第02話 幼なじみと家族
――☆☆☆☆――
「へっくし! ……うはぁ、びしょ濡れになったせいで寒くなってきた~」
俺は、風で乾かした服を着直し、冷え切った体を実感した。
「ここ最近春になったばかりだから、まだ風も少し冷えてるもん、そりゃ寒くなるよね」
「おい、分かっているなら、なんであんな事をした」
ディーニャの奴は、当たり前のことだ、と言わんばかりに頷きながら返事を返した。
「さっき言ったとおり、ロイが悪いんだよ。あんな目立つとこで、恥ずかしいこと、叫んでるから」
「恥ずかしい事ってなんだよ? 俺は自分の思いを、声高らかに張り上げていただけだぜ」
まったくディーニャの奴は、時々怒りっぽくなって困る。一体何が恥ずかしいのやら。
「それが恥ずかしいの! 何が、女の人といちゃいちゃしたいよ、『ミル姉に似た胸を持つ、美人なお姉様なら誰でも構わない』って、ついこの間までミルお姉ちゃんの事だけが好きで、他の女性に興味はないとか言ってた人の言う台詞としては最悪だよ!」
「嫌、まあ……それについては触れるな。ちょっと魔が差したんだよ」
こいつ、痛いところを突きやがる。確かに今まではミル姉一筋だったことが俺の誇りだったが、もう色々と吹っ切りたいんだよ。うう、思い返したらまた未練がぶり返してきた。
「何が魔が差したよ、ダンの悪口言ってると思ってたら、いきなり女の人の……そうだ胸、ロイっ、また胸のこといってたでしょ!」
「げっ、ディーニャいつから聞いてたんだよ、……え~とだな、それは言葉の綾というか、つい勢い余ってと言うか、あれだ願望が出たんだ、こうポロッと」
(やべえ、ディ―ニャの前で胸の話は自殺行為だっていうのに!)
「へ~……そうなんだ。――それで、ポロッと何?」
「それは…………」
「それは?」
「「…………」」
「くっ、本気で勘弁してください! もう二度といいません!」
このままだと、俺の命に関わると感じ取った俺は、全力で謝罪する方向にした。
「――……絶~対、許さないよっ! 前もそんなこと言ってごまかしたでしょ、私の前で胸の悪口なんか見逃さないよ」
「嫌、別に胸の悪口なんか言った覚えは、ただ胸のでかいお姉さんのこと考えてたわけで、そもそもお前に関係してるわけじゃ……あっ!」
「(――終わったな)」
「(相棒っ、そんなこというなよ! 大丈夫だって、まだ大丈夫だって思わせてくれよ。なんで、わざわざ留め刺すようなこといっちゃってくれるの!?)」
俺は、どうやら踏んではいけない何かを、全力で踏み縫いてしまったようだ。俺の相棒は、そんな事実をわざわざご丁寧に突きつけてくれた。……くそ、余計なことを。
「…………そうだよね、私には大きい胸の話なんか関係ないよね。ロイが好きなのは、ミルお姉ちゃんとか、ルトお姉ちゃんみたいな、たわわに実った物のことだもんね」
「おいおいおいおいっ、その両手にある水の塊はなんだ!?」
実はディーニャの奴は、自分の胸の大きさに不満を抱いている。全体的に小柄な体型であるため、胸は相応にしかなく。仲の良い、姉二人の豊満な体つきに憧れを持っているこいつは、胸の大きさについてはとても羨んでいるのだ。常日頃からその事を気にしているこいつの前で、迂闊に胸の大きさについて話すと、非常に顰蹙を買い、盛大な怒りと共に大量の水が飛来することになる。今まさに、この瞬間俺の目の前では、その予兆として、彼女の両の手のひらの上には一つづつ、次第に膨れあがっていく水球がまじまじと見られる。
「私だって別に小さいわけじゃないし、あの二人がちょっと異常なんだよ。二人して大きくなって、ミルお姉ちゃんにいたっては、もうあれは子供の頭ほどあるんだよ! 昔は私と変わらなかったのに、これでも私、平均ぐらいはあるんだよ。ロイもロイだよ、ミルお姉ちゃんの事だけならまだしも、『胸が似てたら誰でも言い』って、何それ、似てない私に対する嫌がらせ!? なんでそんなに胸ばっか拘るの、女性の胸は、そう言った目で見るためにあるものじゃないんだよ! それを村の男の人たちは、やれ『胸が大きくないと子供』だの、人のこと見れば『早く大きくなれよ』とかいって、妙に優しいこと言いながら、いつもあの二人の胸と見比べて! わかってるんだから、毎回毎回毎回毎回、うぅぅぅぅぅぅ! ――男の人って、そんなに大っきい胸が好きなの? …………グスッ」
「やべぇ、本気泣きまで一直線だ。――あの、ディーニャさん、さっきから両手にある水が、なんかすごい大きさになってるんですけど、大丈夫?」
ディーニャーが不満を爆発させ叫び出した後、半泣きになるまでの間、二つの水球は不満に呼応するかのごとく、その大きさを変えていった。現状で、ディーニャの両手の上にある水球は、片一方が俺より少し大きいぐらいなので、合わせてちょうど大人3人分ほどになると思われる。これは、非常に危険だ。ディーニャは自身の持つギフトを最大限に活用して、気に障った発言をした者を粛正する。そして、俺たちの間で、死にたくなかったら行うなととされる行為の一つに、ディーニャを泣かせることが上げられる。俺は、まさに今この瞬間、その禁の一つを破ろうとしている。言うなれば、ディーニャが泣くということは、災害を引き起こすと同義なのだ。
「…………何が大丈夫ですってぇ? ――全然、大丈夫なんかじゃないよ! 私の乙女心はズタズタで傷心の真っ最中なんだから! ふんっ、ロイにとっては自分の身の方が大事なんだね、こんな時でも私より自分の事なんだ。昔は――……いつも優しかったのに。ねえロイ、私ってそんなに魅力ないのかな?」
「へっ……うん、まあ可愛いと思うけど、魅力的かどうかで言うと引きつけられる引力っていう物が欠けている、と言うよりは足りないというか、もう少し出てるものがないと、そもそもの線引きに乗ってないというか、なんというかもう、早く大きくなれよって感じ? 「ブチッ」…………あぁ、何正直に言ってるんだろ。やってしまった……」
「(ロイ、お前馬鹿だろう?)」
「(うるせぇぇぇぇぇぇ! こんなときにばっか口出すな!)」
このくそめんどくさいときに、相棒は余計な茶々ばかりいれ、俺を混乱させる。事実自覚も少しあるから下手に反論できずにむかつく。――仕方ないだろう、俺は素直にいきてるんだ。正直者なんだよ。
「…………」
「(相棒、こんな時に突っ込み入れるなよ! 空気読んでくれよ。俺は今修羅場なの、話しかけるんだったら、現状を改善させること言えよ!)」
「(空気読めか……十分に読んだつもりだぞ。それに、その言葉はお前だけには言われたくない。――ほら、役立つ情報だ。俺の相手ばっかしてて、ディーニャの方を相手しなくて良いのか?)」
「(げっ、まずい! ――……あ、もしかしてこれ、切れてらっしゃらない?)」
余計な話しているせいで、ディ―ニャのことをほったらかしにしていたことに気づき、俺は慌ててその様子をうかがうと、そこには――光の消えた目と、感情を表さなくなった無機質な表情があった。どうやら、ディーニャ様は大変ご立腹のようだ。
「――なんか馬鹿みたいだな。…………ここまでいっても、一欠片の優しさもないなんて」
「嫌々っ、優しいよ俺! だから、とりあえずさっきから、どんどん大きくなっているそれ止めてください! いくらディーニャが、ギフトを扱うのがダンの次にうまいからって、その量は危険すぎる。二つ合わせたら、余裕でヴァルターの幹よりでかいぞ、そんな物がこの場所で暴発したら、俺、絶対死ぬ。確実に流れちゃいけない場所に、俺の命が流れ着いちゃう、せっかく旅に出る決意したばっかなのに、始まってもいないのに!」
「……旅? そうだ、そんなことも言ってたね。ロイは村を出て行くの? 私達を置いて、私のことを忘れて?」
「……さすがに忘れないってば、まあ置いていくのは否定できないが、やっぱ旅と言えば一人旅だよな。昔、亡くなった母さんもよくいってたよな、『旅は新しい出会いがあって楽しいけど、余計なしがらみがあると邪魔くさい』とかなんとか、父さんはその話を聞いてるときは、いつも気まずそうにしてたよな。……俺的にも、さすがに色々と邪魔されるのも困るし、本当にその通りだと思ったんだよ」
「そう、旅に行くんだ。それに、しがらみ――邪魔って…………そっか、私って邪魔なんだ。あはは、これじゃあ、本当に馬鹿みたいだ。ふふ、そうなんだ。アハッ…………ロイの馬鹿。――ロイの馬鹿、ロイの馬鹿、ロイの馬鹿、ロイの馬鹿ぁぁぁぁぁぁ! ぐすっ――うぅ、うわぁぁぁぁぁぁん!」
「…………終わった。くそ、泣き出しやがったって、はえぇよ! もう水が暴走してやがる。このままじゃ。くそ、でりゃっ! ――……駄目だ、俺のギフトだけじゃ、この馬鹿みたいな水量は止められない! 今度こそ死ぬ、間違いなく死ぬ。――おい、見てるんだろ、今度こそ手を貸してくれ。このままだと、二人して死んじまうぞ!?」
ディーニャが泣き出したことで、感情のままに放たれた二つの水球は、その姿を巨大な蛇のように変わり、天高く交差しながら舞い上がった。その後、真っ直ぐ俺の方に狙いを定めたその二つは、滝が空から落ちてくるかのように襲いかかってきた。俺は、その二つの水流に対し、自らのギフトを限界まで振り絞り作った風の渦を相殺するようぶつけ、何とか生きながらえた。もしこのまま、この水流が、俺に直撃したら、間違いなく命はない。そう判断した俺は、同じ体を共有している同居人。相棒に必死で助力を求めた。
「(やれやれ、お前は一体何がしたいんだ? 本当にディーニャとの会話が酷すぎる)」
「見ての通り、生き残りたいんだよ、俺はダンみたいに頑丈じゃないんだ。こんな勢いの水流をまともに直撃したら、ぶっ飛ぶだけじゃすまねえ、確実に全身の骨が砕け散るわ!」
「(まあ、二度と立ち上がれない状態になるのは確かか、だが、まだ持つだろう? うまい具合に風が水の流れをずらして、直撃はしていないじゃないか)」
「それも限度があるだろ! もう無理っ、俺一人じゃ逸らしきれん。本気でなんとかしてくれ!」
その言葉の通り、俺の力はもうすでに限界だった。二つの水流の威力は、生半可なものではなく、俺が受け流した余波だけで、俺の背後にある春光の森の木々をなぎ払い、見るに堪えない状態に変えている。むしろ、数分でも持ちこたえられている俺がすごいのだ。火事場のくそ力のかもしれんが、もうすでに、ギフト使いとして初級者から、中級者を飛び越して、上級者になっていると言っても過言ではないだろう。その点ディーニャの力は、熟練者……いや、ひょっとすると人外の超越者に片足を突っ込んでいるのかもしれない。今の構図は、ウサギがドラゴン相手に健闘しているようなものだ。こんな奇跡、長く続くなんてありえないだろう。
「(――仕方ないな、俺もお前がこのまま死んでしまうのは情けなすぎる。……俺の力、少し貸してやる。うまくやれよ!)」
「よっしゃ、よく思い切った! ――っ、きたきた。力が……漲って……きたぁぁぁぁ!」
相棒の了承の言葉を聞いた後、俺の体――胸の奥底から溢れんばかりの力がわき上がってきた。それは相棒の力。たかが二人分の力と侮るなかれ、俺たちが協力し合ったとき。ウサギはドラゴンに負けない程の化け物に変身する。これは、俺たちだけの特異な力、普通とは一線を画する力。相棒は、俺たちの意思が重なり合った結果『お~ばらっぷ』とか訳の分からない事いってたが、俺には詳しいことは分からない。ただ何となく分かるのは、誰にも負けない超絶的な力が手に入るってことだ。そう、俺なんかがドラゴンに勝ってしまうぐらい、馬鹿げた力だ。
「……いくぜっ、ぶっ飛べ、おらぁぁぁぁぁぁああああああ!」
――そうして、相棒の力を借り、普段以上にギフトが使用できるようになった俺は、右腕を全力で振り上げ、先日ダンをぶん殴ったときの竜巻にも負けない烈風を巻き起こし、迫り来る激流を上空に吹き飛ばすことで、何とか窮地を脱するのであった。
――――
「はふぅ、つ~か~れ~たぁ! ちょいと休憩だ。本当にお~ば……あぁ、やっぱ言いにくいから、略してオラ? う~ん……ちょいともの足らないからオラオラ状態でいいや。――あの後って、なんでこんなに気だるいんだ?」
相棒は時たま、使い慣れない言葉を使う、俺はそういったのには適当に言い換えたりして使うようにしている。
「(オラオラっておい、正しくはオーバーラップな。確か、意識が重なり合うって言う状況で使った気がするから、そういったんだが――まあ、あの時の状態に正しい名称なんてないから別に良いが、オラオラっていうのもな……)」
「別にいいなら気にすんなよ。それより、あの状態で始めてギフト使ったせいか、今回はいつにも増してきついぜ」
「(――そうなると、多様は危険か。根本的にあの状態は、お前の肉体に対して負荷がかかってるみたいだから、単純に疲労が出るのは分かる。ギフトもまた、使用すると精神的に疲労するらしいから二つ同時で心身共に疲れたんだろう。今後、あの状態でのギフトの使用は、もう少しお前がギフトを上手く使いこなせるようになってからにするべきか……、とりあえず、なれないうちは出来るだけ同時に使用しない方向でいこう)」
「了解っと。確かにギフトってのも、ここまでひどくはないけど、使えば使うほどだんだんやる気が減っていくんだよな。俺的にこういう疲れるのは歓迎したくないな」
相棒の言うことは道理に合っている。ギフトに目覚め、まだ数日しか経ってない俺は、身近にいる上級者達と比べ、今ひとつ制御が上手くなく、どうやら必要以上に疲れるらしい。オラオラ状態では、その場の乗りで思いっきり使ってるようなもんだから、制御なんか考えていない。0か100ぐらいしか扱えないのが現状はちょっと問題でもあるし、俺ってばあんまり疲れたりしんどい事ってのは苦手なんだよな。今感じてる疲れは、気軽に使うには割に合わなそうだし、ちょっと練習が必要なのが理解できた。
――
「それにしてもな、ディーニャの奴も割と気にしてるよな。胸のこと……」
俺は、ギフトの反動のせいで気絶しているディーニャを運び、ヴァルターの幹に背中を再び預け、つい先ほどの発端となったことを思い返した。
「(お前達が、巨乳、巨乳ばっか言ってるからだろう。この際もう少し普通の目線で、彼女たちを見てやれ)」
「いやいや、そうはいってもな、やっぱし女と言えばミル姉、ミル姉と言えば大きな胸。すなわち、魅力的な女性といえば、胸が大きいことなんだよ! ディーニャ達みたいな胸だと、子供っぽいというか、今ひとつそう言った目で見れないんだよね。まあ、妹分としては十分にかわいげがあるんだが」
そう、俺たち巨乳を崇拝するものとして、そこだけは譲れない一線なのだ。顔や性格も確かに重要だが、何を置いても胸の事がまず最初にくる基準だ。そこを満たせないものに、俺たちの情熱は受け止められない。すなわち、俺たちの死活問題なのだ!
「(まったく、……それだからディーニャに説教されるんだ)」
「うるせえ、相棒にだけは文句言われたくないね。自分の肉体がないから、欲情――色欲ってのが出てこないんだよ」
「(失敬な、確かに俺はおまえの体を少し居場所にしているだけのしがない存在だ。だが肉体はなくとも、俺だって最低限の色気云々は分かる。お前の場合、人の三倍は欲求に偏っているから問題なんだ)」
「はっ、人の三倍だって? 違うね、俺は数十倍、嫌――数百倍はあるね。この俺の中に溢れる、ミル姉を含めた美人のお姉さんに対する思いは、そこいらの男共とは比べものにならんのだよ!」
「(……はぁ、わかった。もういい、この話はここまでだ)」
まったく、相棒は情熱というものが理解できないようだ、一度ぐらい巨乳についての談義をしっかりとしなけらばならないようだ。先日騒ぎのせいで大幅にその数を減らした同士達、その代わりにこいつを仲間に呼び込むとするか。とりあえず、巨乳に対する見方を変える必要がありそうだな。
――☆☆☆☆――
「――だから巨乳というものは、男にとって大事なものが詰ってる所だ、そこが大きければ大きいほど、夢は広がるという訳なんだよ!」
「(はいはい、分かった分かった。巨乳は良いもんだな、俺も素晴らしいと思うよ)」
ロイの解説は、いつにも増して気合いが入っており、留まることを知らない勢いで熱弁していた。正直、俺としては胸の是非については興味はなかったが、一応話を合わせ、さっさとこのめんどくさい話を終わらせたかった。
「おお、やっと分かったか相棒! しっかり熱弁したかいがあったぜ」
「(それにしてもディーニャ、泣き疲れたのかギフトの反動か、お前の膝を抱え込んでしっかり熟睡してるな)」
あれからロイの無駄話をそれなりに聞いていたが、その間、ロイのストッパーたるディーニャは、ロイの胸の話にも気づかないほど眠り込んでいた。いつの間にかロイは自身の膝を貸し、ディーニャはその上に頭を預け、目を泣きはらしながらも、どこか安心するように眠っていた。
「うん? ああそうみたいだな」
ロイは、ディーニャの髪を優しく撫でて整え、頬を伝い零れかけた涙をそっとぬぐった。
≪まったく、こういった気遣いができるくせに、普段はどうしてあんなに駄目なんだか≫
その様子を間近で見ていた俺は、平時のロイとは違った、どこか優しげな兄をしている表情が、非常にもったいなく見えた。普段からこれなら、もう少し周りの評価もましになるだろうに。ちなみにメディル村でのロイの評価は、『男性陣は、同士であり、地味に嫉妬の対象』『女性陣からは、憧れの女性の弟分で、小憎らしい奴』『大人達からは、問題児の一人で、もう少し努力を見せて欲しい子』『子供達からは、意外と人気で、気が合うお兄ちゃん』となっている。正直、素直に喜べる評価は子供達を除き、親しい幼なじみや家族ぐらいである。二つの陣営からは、二人の姉貴分との関係が問題のためどうしようもないが、せめて大人達相手にはもう少しましに見てもらいたいところである。
「――とりあえず、この調子だと、さっさと旅に出た方が良さそうだな。ディーニャには悪いが、やっぱ旅に出たいし、変に妨害されたら参るしな」
「(まあ、手早くした方が無難だろうな。――それにしても勢いよく『旅に出る!』とか言ってたくせに、見事にずっこけ、文字通り足を取られたな。まったく、ディーニャは繊細な乙女ってやつなんだから、もう少し言い方ってもんがあるだろうが)」
「うるせえ、分かってるよ、確かに俺の方が悪かった。まあ……やっちまったもんは仕方ないだろう」
「(なにが仕方ないだ、全く、お前は相変わらずデリカシーって奴がないな。――ふう、だが自覚はあるようだな。それなら俺が五月蠅く言う必要もないか)」
ロイの女性に対する態度は困ったものだ。まあ今回の件については、自身の非を理解してるのか、ディーニャの事を指摘すると、先ほどまで生き生きと胸について語っていた表情に比べ、どこかばつの悪そうになり、自らの所行に後悔の念が所々に見えた。それが分かった俺は、これ以上の説教は切り上げることにした。
「『でりかし~』ねぇ、また知らない言葉だけど、なんとなくわかった。ようはあれだ女の子は、笑顔が一番って奴だろ? 村のじいさんがよくいってる」
「(……あ~、もうそれでいい。とりあえず今後は気をつけろよ)」
「へいへい、うんじゃま。そろそろ村に帰るとしますか。ディーニャの奴は起きそうもないし、負ぶっていってやるかな」
そういってロイは、ディーニャを背負い家路に就くのだった。
――◇◇◇◇――
「お~い……ロ~イ!」
「ロイ君、お帰り~」
「ミル姉! ――それとダン、ちっ」
≪ミルヴァとダンの二人か≫
俺たちがヴァルターから離れ、春光の森を抜け出て後、そこから少し歩いた先にある、近隣の町をつなぐ小さな街道の途中には、メディル村へと続く小さな脇道がある。その付近では、今日の話で登場した、ロイの幼なじみ二人が俺たちをお出迎えしてくれた。
「こらこら、出会い頭に舌打ちはやめぃ」
「うっせっ、やめてほしけりゃミル姉のこと諦めやがれ」
会って早々に舌打ちを喰らった、茶髪のショートヘアの男性がダン。メディル村で警護の任に就いている男性の一人で、仕事柄体つきはロイよりもがっしりしている。その背丈は、平均以上のロイを頭一つ分抜き、人社会のうちでは珍しがられるほどの高さである。服装は胴体にはレザーアーマー(動物の皮を素材とした鎧)を、四肢には簡素な防具を、腰にはグラディウス(鍔の小さな突き刺すタイプの剣)よりも少し小さな短剣を、といっぱしの旅人のような格好をしている。この格好はメディル村付近を見回るときに彼がよくしているものだ。
「相変わらずだなぁ。――俺がそんなこと了承するわけない、と分かってて毎回言うよな」
「けっ、この幸せもんが! ……まあ、いいや。それより二人揃ってなにしてんの? いちゃついてたんなら、見なかったことにしたいんだが」
「ふふ、私達はロイ君とディーニャちゃんを、迎えに来たんだよ」
この優しげな雰囲気の笑顔で俺たちを迎えた、ミルク色の髪を首元まで伸ばした女性が、ミルヴァ。割とわかりやすいため説明しておくと、彼女の髪色が名前の由来らしい。彼女は現在、新妻としてメディル村の調理や保存食の調達などを行う、家庭的な仕事でその手腕を思う存分ふるっている。容姿について一番に目に入るのがその胸である。散々ロイが熱弁した通り、彼女の胸は大きく、服装も胸元がきついからという理由で、基本は開放的な格好である。今日は襟や肩に布がなく、後ろ首に布を引っかけたタイプの服で、肩周りから胸元を大きく開けた格好だ。下半身も太ももが普通に見えるほど短い短パンをはいており、活発に走り回るための服装をしている。実は彼女、昔は結構やんちゃなところがあり、現在の格好はその名残なのである。
「そうそう、今日は一段とすさまじい音が、村まで届いてたからな。空には、この前みたいな風が出来てたし。今日は一体何があったんだ、またいつものじゃれ合いか?」
「いつものじゃれあいって、まあ、間違ってはいないが。今日のは、ディーニャが本気で泣きやがって、ギフトを使って俺の事をぶっ殺しかけたんだよ。……本気でやばかった」
「おいおい、ディーニャの奴久しぶりに本気泣きかよ。……ロイ、お前よく生きてたな」
「本当ね、ディーニャちゃんが本気で泣くと、ギフトの力も最大限まで高まるから、普通の人なら一撃だもんね。う~ん、今日はいつも使ってる『水玉連続発射』『水流乱れ打ち』なんかにしては規模が大きかったね。――もしかしてあの時の『鉄砲水』とかでちゃったりして?」
「最後の正解、今日は鉄砲水の二発同時発射だ。……昔のトラウマが蘇ったぜ」
≪鉄砲水というか、今日のあれはいわば巨大な水の蛇が襲ってきてるようだった。昔に見た、激しく打ち出されるだけだった水流とはほとんど別物だな≫
「鉄砲水か、それって確か、ガキの頃にディーニャがギフトの力を自覚したばっかで、ろくに使えなかった頃、ロイが悪戯して泣かした時に使った奴だよな? ギフトが制御できずに、暴走しちゃって、上級者並の力でぶっ放した奴だろ? ……あれって、春光の森の木々を数十本ぐらいなぎ倒さなかったっけ?」
「それだな、今回はそれより強力で2倍の量、両の手から出来たそれは、大空高くからの勢いを付けて襲ってきやがって、子供の頃の比じゃなかったぜ」
「あれはかなりすごかったね、当時を見ていたけど、あの時は水流一本が水平に飛んで行っただけでけっこうない威力だったもんね。多分あれよりも凄いんだったら、真っ正面から受け止めたら頑丈なダンも一撃だね!」
「……否定しない、つうかロイよく生き残ったな。お前がこの前目覚めたギフトの力のおかげか?」
「まあ、それもあるが……今回は俺の力だけじゃ、逸らすだけで限界だった。とまあそんな訳で――最終手段に頼らせてもらってなんとかだったな」
最終手段、それは隠語で俺と協力することを意味する。ロイ曰くオラオラ状態といわれる現象を見知っている者はあまりいない、実のところ目の前の二人以外に知る者は、出稼ぎに出ているルトヴィアとロイの父親に、村の長老が話だけを聞いている程度で、幼なじみの一人であるディーニャですら詳しくは知らないのだ。
「……最終手段。なるほど、あいつの助けを借りたのか」
「それでか、ロイ君だけだったら、今頃は圧死か、水没死か……とりあえず生きてはいないだろうね。彼に感謝しときなよ~」
「うわ~、想像したくない。ミル姉、やめてくれよ~、考えないようにしてたのに。――まあ、適当に感謝しておくよ」
≪適当ね、だったらしっかり感謝しろよな、まったく≫
今のところ、メディル村で俺と面識があるのは、ダンにミルヴァにロイの父親と出稼ぎ中のルトヴィア。彼等とは時たま会話する機会があるが、割と気楽に受け入れられているみたいで、親しい仲といっても良いだろう。なぜか知らないが、ロイと長い間一緒にいる者は、俺の存在をなんとなく知覚しているらしい、いると言われれば「そうなのか」と納得される。どうやら、俺の存在はロイの一部や、ロイを見守っている精霊のように認識されているらしい。微妙に違うのだが、俺としては個人的に問題ないので、そういった認識で通しているのだ。
「あはは、ごめんね。そっか、それでディーニャちゃんは、ロイ君に背負われて運ばれてるんだね」
「ディーニャの奴、ギフトの使いすぎか泣き疲れたのか、俺が鉄砲水を上空に吹き飛ばした後で見てみたら、見事に力尽きてて倒れてたんだ。起こそうにもまた暴れられても困るし、とりあえず熟睡してるうちに家にでも送っておこうかな、と思ったんだ」
「……まったく、ロイ君ってば、あんまり女の子泣かしちゃいけないんだよ!」
「ミルのいう通りだな、もっとディーニャに優しくしてやれ。――どうせまた余計なこといったんだろ」
「……うげっ、それは」
「うん?……それは~?」
「「「…………」」」
ロイは、図星を突かれたことで上手い言い訳を考えることで忙しくなり無言になり、ミルヴァは、少し厳しめの言葉をいった後、ロイの様子を見守り。ダンは、にやにやしながら、どこかおもしろがってロイを見ていた。
「まあ、色々あったんだよ!」
≪逃げたな≫
(逃げたね)
(逃げやがったな)
ロイの無様な様子に、俺たちの思いは一つになっていただろう。
――◇◇◇◇――
あの後、街道から脇道を進み、俺たちはメディル村の付近までたどり着いた。
「あぁ、二人には先に言っておこうかな。……俺、旅に出ようと思ってるんだ」
そのタイミングでロイは、二人に対し、今日の決意を告げた。
「旅って、どこに――いつからだ?」
ダンは、その台詞に対し僅かな驚きをみせ、疑問を返した。
「――……もしかして、私達が原因?」
ミルヴァは、心当たりがあるようで、少しの間考え込んだ後、ロイにその原因を尋ねた。
「出発は……明日の朝から昼頃ぐらいかな? それと別に二人が原因ってわけじゃ――嫌、やっぱダンのせいだ」
「おい、またか! また俺に八つ当たりか!」
ダンは、先日のことを思い出したのか、自然とロイから半歩身を逸らし、警戒心を上げた。この男には、先日の出来事はトラウマになってのだろう。――不憫な男やつだ。
「……それにしても急な話だね、旅って何か目的でもあるの?」
「……色々とあると言えばあるけど、個人的に少しの間、村から離れたいと思ったんだ。ほら今まで、二人のこと邪魔ばっかしてただろう? まだ生まれてないとはいえ子供ができたんだ、前回あれだけ思いっきりやったし、いい加減ダンを襲撃するのはあれで最後にしておくよ。――それに二人の幸せそうな子育ての姿を見ていると。…………幸せな過ぎる姿を見せつけるダンを殺したくなる」
その最後の台詞を言ったときのロイの表情は普通だったが、その瞳にはただひたすらの殺意が渦巻いていた。まだまだ彼等を認めるのには時間が掛かるようだ。その点今回の旅路はよう方向に持って行くには必要な処置だと俺は思う。
「おいこらぁ……最後じゃなかったのかよ!」
「あ~、……そんな風に考えてたんだ、それじゃしょうがないね。――旅って一人旅、不安とかないの?」
「少し前だったら、夜盗や野獣の群れとかが心配だったけど。今じゃギフトを手に入れたことでやれること増えたから、むしろ少し気が楽になったかな。最悪、相棒もいることだし不安とかはないかな。それに今まで一度も村の外に行ったことがないから、春光の森を超えてどこかを旅するっていうのは期待の方が数倍あるんだ!」
「まあ、ロイなら一人旅ぐらい余裕だろ。お前はまじめにしてりゃあ、頭も体も両親のいいとこ取りなんだから。確かお前の死んだお袋さんは、彼方此方を旅して回る旅人の中でも凄腕の冒険者で、親父さんは、そんな人に旅の同行を認められた有数の人だったよな」
「そう言えばそんなことも言ってたね。……お父さんのことはどうするの、ちゃんと旅のこと言ってるの? ロイがいなくなったら家には、あの人だけになっちゃうよ。」
「……それについては、この後うちに帰ったら話す予定。親父も俺がいなくて寂しい、とかはさすがに思わないよ」
「……そうかな? まあ、そこら辺は私が話すことじゃないか。まだ何も準備してないんだよね――だったら、ダンお願いね」
そう言ってミルヴァは、誰もを魅了するような親愛の籠もったウィンクをダンに贈った。
「おうよ! ロイ、背中のディーニャは俺等が送っておくぜ。だからさっさと家に帰って旅の準備してこいよ」
その意図を直ぐさま理解したダンは、ロイに向かって背を向けしゃがみ込んだ。
「……なんだよ、気が利くじゃんダンのくせに。――……なあ、二人とも。俺が旅に出るのに賛成してくれるのか?」
ロイもまた、そのやり取りを理解し背負っていたディーニャを下ろし、両腕で抱え込んだあとダンの背に預けた。その後、少し伺いの目線を二人に送りながら、自身の旅立ちについて尋ねた。
「私はロイがしたいようにすれば良いと思うよ、だから賛成。ロイが何をしに旅に行くのか、きっと色々とあるんでしょ――ねっ?」
≪……言ってやりたい、この場でロイの目的がミルヴァに似た美女を探すことと大声で≫
「(おい、相棒。今は良い雰囲気なんだから空気読めよ。……余計なことはなしだぜ?)」
「(ちっ、分かった……)」
少し魔が差し掛けた俺だったが、どうやら普段は働かないロイの勘が、ここぞとばかりに発揮したらしく、俺の考えを見透かされたようだ。こいつの場合、女が絡むと、必要以上に性能が上がる気がするな。
「俺は、どっちでもないな、ただミルが望んだから手伝ってるだけだ。だが……まあ、旅っていうのも羨ましくはおもうな。俺にはミルがいるし、半月後ぐらい先だけど子供もできるんだから行く気にはならんが、外の世界がどんな物か興味はある。だから俺の、俺たちの代わりにお前が見て来るっていうなら止めやしないぜ。――だから絶対帰ってくると誓いやがれ。そうすれば、少しは兄貴分として弟の背中を押すぐらいはしてやる!」
「……悪い――ありがと、二人とも。どれくらいになるかわからないけど、必ずメディルに帰ってくることを約束するよ。…………それじゃ、ディーニャのこと頼む」
「あいよ、ほら俺の背に乗っけろよ」
「おう、よいせっと。――……まだぐっすりだ。全然起きやしないな」
そう言って、ロイは今日を機に少しばかり、長い間離れることになる妹分に、少しばかりの慈しみを込めた目で見つめた。
「ねえ、ロイ君。君のことだから……ディーニャちゃんやみんなにろくな挨拶せず、黙って村を出て行くんでしょ? 帰ってきたらでいいから、ちゃんとディーニャちゃんの相手してあげるてよね」
「…………ミル姉にはお見通しか。――わかったよ帰ってきたら、ディーニャのお願いの一つや二つ聞いてやるかな」
「うん、そうしてあげてね。それじゃあ、私達はもう行こっかダン。ロイ君、見送りはこの場で済ませておくよ。次に会える日を楽しみにしてる、行ってらっしゃい!」
「そうだな、――……うんじゃ、またなロイ!」
「――ああ、また!」
そうして二人と別れたロイは、幼なじみ達とのしばしの別れを実感し、どこか寂しげな表情を一瞬だけ見せ俯いた後、それを振り払うように家路にむかって駆け出した。
――◇◇◇◇――
メディル村の中央から、少し離れた森の中、小川のすぐ横にロイが暮らしてきた家がある。造りは農家の家のものにしてはしっかりしており、家から離れた場所には家より少し大きめの倉庫がある。この倉庫は、村の物置みたいな風に使われている。
「ただいま~、親父いるか?」
自宅の扉を、意気揚揚と開け、普段よりやかましげな調子で帰宅を告げたロイは、自身を含め二人しかいない同居人である父親の所在を尋ねた。
「……お帰り、今帰りか?」
そうすると、自宅の奥から、大人特有の重みがある声の返事が返ってきた。
「まあな、親父少し良いか?」
「――ちょっと待ってくれ、今そっちに行く」
そう言った後、自宅の奥からロイのいる玄関付近に現れた、ロイに比べ僅かに背が低い身長、線の細い見た目に反し、がっちりとした鍛えられた体つき。歴戦の雰囲気を漂わせる
男性こそロイの父親である。
「なんだ、またなにかお願いか? それとも、またお婆様に呼び出しでもされたのか?」
「どっちもちげえよ、長老には今日は会ってないし。ちょっと聞いて欲しいことがあるんだよ。」
父親が、お婆様と言ったのは、村の長老のことである。村で年配の者達は、既にルトヴィアに代替わりがなされたと判断し、役職で呼んでいないのだ。ロイたち若手は、ルトヴィアを長老と呼ぶにはまだ違和感があるらしく、いまだお婆様とは呼んでいないのだ。
「あらたまってへんな奴だな、どうしたんだ?」
「――……俺さ、旅に出ようと思うんだ」
ロイは若干の間を取った後、どこか緊張しつつも、はっきりとした声で父親に自らの決意を表した。
「――旅に? …………そうか」
≪うん? えらく理解が早いな≫
驚いたことに、父親は疑問で返事を返した後、ただ一言呟いただけで、全てを受け入れたような雰囲気を見せた。
「――えっ、そうかってそれだけ!? もうちょい言うことはないのかよ」
その反応に、今ひとつ緊張感がとけたロイは、父親に疑問をぶつけ突っかかっていった。
「何を言えというんだ? お前が突拍子もないことを言うなんていつものことだ。お前と母さんには、もう何回も驚かされてきたからな、そう簡単には驚かないさ」
この父親の肝はだいぶ据わっているらしい。……というかある意味妥当ではあるのか。ロイの母親はだいぶ彼を振り回したらしく、その破天荒ぶりはロイに輪をかけた有様で、それに耐性がある彼ならば、確かに驚きはほとんどないかもしれない。
「嫌、確かに親父は昔っから、俺たち二人には振り回されているみたいだけどさ……」
「それに、お前がいつか旅に出るというのは、母さんが生きてた頃から覚悟してきたことだ。だから、それを急に言われたからといって。大げさなことにはならんよ」
「……嫌に落ち着いてるな、と持ったら、母さんが生きてた頃から覚悟してたってなんだよ。俺が旅に出ることが、なんで俺がまだガキの頃に分かってるんだよ!」
「…………勘だ」
「――はぁ?」
≪むっ?≫
いまいち、要領がつかめないな、確か彼女はロイが子供の頃になくなっている。そんな彼女がなぜ勘で、今日という日来ることを予感できたんだ?
「勘だと言っている、母さんが、お前を見てふとそう思ったらしい」
「なんだよそれ、親父はなんでそんな曖昧なもの信じてたんだよ。勘とかそこまで意識するもんじゃないだろうに」
「――あの母さんだからだ、あの人の勘は並じゃなかった。俺と母さんが旅人として彼方此方を旅してきた頃、俺は探索者で母さんは冒険者だった。そうして旅の中、何度もあの人の勘に助けられたんだ。……母さんは子供の頃から優秀な狩人だったせいか、野生の勘というのに優れていたんだよ、それが冒険者として自分から危険に飛び込むようになって、そこから何度も生還した経験が加算され、いつしか母さんの勘は俺にとって、必ず当たるというものになったんだ。――母さんはその勘でな、お前がいつか旅に出て、きっと何かでかいことを成し遂げる気がするとよく言っていた。…………自慢の息子だってな」
「――……なんだよ、訳分かんねんよ。いきなり小っ恥ずかしいこと言うなよ。――たけど、そこまで分かってるんだったらいいや。それじゃ親父、俺は旅に行ってくるぜ。俺は旅に出て、母さんが自慢に出来るでっかい男になってやる! そして俺は、美人のお姉さんのハーレムを作る! そして、お姉さんといちゃいちゃして、グフフッ――」
ロイはその話を聞き、何かしら火が付いたのか、その瞳の中はやる気に満ちあふれ、この場で高ぶった感情のままに両親に自らの道を宣言した。その後、想像の中の自分に酔いしれたのか、ふやけた顔でにやついていた。
「――……むぅ、ハーレムか。さすがにそれは予想できなかったな。――まあ、母さんも子供の頃そんなこと言ってたしおかしくないか。確か『男共をみんなあたしの下僕にしてやる』とか。血は争えないというものなのだろうな……てっきり俺と同じように幼なじみに一途だと思ったんだがな」
父親はあきれ顔をした後、いくつかの問題発言をした後、僅かな困惑を見せた。
≪なんだろう、この家系はいくらか問題があるのでは? 息子も酷いが母親も、似たり寄ったりだ、これは完璧に遺伝と見た。それにしてもあんたら幼なじみだったのか。この話はディーニャに聞かしてやりたいぜ。まったく≫
「なんか言ったか親父?」
妄想の海に浸っていたロイには、父親の声は届いてなかったようだ。
「何でもない、――出発はいつだ? 他の者には挨拶しているのか?」
「出発は明日の朝から昼頃までの予定だ、今のところ挨拶してるのは、村にいる幼なじみだけだな」
「そうか、とりあえず今から早速準備に取りかかろう。俺たちが昔使っていた装備で、まだ使えそうなものがいくつかある、それも持って行け。お前はその間に自分の荷物をまとめておけ」
「――了解、助かるぜ! それじゃあさっさと準備してくるか!」
そういってロイは、自分の荷物を取りに、家から離れた倉庫に軽い足取りで向かっていった。
――☆☆☆☆――
「ふむ、幼なじみには話していると言ったが、ディーニャはどうしたのやら、あの子がロイと別れるのを素直に認めるとは思えんが……そこら辺はどうなんだ? まだこの辺りにいるのだろう出来たら詳しく聞きたいのだが?」
「(……きづいてたか)」
ロイのやつがさっさと走り去っていったため。家の中にいるのは彼と俺だけになっていたが、普段の俺は大抵の人間には知覚できない。親しい間柄の相手でも、俺からのアクションがなければどの辺りにいるのかすらもわからないというのに。まさか、そんな彼が俺の存在に気づくとは驚きである。
「ふふっこれでも昔の経験のおかげで、いるかいないか、何かしようとしている意思ぐらいは分かるんでね。よかったら、俺の質問に肯定なら、意思を送ってくれ。否定なら何もしなくていい。――それじゃまず、俺の質問に答えてくれるか?」
「(これで、いいのか? とりあえず、肯定だ。)」
この展開は予想外だったが、どうせ今日で一旦別れる相手だ。快く質問に答えてやろうと思う。決して、ロイの非道ッぷりを誰かに伝えたかったわけではない。
「うん、ありがとう。――それじゃあ、次だ。ディーニャは反対していたかい?」
「(ああその通り、全力で嫌がって実力行使で止めようとしたな。あの子が、このままロイの出発を素直に見逃すとは考えられないな)」
「これも肯定か、このまますんなり行くとおもうかい?」
≪ないな≫
俺は意思を表さず、心の内で否定の言葉をつぶやいた。
「――……これは否定か、うん、有り難う。何となく予想は付いた」
「(どういたしましてだ)」
どうやら、父親には予期できたのだろうな、ディーニャの今後の行動が。さすが経験者は違うと言ったところか。
「さて、息子の旅は始まる前から慌ただしく、出発の時もより慌ただしいことになりそうだ。今後のあいつの旅は波乱に満ち溢れているだろうな」
「(それに同行する俺としては困った話だ)」
「それじゃあ、俺も準備に掛かるか。あらためて、質問に答えてくれて有り難う。君とも少しの間お別れだな」
「(ああ……、こんな俺にまで随分と律儀なもんだ)」
どうやら、俺なんかの存在でも彼にとっては別れを惜しむ相手に足りるらしい。
「――……勘だけど。今、自分なんかにわざわざ律儀な奴、とか思っただろう?」
「(――なっ!)」
「今度は驚いたみたいだな、こっちは伝わってくる意思で分かった。どうやら、俺の勘も捨てたもんじゃないらしい。――最後にちゃんと言っておこうか、君もまた僕らにとっては家族さ、なんせロイが生まれたときからの付き合いだ。別れぐらい惜しむ関係だと俺は思ってるよ。さて、今度こそ準備に掛かろうかな、じゃあね『タクミ』」
「(…………おう)」
俺は久方ぶりに自分の名前を含んだその台詞に、若干の照れが混じった返事をし、家の奥へと消えていく彼の背を見送った。
≪家族――か、今の俺なんか家族と呼んでくれるとはな。俺の事をそう呼ぶのは他に誰がいるんだろうな。『エナ』……お前なら、俺の事を家族って呼んでくれるか?≫
俺は、家族と聞きかつて一緒にいた半身とも言うべき存在が、今の俺を見て何を思うのか気になった。エナと別れもう長い年月が過ぎたというのに、未だ俺はあの時を悔やまざる得なかった。もしもがあるなら、俺はずっとあの子とともにいてやりたかったが、今ではそれはかなわぬ事、それがわかっているからこそひどく切なくなる。
≪……いや、昔を求めるのはこれくらいにしておこう。今のこんな俺にも相棒と呼ぶやつがいる、とりあえず、あの馬鹿に付き合って、まっすぐ前を向いていこうか。――さてさて、一体どんな旅路になるのやら。ははっ、まったく家族の世話を焼くというのは、如何せん難しいものだ≫
過去を思い返し、少し寂寥を感じた俺だったが、今後ロイとの旅路の中で訪れるであろういくつもの問題の世話を焼かされるであろう自分を思い描き、その予測される苦労に一瞬悩みもしたが、何となくその様は見飽きぬだろう事だと思え、いくららかばかりか気が楽にもなった。そう、家族の世話をするということは、たぶん俺にとっては当然のこと。そんな俺でいい気がしたのだ。
――★★★★――
この旅立ちの前夜までこそ、イデニオンという世界に新たな幕を上げる、第一章の開幕の導入部分。
ロイとタクミ。彼等二人が、今後この世界に何を巻き起こすのか、その旅路の果てまで、どうぞごゆるりと…………
――★★★★――
ロイの台詞が少し問題な感じがして、地味に大丈夫かな? と思った俺でした。基本このキャラは、欲望に単純なキャラなんで、できたらこんな馬鹿なんだ、みたいにとらえてもらっていたらいいです。一応理由なんかはまたこそっと説明入れたりするので、それまで生暖かい目で見ていただけたら幸いです。