あんな男、別れて正解だよ(1)
高校の制服のデザインが変わったのは、今から二十年前だ。母方の叔父である倉科雪耶は、あたしより十八歳年上である。だから叔父とあたしは、制服が同じだったりする。生地の素材が変わっていたりするけど、それに気がつく人は殆どいないだろう。
「ちょっと防臭剤臭いかな?」
「大丈夫だよ」
衣類用の消臭スプレーをかけ、出る時間ギリギリまでベランダに干して風を通しておいた。けど、ちょっと微妙かも……。でも、凄く気になるほどでもないので、まあ、そのうち消えるだろう。
「ねえ、教室に行ったらブレザーすぐ脱いで、ロッカーに入れちゃいなよ」
「りょーかい。それにしても、随分と大きいの着てるんだね」
「違うって。サイズ確認しないで買っちゃったの。だから一回も着てないんだよソレ」
今、遠藤君がブレザーの下に着ているニットのベストは、去年サイズを確認せず買ったもので、あたしにはブカブカだった。返品交換しに行くのが面倒で、値段も高くなかったから、そのままとっておいたんだけど……役に立つ日が来るとは吃驚だ。
「そうそう。遠藤君の荷物だけど……学校終わったら一緒に取りに行くってことでいいよね? 二人で持って帰れる?」
もしダメなら、大将にでも頼もう。やっぱり男手は必要だもの。
「ありがとう。そんなに多くないから、二人で大丈夫だよ」
「そうなの? ならいいけど」
エレベーターのボタンを押し、上がってくるのを待つ。このマンションは家族向けなので、乳幼児もそうだけど、小学生や中学生も結構いたりする。マンションにはエレベーターが四基あり、建物の左右に二基ずつ配置されていた。幸いというか……あたしがいつも乗る方を利用する学生はあまりいない。なので、登校時エレベーターがなかなか来ない――という事はないのだ。
上がってきたそれに乗り込む。静かに、滑るように、エレベーターは一階まで下りていった。高校までは、ここから徒歩で約十五分。駅の前を通り、商店街を抜けた所にある。
色々とあったので、あたしは忘れていた。
そう……忘れていたのだ。
何をかって?
遠藤 侑という男が、校内の女子生徒から絶大な人気を得ている人物であるということをですよ。
彼と一緒に登校してきたあたしに向かって、射殺すような勢いの視線が降り注いできたことは言うまでもない。ああ、きっと体育館裏に呼び出されるかも。いやいや、女子トイレ前かもしれない。それとも非常階段か? とにかく身の危険をビシビシ感じる。今日は一日、美智にひっついていよう。うん。それがいい。彼女の傍にいれば、絶対に安全だ。
教室に入るまで、美智の顔をみるまで、あたしは少しも安心できなかった。だから美智の顔を見た瞬間、泣きたいくらい嬉しかった。
「おはよう、莉奈」
「美智ぃ~会いたかったよぉ~」
「ふふ。やあねぇ~もう。朝っぱらから愛の告白?」
私はいつだってOKよ――と、くすりと笑った美智に、あたしはおもいっきり抱きついた。ああ、今日も良い匂いがする。何の匂いだろ? 香水は使ってないって言っていてから、柔軟剤の香りなのかな? 癒されるわぁ~。
「それにしても……大胆ね、莉奈。遠藤君と同伴出勤なんて」
あら違った。登校ね――と、美智は口角をやんわりと上げた。それは背筋が凍るほどの冷たい微笑であるのだが、実はこれって機嫌が悪いのではなく、その逆で良い証拠だったりする。不機嫌な時は、美智の笑みは天使のように美しいのだ。あたしだけが、これを知っているの。
「何があったの?」
「ここじゃちょっと……」
ちらりと窓際に視線をやれば、遠藤君と目が合ってしまった。ああバカっ! なんでそんな嬉しそうに笑うのよ!! しかも手なんか振っちゃって、但馬さんが睨んでるじゃないのよぉぉぉぉぉ!!
「莉奈……あなた、今日は生きて帰れないかもしれなくてよ」
ぽつりと呟いた美智の言葉に、あたしはごくりと喉を鳴らした。
「み、美智さん」
「なあに?」
「あたしから離れないでね」
「ふふ。離れるわけないでしょ、安心なさい」
細められた目は、非情に楽しそうだ。でもいいの。楽しんでいたっていいの。彼女さえ傍にいてくれれば、怖いものはないから。持つべきものは美人で、でもってめっちゃ冷ややかな空気を纏っている友人だ。過去、美智のひと睨みで、何人の女子生徒が尻尾を巻いて逃げていったことか。美人は視線一つでなんでもできちゃうから羨ましい。
詳細は昼休みにと、予鈴が鳴ったのであたしは自分の席に戻った。ちらりと遠藤君を見れば、前の席の大将と楽しそうに話している。あたし的には、大将も男子の中じゃ割とイケてる方だと思うけど……対象外なのかな? でも、二人が絡んでいる姿を想像しちゃうと気持ち悪いかも。うう、ごめん遠藤君。きみにはやっぱり、綺麗系な相手じゃないと許せないわ。
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今日、ここに来るまでの間、何か言いたげな女子生徒の視線をビシバシ感じましたとも。ええ。ええ。そりゃあ痛かったですわ。
「で、何があったわけ?」
「実はですねぇ……」
昼休みの屋上で、あたしはあの事を美智に話した。
もちろん遠藤君が“同性愛者”であることを伏せて、だ。
あたしの話を聞き終えた美智は、例の底冷えする笑みを浮かべた。
「莉奈、同棲していることがバレたら、あなた、今度こそ簀巻きにされて海にドボンよ」
「うう、分かってるわよ~。それに同棲じゃないってば。ルームシェア。ルームシェアだから!」
そこんとこ、間違わないでよね――と、美智に釘を刺す。ああ、彼の秘密を話せないのがもどかしい。でも、あたしが喋って良いコトじゃないもんね。だから絶対に内緒だ。
「まあ、言い方はどうだっていいわ。で、今日の放課後、荷物を取りに一緒に行くのね?」
「うん」
購買でパンと一緒に買ったイチゴオレにストローをぷすっとやって、中味をちゅるると吸い上げる。子供の頃から大好きな飲み物だ。凍らして、シャリシャリにして食べても美味い。
「遠藤君の相手って、やっぱり美人なのかしらね? 莉奈、あなた鉢合わせしても怯んじゃだめよ」
「う、うん」
遠藤君の元恋人……見たい気はするけど、やっぱりちょっと……嫌、なんだよね。会いたくない。遠藤君は分からないって言っていたけど、どう考えたって二股でしょ? そりゃあ世の中には、平気で何股もかける人っているけど、あたしは絶対に許せない。許せないよ。
母の日記を読んでしまったあの日から、あたしは父を許せないでいる。
だから遠藤君の元恋人も、あたしは許せないのだ。
自分には関係ないけど、でも会ってしまったらきっと、あたしは彼に酷い事を言ってしまうかもしれない。
「いきなりひっぱたいちゃダメよ」
「うん。分かってる」
「そう? ならいいわ」
「うん。大丈夫だよ」
そう言って笑ったあたしを、美智は心配そうに見ていた。