じじ様の企て(4)
――あぁそうだ。なぁ、侑はどうしてる? 元気か? 笑ってるか?
どうして?
遠藤君を捨てたくせに、どうしてそんな事を訊くの!?
「は? もう関係ないでしょう」
「そうだな。もう関係ないな。でも教えてくれよ。侑のやつ、ちゃんとメシ食ってるか? 不安がってないか? あいつさ、寂しがりやだから、お前が嫌じゃなきゃ一日一回は抱き締めてやってくれ。安心させやってよ。こんな事、俺が言える立場じゃないんだけど……頼むよ」
そこまで理解していて、どうしてこの人は遠藤君を捨てたのだろう。
「どうして……どうしてよ? どうして遠藤君を捨てたのよ? そこまで分かっていて……なんで……なんでなの?」
沸々と沸く怒りに、フォークを握る手に力が入る。
「色々あるんだよ。大人の事情ってやつだな」
「大人の事情? ハッ、何よそれ? 自分勝手なだけじゃない。沙希さんと結婚するから、遠藤君が邪魔で切り捨てたんでしょう? 最後まで責任取れないなら、最初から手なんか出さなきゃいいのよ。拾ったら最後まで面倒を見るのが常識でしょうが」
押し殺した声で、捲くし立てるように言ったあたしに、眞人さんは困ったように……でも、どこか悲しそうに、少しだけ顔を歪めた。だけど地味に興奮しているあたしは、そんな彼の心情など分かるはずもなく、ムカムカと腹が立ってきたので、このままだと何を叫ぶかわからない。だから気持ちを少しでも落ち着かせようと、眞人さんのグラスを奪って残っていたシャンパンを一気に飲み干した。
ドン――と、空になったグラスをテーブルに置き、キッと眞人さんを睨む。それはもう「マジで怒ってるのよあたしは」的な、そんな目でね。
「アンタが心配する必要なんてないわよ。遠藤君はご飯沢山食べるし、よく笑うわよ。おはようとおやすみのキスだってするし、一緒に寝てるし、引っ付いてきた時はぎゅうぎゅうしてあげてるもの。言われなくたって、ちゃんとやってるわよ!」
あれ? 何で目の前がぼやけるの?
あれ? 何で眞人さんは嬉しそうに笑ってるの?
「泣くなよ。不細工になるぞ」
「泣いてない! でもって、不細工は余計だってーの!!」
「はいはい。嘘だよ。可愛いよ、お前」
「お、お前言うなっ!」
「はいはい。ホント、優しいなぁ莉奈は」
「なっ!? ちょっと、何呼び捨てにしてんのよ。ずうずうしい」
「いいじゃないか。俺と莉奈の仲だろう?」
「どんな仲よっ!!」
「んー……一人の男を共有した仲?」
うおおおお、やめてよそれっ!!
「莉奈ってさ、猫とか犬とか捨てられてるの見ると、放っておけないだろう? 拾っちゃうだろう? でもって他人に頼られると断われないから、面倒事ばかり押し付けられる。だけど自分は他人に頼れないし、弱みも見せられないし、甘えることもできない。なあ、これって当たってるだろ? 損な性格だよなぁお前ってさ」
ぐぐぐと、言葉に詰まる。だって当たっているから。
「俺もさ、似たようなもんなんだよ。ダメなんだ。放っておけない。俺が侑と会ったのは、あいつが家を飛び出してすぐの頃だったよ。凄く暗い目をしていてさ、生きているのが苦しいって感じで、死んでも構わないようなこと言ってた。話してくれなかったけど、侑の家、なんか結構複雑らしい」
ぐらぐらと、あたしの心が揺らぐ。
何なんだこの男は? 遠藤君を捨てたくせに、遠藤君を今でも心配している。本当に。もしかしたら、あたしが彼に対して持っていた印象は、間違いだったのかもしれない。本当はこの人………。
「帰る」
「ん。そうしてやって。お爺様には俺が上手く言っておくから」
「お願いします」
ぺこりと頭を下げると、あたしはホールの入り口へと急いだ。途中、沙希さんが複数の男の人(しかも皆、イイオトコ)に囲まれて、楽しそうに喋っているのが見えた。鈍いあたしでも、彼女に好意をもっていることくらい分かる。婚約者を放っておいて、何やってるんだあの人。
あと少しで扉というところで、話が終わったのだろう……会場に戻ってきたじじ様に捉まってしまった。
「莉奈、ちょうど良かった」
いや、あたしはちょうど悪いんですけど。
「お前に会わせたい人がいるのだよ」
「あ、あのねじじ様。あたし……」
もう帰りたいんだけど――という言葉は言えなかった。あたしの腕を掴んだじじ様の力は強く、柔和な目が向けられている先に一組の親子がいる。この時になってあたしは、ようやく全てを悟った。じじ様の目的が、本当は別にあったことを………。
初めからそういう予定だったのだろう……相手がこちらへ近づいてきた。
「遠藤君、久しぶりだな」
「ご無沙汰しております、倉科会長」
軽く会釈をしたその人の顔に、あたしは見覚えがない。もちろん隣の人もだ。
「息子さんかね?」
「はい。長男の晃です。晃、ご挨拶を」
はい――と、半歩前に出てきたのは、端整だけれど、神経質そうな顔立ちの男の人で、シルバーフレームの眼鏡の奥の目が冷たく光っている。絶対にこの人、自分に自信のあるタイプと見たね。
「初めまして。遠藤晃と申します」
「うむ。晃君は幾つかね?」
「はい。二十二になりました。明功大学経済学部の四年です」
そうかそうかと、じじ様は相槌をうつと、あたしの方に顔を向けた。
「莉奈、二人とは初対面だろう? 挨拶を」
白々しい。この二人はあたしのことなんて、ちゃーんと分かってるんだから。
「初めまして、松尾莉奈です。日々山学園高等学校の二年です」
一瞬、晃の眉が上がったような気がした。父親の方は見逃したから分からない。まさかね?――と思う。遠藤なんてキテレツな苗字じゃないし、物凄く珍しい苗字じゃないけど、学年に一人いるかいないかかもしれない。あたしは晃の顔をじっと見上げ、二人の共通点を探した。綺麗なのは同じ、でも、パーツが違う。違うけど……でも………。
「あたしのクラスに遠藤侑君という男子生徒がいます。もしかして彼と、晃さんは何か関係がありますか?」
「……いや、知らないですね」
「そうですか。失礼しました」
一瞬の間と、眇められた目が、それを嘘だと言っている。
どうして嘘つくの?
知られたら困るわけ?
何で?
アレだから?
アレだからなの?
だったら許せない。
絶対に許さない。
「おじい様ごめんなさい。ちょっと気分が悪いので、これで失礼させてください」
「晃、タクシー乗り場まで莉奈さんをお送りしなさい」
「いえ、結構です」
お気遣いありがとうございますと礼を言って、あたしは踵を返し今度こそここから出るために扉の方へと向かった。
あたしは十七年間生きてきた中で、これでもかというくらいの速さで会場から抜け出し、タクシー乗り場で客待ちをしていた先頭のそれに乗り込んだ。行き先を告げ、できるだけ急いでくださいとお願いする。途中、じじ様から電話がかかってきた。雑音がしていないので、会場内ではないようだ。じじ様はあたしに、遠藤晃にあたしと同じ年の弟がいることを教えてくれた。そしてその弟とは、母親が違うということを。
最低だと思う。
あたしの父親も似たようなものだけど、でも、やっぱり最低だ。
どうして男って、こうも下半身が緩いんだろう? 妻がいるのに他の女に手を出して、それだけでも許せないのに、子供まで孕ませるなんて………。
お互い納得した上で関係を持ち、子供を作るのならまだマシかもしれない。でも遠藤くんは………。
ごめん。
ごめんね。
気がついていたのに、気がついていないフリをしていた。
あたしのバイトがある日、遠藤君はあたしが帰るまで夕飯を食べない時がある。勉強していたら食べるの忘れたと、そのたび同じ言い訳をするけど、本当はそうじゃないって気がついたのはもうずっと前だ。
あたしのベッドに入ってくるのは、一人でいるのが嫌だからだ。誰かと一緒にいるのと、安心するからだ。一人は寂しくて、辛くて、怖いから―――。
幸いな事に、それほど道路は混んでいなかったので、マンションには思っていたよりも早く到着した。
エレベーターの速度が、今夜ほど遅く感じたことはない。
バッグからキィを取り出し、玄関のドアを開ける。予定していた時間より早く帰ってきたあたしを見て、遠藤君が目を丸くした。でも、すぐに嬉しそうに「お帰り」って言って笑った。その瞬間、あたしは彼に抱きついていた。
遠藤君はあたしだ。
あたしと同じだ。
愛してほしい人から愛してもらえない、膝を抱えうずくまっている小さな子供なんだ。
「松尾さん?」
何かあったの?――って、心配そうにあたしを抱き込む遠藤君に、躊躇いつつもあたしはそれを告げる。
「眞人さんの婚約パーティーで、遠藤君のお父さんとお兄さんに会ったよ」
瞬時に、彼の体が強張った。
未成年の飲酒はダメですよ!!




