第十話 紬さんの秘密のお仕事2
今回は白い黒猫様「希望が丘駅前商店街~透明人間の憂鬱~」の「黒猫は人がつむいで生まれ変わる」と話がリンクされています。
白い黒猫様には了承をいただいております。ありがとうございました。
文頭は太郎目線で始まります。その後は紬さん目線になりますのでご注意ください。
Side太郎
「タグもついたし、ボタンも大丈夫。出来上がり」
「母さん?終わったの?」
「うん、終わったわ。明日のランチ終了後にでも届けてくるわ」
母さんは、小型のスーツケースに出来上がった制服一式とワイシャツと新色のソムリエエプロンとギャルソンエプロンを仕舞っていく。
「お疲れ様。アイスティーと蒸しパンはどう?」
「ありがとう。この蒸しパン、冷やすと甘さが増して美味しいわよね。商品化できないかな?」
「難しいものではないけど、冷やすのに時間がかかるからなあ。だったら、カスタードクリームを練り込んだり、チョコレートクリームを練り込んだりした方がいいよな」
「そうね。夏はさっぱりとした甘いものがいいって人もいるからね」
「それって、黒猫の制服?」
「そうよ。アットホームなジャズバーもいいけど、イケメンが接客してくれてまた来たくなる気になる店を目指してもいいと思うのよ」
「確かに。採算度外視的な経営でもいいけど、今はユキ君達目当ての人もいるししね」
「そう。基本はジャズを楽しんで、澄さんのお料理とお酒を楽しんで、ユキ君達で癒されて欲しい訳よ」
「うちの店は?そこまでのコンセプトないよな?」
「失礼な、うちの癒し担当はトラちゃんに決まっているでしょ。看板猫がトレードマーク。バイト君達は店に来たら楽しめるオプションよ。男の子だと楽しみはないじゃない。その為のあなた達が作っている、暖かくてホッと出来る料理。そして、時折見せるスパイス……これで十分でしょう?」
「スパイスって……それは孝子のスイーツか?」
俺が母さんに聞くと母さんは頷いた。お客にはとんでもスイーツを食べさせたことはないけど、それを作ってバイトを生贄にしている姿は見られているモノなあ……確かにスパイスか。
「でも、黒猫の制服プロデュースって母さんの独断だろう?」
「そんなことないもの。澄さん達もいいって言ったわよ」
「そういう事にしておくよ。今夜は早めに寝たら?これから浴衣縫うんだろ?」
「多分ね。制服の納品の後に実家に帰って見るわ」
「ああ、内容によっては俺も手伝うぜ」
「そうね、浴衣なら頼めるかも。お休み、太郎」
「お休み」
俺はリビングで作業をしていた母さんを残して自分の部屋に戻った。
「明日も雨だったら、グラタンとビーフシチューが売れるよな。ソースの仕込みをしないとな」
明日のカレンダーにソースと書きこんでから俺はベッドにダイブする。
梅雨寒のお陰で店の売り上げは順調だ。母さんはこれから忙しくなるからその分俺がカバーしないとなと思いながら徐々に瞼が重くなった。
Side 紬
無事にスーツケースに収納が終わった私は太郎が淹れてくれたアイスティーを口に含んだ。
「美味しく淹れられる様になったじゃない。太郎が店を継いでも大丈夫よね」
いつかは来るであろう、次世代に期待を馳せる。
商店街で暮らし始めて42年。勉さんと一緒になって22年。ずっと一緒だったから、早く結婚する事には何とも思っていなかった。商店街の皆もお祝いしてくれた。でも、世間はそんなに優しくなかった。
言われのない事も一杯言われた。それでも、私達はにこやかに過ごせたらいいやとマイペースにここまで来ている。
勉さんの実家のお店を継ぐ時に、建築士だった勉さんが最初に会社を辞めて料理人修業を始めた。
お店の設計は、勉さんが全部してくれた。初めて勉さんのお仕事を目の当たりにして更に好きになっちゃんだっけ。
大手アパレルのパタンナーだった私も調理師免許は取っておいた方がいいと思って仕事を辞めたけど、コレクションで多忙な時はアルバイトとしてお針子さんをしていた。店が軌道に乗るまでは、お針子のお仕事のお陰だったかもしれない。今は、家族の服を作ったり、バイト君達の制服のシャツを作ったりして過ごすだけでも腕は鈍らないから有難いと思っている。店もブログ効果で更に繁盛したから、バイト君達を大量採用したことから私のお針子が復活しただけだ。止めた事は後悔していないけど、続けていたらどうなっていただろう?
今回のお仕事は、約3カ月前から遡ることから始まるのだ。
「最近、ユキ君の効果でお店が忙しいんだって?」
「そうなの。ジャズを楽しむお客さんに交じって、ユキ君に癒されたいって人もいるの」
「ねえ、アルバイトとか雇っているの?」
「そこまではまだ考えてなくて。今は、学生バンドの子達が演奏後に手伝ってくれているの」
「成程ね。じゃあ、アルバイト雇ってみない?」
「えっ?どういうこと?」
やっぱり……ユキ君効果は大きいみたいね。ってことは、彼をここで預かって貰ってお店を支えて欲しいなあって思う私がいる。そこで、1通の履歴書を取り出した。
「本当に良い子なの。それだけでなく黒猫ピッタリでいい感じになると思うの。このダイスケくん♪」
「とりあえず、履歴書見せて貰ってもいい?紬さんの所だって大変でしょう?」
ゆっくりと澄さんは履歴書をチェックし始める。
「紬さんのところだから、大学生よね。例外は息子だけって貫いたしね」
「そこはね、この子は二十歳超えているからバーでも問題はないでしょう?」
「そこは本人が飲まなければ問題はないんだけどね。重要と言えば重要かも」
履歴書を見ている澄さんを私は眺める。書かれている履歴書には結構名前の知られた大学の法学部に在学中となっている。うちの店は大学生しか雇わないと決めているから学歴は問題なし。履歴書は几帳面さを感じる字で書かれ、クールな感じの青年の写真が張り付けてあって、ちょっと強張った感じの写真が更に好印象を持たせてくれる。この男性なら、トムトムで採用しないのはどうして?と疑問に思っているようだ。コロコロと表情が変わる澄さんが微妙な顔をしている事だけは確実に分かった。
そして、澄さんはその履歴書を今度はユキ君に手渡した。
「澄さん、どうして?と思ったでしょう?そこの理由が大問題なのよ」
「理由が問題?」
そして、私は今回大輔君を紹介する経緯を説明する事になった。確かにバイト達に頼んでトムトムでアルバイト出来そうな男の子を探して貰った……までは良かった。
ご時世というか、ダイスケが5人も揃ってしまうという珍事に見舞われてしまい、既に働いている大輔とかつてのOBの毅の従弟という大輔……二人とも名前が同じだけどシフトが被らなければどうにかなるだろうってことで一人を採用する事にした。
「確かに紬さんのお店は皆名前呼びだものね」
「そうなの。ダイスケ君達全員は雇えないけど、名前がダイスケだからって理由で不採用なのはうちの店の勝手でしょう。だから本人が働くかどうかは本人に決めて貰うにして、とうてつさんと、神神さんにも一人ずつ預かって貰う方向で調整しているんだけど……ダメかしら?」
今、話題になっている小野大輔君は、私が一目見て『黒猫にピッタリ!』と思った人材ということで今こうやって履歴書をユキ君と二人で眺めている訳だ。
「あら、カワイイ♪」
澄さんの弾んだ声に答えるように私はにっこりと微笑む。
「でしょ♪ とってもカワイイの! ホンワカユキくんと並べるとまたいい感じになりそうでしょ? きっと良いユニットになると思うの♪」
ここでの『カワイイ』は『イケメンな若者』という意味。確かにトムトムのアルバイトの人選にはオーナーの勉さんの意見は一切入っていない。皆タイプの違うイケメンだけども、トムトムの店にしっくりと合っている所は私の人選がいいのかもしれない。不思議とバイトの皆が止めないのだ。
「そこでね、衣装も考えたのよ!」
「どんなの? いやん、いいじゃない。さすが紬さん」
澄さんの目がキラキラと輝き始めている。同じ感性を持つ私達だから、何処かで止めてあげた方がいいと思って、ユキ君は杜さんを見ているが、一緒にいる杜さんは黙ったまま私達の様子を楽しげに見ているだけで、私達の暴走を止めようとはしない。
「ベストを黒のホルターネックっぽいタイプにしてみたの。それに黒い細身のパンツと白のボタンダウンのシャツ着てもらって、ボルドーのソムリエエプロン」
デザイン画を見せて説明していく私の説明を嬉しそうに頷く澄さん。私達はどんどん盛り上がっていく。
今の私は喫茶店のオーナー夫人ではあるけれども、元アパレルメーカーのパタンナーだっただけにその絵は事細かに拘りがあったりする。作るのは私だから手間なんて思わない。
「チョコレート色でも良いわね」
「それでね、エプロンにはこんな感じで黒猫の刺繍つけて。お揃いのギャルソンエプロンもいいわね」
見た目は普通のバーの制服っぽい感じであるのはいいが、このまま私を暴走させて良いものなのだろうか?と私達のやり取りを聞いていたユキ君が口を挟んだ。
「あの、制服は黒猫には……まだ」
ユキ君の発言に、私は目を細めてユキ君を見た。
「今の黒猫だからいるんじゃない!今までは、優しいマスターとママのいう家庭的なジャズバーだったけど、そこにユキくんという要素が加わり状況が変わってきたの。柔和ではにかんだ笑顔がキュートなウェイターがいるってことで、若い女の子も行くようになって、黒猫も転換期を迎えているの!」
……はにかんだ笑顔がキュートなウェイターって誰ですか?ときょとんとした顔のユキ君を確認して私は更に自論を展開させることにした。
「そこに、クール系な美青年を加えることで、ここは魅惑な空間に進化するの!」
私が熱く語っているせいか、ユキ君は呆気に取られているみたいだ。
「……黒猫は、ジャズバーだし、杜さんと澄さんが……」
私はカウンターをパタンと叩いた。
「いい? 喫茶店もバーも同じ!お客様は単に飲み物や料理を楽しみに来ている訳ではないの!そんなんだったら家で楽しめばいい。態々喫茶店やバーで飲む理由ってなに?その空間で飲むことに価値があるからよ。だからこそ、お店はお客様が楽しんでもらえるように色々努力すべきなの!分かる?貴方は誠意をもって笑顔でお客様に接するのもその為でしょ?」
ユキ君なりには分かってはいたつもりの事だろうけど、改めて指摘するとサービス業について目から鱗なことがあったみたいで、目が更に大きく真ん丸になった。あらっ、この顔も可愛いじゃない。
「お酒だけでなく、黒猫全体の魅力でお客様を酔わせてあげないと。制服はその演出の一部。分かる?」
杜さんがフフと笑う。
「その点紬さんは名プロデューサーだからな。ユキくんここは紬さんにのるべきだろう」
単なる勢いとお遊びで制服の話と思っていたユキ君はほんのりと顔を赤らめた。そういう初心な反応はどの年齢層の女性からの指示は堅いわ。やっぱり、ユキ君はここにいるべき人だわ。
「はい、制服の件はお任せします。あとお店運営についてこれからも色々ご指導下さい」
そう言って、頭を下げるユキ君に私は任せなさいと自分の胸を叩いた。