、皆が一斉に頷いた。前からいる子達はお手伝いをしてくれるだろう。入ったばかりの子達は佐竹に一任して交渉から任せてしまう予定だ。
「そう言えば、紬さん……写真の事ですけど」
「ごめんね。展示会の詳細は、今回は一切知らないのよね」
ごめん、皆。ある程度は知っているんだけど、今は言えないんだよ。
「そうなんですか?」
「そうなのよ。私達は日曜日に新作の訪問着を二人で着て、会場にいてくれとしか言われていないの。佐竹さんは皆に無理強いはさせないわ。言われた通りにやってくれたらいいだけよ」
「うん、佐竹に任せておけば問題ないよ」
私が言いたい事の真意が分かったようで、孝子が同じように返事をする。私と孝子は多分全ての計画を佐竹から聞かされているはずだ。私が知らないと誤魔化したのと同様に孝子も同じことを口にしている。ひょっとしたら孝子はまだ全容を知らないのかもしれない。
「6月の臨時休業の件はこれでおしまいね。次郎はブログよろしくね」
「ああ。分かったよ」
そうすると勉さんが厨房から顔を出した。
「今日は皆も大変だったから庭でバーベキューが出来るようにしたから皆移動するよ」
店玄関の逆側には小さな庭がある。オープンテラスにはしていないけど、季節のいい時とかはたまにバーベキューをしたりする。夏祭りの時は自宅の屋上でやるのだけど、今日はそこまでしなくていいという判断だろう。
私達はぞろぞろと庭に移動するのだった。
「じゃあ、週末に会場で会える人はその時に」
あっという間に展示会の前日の夜になった。太郎はピザを何枚か焼いて差し入れとして届けている。
普段なら車を使うのだが、帰宅ラッシュ時に重なるので小回りのきくバイクにしたようだ。
車の免許は双子にはすぐに取得させた。自宅の車は二台。主に私が運転するワゴン車と手軽に利用するミニバン。
最近は、次郎も店の消耗品を買う時には車を出しているようだ。今駐車場にあるのはミニバンのみ。私名義のワゴン車は実家で仕事をしている弟に貸している。展示会で利用するので、戻ってくるのは月曜日だろう。
いつもならやらない閉店作業をして、戸締りをしてから一番重要な事をする。
「トラちゃん?お家に帰るわよ?」
私は持っていたキャリーバックを開ける。いつもなら次男の高校時代に使っていたデイパックの中に収まるのだが、今日と明日はキャリーバックでの移動をして貰う。トラちゃんは、小さく鳴いてからちょこんとお座りをする。
「いい子ね。でも……やっぱり大きくならないわね」
キャリーの中のトラちゃんを見て思う。猫としてはかなり小柄なほうだろう。避妊手術もしてしまったせいか、更におっとりとしているのはそのせいだろうか?
最近、一気に増えたバイト達にもようやく懐いてきたようだ。そんな中でも頭一個抜けているのは、元々は常連としてトラちゃんを構っていた裕貴君には心を許しているみたいだ。
裕貴君の家では、妹さんがぜんそくがある為に猫が飼えないとか。次に懐いているのは大輔君達。古参の大輔君は実家に猫がいるそうだし、大ちゃんの方は一緒に住んでいる毅君の匂いのお陰だろう。
こないだ、ランチに顔を出した毅君のスーツをトラちゃんが毛だらけにして甘えていたっけ。
「もうちょっと我慢してね。日曜日には次郎が遊んでくれるからね」
来週の日曜日の簿記検定では、半分でも受かればいいんだよ……なんて先月は言っていたはずだが、今は両科目とも合格水準にあるらしく、今までにない程に勉強をしている。
にゃ?と返事とも取れなくもない声を出してから、トラちゃんはモゾリと動いて丸くなる。
普段は使わないキャリーだからと言って、次男は着なくなったTシャツをシーツ代わりに敷いている。
トラちゃんは鼻先をシャツにぴったりとくっつけて喉を鳴らしている。
店の前に捨てられていた時、あまりにも小さくて育たないと思っていた。そんな小さな命を守り切って、今では店にはなくてはならない存在にした次男。とても優しい子なのだが、好きな女の子の話は聞かない。
それは長男も同じことなのだが。私達の子供だから、きっと一生に一度の恋をして相手を見つけてくるだろう。
「さあ、帰りましょう」
そう言ってから、私は店のドアを閉めた。
「紬さん、怖かったです。今日もやるんですよね?」
私と勉さんが展示会を手伝うその日。会場に入って私を見つけた孝子は私に縋りついた。
「何?昨日何があったの?」
「私達大変だったんですよ」
ここで私達と訴えているから、孝子と彰君の事だろう。
「で、彰君は?」
「奥にいます。けど……」
「どうしたの?」
「怯えています」
そこで私は何が昨日起こったのかあらかた分かった気がした。
「今日は大丈夫よ。私達もいるし、それにあの二人も今日は前に出すって聞いているわ」
「二人か。でも……ちょっと不安かな。今日は店が休みだからヘルプコールしてもいいかな?」
「誰に?誰にするつもりなの?」
「イベント向きな人にメールを送って見るだけよ。後は佐竹だわ。さ~た~け~!」
バックヤードの奥から佐竹が孝子お嬢さん呼びましたか?と答える。
佐竹がいる事を確認した孝子は奥に向かって走り出した。和装にも関わらず走れるのは孝子だからだと思う。
「つむ、終わったかい?」
「えぇ……。今日は忙しいみたいよ」
「そっか、つむの仕事も入って来るって事か。つむが店にいないのはちょっと寂しいな」
夫は私の頭に顎を載せて密着する。淋しい時にする癖はいい大人になっても変わらない。
乗っかる場所が肩なのか頭なのかの差位しかない。
「勉……。今期、店が求人を出したの……知ってる?」
「そうなのか?」
「ええ。だから、来年は楽になるわ。なんかね、昨日……彰君がもみくちゃになったみたいなの」
「ああ……だろうな。で、本人は?大丈夫そうか?」
「分からないけど、孝子が何かを閃いたみたいで……ほらっ、佐竹と話しているでしょう?」
「佐竹さんと話しているのなら、孝子の計画に店が賛同しているって事だ。俺達はそれを見守っているだけ。違うか?あの子だって紬屋の子だ。安心しなよ」
「そうね。今日は、この着物……オリジナルの新作を着て会場にいるのがお仕事だものね」
「そういうこと。つむ、仕事を始めようか」
私達が来ている着物は、弟がデザインした新作だ。私と2歳年の離れた弟は、美大に進んだ後に実家でオリジナルのデザインをメインにしている。販売は店舗とネット販売で売り上げは順調に伸びてきている。
私達が今着ているのは、四季シリーズの夏のものだ。午後からは秋と冬の着物も着る予定だ。
勉さんが差し出してくれた手を自分の手に置く。この手に何度となく助けられたし、勇気も貰った。
幼い頃の幼馴染だけど、彼以外の男性の手を取ろうと思った事は一度も無かった。
「はい、行きましょう」
Side次郎
「彰さん、今日は大丈夫だから」
「うんうん、皆にメールしたら時間差はあっても皆来てくれるって言うから」
バックヤードの隅っこにいる彰さんに俺達は声をかける。
「怖いんだぞ……女性は本当に……」
彰さんは怯えきった目で俺達を見ている。
「そうだよねぇ」
「知っているよ」
「この二人毎年表の方も手伝っているから、昨日受けた事は洗礼済みね」
「なら、分かるだろう?俺の気持ちだって」
野良猫の様に威嚇している様に見えてしまうその姿がちょっと意外だ。
「うーん、ちょっとね。リミッターの外れた女性は特に怖いわね」
「二人の広告効果は絶大だよ。集客数も前年より多いし、売上だって前年超えたから」
「ってことは、今日乗り切ったらご褒美あるかもしれないわね」
「でも……お客様相手に嫌といってもいいものかどうか……」
「ああ。ここぞって感じで触りまくるからね。気持ちは分かるよ」
今までだって店でお客さんに触れられる事は少なからずあったはずなのに、こうなるって事は……おれはある仮説を立てて彰さんにしか聞こえない程度に囁くことにした。
「たっこを意識しているんだよね」
「…………」
彰さんは口をパクパクさせて俺を見ている。俺だって店の中見ていたんだからその位は察するよ。
「リアクションがないのは認めているって証拠。たっこも、同じようにされているんだよ。でもイベントだからって割り切っている。彰さんも今日だけ耐えてくれない?」
俺の彰さんの会話に気が付いた兄貴も乱入してきた。孝子は佐竹さんに呼ばれて何かの準備を始めていた。
「あれでも女の子だから、終わってからでもいいからさフォローしてやってよ」
「お前らはそれでいいのか?」
俺達を見つめるその瞳はどこか不安で揺れている。
「うん、たっこの世話は彰さんにしかできないし」
「そうそう。俺らは従兄で幼馴染だけでお腹一杯。それにもう食べ歩きにも行かないから」
「えっ?それって……」
「行きたい店は一通り行ったって意味。女性用の情報誌に載っていた店は大体行ったから。俺達のことは気にするなって事」
俺達が彰さんの背中を叩くと彰さんは大きく深呼吸してから見慣れたいつもの表情になった。
「二人には降参。俺も……腹を括るわ」
「そうそう。その調子だよ。そろそろ時間だからさ」
「行こうよ。彰さん」
「ああ」
ゆっくりと彰さんが立ちあがった。後一日、今日が無事でありますようにと俺は願った。
彰……腹を括った模様。そんな二人のオチはまだまだ先です。