第十話 紬さんの秘密のお仕事 4
「こんにちは」
「あらっ、お嬢さん。いらっしゃい。お二人は今外出されてて……」
「父さん達はいいのよ。今年の浴衣を作るからカタログ見せて貰おうかしら」
「もうそういう季節ですね。バイトさん全員に作るんですか?」
「去年までは一人でも出来たけど……今年は無理だろうから店でもお願いしてもいい?」
「それもそうですけど、孝子お嬢さんだって浴衣は作れますよ。孝子お嬢さんはお一人で振り袖作りましたよ」
そう言えば、姪は自力で作りたいって言って、約1年かけて振り袖を作った事を思い出した。
「そうね、孝子ちゃんと太郎を入れても三人ですもの。今はミシンって人もいるけど、やっぱり手縫いに拘りたいのよね」
「洋裁もできるお嬢さんからは意外な言葉ですね。てっきりミシン縫いかと思ってました」
「そんなことしないわ。でも……今年は20人超えなのよ。何かいい方法ないかしら?」
「そうですね、今までのアルバイトの方の寸法は頂いているのでこっちで出来ますよ。それと……お嬢さんの所のアルバイトさんはイケメンさんなので、出来上がった浴衣を着て店頭モデルとして貼りだすことは出来ませんか?そうすれば店としてはお手伝いができると思います」
「成程ね。じゃあ、前から店にいる子達の今までの浴衣も私の家で管理しているから一度持って来ようかしら?」
「実物があると助かります。それと生地の裁断なら次郎坊ちゃんにお手伝いをお願いしたいです。誰よりも丁寧に生地を切ってくれますから」
「そうね、あの子は几帳面すぎるから針子には向かないけど、裁断とかしつけ糸を付ける程度ならいいかもしれないわ。早速次郎にはこっちで手伝う様に伝えるわね」
私が今話をしているのは、この店の古参の店員の佐竹さん。昔でいえば番頭さんの立ち位置にいる人だ。
子供の頃の私は、彼にくっついて店の仕事を見たり、学校の宿題をしたりしていた。
それに飽きると勉さんが迎えに来てくれて、勉さんの店で親が迎えに車で遊んだものだ。
「あのお嬢さんが、喫茶店のオーナー夫人ですから。お店を継ぐことは考えなかったのですか?」
「経営的センスは、私より兄の方があったわ。だから私は技術面を磨いていたら洋裁に興味を持っただけよ」
「そうですか、一度お戻りになりますか?」
「そうね、折角だから孝子のケーキを差し入れで貰ってくるわ。今日は何人店にいるの?」
「今日は営業も含めて5人になります」
「そう。分かったわ、それでは一度自宅に戻ってからまた行くわね」
私はスーツケースを押して店に立ち寄る事にした。
「いらっしゃいませ、あっ、紬さんお帰りなさい」
「ありがとう。大ちゃん。後で裏に来て貰ってもいいかしら?それと裕貴君と智之君も」
「分かりました」
三人の顔が不安げなので、種明かしはしない程度に私は続ける。
「あのね、夏祭り専用の制服を作りたいから採寸させてね?他の人は去年のままでいいわよね?」
私がそう聞くと、去年浴衣を渡している大輔君と彰君は頷いて答える。
「今年も……ですか?」
「そうよ。お店止める時には全部あげるから持って行きなさいね」
「それなら……俺は十分な程持っています」
「彰君、アレは君たちへのボーナスみたいなものなの。プライベートで着たければ着てもいいのよ」
「まあ、お陰で一人でも着られるようになりましたけど……」
「いい事だと思わない?それでね、彰君今からこっちに来てくれない?」
「はい、分かりました」
私は彰君を呼んで厨房の奥に連れて行った。
「あのね、彰君。今日の仕事は14時までよね。その後って暇かしら?」
「はい、特にこれといっては」
「だったらお願い。私と一緒に実家に来てくれない?彰君に頼みたい事があるのよ」
「はあ……分かりました」
「それじゃあ、お仕事頑張ってね。新人君達には浴衣の事は教えないでよ。それじゃあ、三人の誰かを呼んできて」
「分かりました。他のメンバーにも伝えますね」
彰君はそう言うと最初に智之君を呼んできてくれた。この子は、七海ちゃんに懐かれているのよね。七海ちゃんの浴衣が分かったらそれに似合うデザインにしましょう。でも、この子達は恋愛感情で近付いているのかしら?
「紬さん、制服の時に採寸しましたよね?」
「そうね、それはそれで。これはこれなのよ。はい腕伸ばして……お終いよ。次は手が空いている方でいいわ」
「分かりました」
次に来たのは、大ちゃんだった。この子は毅君から聞いているだろう。もしくは聞くだろうから最初から話をしておこう。
「夏祭りにね、浴衣を着て営業するの。厨房は別だけどね。お祭りの時間はお店の前に店を出して、ソフトドリンクとかかき氷を出すのよ。その為の採寸をさせてね」
「はい、去年夏祭りに来たので覚えています。お金ってかかるんですか?」
「これは君たちへのボーナス代わり。店にいる間は店で管理します。必要な時があればいつでも出してあげるから安心してね」
「分かりました。次は裕貴ですよね?」
「そうよ。この事は他の人にも言わない様にね」
「分かりました」
それから裕貴君にも説明しながら採寸をする。浴衣が貰える事はどうも知っていたみたいで今から楽しみですって言われてしまった。
採寸が終わって、作業台を見ると、孝子が後片付けをしている。今日のデザートの仕込みは終わったようだ。
「孝子。後でテイクアウト用にケーキ5個用意して、支払いは先にしておくから」
「何かあったの?」
「紬屋に差し入れよ。今年は私と孝子と太郎がいても無理だから店に頼む事にしたの」
「成程。私も今年は新調するの?」
「したらいいじゃない?あなたの浴衣は実家にあるんでしょう?先にケーキを持って実家に行って、お気に入りの一枚に着替えてくれない?」
「分かった。それじゃあ、ココを綺麗にしてから実家に戻るね」
「お願いね」
なんだかんだと言っても孝子は着物が好きな子だから、機嫌良く作業をしている。あの子と彰君が互いに思い合っている事は十分な程分かっている。たまにオフの日に食べ歩いている時もあるようだ。きっかけがあればこの子達も彼らの様に纏まってくれるのでは?と思って、さっきの佐竹さんの言葉に便乗する事にした。
孝子が浴衣モデルをするのは実家のお手伝いだから当然の事。彰君を相手にしたのは互いにもっと意識したらいいという私の策略だ。彰君が悩んでいるのは、進路の事だろうと思っている。
彰君は一人だけ法学者志望だ。弁護士さんに比べたら収入は少ないだろう。その事に対して引け目がある様に思える。孝子の事だから、私も働くから安心してよって言うと思うんだけどなあ。
それから、勉さんに今日の出来事を報告する事にした。
「勉さん、いい?」
「いいよ。つむ。おいで」
コックコートを脱いだ勉さんの膝の上に乗る。
「どうだった?実家は?」
「うん。バイト達を浴衣モデルにしてくれたら縫ってくれるって佐竹さんが言ったの」
「佐竹さん……何気にあくどいね」
「そう言わないで。男性層に購入して貰う目的には最適だと思うわよ。私だって考えるもの」
「で、女性はたっこにやらせるのか」
「そりゃ、そうでしょ。紬屋の孫だもの。当たり前」
「でもって、彰君を巻き込んでカップルにさせたいと。つむも腹黒いよ」
「いいじゃない。イジイジしている彰君見ていたくないもの」
「そうだな。やりすぎるなよ」
「分かっているわ。それじゃあ、自宅に戻って今までの写真と、バイト君の顔写真だけ用意して実家にまた行ってくるね」
「ああ、気を付けてな」
「うん」
それから、勉さんが私の額に唇を寄せた。