じじ様の企て(3)
最悪だ。
ほんっとーに最悪だ。
最悪としか言いようのない状況だ。
「貴女が花音さんのお嬢さんですか。いやぁ~、若い頃の彼女によく似ている。あの頃の花音さんといえば、あの辺りの高校や大学に通う男共のマドンナだったんだよ。そうそう、非公認だったけど、親衛隊みたいなものまであったなぁ」
にこにこと胡散臭い笑みを浮かべた男の人は、じじ様に向かって「将来が楽しみですね」と言った。っていうか、あの頃ってどの頃だってーの! マドンナとか、親衛隊とか、わけ分かんないんですけど!!
「はっはっは、上手いねぇ泉田君は。そういえばきみ、花音に何通か手紙をくれただろ」
「いや、ご存知でしたか」
お恥ずかしい――と、泉田氏は顔を真っ赤にした。
「ですが本当に、莉奈さんは花音さんに似ていますね」
「ありがとう。そう言ってもらえると、あの子もあの世で喜んでいるだろう」
上機嫌なじじ様に、泉田氏は尚もあたしが美人で有名だった亡母にそっくりだと褒めちぎった。
いや待ておっさん。あたしはそんなに美人じゃないし、そんなにお母さんに似ていない。故に声を大にして言いたい。あたし、お母さん似じゃありませんからー!!
でも、じじ様はあたしが娘に似ていると言われるのが一番嬉しい。だからここはあえてお口にチャックである。棺桶に片足突っ込んでる老人に、そんな非情な真似はいくらあたしでもできないものね。
「んもうお父様ったら、私達のこと、倉科会長に紹介してくださらないつもりなの?」
甘ったるい声で、今夜の主役の女王様が泉田氏に文句を言った。彼女の横には、婚約者がすました顔で立っている。
「分かっているよ沙希。会長、これが娘の沙希と、婚約者の新見眞人君です」
「初めまして」
艶やかに笑って、女王様――じゃなくて泉田沙希さんは、じじ様とあたしの順で握手をした。白くて、とても華奢な手だった。沙希さんは一言でいるとゴージャスな美女だ。しかもボン・キュッ・ボンの見事なボディを有していらっしゃる。自分の武器は何であるのかをちゃんと分かっていて、それを最大限に生かす方法を知っていて、狙った獲物は逃がさないタイプとお見受けした。
まあ、これだけの美女だもの、男の方からホイホイ寄ってくるのは確実でしょう。でもあたしが男だったら、一番遠慮したいタイプだわ。
ちらりと婚約者を見れば、こちらも当たり障りのない表情だ。でもあたしと目が合うと、一瞬だけあの高慢な笑みを浮かべた。
「会長、こんな時に申し訳ないのですが、ご相談したい事がありまして……よろしいでしょか?」
「構わんよ。莉奈、少し場を離れるが、アルコールは飲んではダメだぞ」
「分かってます」
じじ様と泉田氏がホールから出て行くと、沙希さんが眞人さんの腕に腕を絡めた。
「ねぇ眞人。わたし、パウダールームに行ってくるわね。戻るまで莉奈ちゃんの相手をお願い。一人にさせちゃダメよ。悪い虫がついたら、倉科会長に怒られちゃうもの」
「あ、いえ、大丈夫です」
「だぁ~め。じゃあ眞人、お願いね」
くるりと踵を返し、沙希さんもホールから出て行ってしまった。ううっ、最悪だ。こいつと二人だなんて。
「じゃあ、あたしはこれで」
「待てよ。別に逃げなくたっていいだろう。それとも俺にビビッてんの?」
「は? ビビる? 何言ってるのよ。あたし、お腹が空いてるの」
「ハッ、やっぱお子様だなお前。向こうに色々あるから行くか。俺も腹が空いた」
パーティーは立食形式なので、座る場所があまりない。あたし達は適当に料理を皿に乗せ、バルコニーへと出た。ここにもテーブルとイスがある。ちょうど二人分空いていたのでそこに落ち着くと、眞人さんはまた中へと戻っていってしまった。先に食べてもいいのだろうかと悩んでいると、両手にグラスを持って戻ってきた。飲み物をとりに行ってくれていたらしい。案外、優しいのかもしれないこの人………。
「オレンジでよかったか?」
「ありがとうございます」
お礼を言いながらグラスを受け取る。ウーロン茶でも良かったんだけどね。でも、オレンジジュース大好きだから、それを選んでくれたのは嬉しい。
「んじゃ、乾杯」
やんわり口端を上げ、眞人さんはスッとシャンパングラスを前に出した。
「何にですか?」
「んー……きみとの再会にってのはどう?」
「寒いです。ここは眞人さんの逆玉に乾杯しかないですよ」
カチンと、相手のグラスに自分のをぶつけた。
「ハッ、言ってくれるね」
苦笑いを浮かべ、眞人さんは「乾杯」と言ってシャンパンを飲む。どうやらかなり喉が渇いていたらしい、一気に半分ほど飲んでしまった。おそらくこういった場に慣れていないから、緊張していたのだろう……経験者だからそれが分かる。あたしもそういった時期があった。今もそうなんだけど、でも、昔よりかは慣れたと思う。
冗談でもなんでもなく、あたしはお腹が空いていた。だからひたすら食べる事に集中する。そんなあたしを眞人さんは、何故だかとても楽しそうに眺めていた。三回目のお替りから戻ってきたあたしに、少し潤んだ瞳で眞人さんは微笑んだ。その顔が妙に色っぽくて、ぞわぞわぞわ~っと足下から鳥肌がたった。
「本当に腹が減っていたんだな」
よく食べる――と言って、残りを飲み干した。よく食べるって……さっきから飲んでばかりの人に言われたくないんですけど。
「昔ほどじゃないですけど、こういうとこ苦手なんですよ。色々寄ってきてうるさい。だからそれから逃れるには、食べる方に専念して、あたしに近づくなよオーラを出すのが一番なんです」
「ふぅん。お嬢様ってのも大変なんだな」
空になったグラスをテーブルの端に置く、本当にこの人……何杯飲んだんだか。あたしが覚えているだけでも、五杯は確実に越えている。シャンパンって、そんなにアルコール度数低かったっけ?
「驚いたよ。倉科会長の孫だったなんて」
「外孫です。だから価値はそれほどありません」
「捻くれてるなぁお前。でも会長は、傍に置きたがってるんだろう? 確か長男夫婦には子供がいなかったよな?」
「……」
驚いた。確かにじじ様はあたしを、子供のいない月哉叔父さん夫婦の養女にしたがっている。あたしを“松尾莉奈”ではなく“倉科莉奈”にしたがっている。あたしが娘の忘れ形見だからか、それとも松尾の家にあたしの居場所がないのを知っているからか、それとも別の何かがあるのか……直接本人に訊けば、じじ様のことだから答えてくれるかもしれない。
だけどあたしはそれができない。
心のどこかで、それ訊いては……知ってはいけないような気がするのだ。
「雪耶叔父さんがいるから、そうはならないわよ」
だからあたしは叔父夫婦の養女にならないと、牛ヒレ肉のステーキを一切れ頬張る。雪ちゃんはまだ独身だけど、問題がなければ結婚したら子供もできるはずだ。その時あたしがいたら、面倒な事になるかもしれない。
なんて宙ぶらりんな存在なのだろう――と、自分自身を笑ってしまう。
松尾にもなりきれず、かといって倉科になるわけにもいかず、あたしはこの先何を信じ、何のために、どう進めばいいのか分からない。
こんな時、かおるんがいたら、あたしの両頬をおもいっきり引っ張るだろう。「バッカじゃないの」って、あの綺麗な顔を歪めて言うだろう。
無言になってしまったあたしに、眞人さんは何かを感じ取ったのか、それ以上その話題には触れてこなかった。その代り………。
「あぁそうだ。なぁ、侑はどうしてる? 元気か? 笑ってるか?」
その問いに、あたしはあたしの耳を疑った。




