第十話 紬さんの秘密のお仕事 5
Side彰
アルバイト先のオーナー夫人である紬さんから臨時のアルバイトをお願いしたいからお手伝いしてと言われたのは、今日のトムトムの仕事が終わる少し前の事。いつもならランチのピークが終わった頃にのんびりとランチを食べているはずの孝子が「今日は一度出かけまーす」と言って外出している。
紬さんに頼まれたのは、「シフトが終わったら着替えて店の前で待っていてね」としか言われていない。
これからの臨時のアルバイトのない様な流石に教えてもらえていない。商店街の何かのお手伝いである事は確かだ。こないだ浩輔は、制服の生地を買うのに荷物持ちを臨時のアルバイトをしたという。
紬さんが男手が欲しい時は、双子が無理だとその場で最適なアルバイトと連れ出していく。
偶々今日は俺だっただけだ。
店の前で五分程待っていると、ガラガラと聞きなれた台車の音がした。
「ごめんなさい。荷物がちょっと多くって」
台車を転がしていたのは紬さんだ。それとその横には大きなトランクが一つあった。
「台車の中は……衣類ですか?かなり重そうですね。こっちは俺が運びましょう」
そう言って、俺はゆっくりと台車を押し始めた。かなりの重量感があるのでそれなりに体力を使いそうだ。
「ありがとう。そうしたら、私の実家に運んでくれる?佐竹……男性がいるから頼まれましたって渡してくれる?」
「分かりました。それでは先に行きますよ」
この衣類は、紬屋呉服店……紬さんの実家であり、孝子の家でもある……に運ぶのか。それにしても衣装ボックス二つにみっちり収納されているモノはどうするのだろう?ぼんやりとそんな事を考えながら俺は紬屋の前に立っていた。引き戸を引いて開けるとそこには男性が立っていた。
「あの……すみません、これと紬さんに届けて欲しいと言われたのですが」
「お嬢さんから伺っていますよ。ありがとうございます。お嬢さんも間もなく来るでしょう。こちらでお待ち下さい」
そう言われてテーブルにお茶を置いて行ってくれた。新茶にはまだ早いけど、甘さを感じるお茶の匂いはきらいじゃない。早速一口含むと日本茶の甘さが口に広がった。お茶をここまで上手に入れられるスタッフがいるのは紬屋さんにとっては見えない戦力だろうなと思う。
「たっだいまあ。佐竹いる?」
天真爛漫に紬さんは大きな声で佐竹さんを呼んでいる。まあ、実家だからフランクになるのは分かるけど、こんな事をしたら旦那さん達に怒られないのだろうか?
「大丈夫。父さん達は今日はお出かけしているのよ。桜木さんのお茶美味しいでしょう?」
「そうですね。高いお茶ですか?」
「そうでもないわよ。普通のところよ。ちゃんと淹れるだけなんだけどね」
「紬さん来た?こんな感じだけど……どうかな?」
そう言っているその声は、俺が良く知っている孝子の声だった。
「あれ?彰さんどうしているの?」
「私のお手伝いで荷物運んで貰ったの」
「なあんだ。どう?私の浴衣姿。去年はお祭りと浴衣美人コンテストに出たんだから」
「ほう?出たのであって、優勝ではないと」
「そりゃそうでしょう?商店街の関係者が優勝する訳にはいかないじゃない」
そう言って良く見なさいよって言ってきているのは、水色の生地に柔らかい色彩の朝顔が咲き綻んでいるものだ。
帯は黄色で健康的に見える。
「やっぱり、若い子じゃないとダメでしょう?」
「うん。紬さんありがとう。大切に着るね」
「それって、紬さんが浴衣ですか?」
「そうよ。私が若いころに着ていたのを取っておいて孝子にあげたの。ちゃんと管理しておけばずっと使えるからね」
「そうそう。それに私達着物だとサイズ補正そんなにいらないものね」
確かに二人が並ぶと、背格好は同じなのだ。紬さんの方がちょっと髪の毛が短くてふわりとしている。孝子の方は日本人形の様なと説明した方が分かりやすい。それ以外は叔母と姪だからそれなりに似てはいる。
「そうね、でも性格はママにそっくりじゃない。孝子」
「そんなことない。ママよりはまともだから」
ここのところはスル―させて貰おうかな。孝子の狼煙のルーツはどうやら孝子ママにあったようだ。
「お二人とも、真面目にお仕事の話をしましょう。よろしいですか?」
佐竹さんが戻って来てようやく臨時のアルバイトが始まったのだ。
Side紬
浴衣姿の孝子を見た時の彰君の表情は後で絶対に皆に報告ものだわ。見惚れるってこの事をいうのよねって位孝子を見つめていたんだもの。あれじゃ、皆にもバレバレになっちゃうわよ。まあ、それでいいと思っているの。
彰君がいる時には何事も無いけれども、彰君がいない時に孝子にしつこいお客さんがいる。
下手な事が出来ないので、その人が来たら孝子は厨房から出さないように、もしくは厨房に引っ込める事にしている。最近は、ランチに仕込みと称したり、デザートの補充と称して本人なりに逃げてはいる。
それだっていつまでもつか分からないから、今回の仕事で二人がくっついてくれたらいいかなって私は思っている。
まず佐竹は彰さんに今年の着たい浴衣を選ばせている。横にあるのは、今まで作った浴衣と帯。佐竹には帯も新調してもいいとは言ってあるから本当に佐竹にお任せ状態だ。
彰君は二つの反物を選びかねている様だ。佐竹が私の方を見てニヤリと笑った。私はそれに頷いて返した。
「あの……彰さんに紬屋を代表してアルバイトをお願いしたいのですが」
「はあ……僕でできますか?」
「大丈夫です。彰さんしかお願いできないと思いますよ。まずはこれを見て貰ってもいいですか?」
佐竹は、私と打ち合わせの通りに6月の展示会の概要を見せている。数ページをめくった途端、にこやかだった顔が凍りついた。
「ええ、浴衣販売促進用の店舗用のポスターのモデルさんになって貰いたいんですが」
「そんなの僕は無理です」
「私達は展示会最終日の日曜日に参加だけど、二人はそれはないから。それに浴衣写真はバイト皆着るから安心して?」
「なんですか?それ?」
「男性用の浴衣の売り上げが今一つだから、お嬢さんのお店のアルバイトさん達の浴衣の着用スナップを店内に飾って見ようか?となったんです。もちろん、お一人ずつ契約を交わす予定ですし、店内での撮影は禁止にしますので、流出することはないと思います」
「そうですか、毎年夏には紬屋さんにはお世話になりますから……今回だけですよ。それでは契約書を下さい」
腹を括ったみたいで彰君はさっさと契約書にサインを書いてしまった。
「では、早速ですが今までの浴衣を着てスナップ写真を撮らせていただきます。ポスター写真の撮影は5月の連休に予定しているので、孝子お嬢さんから聞いて下さいね」
「はあ……紬さん……」
「終わったら、今日の臨時のアルバイトはお終いね。この事は展示会が終わるまでは皆には内緒よ。たっこも。分かったわね?」
「はーい」
「はい、分かりました」
二人の作業が始まると言う事で、佐竹は二人を奥に連れて行った。
その代わりにやって来たのは、私の高校の同級生で店にはなくてはならない人だった。
「久しぶりです、紬さん」
「久しぶり理子」
高校の家政科で初めてであった私達。卒業後は専門学校と大学に分かれていたんだけど、ずっと連絡を取り合っていて、就職活動で苦戦していると聞いた時に、彼女に実家を紹介したのだ。
今になると佐竹の次に古参の社員になってしまい、仕立てをメインに仕事をしているが、販売・営業・企画全てをこなせるのは佐竹と理子しかいない。兄はその修業の為に京都の呉服屋に修行に出ている。早くても戻って来れるのは2年後だろうと聞いている。兄が戻ってきたら理子の仕事も楽になるのだが。
「理子、今は二人だし気楽にしましょ」
「そうね、紬。彰君を連れてきたんだ」
「うん。佐竹が店内ポスターのモデルにバイトを使いたいって言うから。あれって理子のアイデアでしょう?」
「あはは。分かった。紬は話を出したら面白がってくれるだろうなって思ったから」
「まあね、否定はしないよ」
「ところであの二人は……それでいいの?」
「告白していない。一緒に休みに出かけたりはしている……そこまでよ。古く言えば清い交際っていうの?見ていてこっちはどうにかしなさいよって思うんだけど」
「成程。他の子に誘って彰君を炊きつけたら良かったのに」
理子……何気に火に油を注ぐ発想は怖いから。
「それをすると、彰君本当に凹んじゃうから」
「あら、残念。私としては、孝子お嬢さんとの身長差を考えると克幸さんかしら?フレームレス眼鏡をくっと持ち上げた時の袂のチラ見え……はあ……素敵」
うっとりしている理子をとりあえず放置することにする。
「理子相変わらずなのね。今回のポスター作戦実行したら、お客さん来るから仕事大変よね?」
「まあね」
「だったら、私も仕事に支障がない程度に手伝うわよ。家の子達も……次郎には布を断ってからしつけ糸を付けるまでとか、厚めの生地では太郎に縫わせるとか、ただ縫っていくだけなら孝子でもできるから」
「いいの?」
「うん。今年はバイトが増えた分全部ココで仕立てを頼む予定なの。どう?やり応え有るでしょう」
「そうね、そうしたら完全に作業を分担して手伝って貰えばいいのね。アルバイト料はどうしようかしら?」
「そこは、佐竹と相談して貰っていい?手伝うにしても年間で雑所得以内なら構わないわよってことで」
私達はその後に、私がもう着なくなった浴衣のリメイクについて理子とアイデアを出し合った。
結果、巾着を作って紬屋で販売するのと、残った端切れでコースターを作って紬屋の浴衣着用期間は通常はコルクのコースターを浴衣生地で作ったものを使用する事になった。
「他のお客様の浴衣の端切れでも作れるから結構な量になると思うわ」
「ありがとう。理子。とりあえずうちの子達には帰ってから説明するから。孝子には直接話して貰ってもいいかしら?」
「ええ、そういうことで」
私達はその後も巾着の形や使う紐とかの素材についても話し合った。