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家族(3)

 どんよりとした雲が空を覆っている。今にも雨が降りそうだけど、あたしはかまわず洗濯物を干していた。だって降ってきたって、遠藤君がいるからね。すぐに取り込んでもらえるんだもん。


「ねぇ、今日は夕方までなの?」


 今日はバイトのない日だったけど、彩加さんと交代してあげたのだ。金曜日から彼女、彼氏さんと旅行中なのである。北海道ですよ、北海道。なんでも彼氏さんってば、大きなプロジェクトのメンバーに選ばれたそうで、それが一段落するまで会えないんだって。だから急遽有給休暇をとって、二泊三日のラブラブ旅行をする事になったの。そこであたしが、彩加さんの代わりにバイトに入ることになった――というわけでして、お土産はもちろん例のクッキーで手を打ちましたとも。ホワイトチョコが挟んであるアレよアレ。アレさ、美味しいんだよね。


「じゃあさ、今日は夕飯外で食べない?」


 昨夜買ってきた雑誌をぱらりと捲りながら、遠藤君がそんな提案をしてきた。珍しいなと、あたしは目を瞬かせる。料理をするのが好きらしい彼は、滅多に自分から外食をしようとは言わない。


「そうだね。たまにはいいかも」

「決まりだ。何時に迎えに行けばいい?」

「んー……今日は六時あがりだから、駅の改札付近で三十分に待ち合わせでいいよ」


 駅周辺には飲食店が幾つかある。あたし的にはファミレスで良いと思うんだけど、遠藤君はどうかな? やっぱりちゃんとしたトコがいいかな? あ、でも、そうなると値段が可愛くなくなるんだよね。


「ううん。それはダメだよ松尾さん。俺がカフェまで迎えに行くから。夏じゃないし、六時なんてもう真っ暗だろ? 駅まで近いったって、女の子の一人歩きは危ないよ」


 いや、あたしよりきみの方が危ないと思うんですけど……。でもまあ、その方が効率的だし、ここは彼の申し出に甘えることにしようじゃないか。


「分かった。それじゃあお店の前でいい?」

「もちろん」


 空になった洗濯物のカゴを脱衣所に戻し、あたしはバイトに行くため身支度を整え始める。まずは終わった後の事を考えて、着ていく洋服を選んだ。

 なんだかデートするみたいで、ワクワクしている自分に気がつき、ちょっと自嘲気味に笑った。まあ、デートなんか生まれてこの方、一度もしたことないんだけどね。でもさ、彼氏持ちの子ってみんな、デートする前ってこんな気分なのかな? 


 服を選び着替え終わると、今度は髪をブラッシングして、一つに束ねてシュシュで留めた。飲食店ですからね、長い髪はきちんと束ねる規則なのよ。


 ちなみにカフェに制服はない。

 だけど色や形は決まっていて、それは個人で用意しなくてはいけなかった。

 上はブラウスかシャツで、夏なんかはポロシャツでも良い。下は黒のスカートかパンツ(ジーンズはNGなのよ)なんだけど、長さは特に決まっていない。だけど短いのはダメなのである。

 制服の代わりに、店名の入ったエプロンをするんだけど、これね、男女で色とデザインが違っていたりするのよ。しかも可愛いの。だから時々、販売してないんですか?って、お客さんに訊かれたりする。


 雑誌の付録とは思えないくらい可愛い布製のトートバックに、あたしは店用のシャツとパンツを入れて、それとは別に財布などを入れたバックを持った。これであたしの仕度は終わりだ。


「んじゃ、行ってきまーす」

「ん。行ってらっしゃい。また後でね」


 じじ様に嵌められたあの日から、何故か恒例となってしまった“行ってきますのキス”を遠藤君の頬にちゅっとやって、あたしは部屋を後にした。いつもは自転車だけど、今日は残念だが置いていく。


 今夜は何を食べようかなぁなんて考えながら、あたしはバイト先へと向かう。


 まさかこの後、とんでもない展開になるなんて……この時のあたしには思いもつかなかった。




**********




「おはよーございます」

「おはようございます、莉奈さん」


 カフェのオーナー兼店長である須田さんは、開店前の一杯を楽しんでいた。


「わあ、今日のは良い香りですね」

「ありがとう。飲むかい?」

「はい。ありがとうございます」


 スッとイスから立ち上がると、オーナーはあたしの分のコーヒーをカップに淹れてくれた。ここの名物でもある、オーナーオリジナルブレンドだ。その月の豆の仕入れによって、使う種類や配合が毎日変わるので、味が安定しないという代物である。メチャクチャ美味しい時もあれば、その反対の時もあるのだ。


 飲んでみるまで分からない――そのスリルが堪らないのか、それともくじ引き感覚なのか、これを頼む人は意外と多い。もちろん知らずに頼む人もいる。だから注文を受けた際は、一言必ず断わりを入れることになっていた。味の保障はできませんが、それでもよろしいですか?――って。それを聞いて、一瞬顔が強張るんだけど、大抵のお客さんはそれで良いと言うから不思議だ。怖いもの知らずな人が多いってことかな?


「おはようございます」


 従業員入り口からフロアバイト仲間のニッチさんこと、西村皓一(にしむらこういち)さんが欠伸を噛み殺しながら入ってきた。


「おはよう西村君。きみも飲むかい?」

「あー……パスです」


 ニッチさんはあたしを見ると、口端をニィッとさせて猫のように笑った。


「今日の犠牲者は莉奈ちゃんか。何で手を打ったの?」

「ふっふっふ、北海道土産といったらアレしかないでしょうニッチさん」

「アレ?」


 小首をかしげ、ニッチさんは数回目を瞬かせた。どうやら分かっていないようだ。なので「“し”から始まるアレですよ」と、優しいあたしはヒントをあげた。それでようやく分かったらしく、ああアレかと彼は頷いた。


 国立の大学に通っている彼は、ここでのバイトは土日だけで、平日は四つ先の駅前にある学習塾の講師をしている。実はあたしんとこの隣人である和君の、高校の同級生だったりするから世の中狭い。

 あたしの隣のイスに腰を下すと、ニッチさんはまた欠伸をした。よく見るとなかなかイケテル方の顔なのに、いつも眠たそうにしているから、魅力が半減されてしまっている。もったいないんだよねぇ。


「俺もそれ好き。いいなぁ~。俺も食べたいな」

「じゃあお裾分けしますよ。大きい缶で手を打ったんで」

「ホント? サンキュ、莉奈ちゃん」


 へにゃっと笑うと、ニッチさんはポケットからブロックチョコを取り出した。それを口中へと放り込む。まさかと思う。まさかそれ、朝食じゃないですよね?


「あー西村君」

「なんでしょ、オーナー」

「もしかして今のチョコが、朝ご飯だなんて言わないよね?」


 あ、オーナーも同意見でしたか。


「そうですけど」


 今月もピンチなんですよと、ニッチさんは首の後ろを搔いた。


「何か作ってあげるよ。倒れられちゃ堪らないからね」


 深々と溜息をついて、オーナーはキッチンへと入っていった。あたしは更衣室に戻って、バックの中から栄養補助食品のフルーツ味を取り出し、それをニッチさんに進呈する。


「いいの?」

「はい。こんなのでニッチさんの健康が維持できるのなら喜んで」

「ありがとう。莉奈ちゃんは本当に優しいね」

「いえ、そんな……」


 薄っすら焼き色の付いたトーストと、プレーンオムレツを一つのお皿に一緒に乗せて、オーナーはキッチンから戻ってくるとそれを彼の前に置いた。いただきますと両掌を合わせてから、美味しそうそれらを平らげる。

 あたしの淹れた紅茶で喉を潤したニッチさんは、それはもう幸せそうにほっこりと笑った。


「西村君さ、意地張るの止めて、親父さんに援助してもらいなよ。僕、いつかきみが倒れるんじゃないかって心配なんだよ」

「絶対に嫌です。父に援助してもらうくらいなら、俺はぶっ倒れた方がマシです」

「あのねぇ……」


 呆れたような……諦めたような……どちらともとれる顔で、オーナーは溜息をついた。でもって、ここにも家族と確執のある人がいたってことに、あたしは心底驚いた。もしかしてあたしの周りって、そんなのが集まり易いのかな? まさかね? 偶然よね偶然。


「いくら国立大で学費が安いからって言っても、限界があるでしょう? ましてやきみは理系だ。文系よりも、色々とかかるんじゃないのかい?」

「もしかしてニッチさん。自分で全部出してるんですか?」

「うん」

「ええーっ!!」


 おもわず大きな声を出してしまった。だって、学費も生活費もだなんて、自分だけで賄うだなんて、そんなのかなり無茶でしょう? 


「家賃、ちゃんと払えてるの?」

「はい。学生用の共同アパートだから、安いんですよ」

「しょ、食事は? いつもどうしてるんですか?」

「んー? 大学行ってる時は、学食で食べてるよ。うどんとかカレーとか。夜はコンビ二のおにぎりやパンが多いかなぁ……」


 だからここでの賄いは、とても貴重なんだよね――と、ニッチさんは少し口端を上げた。


 うわっ、泣くよあたし。

 泣いちゃうよ。

 生きていく上で、あたしは食事が一番大切だと思ってる。それは値段の高い物を食べるって事じゃなくて、栄養のバランスを考えて、体に良い物を食べるって事だ。

 あたしだって、昼におにぎりだけとか、菓子パンだけとか、そんなんで済ます時もあるよ。けど、朝と夜はそうじゃない。遠藤君と住むようになって、彼が食事の用意をしてくれているけど、彼もその辺の所をきちんと考えて作ってくれている。だからニッチさんの食生活は、あたしには辛過ぎるよ。


「仕方がないなぁ……もうダメだってなったら、僕に言いなさい。僕なんかでできる事だったら、してあげるから」

「ありがとうございます」


 ぺこりと頭を下げて、ニッチさんはオーナーにお礼を言った。あたしみたいな年下の、しかも親の庇護下にある子供に同じ事を言われても嬉しくないだろうから、あたしはあたしにできる事をこっそりやればいい。例えばさっきみたいに、食事代わりになるような物をさりげなくニッチさんにあげたりする――とかね。


 店内の時計を見れば、針は九時四十五分を示していた。さすがにもうのんびりなんてしていられない。あたし達はお喋りを止めて、開店前の最終チェックを始めた。

 十時を少し過ぎた頃、工場からケーキやデニッシュパン等を乗せた車がやってきた。それを男性陣が慌しく搬入し、あたしはケースにケーキを並べていった。そして十時半の開店と同時に、今日一番のお客さんが入ってきた。


「いらっしゃいませ……って、かおるん!」

「オハヨー莉奈ちゃん。今日も可愛いわねぇ。あら、そこにいるの、皓ちゃんじゃないの? アンタは今日も眠そうねぁ。せっかくのイイオトコが、それじゃ台無しじゃないのよ」


 どう見ても今仕事から帰ってきましたな格好のかおるんは、ケースに並ぶケーキを真剣な顔でつきで選び始めた。店にはあたしたち以外にもスタッフがいる。彼らはかおるんを見てドン引きしていた。


 やっぱりアレですか?

 朝一のオカマはきついですかね?


 でも、かおるんは綺麗な方なんだけどなぁ……って、髭が薄っすら生えて、鼻の下と顎んとこ青くなってるじゃないのよ! これじゃあ引かれちゃうわよぉ~。


「かおるん、今帰り?」

「そうなのよぉ~。ママがね、彼に振られちゃってぇ~、みんなで自棄酒に付き合ってたらぁ~、こんな時間になっちゃったのぉ。あ、莉奈ちゃん。この十五㎝の苺たっぷりケーキちょうだいな」

「誕生日用?」

「違うわよぉ~。お酒沢山飲んだ後って、ケーキが無性に食べたくなるのアタシ。だ・か・ら・これはアタシ用。あ、やっぱり二十五㎝の方にしてもらおうかな」


 オーナーの後ろで作業をしていたニッチさんが、それを聞いて「げっ」って変な声を出した。もちろんそれは、かおるんにも聞こえているわけでして……彼……じゃなかった、彼女は視線をそちらへとやると、ニッチさんを頭の天辺から爪先までじろりと見た。


「ちょっと皓ちゃん、たまにはご飯食べに来なさいよ。ちゃんと食事してるのかなって、和馬、すっごく心配してるんだからね。ああもう、アンタ見てるとこっちが倒れちゃいうそうよ。ねぇ、困った事があったらすぐに言うのよ? いい? 分かった?」

「はい。ありがとうございます。(かおる)さん」

「ん。分かれば宜しい」


 にっこりと笑うとかおるんは、財布をバックの中から取り出した。


「お待たせしました」

「ありがとぉ~莉奈ちゃん」


 代金を受け取り、品物を渡すと、かおるんは和君の待つ自宅マンションへといそいそと帰っていった。


「今の、男だよね?」


 キッチン担当のスタッフがぽつりと呟く。中里さんと言って、今春、調理師学校を卒業したばかりの若手だ。


「男ですよ、基本的には。あ、里中さん。もしかしてナマで見るの初めてでしたか?」

「あ、いや、学生時代に文化祭で女装コンテストとかやったから、まるっきり初めてってわけじゃないよ。けどさ……やっぱり本物は違うね」


 苦笑する彼に、もう一人のキッチン担当スタッフの畑野さんが、うんうんと激しく頷き同意する。


「なんかさ、迫力あるよね。いや~凄いもん見たわ」


 迫力って何?――なんて思いつつ、お客さんが入り始めたので、そちらの対応に集中する。土日は昼食も兼ねて早々にやってくる人が割りといるけど、やはり大変なのはランチタイムだ。

 と言っても、平日と週末では客層が違うので、忙しさ具合も違っている。平日はサラリーマンやOLや主婦が中心だけど、土日は家族連れが多いのだ。だから店内を小さな子供がうろうろしたり、飽きちゃって騒いだりするので、夜とは違いとても神経を使うことになる。おかげでランチタイムが終わると、ぐったりとなってしまうことが多い。


 ランチタイムは十一時から十四時までで、ホッと一息つけるのは、ランチタイムの後片付けが終わってから、夜の仕込みを始める四時くらいまでだ。この間、あたし達は交代で賄いを頂く。もちろんメニューにはない物ばかりだ。


「は~、やっと終わったぁ」


 ランチメニューを片付けたあたしに、オーナーが食事に入るよう言った。今日の賄いは畑野さんお得意のロコモコ丼だ。それを受け取り、店内の隅の席に座って頬張っていると、店の方の電話が鳴った。対応にでたオーナーがあたしを呼ぶ。


「さっきのかおるん(オネニイ)さんみたいだよ。なんか物凄く慌ててるみたいなんだけど」


 受話器を受けとると、動揺しているかおるんの声が、あたしの耳に飛び込んできた。


「た、大変なのよぉ~。莉奈ちゃんのオトートが、こっちに来ちゃったのぉ~!!」


 あたしの頭の中が、真っ白になった。


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