後編
店を出た僕はそのまま交番へ向かった。交番は歩いて五分程度の距離にあり、移動自体はさほど面倒には思わない。面倒なのはこの財布を届けてからだ。聞いた話によると、「これ落ちてましたよ。」と言って差し出すだけでは済まず、書類の作成やらなにやらがあり、それなりの時間を要するらしい。夜勤明けでさっさと布団に潜り込みたい僕としては、出来るだけスムーズにそれらの手続きを終わらせたかった。
ところが、交番に着いて早々に問題が生じた。警官がいない。どうもパトロールに出ているらしく、扉の横に「御用の方はこちらにご連絡ください」という張り紙が貼られている。見るとそこには受話器がある。どうもこの受話器を取れば警察署に通じるらしい。
「はい、○○警察署です」
「あっ、もしもし、あのですね、財布の拾いものをしたので交番まで届けに来たんですが、どうもパトロールに出ていってしまっているみたいでして。」
「はい、わかりました。でしたら少々お待ちになっていただけますか?今から巡回中の者に連絡を取ってみますので。」
しばらくした後、受話器から声が聞こえてきた。
「もしもし、お待たせしました。えー大変申し訳ないのですが、巡回を終えて戻ってくるのに1時間ほどかかるということでして・・・」
「はぁ、となるとどうすればいいですかね。」
「そうですね・・・また後で来ていただくか、もしくはそこからですと○○公園の近くにある交番の方にまで届けていただくかになりますかね。」
「なるほど、では○○公園近くの交番まで行きます。」
「そうですか。お手数おかけして申し訳ない。よろしくお願いします。」
面倒事は後回しにしたくない。大体、僕はこれから寝に入る。恐らく夕方まで惰眠を貪ることだろう。そうなると交番では「財布を拾ったと申し出てきた男が姿を現さない。」となり、法に疎い僕としてはこれが何らかの罪に問われることなのではなかろうかと不安になる。それならばここから歩いて他の交番にまで届けた方がよほど気が楽だ。
そして二十分後、僕は公園近くの交番に辿り着いた。僕が訪れることは伝わっていたらしく、「わざわざどうもね。」と白髪交じりの初老の警官に労われる。僕はさっそく「これです。」と言って警官に財布を差出した。
そこからは書類に、いつ、どこで、何を拾ったのか、というようなことを記入し、警官は財布の中身を確認したり、何かの書類を作っていた。僕が書類を書き終えてもそこで帰らせてはもらえず、警官の書類作成のためにいくつかの質問を受けたりした。僕は、早く終わらないだろうか、などと考えつつ、それらの質問に適当に答えた。それらの質問の中には、拾った人がもらえる「謝礼」に関するものもあったが、僕はそれを断った。そんなものが欲しいのであれば、そもそも交番になど届けずにそのまま自分のものにするに決まっているし、僕としてはもう財布を届けることでこの件からは解放されたいのだ。なので、「落とし主に、誰が拾って持ってきたかを知らせてもいいですか?」という質問にも「やめてください。」とお願いした。恩着せがましいじゃないか。
結局交番では三十分程度の時間を要した。本来ならすでに布団に入っている時間だなと考えつつ、ようやく自宅へと足を運ぶ。これでこの面倒事はおしまい、ようやく僕のじめじめとした気持ちからも解放される。そう思った時に、ふと考えなくてもよいことが頭をよぎる。僕はひょっとすると、泥棒に思われてはいないだろうかと。
警官は「拾い主として名乗りを挙げぬのは何か後ろめたいことがあるからではないか。謝礼がいらないのはすでに中身をある程度抜き取っているからではないか。」と考えはしないだろうか。落とし主も、落とした財布がすんなり帰ってくることに何かの疑念を抱かないだろうか。
落とし主が財布の中身を把握していなかった場合、僕はどうなるだろう。「財布にはもっとお金が入っていたはずです。届けてくれた方は確実に抜き取っています。」こう発言されたらどうだろう。痴漢などと同様に、僕には無実を証明する術などない。ひょっとすると財布には本当にもともと大金が入っており、僕が拾う前に誰かが中身だけ適当に抜き取って放置していた可能性だってある。
道中こんなことを延々と考えていた。僕は善人でありたいわけでもなく、人からは善人面した悪人というような評価を得るのだろうか。あぁもういやだな。さっさと寝ましょう、寝て忘れましょう。こんなのは考えすぎなんだって、自分でもわかっているんだ。きっと落とした人は、僕に感謝をする。そうだ、そう思えばいいじゃないか。おやすみなさい。