じじ様の企て(2)
惰眠を貪っていたあたしは、携帯の鳴る音で目を覚ました。スマホじゃない。ガラケーだ。何故分かるのかといえば、流れているのが水戸のご老人のテーマソングだからだ。
ベッドヘッドとマットレスの間に手を突っ込んで、ピンク色のそれを取り出した。自分専用だといって、祖父から渡されたのは高校入学前。その地点で、呼び出し音はこれだった。誤解しないでもらいたい。これ、あたしの趣味じゃないからっ!
「もしもーし。莉奈です。じじ様おっはよー」
『おはよう莉奈。まだ寝ていたのか?』
苦笑ぎみな声に、あたしは枕元に置いてある時計を見た。うん。確かにもう、“おはよう”っていうには少し遅いよね。でも、“こんにちは”の時間にはまだ早いよ。
「うん。昨日バイトだったからね。それに今週はスポーツ大会とかあってさ、結構疲れが溜まってるの~」
『バイトか……直仁君は満足な金額を渡していないんだな。よし、じじ様が足りない分を出してやろう』
「ううん、違うよ。お父さんからは充分な金額を貰ってる。安心して。バイトは雪ちゃんとの約束なの。じじ様だって、それ知ってるでしょ。それにじじ様、いつも言ってるじゃない。働いて自分で稼がなくちゃ、お金のありがたみが分からないって」
横で眠っている遠藤君が、もそりと動いた。ちょっと声が大きかったかな? 起こしちゃったよ。とろんとした目であたしのことを見ているから、あたしは自分の唇に人差し指をあてて、静かにしてって合図をする。ちゃんと通じたようで、遠藤君は小さく頷いた。だけど、ここからがよろしくない。何を考えているのか、遠藤君はあたしに抱きついてきた。
『あのなぁ莉奈。実は頼みがあるんだが……』
「へ? え、ああ、何?」
背中に腕が回されたかと思ったら、猫のように顔を擦り寄せてきた。何処にって? あたしの、残念なくらい貧相な胸にね!
『急で悪いが、知り合いの娘さんの婚約パーティーがあってな、それに一緒に行ってくれないか?』
「は?」
じじ様が朝っぱら(って、もう十時近いけど)から電話をしてくる時は、たいてい良くない事が多い。だから嫌な予感はしていたのよね……。見事に当たったわ。
「じじ様お気に入りのお姉さん達の中から、誰か選んで行けばいいじゃない? 面倒だからヤぁだ」
パーティーとかって苦手。なんだか値踏みされているようで、ものすっごく気分が悪い。確かにあたしは倉科宗清の孫だけど、外孫なんだよ。内孫じゃないの。だからあたしの利用価値なんて、たいしてないんだから。それなのに、ああいう所に出席している人って、あたしのことを“倉科と縁付くためのアイテム”として見ているから厄介なの。面倒臭いわけ。だからあたしは、極力パーティーの類には出席しないようにしている。そのこと、じじ様だって知ってるくせに、どうしてあたしを連れて行こうとするかな? 確かにパーティーって、同伴者が必要だったりするけど、それを外孫のあたしにさせるって……ちょっと違うでしょ。違うよね? だいたいさぁ、ばば様が亡くなって五年だよ。もうそろそろいいんじゃない? たくさんいる愛人さんの中から、誰か一人を選んでも、ばば様はきっと怒らないよ。
眉間におもいっきり皺を作ったあたしを心配したのか、遠藤君の手が伸びてきて、あたしの頬に優しく触れた。なんだかくすぐったくて、笑いそうになっちゃったよ。ああ危ない。お父さんにもだけど、じじ様にも遠藤君のこと話してないんだもん。バレたらどうなることか……想像しただけでも怖いわ。
「それにねじじ様。あたし、そーゆートコに着ていく服ないもん。だから無理なんだってば」
『おお、それなら心配いらないぞ。そんなこともあろうかと、じじ様が頼んでおいたからな』
はい?
『今日の昼頃には、そっちに届く手筈になっている』
いや、ちょっと待て。
『五時に迎えをやるから、それまでに仕度を済ませておいてくれ』
「ちょ、じじ様」
待ってよ――という前に、通話がぶつりと切れて、ツーツーと虚しい電子音が聞こえてきた。あのクソじじぃめ。あたしが服を理由に断わるとよんで、先手を打ってきたな。これじゃ出なくちゃいけないじゃないの。あー……頭痛い。
「ちょっと遠藤君」
「んー?」
「さっきからきみ、何してんのよ」
「男にはない柔らかさを堪能してんの。気持ちいいね。女の子って」
「っ!!」
何を考えてるんだこの男は!? まあ、女がダメだって分かっているから、いやらしさの欠片もないんだけど、だからこうやって一緒に寝られるんだけど、でもねぇ……さすがに男女関連のコトに縁のないあたしでも、これはいささか刺激が強過ぎるワケさ。あ、なんかムズムズする。なんだ、これ?
「ねぇ松尾さん。今の電話、松尾さんのおじいさんから?」
そう問うた声はくぐもっている。そりゃそうでしょう。あたしの胸に顔、埋めてるんだから。そりゃあ声だってくぐもるでしょう。あたしの胸に顔、埋めてんだから。
「そうだよ。母方の、ね」
「何だって?」
「知人の娘さんの婚約パーティーに、一緒に出ろってさ」
「ふぅん。セレブだね。で、お気に入りのお姉さん達って?」
「じじ様の愛人サン。皆、綺麗な人ばっかりでびっくりよ。確か一番若いのが二十六歳の歯科衛生士で、一番年くってるのが五十八才のジュエリーデザイナー。ってか、さっきから何か当たってるんだけど。腿のところに」
「ああ、気にしないで。男の朝の生理現象だから」
せ、生理現象って……アレですか。やっぱり。
「あたし、もう起きるよ。シーツ洗いたいから、遠藤君も起きてよ」
「うん。キスして」
「はいはい」
ちゅっと軽い音をさせて、習慣となった“おはようのキス”をした。もちろんおでこによ。おーでーこっ!!
あたしが洗濯物をしている間に、遠藤君が軽めの朝食を作る。今朝のメニューはクロワッサンにトマトオムレツ、お手製ドレッシングのかかったグリーンサラダと甘めのカフェオレだ。それを向かい合って食べた。毎度の事ながら、美味しくて幸せだ。洗い終わった洗濯物を干し、室内の掃除が終わる頃、ピンポーンとインターフォンが鳴った。時計を見れば、十二時をちょっと過ぎている。ってことはアレだ。モニターで確認すれば、宅配業者の人だった。その手には、大きくて薄い箱を持っている。大きな溜息をついて、あたしは開錠ボタンを押した。
「それじゃあ言ってくるね」
じじ様が送ってきた空色のワンピースを着て、薄っすらとだけどお化粧もしたあたしの腕を、真剣な顔つきの遠藤君が掴む。
「遠藤君?」
「行ってきますのキスは?」
「……はい?」
「だから、行ってきますのキスだよ」
「は?」
今まで一度だって、そんなことをした覚えはない。って、そうじゃなくて、おはようとおやすみのキス以外、要求されたことはない。
眞人さんの部屋に荷物を取りに行ったあの日、唇でのキスをしたけれど、あれはその場の流れというか……雰囲気でそうなったというか……犬に噛まれたようなものであって、遠藤君にとってたいした事じゃなかったんだと思う。その証拠に、あれから一度も唇へのキスはないし、遠藤君の態度も変わらない。あの時だけだ。だからあたしも、あれはカウントゼロだと思うようにした。
「行ってきますのキスって……なによそれ」
あからさまに顔を歪めたあたしに、遠藤君は「今日だけだからね」と言って、あたしの頬に唇を押し付けた。
「いってらっしゃい。それ、凄く似合ってるよ」
「い、いってき、ま、す」
ぎくしゃくした動きで玄関を出ると、エレベーターに乗り込みエントランスへと下りる。マンションの外では既に、迎えの車が来て待っており、顔馴染みの運転手の牧野さんが後部ドアを開けてくれた。じじ様は別の車で会場に向かうそうだ。
ぼんやりと窓の外を眺めながら、さっき遠藤君の唇が触れた頬にそっと指先をあてた。どうして彼は、いきなりあんなことをしたのだろう?
「熱い……」
ぽつりと呟いたあたしに、牧野さんが「クーラーをおつけしまようか?」と声をかけた。




