あいつの秘密とあたしの事情(2)
家事は困らない程度にできる。実家にいた時、お手伝いさんに教えてもらったから。普通は母親に習うものだろうけど、あたしの母はあたしが二歳の時に他界した。だから絶対に無理な話なのだ。
松江さんというそのお手伝いさんは、亡母の同級生だったとかで、あたしのことを実の娘のように可愛がってくれた。もちろんそれだけじゃない。悪い事をしたらめちゃくちゃ怒られたし、逆に良い事をしたら物凄く褒めてくれた。彼女はあたしにとって、お手伝いさんだけでなく、母親みたいな存在でもあった。だから母がいなくても寂しくはなかった。五年前のあの日、あの女が家に来るまでは……。あの日から、あたしの世界は変わってしまった。
「意外だったな」
今朝のメニューは何かというと、ほうれん草とベーコンが入ったオムレツにインスタントのお味噌汁。炊きたてご飯は雑穀入りで、お隣さんからもらった自家製の糠漬け(ナスとキュウリ)付きだ。
「何が?」
「松尾さんが料理できるの。これ美味い。自家製でしょ?」
そう言って、遠藤君はキュウリの糠漬けを一切れ頬張った。それ、あたしが漬けたんじゃないから。あたし、糠床もってないから。
「……それ、お隣さんから貰ったやつ」
「……」
「……」
気まずい沈黙の中、あたしは昨夜の事を思い返した。
昨夜、ずぶ濡れの遠藤君を部屋に連れて来てから、お風呂で冷えた体を充分温めさせた。どうしてあんな所に彼がいたのか、物凄く気になったけど、優先順位を間違えちゃいけない。風邪をひいたら大変だ。
三十分ほどでお風呂から出てきた遠藤君は、頬を真っ赤にさせ、表情もかなり落ち着いていた。いつもの彼だったから、凄くホッとした。
「ねぇ、これって松尾さんのカレの?」
穿いているルームパンツを指先で摘んでそう問うた彼に、あたしは飲んでいたミネラルウォーターを噴き出しそうになった。
「か、カレぇ~?」
脱衣所に置いておいた着替えは、下着は新品だけどトレーナーとルームパンツはそうじゃない。洗ってあるけど、それは叔父の物だ。
「違うよ。叔父さんが置いてったの。女の独り暮らしだってバレないように、時々一緒に洗って干しておきなさいってね。あ、下着は未開封のだから安心して」
袋に入ったままだったから分かっているとは思うけど、一応ちゃんと言っておく。遠藤君は目を瞬かせると、「そうなんだ」と納得したように呟いた。サイズ……合ったのかな? それ確認するの、ちょっと恥ずかしいから止めておこう。
冷蔵庫から未開封のミネラルウォーターを持ってきて、それを遠藤君に渡す。彼はありがとうと言ってから、それを開けてごくごくと勢いよく飲んだ。どうやら喉が渇いてらしい……半分ほどを一気に飲んだ。
「さて、と。どうしてあんなトコで泣いてたのか、お姉さんに教えてくれるかな?」
少しおどけていってみせる。案の定、遠藤君はくすくす笑った。
「何それ。同い年だろ、俺ら」
「いーから、いーから。ほらほら、さっさと吐いちゃいなさいよ。すっきりするわよぉ~」
猫にやるように、顎の下をすりすりと撫でた。くすぐったいのか、さっきよりも楽しそうに笑う。そしてふっと目を細めると、何があったのか話してくれた。
曰く、一緒に住んでいた恋人に別れを切り出され、そのショックで何も持たずに部屋から飛び出してしまった――だとさ。
まさかそんな理由だったとは……あたしの方こそ驚きだ。
「婚約……するんだって」
手の中のペットボトルを見つめながら、遠藤君が悲しげにぽつりと呟く。
「は? 何それ? もしかして遠藤君、二股かけられてたの?」
「分かんない」
弱々しく首を振り、項垂れた遠藤君は、まるで捨てられた子犬のようだった。瞬殺ですよ。瞬殺。何なのよ、この可愛い生き物!! 男なのにズルイよね。何度も言うけど、しつこいくらい言うけど、本当に神様って不公平極まりないよ。
「あれ? ちょっと待って」
婚約するってことは……遠藤君の恋人はかなり年上だったということか?
「ねぇ、恋人って何歳なの?」
「え? ああ、二十四だけど」
「うわ、七つも上っ! やだもう、遠藤君ってオネーサマが好みなんだ」
知らなかったと騒ぐあたしに、遠藤君が愛らしく首をかしげた。
「おねーさま?」
酷くきょとんとした顔は、恐ろしいほど可愛い。ああ可愛い。ホント可愛い。何こいつ? むぎゅーって抱き締めたいくらい可愛いじゃない。めちゃくちゃ庇護欲そそられるんですけど。これってもう、犯罪的レベルとしか言いようがないじゃないの。
「何言ってんの。眞人は男だよ」
「――――――はい?」
聞き間違えたかな? あたし、耳悪くないんだけど。
「あの、ね。俺……俺ね。その……女の人、ダメなんだ。えっと……誰にも言わないでくれると嬉しいんだけど……。誰かにこんなこと、言ったことないんだよ。松尾さんだから、言うんだよ。俺さ、同性愛者……なんだ」
「ゲ……イ?」
「うん」
初心な乙女のごとく、頬を赤らめて言う台詞がそれかっ! 今時珍しくないけどさ。あたしの知り合いにもいるもん。ソッチの人。しかもお隣にね。
「松尾さん?」
黙ってしまったあたしを見る遠藤君は、ひどく不安そうだ。いきなりカミングアウトしてしまったことを、きっと後悔しているんだろう。普通は言わないもんね。言わないよ。あたし達はただのクラスメイトだもん。それ以上でも以下でもない。そりゃあ同じクラスだから話すけど、それだってしょちゅうじゃないし、内容だって宿題何だっけとか程度だもんね。今こうして一緒にいるのが不思議なくらいだ。
「あー……あたし、これでも理解ある方だから安心して。それに遠藤君がゲイだってこと、言わないから」
「あ、うん。ありがと。信じてる」
「うん。大丈夫。言わないよ、絶対。言ったって、誰も信じないだろうし、あたしが悪者になるだけだもん」
なんてったって彼は学園の王子様だ。その王子様が自分で言うならまだしも、あたしが「実は彼、ゲイなんですよ~」なんて言ったって、誰が信じるのよ。逆にあたしがボコられるわ。
「いきなりカムアウトされて吃驚したけど……ホント、言わないから安心して」
「あ、あ、うん。そうだよね。驚く、よね……。ごめん。ホント、ごめん」
頭を下げる遠藤君に、あたしは苦笑いを浮かべながら、隣に住んでいる人の事を教えた。
「いいって、いいって。実はさ、ウチのお隣さんってオカマさんなのよ。でさ、その恋人はあたしの家庭教師やってくれてるんだ。そりゃあ最初は吃驚したよ。初めてだもん、ゲイカップル見たのって。あたしがいたって、平気でキスしちゃうんだからね」
しかもめっちゃディープなのをね。
「今じゃすっかり見慣れた光景よ」
「そ、そうなんだ。へぇ、お隣さんがね」
ホッとしたのが分かる。自分と同じ性癖の人間が近くにいることと、あたしがその事に対して嫌悪感を持っていないことにだろう。
「で、これからどうするの?」
一緒に住んでいたということは、それなりの理由があるんだと思う。
同棲するから家を出たのか、それとも何らかの理由で家を出て、その後、彼と知り合い同棲し始めたのか……どちらにしても、あたしには関係ないけどね。
「その人のトコから、出なくちゃいけないんでしょ? っていうか、家に帰ればいいんじゃないの? 確か連絡網に載ってるの、遠藤君の自宅の番号だよね?」
あたしの言葉に、遠藤君は眉根を寄せた。なんだがとっても苦しそうだ。あたし、間違ってない……よね?
「あの家には帰りたくない。あそこに俺の居場所はないから……」
ああマズイ。
あたしと一緒だ。
やだなぁ……凄く嫌な予感がする。