家族(2)
廊下に張り出された首席から百番までの席次表を前に、あたしはおもいっきり溜息をついた。
「なんでよぉ」
夜遅くまで格ゲーしていた遠藤君が三番で、寝る間も惜しんで勉強したあたしが十九番なの? やっぱり神様は不公平だ。大好きなバイトだって休んだんだよ? 纏わりつく遠藤君を適当にあしらいながら、試験勉強がんばったんだよ? 遠藤君なんかゲームしてるか、お笑い番組見てるかだったのに……なんなのよ、この差は―――っ!!
「ああ、ムカつく」
あ、ちなみにですが美智さんは、入学時からずっと首席であります。これはこれで恐ろしいと思うのよね。だって、毎回得点が満点なんだもの。うん。失点なしだよ。嘘みたいだけど本当の話なんだから。
「よう、まつっち」
「よう、大将。今回は良いトコにつけたね」
「だろ? 遠藤に教えてもらったからな。すげぇ助かったよ」
ニカッと笑った大将。うん、爽やかな笑顔だ。で、その横で遠藤君が、これまた神様を罵倒したくなるほど麗しい微笑を浮かべている。残念だったね大将……どんなに爽やか笑ったって、全部遠藤君に持っていかれてるよ。ほら、こっちを見る女の子の目は、全部遠藤君にいってるもん。大将も悪くないんだけどねぇ……アンタ、なんで彼と仲良くなっちゃったのよ。単体で見ればかっこいい部類に片足突っ込んでんのにさ。天使と一緒じゃ、誰もそれに気がついてくれないでしょーよ。
「新垣はね、本当はデキル子なんだよ。俺は新垣が力を出せるよう、その手伝いをしただけ」
美智もそうだけど、勉強できる人って、教えるのも上手かったりするんだよね。ま、そうじゃない人もいるけどさ。万年次席の奴なんか、本当に教えるの下手だもの。
「あーこれでバイトできるわ」
「あ、もしかして今日?」
「そーだよ」
「んじゃ、行こうかな? 俺、今日は部活ないし。遠藤、どうよ?」
「いいよ。俺もあのカフェ好きだし。働いている松尾さんを見ているのって楽しい」
「ついでにご飯食べていけば? 一昨日から新メニュー出してるって、彩加さんがメールで教えてくれたから」
バイト先のカフェでは、三ヶ月に一度の間隔でメニューの見直しやアレンジ(添え物のサラダにかけるドレッシングを変えるとか、味付けを変えるとか、ちょっとしたやつね)がされている。カフェだから、食事の方はそれほど種類は多くない。でも不味い物は一つもないと胸を張って言える。
あたしのイチオシは、ランチの時だけある“オーナーの特製カレー”だ。茹でた鶏肉や豚肉(お客さんの好みで選べる)や、カボチャやインゲンやニンジンやジャガイモをご飯の横に添え、甘口だけどビリッと辛味がある特製カレーを別の器に入れて出すんだけど、このカレーが本っっっ当に美味しいんだから!
これ、一度食べたらまた食べたくなっちゃう不思議なカレーなのよ。作ってるのがもっさい熊みたいなオッサン――っていうのがちょっとねぇ………。
「あ、そうだ遠藤。本郷さんも誘ってみようぜ」
「そうだね。ああ、俺が言っておこうか?」
「う、うん。よろしく」
薄っすらと頬を染める大将を見る遠藤君は、まるで保護者のようだ。自分で誘えばいいのに、なあ~に恥ずかしがってんだろうねぇこの男は。
「松尾さん、一旦帰るの?」
「あ、ううん。今日はこのまま行く予定」
「そっか……」
一緒に行っても、夕飯を食べるのには早過ぎる。どこかで時間を潰してからの方がいいだろうと、意見の一致した男共はゲームセンターに寄ってからカフェに行くことにした。美智がそれに付き合うかどうかは分からないが、確か今日は衛星講座を受講するようなことを言っていたような………。
あたしが考え込んでいると、そこへ運よく美智がやってきた。遠藤君が、今日一緒にカフェに行かないかと誘ったが、美智は残念そうな顔をしてそれを断わった。やはり今日は、衛星講座を受講するそうだ。
あからさまにがっかりする大将の肩を、遠藤君が慰めるように軽く叩く。そこへ三時間目の予鈴が鳴った。
**********
「あら、今日も美味しそうな愛妻弁当ね。遠藤君が作ったんでしょう?」
「うん。あたしより料理上手だからね。あたし、ここ最近はぜんぜん料理してないよ」
「でもあれね。同じおかずが入っているのに、新垣君は気がついていないのね」
そりゃそうでしょう。大将が見ているのは、あたしの弁当じゃなくて美智なんだから。
「うん……驚きだよね」
「驚きだわ」
いい加減、美智も気づいてあげたらいいのにね。いや、美智のことだから、薄々は感じているのかもしれない。
「ああそういえば、この間東吾君を見かけたわよ」
ぽとり――と、ウズラのベーコン巻きが箸から落ちた。
「四井物産のパーティーで、お父様と一緒に来ていたわ」
淡々と言っているけど、美智の目はあたしのことを探っている。傍から見たら、そんな風には見えないんだけどね。
「そう。元気そうだった?」
「多分ね」
きっと東吾は怒っている。この間、あたしが帰らなかったから。芳乃さんには倉科の方で用事ができたと言ったけど、本当は違う。用事なんてない。
あたしはあの家が嫌いだ。
できることなら、縁を切ってもらいたい。
それくらい、あたしはあの家が嫌いなのだ。
母が他界した時、倉科の家であたしを引き取る話が出た。
月哉叔父さん夫婦には、子供ができないと分かっていたからだ。
叔父さんに問題があり、杏叔母さん(叔父さんの奥さんね)には何も問題がない。離婚も考えた叔父さんだったけど、それを叔母さんが全力で拒否し、子供がいなくても最期まで一緒にいようと互いの気持ちを確認しあったそうで……そのせいなのか万年新婚夫婦でじじ様も当てられっぱなしだとか。
仲良きことは美しきことかなですよ。うん。
父はあたしを手放さなかった。愛した妻の忘れ形見だ。母親のいない分もカバーするように、父はあたしとの時間をできる限り取ってくれた。芳乃さんは父の秘書をしていて、松江さんが帰った後に時々家に来ては、父の書斎に二人でこもっていた。仕事のことで、彼女が家を訪れていたのだと、その頃のあたしは思っていた。けれど実際はそうでなく……書斎で何をしていたのかを知ったのは、あたしが中学にあがった頃だった。
それを見つけたのは偶然で、あたしは母が生前書き残した日記帳を、母の遺品が入った箱の中から見つけ読んでしまった。そこには父と芳乃さんが、かつて恋人同士だったという事と、母の妊娠を機に“男女の仲”になってしまった事が書かれていた。
衝撃的だった。
母は父の浮気に対して、恨み言は一切書いていなかった。けど、あたしは父を許せなかった。母が死んでしまってから、彼女とそういう関係になったのならば理解できる。けれど、母が生きている時から、父は母を裏切っていたのだ。
最低だ。
しかも父が芳乃さんと再婚することになり、ますます父への嫌悪感が強くなった。
芳乃さんには別れた夫との間に息子が一人いて、あたしは初めて会ったその日から、その子が本当は父との間にできた子供ではないかと疑っている。もしそうであるなら、彼は半分だけ血の繋がったあたしの弟になる。事実、東吾は父に面差しが似ていて、声変わりをしてからは、電話などで一瞬どちらなのか分からない時があるほどだ。
あたしでさえそう思うのだから、じじ様や月哉叔父さんが何も感じていないはずない。でも、二人とも何も行動を起こさない。ということは、やはりあたしの勘違いなのだろうか?
いや、そんなことはない。
東吾は父の子だ。
確固たる証拠はないけれど、絶対に父の子だ。
芳乃さんが離婚したのは、東吾が七歳の時で、前にこっそり父親と写っている写真を見せてもらった。東吾は父親にも似ていないし、芳乃さんにもだ。離婚の原因は、性格の不一致だと言っていたけど、東吾が言うには、父親の浮気らしい。妻が妻なら夫も夫だ。
黒に近いグレーだけど、あたしの中では東吾は実弟の位置にある。まあ、かなり複雑な気分だけど、そうなったのは東吾自身に罪があるわけではない。だからあたしは姉として、弟と仲良くしようと思った。姉だから、弟に優しくできた。でも、真実をしらない東吾は、あたしのことを………。
「莉奈はねぇ、貞操の危機を感じたから家を出たのよ」
「はっ?」
「ちょっ、美智!!」
焦るあたしとは逆に、美智はしれっとした様子でサンドウィッチにパクついた。その向かいで、遠藤君がぽかんと口を開けている。
「貞操の危機って……それって……」
あたしと美智に視線をやりながら、呟くように言ったそれは間違いなく“問い”だ。ちらりと横を見れば、美智はこれ以上何も言う気がないらしく、パクパクとサンドウィッチを食べている。問題提起だけして、あとはこっちに丸投げって……そりゃないよ。
「まあ、色々あるのよ。気にしないで」
厚焼き玉子を頬張ると、ほんわりと優しい甘さが口中に広がった。遠藤君は甘い玉子は好きじゃないのに、あたしのためにお弁当のこれは甘くしてくれている。優しいよね。恋人だったら最高なんだけど、ゲイだから……残念だ。
「いつか話せる時がきたら、ね」
今はこれ以上追及しないで――そんな思いをこめて、あたしは小さな声でそう呟いた。
「ん。分かってる。俺は松尾さんの笑ってる顔が好きだから、そうじゃない顔を見るのは嫌だ」
だから訊かないよ――と、遠藤君は少しだけ俯いたあたしの、さらりと頬をひと撫でした。
「あら、殺し文句だわ。莉奈、愛されてるわねぇ」
「な、な、何言うのさこの子はっ! だいたいねぇ~美智が変な事言うからでしょう? 反省しなさい、反省!! ええい、この苺は没収よ」
「ふふ。照れなくてもいいわよ」
「ちーがーうー」
出始めたばかりの苺が入ったタッパーを取り上げ、あたしは真っ赤なそれを一個口中に放り込んだ。
「うん。俺、松尾さんのこと、すっごく愛してるよ」
いきなりの爆弾発言に、苺の入ったタッパーがあたしの手から滑り、スカートの上にぽとりと落ちた。
「あら、莉奈の方が苺みたいね」
真っ赤よ。可愛いわね――と、珍しく……本当に珍しく……美智のとても機嫌の良い声がした。




