第十話 紬さんの秘密のお仕事 6
今回は制服を届けるの巻です。
「澄さん、ダイスケ君の分の制服を届けに来たわよ」
「えっ?もう出来たの?」
「ちょうど冬用の生地はあったからね。夏服はもう少し通気性を重視するからもう少し待っていていくれる?」
「いいけれども、生地を買いに行くんでしょう?」
「そうよ。店の子達の夏服で半袖が欲しい子もいるだろうし、長袖にしても生地を通気性を良くしないと辛いわよ」
「そうね。生地を買いに行く時にお手伝いに大輔君必要?」
「大丈夫。すぐに欲しいものだけは持ち帰るけど、そうじゃないものは発送して貰うから」
澄さんの申し出は凄く嬉しいけれども、持ち帰ると言ってもカートで持ち帰るから重いのよね。
その為に、バイト料込みで浩輔君が手伝ってくれるって言うからしっかりと働いて貰うつもり。
浩輔君には臨時のアルバイトのご褒美に何が欲しいかと聞いたら、某有名店のデザートバイキングに行きたいと言われた。その店は、カップルじゃないと入れない店で、私も太郎と一緒に行った事がある。そんな太郎も季節ごとに孝子を連れてバイキングに通っている。それもそろそろ終わりになるんじゃないかな?
太郎も薄々ながら、孝子と彰君の事に気が付いたみたいだから。
「それなら、こっちは甘えてしまうわよ。そう言えば、孝子ちゃんと彰君って……」
「どうなのかしら?孝子がうちの店に入る時に教育係にお願いしたのが彰君だったんだけどね」
「いいんじゃない?彰君は厳しくてもちゃんと優しいし」
「そうだけどもね。なんか彰君の方が気にしているみたい」
私はそう言うと澄さんが出してくれた水だしアイスコーヒーを一口飲む。
一晩かけてじっくりと抽出するアイスコーヒーは黒猫の隠れた人気メニューだ。
店でもやりたいけれども、その為には設置するスペースとか諸事情があってすぐに実行できないでいる。
「彰君が?何が気になるの?ちょっと前だって二人でとうてつでご飯食べていたわよ」
「休みに二人で出掛けたりしているわよ。でも、そこから進展しないのよ」
「あら?孝子ちゃんはどうなの?」
「あの子は……ああ見えて彰君が動いてくれるのを待っているんだと思うの。それに家業を継がなくてもいいとは言っても今だって手伝っている位だから」
「成程。彰君は法学者志望だっけ」
「そう、彰君一人だけでいつまでも大学で研究ができるとは限らないでしょう?そこで彰君は気にしているんじゃない?」
「弁護士さんだって、最初は高給取りじゃないしね」
「そうなの。孝子は商売人の子だからそこも含めて気にはしていないと思うんだけど」
「きっかけがあればいいの?」
「そう、きっかけがあればいいと思うんだけど」
孝子本人から彰君とは直接言われた事はないけれども、付いて来てくれって言われたらもちろんって言えるのになって厨房で零していた事があるのだ。
可愛い姪っ子だ。最終的に破局するのは仕方ないにしても、今の恋を成就させたいと思うのは老婆心過ぎるだろうか?
澄さんはカレンダーをぼんやりと見ながら、私に聞いてきた。
「ねえ、ブログにあげてたじゃない?」
「ブログ?次郎がメインで私は見ていないわよ」
「オーナー夫人がそれじゃダメじゃない。5月の第三日曜日に孝子茶を飲む会があったじゃない」
「ああ、でもあれでカップルにはならないと思うわよ。最後の一手がどうもなくってね」
「そうなの?こないだ紬屋さんに孝子ちゃんいたけど?」
「そうそう。6月の展示会で孝子と彰君をお借りしたいって佐竹に言われたのよ。彰君はトムトムのシフトの前後で紬屋の手伝いをしているの。ちゃんと契約書は書いてあるらしいけど、そこまで関与していないのよ」
「ふうん。そうなの。そのイベントで纏まればいいわね」
「それはそうなんだけど、展示会の事は私も言うに言えなくてね。展示会後には実家に行ってもらえると分かると思うわ」
「何か、佐竹さんと企んでいるんでしょう?怖いわあ」
「佐竹に、若い人に和装を着て貰うには何かないかって言われたからヒントを上げただけよ」
そう、佐竹にうちのバイト達で今年の新作浴衣モデルをさせればいいと言ったのは私だ。
そこからどういう企画が立ちあがったのかは分からない。父からは紬はどっちの店が重要なんだ?と聞かれた位だ。勉さんとのこの店も重要だけど、自分の育った実家だって重要なの。
だって、私も商店街の子供だったんだから。
「ところで、ダイスケ君は?できればフィッティングに立ち会いたいんだけど」
「もうすぐ来ると思うわよ。紬さんがユキ君の物足りないって言っていたのってネクタイかな?」
そういえば、ユキ君の制服を届けて来て貰った時に物足りないとは言った。あの時はノーネクタイではあったなあとぼんやりと思い出した。
「それもそうなんだけど、ポケットチーフとか、ネクタイピンとか……何かないかな」
「そうね、それなら杜さんの持っているものでちょっとアレンジができそうね。試してみるね」
澄さんがメモ帳に小物でアレンジと書き込んでくれる。
「お店に行ってチェックしたいんだけども、その時間が取れるか分からないから、写真添付でメール貰えないかな?」
「いいわよ。お店のアドレスでいいかしら?」
「うん。そっちでお願いね」
私は澄さんに急遽お願いをする。それならユキ君の小物のチェックをするのは簡単だ。
「店の営業時間に来れないって……相当忙しいんじゃないの?」
「うーん、今年は特別に忙しくなりそうだから、皆より一足お先に準備する事にしたし、実家に頼めるものはもう頼んだの」
今までは忙しいと言いながらも勉さんと週に一度のペースで黒猫にお邪魔をしていた。暫く来れないかもという事に引っかかりを感じているのかもしれない。
「何かあったの?実家絡みで」
「実家絡みは正解かな。浴衣よ。6月の展示会の分の制作が終われば仕立ててもらえると言うから相当早いけど家族の分とバイト全員の分の採寸と反物決めちゃおうと思ってね。既にバイト達には仕事が終わってから実家でサイズと計って貰っているの」
「そうね、トムトムでは毎年夏のボーナスは浴衣の支給だものね」
「そう言う事。私一人だと全員を縫いあげる自信がないから実家に協力をお願いしたのよ」
「紬さんの事だから、それだけではないんでしょう?」
澄さんは目を輝かせて私を見ているが、今はまだ種明かしをする訳にはいかない。私は澄さんを見てからにっこりとほほ笑んだ。
「今は言えないんだけど、6月の展示会で計画の半分位は分かると思うわ」
「ああ。毎年駅の側のホテルで行っているものよね。毎年楽しみなのよ」
「あら、そうなの。今年は少しだけ私も手伝うから当日まで楽しみにしていて?」
「それじゃあ、大変ね。そこから夏の行事に向けて実家の手伝い?」
「うん。出来る範囲を分業にして双子も参加するのよ」
「次郎ちゃんは何をするの?」
「あの子は几帳面すぎるから、布を裁断したり、しつけ糸を付けたりさせるの。アイロンがけも上手だから任せるの」
「太郎ちゃんは?」
「浴衣なら問題ないから、生地の厚みのある所をメインに縫うの」
「孝子ちゃんは?」
「たっこは浴衣なら大丈夫って佐竹のお墨付きがあるから手が足りないところと、出来上がった反物をお届けする係。希望があればあの子が配達してくれるわ」
「あらっ、それは紬屋さんとしてのお仕事ね。やっぱり家業を継ぐの?」
「一応、孝子は紬屋の看板娘だけど、家業を継ぐのは弟の子になるんじゃない?孝子が望めばなれると思うけど」
「あら?紬屋さんって結構フランクなのね」
「私の進路だって、父は何も言わなかったわよ。勉さんと店を継ぐときだって」
「そうよね。女将さんも大丈夫よ……が口癖だものね」
父さんも母さんも私がやりたい事をやりなさいと言ってくれた。兄と弟は呉服業界にいるけれども、兄は経営方面・弟はデザイン方面と最終的に目指した方向は違っている。
地方都市の小さい呉服店としては珍しく、オリジナルブランドを展開している。それもこれも弟のお陰だ。
展示会のメインは業務提携をしている呉服チェーンの新作発表と、浴衣の披露。それと弟の新作発表だ。2年前に孝子の成人式祝いとして前倒しでデザインした振り袖はかなり好評で工房も大変だったと聞いている。
私も少しだけ実家の手伝いに戻ったものだ。
「それじゃあ今年の浴衣は自分で縫えるから私も頑張ろうかしら?」
「そこは店と相談してくれるといいかも。無理なら私に言って?手伝うから」
「その時はよろしくね。折角だからもう一杯飲む?」
すっかりからになってしまったグラスを指差して澄さんが問いかける。
「そうね……今度は伝票を切って貰いましょうか?ユキ君?」
店の入り口に立っていたユキ君に私は答えた。
「はい、水出しアイスコーヒーですね。畏まりました」
ユキ君は慣れた手つきで準備に入った。
「ユキ君は、水仕事するの?」
「最近は小野君がいるのでかなり減りはしましたよ」
「そうなのね。うーん、何か閃きかけているの。なんだろう?」
「紬さん分かったら教えて?焦っても答えは出ないわよ」
「そうよね。ゆっくりと考えるわ」
「ところで、今日は小野君の制服ですか?」
ユキ君は私にアイスコーヒーを渡してくれて、スーツケースを指差した。
「そうなのよ。ユキ君とはちょっとだけデザインを変えたの。分かる人には分かるだろうけどおしゃれさんじゃないと分からないかも」
「杜さんのシャツも違いますよね?」
「杜さんは、アスコットタイを付けても襟が様になる様なデザインね。普段のネクタイだと分からないと思うけどアスコットタイなら凄く格好良くなっていない?澄さん」
「そう言われるとそうかも。紬さんに言われるまでアスコットタイって使った事がなかったから一瞬不安だったけど。凄く様になるわね」
「ミドルエイジの落ち着いた男性になるとアスコットタイはいいと思うの。隙がありそうでないところがいいかなと思って。それに結構遊び心があるのよ。今日は家の端切れでいくつか作ってきたんだけど」
ようやくスーツケース開いて、小野君の制服と杜さんのアスコットタイを広げた。
「杜さんのネクタイのお代は?」
「いいわよ。お試しで作っただけだもの。それに家にあったものでリメイクしただけだし」
「紬さんはそういう技術があるから本当に上手よね」
「そんな事言うと、また作ってきちゃうわよ」
「あっ、それなら大歓迎よ」
私達が穏やかに雑談をしていると、黒猫のドアがゆっくり開いてダイスケ君がやってきた。
「おはようございます……あれ?紬さん?」
「うん。ダイスケ君、久しぶり。制服できたから来て貰ってもいいかしら?」
「早くないですか?」
「そうかしら?ユキ君の時もこの位だったわよね?」
「そうでしたね。決して早い訳じゃないと思います」
「ってことで、着替えて来てね」
私は出来上がった制服一式をダイスケ君に押し付けた。
「着ましたけど……これでいいですか?」
やがて制服に袖を通したダイスケ君がやってきた。やっぱり襟の形を変えたのは正解だったかも。
それと、ダイスケ君はベストの脇を最初からシェイプして作っている。
同じデザインでユキ君も作ってしまうと、ユキ君の線の細さが際立ってしまうのだ。
二人の制服を見比べた澄さんはどうやらそこに気が付いたようだ。
「ねえ、微妙に制服のデザイン違うよね?」
「そうよ。体系にフィットした制服にしたもの。その為のオーダーでしょう?ダイスケ君着辛い?」
「見た目的にはそうかもしれませんけど、そんな事はないですよ。シャツも脇がスッキリしていて気分的に楽です」
「そうでしょう?面接に来ていた服が、比較的にフィットしたものだったからあえてゆったりとしたデザインにしなかったの」
「それとシャツの襟が違います」
「そうね、ダイスケ君がユキ君と同じシャツでネクタイを付けると堅いイメージなりそうだったから、襟を広げてノーネクタイでも着れるようにしたの。それだけでもカジュアルで親近感が持てるでしょう?それとソムリエエプロンを付けたら、ダイスケ君の方はそれで十分素敵になるわ」
「えっ、僕は?」
「ユキ君は、フィットさせるとさらに華奢な部分が前面に出ちゃうから最終的にソムリエエプロンでそこが引き立つはずよ。マネージャーとしていろいろ動くのなら、機能重視という所ね」
「成程ね。着たのを見ると二人らしさがちゃんと出ているな。紬さん御苦労さま」
「あらっ、杜さん。今はいいの?」
「ちょっと。休憩。あのアスコットタイって俺の?」
「うん、家にあるもので使わなくなったものをリメイクしたの。素材は悪くないから使ってみて」
「使ってみてって……これシルクだろ?スカーフでも切ったのか?」
作業を中断して、こちらに顔を出した杜さんが、お試しで作ったアスコットタイの素材を触っただけで見抜かれてしまった。本当にいいものを知っているこの夫婦を誤魔化す気はさらさらない。
「アパレル時代のもので使えただけよ。でもいい感じでしょう?」
早速タイを結んだ杜さんは澄さんに見せている。
「本当。首元がスッキリして素敵だわ」
「隠すお洒落ってことでどうかしら?また暇があったら作って見るわ」
「すまないね。紬さん。」
「いいのよ。私だって折角の技術が腐っちゃうもの。それに勉強にもなるからお互い様よ。夏服は半袖も作っておこうかしら?クールビズで冷房を控えたら長袖だと暑いわよね?」
「トムトムはどうしているの?」
「うちは、外気温から5度引いた温度を目安にしているけど、今年はお客さんが増えているからどうなるのかしら?うちの子達も半袖作るから気にしないでね。杜さん、これが今回の分の請求書と納品書と受領書ね」
「あっ、ちゃんと書類にしてきた」
「当然でしょう。一応そっちは経費処理必要だと思ったから」
「分かった。支払いは……そのうちってことで」
「それじゃあ、私は店に戻るから。またうちの店にもいらっしゃい。ダイスケ君」
「はあ、はい」
いらっしゃいって言っても、バイトで採用にならなかった店には来るのは辛いかなあって思ったのは、私がトムトムに戻ってからの事だった。




