ずぶ濡れの王子様を拾いました
昼頃から降り始めた雨は、夜の八時を過ぎる頃になると、かなり激しいものとなっていた。
まったくもって予想外の展開だ。だって、雨が降るなんて、お天気お姉さんは言ってなかったんだから。
あたし――松尾 莉奈は、店長から借りた親父臭い黒い傘を差して、マイ自転車を押しながら、誰も待つ人のいない自宅マンションへと向かっている途中である。
高校進学を機に、あたしは実家を出て独り暮らしを始めた。
それには理由がある。
継母とその連れ子とあたしの関係がちょっと……ね。まあ、よくある話なわけですよ。
今、あたしが住んでいる部屋は、亡くなった実母の弟――つまりあたしの叔父の持ち物で、現在叔父は海外に赴任中だ。少なくともあと五年は戻ってこない。延びる可能性も大だったりする。
どうしてここで独り暮らしをするようになったのかといえば、叔父があたしの立場というか……気持ちを汲んでくれたからだ。
叔父は父に、「自分がいない間、ここを遊ばせておくのはもったいないし、高校にも近いから留守番をすると思って使ってくれないか?」と、申し出てくれたのだ。最初は渋っていた父だったけれど、叔父の説得もあり、入学前にどうにかこうにか許可が下りた。
家賃は要らないと言う叔父を説き伏せ、相場の三分の一だけど毎月振り込んでいる。
このお金はどこから出ているのかと言うと、もちろん父からだ。
父は会社を経営しており、少しではあるけれど、この不況下にもかかわらず業績を伸ばしている。だから娘一人の生活費を出すくらい、父にしてみれば痛くも痒くもないのだ。
おかげで、使い切らないくらい、毎月父から生活費を貰っている。ありがたいことに、今のところ、あたしはお金に困っていない。けれど社会勉強のため、週三日ほど近所のカフェでアルバイトをしている。
何故か?
これはあたしに部屋を貸す際、叔父の出した条件の一つであり、バイト先も叔父の知り合いのカフェと決められていた。
過保護なんだか違うんだか……よく分からない。けれどこのバイト先は、あたしも凄く気に入っている。あそこで働くのは、とっても楽しいんだもん。嫌な事だって、失敗しちゃう事だって、沢山沢山あって大変だけど、楽しい事や嬉しい事がそれ以上にあるから。だから辞めたいとも思わなかったし、ここにしてくれた叔父さんに感謝していたりする。
「しっかし、よく降るわねぇ。今朝の予報じゃ降るなんて言ってなかったのに……ホント、当てにならないわ」
笑顔だけが取り得のお天気お姉さんは、雨が降るなど一言も言ってはいなかった。きっとテレビ局に、苦情の電話とメールがじゃんじゃん入ったことだろう。こうなると明日の朝が楽しみだ。冒頭に謝ると思うけど、あのお姉さんのことだから、誠意のこもっていない、可愛い子ぶった謝り方だと思う。早く代わればいいのに、ディレクターとデキてるって噂があるから、今すぐ交代――ってことはないんだろうな。
マンションの駐輪場に自転車を置くと、そのまま中へと通じる扉に向かった。
このマンションのセキュリティーはしっかりしているので、ここから入るのにも、キィを差し込んで部屋番号を入力しないと開かないようになっている。マンションの玄関も裏口もこれと同じ仕組みだ。
ふと、部屋番号を入力する指を止める。何かが動いた気がしたからだ。
この駐輪場には管理人がいない。
あたしはバックの中へそっと手を突っ込んで、ある物を掴んだ。こんな時、これがあると物凄く心強い。
実は三ヶ月ほど前、変質者がここに隠れていて、大学生のお姉さんが襲われた。
その時お姉さんは、護身用にと買った唐辛子エキスの入ったスプレー缶を所持していて、それを変質者の顔面に噴きつけ、見事撃退し、警察に突き出すという武勇伝をつくったのだ。
以来、ここには監視カメラが付き、警備会社の人が巡回するようになった。
けど、それでも不安は拭えなかった。
だからお姉さんに教えてもらい、あたしもそのスプレーを持ち歩くようになったのだ。
手に件のスプレー缶を持ち、あたしは何かが動いた方へとゆっくり近づいた。そして、自転車と自転車の間に、何かが蹲っているのを見つけた。
「だ、誰よ、そこに隠れてるのは!?」
別にあたしも武勇伝をつくりたかったわけじゃない。
けど、後ろからいきなり襲われるよりも、前から勝負した方が勝算はあると思ったから、隠れている奴を引きずり出そうと思って叫んだ。恐怖で脚が震えていたけど、がんばったんだよ。
隠れていたモノがごそりと動いたので、サッと噴射口をそちらへ向ける。いつでもスプレーの噴射はOKだ。
けど、のっそりと姿を現したそれに、あたしは目をいっぱいに見開いた。変質者だと思っていたそれは、頭から爪先まで濡れてぐっしょりしているクラスメイトだったからだ。
「え、遠藤君っ!?」
遠藤 侑――クラス一の美少年であり、あたしの通う【日比山学園高等学校】の王子様だ。ってか、どうして王子様がここにいるのー!
「う、あ……ま、松尾さん? 松尾さんだ。俺、俺ね、どうしたらいいのか、わか、分かんない、んだ」
ぼろぼろと大粒の涙を流す遠藤君は、何というか……いつも以上に綺麗で色っぽくって……不謹慎だとは思うけど、あたし、もっと彼が泣いている顔を見たい――って思っちゃったんだよね。ごめんね。
あぁでも、神様って平等じゃないんだね。めっちゃ不公平だ。だって男の遠藤君の方が、女のあたしより美人なんだもの。酷いよなぁ……神様って。うん。酷いわ。
「松尾さん……俺、うう~……」
子犬のような潤んだ黒い瞳が、縋りつくようにあたしを見た瞬間、あたしは彼の腕を掴んでいた。
無言で遠藤君をぐいぐい引っ張り、駐輪場を抜けてエレベーターに乗り込んで八階へと上がる。その間、遠藤君はぐずぐずと鼻をすすっており、ちらりとそれを見ては、その破壊的な可愛さに溜息をついた。
エレベーターが止まり、扉が開く。
そのまま彼を部屋へと連れて行った。
とっととお風呂を沸かし、この濡れ鼠――じゃなくて、濡れワンコを放り込まないと、風邪をひいてしまう可能性大だから。
あたし、ダメなんだよね。
捨て猫とか、捨て犬とか、見ちゃうと絶対に放っておけないタイプなの。
頼られちゃうとなおさらで……そのせいで貧乏くじを引いた事が何度もあったりする。
なんだか面倒な事になりそうな予感はある。
でも、だからといって、無視したり放ってなんかおけない。
あーあ……自分で自分が嫌になる。
個人サイトにある某話の元が、実はこれだったりします。
なので、冒頭がほぼ一緒(笑)
まあ、あっちは男同士なんですけどね。