あいつの秘密とあたしの事情(1)
目覚まし時計のアラームが遠慮がちに鳴る。もぞもぞと手を布団の中から伸ばし、早く起きろと鳴っているそれを止めると、ごろりと寝返りをうった。が、ごつっ――と、おでこに何かが当たり、あたしは閉じていた目をのろりと開けた。
「――――――っ!!」
声にならない声で叫び声を上げ、眠気がどこかへビューンと飛んでいった。だってさ、ビスクドールみたいな綺麗な顔が、すぐ目の前にあるんだもん。そりゃあ驚くでしょ。しかも唇同士が触れそうなほど、近い場所にだよ。眠気だってぶっ飛ぶよ。
「し、静まれ心臓」
あたしは彼を起こさないように、ゆっくりと起き上がった。当たり前だけど、自分がパジャマを着ていることを確かめ、それから気持ち良さそうに眠っている昨夜の拾得物を見る。うん。やっぱり遠藤君だ。誰が見ても遠藤 侑君だ。間違いない。
じーっと見続けていると、長い睫毛がふるりと振るえ、どうやら眠り姫の目が覚めたらしく、ゆるゆると目蓋が上がる。やっぱり美人は寝起きも美人のようで……羨ましいったらない。何度も言うけど、神様は絶対に不公平だ。
「おはよう、遠藤君」
「ん、オハヨ」
「まだ眠そうだね」
ふわふわしている髪質のせいか、なんだか彼が猫のように見える。昨夜はずぶ濡れの子犬だったけどね。
「んー……そうでもないよ。今何時?」
「五時半。学校近いから、あと一時間は寝てて大丈夫だよ」
ちゃんと起こしてあげるから――と、彼の髪をくしゃって搔き混ぜて、あたしはベッドから下り、床に落ちているパーカーを拾って羽織った。
あたしの朝は忙しい。
独り暮らしだから、やることが沢山ある。
だから遠藤君を振り返ることなく、部屋を出て行こうとした。そんなあたしに、彼は甘えるような声でとんでもないことを言ったのだ。
「ねえ松尾さん。おはようのキスしてくれないの?」
ドアノブを掴もうとしていたあたしの手が、すかっと空を切る。今、奴は何て言った? あたしの聞き間違いだろ、絶対。
「起きるから、キスしてよ」
「……」
どうやらあたしの耳は正常らしい。拾得物が何故かあたしに、キスのオネダリをしている。おはようのキスって……ここは外国かっての!
「こら、自分、何言ってるのか分かってんの?」
じろりと睨む。
「だって俺、毎朝キスして起こしてもらってんだもん。だからね、して?」
だーれーにーだよ。それって絶対、家族じゃないでしょ? 恋人でしょ? あたしゃ、あんたの恋人じゃないんですけど。絶対に無理よ。無―理―っ!
「そりゃあ恋人同士なら、キスくらいするでしょうけど、あたしと遠藤君はそうじゃないでしょ。ただのクラスメイトでしょ。それにきみ、女の子ダメだって昨夜言ってたじゃない」
「松尾さんは別だよ。だって、松尾さんって、そういう目で俺のこと見ないでしょ」
「そういうって、どういう意味よ?」
「ん。恋愛対象」
確かに、あたしは一度も彼をそういう目で見たことはない。だって、同学年って興味なんだもん。あたしは年上が好きなのですよ。年上がっ!
「俺さ、見た目こんなでしょ。だから結構モテルんだよね」
ほー、それって自慢ですか? いいですねぇ神様に選ばれた人は。
「なんか、気持ち悪いんだよね。そういう目で見られるのって。話すのも嫌なんだ。だからそうじゃない松尾さんって、ものすっごく貴重な存在なわけ。学校で自分から話す女子って、俺、松尾さんだけなんだよ。知ってた?」
「知るか、そんなこと」
でも、思い当る節がないこともない。学校での彼は愛想が良く、笑顔もキラキラしている。
だけど……実は結構近寄るなよオーラがでていたりするんだよね。敏感な人はそれを感じ取って、そういう時の遠藤君には近寄ろうとしないんだけど、大将くらいかな? そんなの気にすることなく、彼に話しかけたりするのって。
そういえば遠藤君、大将と一緒にいることが多いかも。その関係で、あたしと話すことが結構あったかもしれない。だから気がつかなかったんだ。彼が自分から話しかける女子云々ってやつを。
「ねぇ、ホッペでいいからさ。してよ。じゃないと起きないよ。学校にも行かない。一日中、ベッドの中だよ。俺さ、出席日数やばいんだよね。留年したら責任とってくれる?」
クスクス笑う遠藤君が、小悪魔に見えるのは何故?
「留年……しちゃうかもなぁ」
ぽつりと呟かれた言葉に、あたしはハッとなった。そういえばいつも試験では、学年で一ケタ台をとるくせに、休みやサボリが多くて、二年に進級させるのに苦労したって、当時の担任がボヤいていたっけ。留年かぁ……ありえるかも。マズイよねぇ、そうなったら。でも……でもさぁ……でもなのよ。
「勘弁してよ。あたし、ファーストキスもまだなんだから」
カレシいない歴=実年齢だ。文句あるかこんちくしょー!
「じゃあ、俺が松尾さんの初めての相手だね」
ベッドの中で、嬉しそうにふんわりと笑う。うがっ、破壊的な可愛さだ。ってか、キスなんかしないってば。
「あのねー」
「初めての相手は、生涯忘れないって言うよ。嬉しいな」
「……」
これは絶対に楽しんでいる。そうとしか思えない。ああもう、これ以上話しても埒があかないと悟りましたとも。もうもう、なるようになれだわ。
あたしはベッドまで戻ると、遠藤君のすぐ傍で手を付いて、意を決して上半身を屈めた。ゆっくりと、長い睫毛が目の前で下がる。あたしはそんな彼の額に唇を寄せ、チュッと音をさせて“おはようのキス”とやらをくれてやった。
これがあたしのファーストキスだ。おでこだけどね。でも、初めてのキスだよ。
「これでいい?」
「うん。ありがと」
上機嫌で起き上がる遠藤君を残し、あたしはさっさと寝室からでると、洗濯物をするために脱衣所へと向かった。
デコチューなのに、あたし、今、顔が物凄く熱い。きっと真っ赤なんだと思う。
ああもう、なんだってあんなの拾っちゃったのよ。あたしのバカ―――――っ!!