05
今週は平日休み。カオルが、女の子と遊ぼうと言って連れ出してくれた。ちょっと嬉しいチカだったが、衝撃の事実を知ってしまう。
翌週は水曜が休み。寝起きのぼさぼさ頭のまま、俺がキッチンで水を飲んでいたら、カオルが部屋から出てきた。
「おはよ」
「おう。お前も休みだったのか。死んだように寝てんだな、音もしないから、いないのかと」
「うっせえ。出かけんのか?」
大した格好ではないが、いつものTシャツと短パンではない。カオルは頷いて、腕の時計を見た。
「まだ間に合うな。おい、お前も一緒に行くぞ」
「何だよ。どこに」
「同期の女たちと、映画見に行くんだよ。ほら早く、顔洗え」
「えー」
とはいえ、別に嫌ではなかった。こうして誘ってくれるのも、有難いくらいだ。言われた通りに着替え、適当に髪を撫でつけていたら、カオルが誰かに電話をしている。
「もう一人連れてく。いいだろ? 誰って、チカだよ。チカ。知らねえ? ……あー? 何言ってんだよ、そんなんじゃねえって」
多分、女性だと勘違いされたんだろうな。だいたい、推測はできる。
集合場所には、派手な格好に濃い化粧の女の子が集まっていた。華やか、というか、怖い。
「チカを連れて行くってカオルが嬉しそうに言うから、いつの間に彼女ができたのかと思ったのに」
「ねー」
俺は非常にびびっていた。環さんが厚化粧だと思っていた頃が、いっそ懐かしい。
「大人しいのね」
「怖いんだろ。恐ろしい女たちに囲まれて」
「ひどーい」
カオルは愛嬌があるし性格が明るいから、女性には人気があるようだ。
レディスデーってこともあって、映画はおごらされた。
「男一人じゃなくて、助かった」
「俺はお前の財布じゃないぞ」
女の子たちはけらけら笑い、お茶しに行こうと言い出す。
「飲み食いした分は、自分で払えよ? だいたい、貰ってる給料は同じじゃねえか」
小洒落たフルーツパーラーに入り、少々高めのメニューに困りつつも 、無難に生ジュースを頼んでみる。その頃には雰囲気も解れて、普通に彼女たちと話ができるようになっていた。
「こんな風に、みんなでよく遊んでんの?」
「そうでもないわ。でも、学生のときの友達とか、休みが合わないもん」
「カオルは安全だしね」
「……どういうこと? 女の子の方が、数が多いから?」
訊き返したら、彼女たちは顔を見合わせた。カオルが急に、口を挟んでくる。
「チカは耐性がないんだから、余計なこと言うなよ?」
「余計なことって、何だよ」
「当のカオルが余計なこと、言ってるんじゃない。それに、チカちゃんも同じ部屋に住んでるんでしょ」
俺は、『チカちゃん』じゃない。いや、それより。
「訳わかんね。知らないのって、俺だけってこと?」
「ほらあ。怒らせちゃったわよ」
カオルが黙り込んだので、別の女の子が口を開く。
「カオルって、ユキと付き合ってるらしいの。だから、女の子には興味ないって訳。でも、チカりんには秘密だったのね」
『チカりん』でもない。
「っていうか、鈍くない? 何で気づかないの?」
「大きなお世話だよ。それより、本当なのか? カオル」
問い詰めている口調が、自分でも嫌だ。カオルのやつが返事をしないから、女の子たちが取り成すように、口々に話し出す。
「いいじゃない。私たちがいるんだから」
「チカは、女の子の方がいいんでしょ?」
やっと、『チカ』になった。せめてこれで、固定してくれと思う。
「……あ、うん。でも、何も知らなかったと思ったら、腹が立ってさ。ごめん」
一応、謝ったら、彼女たちはほっとしたような顔になった。何も女の子が悪いわけじゃないのに、気を遣わせて済まなかったと思う。
「また、チカが水曜休みのときに、誘うわ。みんなで遊びましょうよ」
「うん」
「悪い。帰る」
いきなりカオルが立ち上がり、俺の腕を引っ張った。
「な、なんで俺も……」
帰る場所は、同じだけどさ。
「ちゃんと話して、仲直りするからさ。次も、俺も混ざっていいだろ?」
「チカが、いいって言ったらね」
「それは大丈夫」
カオルが自信ありげに言うと、彼女たちは重々しく返してくる。
「身体で説得なんか、するんじゃないわよ?」
……やっぱり、女は怖い。何てことを言うんだろう……。
俺たちはほぼ無言で、部屋に戻った。カオルがまた俺の腕を引っ張って、テーブルにつかせる。振り払ったが、それでも、座ることは座る。やつは俺の正面に回り、まっすぐにこっちを見た。
「黙ってて悪かった。言い出せなくて」
「……いや、いいよ。カオルには、何をされた訳でもない。逆に、親切にしてもらってる。でも、何なら……、出ていくけど」
「止めてくれ! おれは……、おれたちは、お前が好きなんだよ。えっと……、色んな意味で。おれなんか実際、お前を抱こうとは思わな、」
最後まで聞きたくなくて、素早く耳を塞いだ。感じのいい兄貴分だと、思っていたのに。
「俺に直接、害がない限り、誰が誰と付き合おうが興味ないし、偏見もないつもりだけどさ。どいつもこいつも、俺にはちゃんと教えてくれないんだと思ったら、詰まんなくなっただけだよ。それじゃ」
言い捨てて立ち上がったが、カオルが追いすがってきて簡単に捕まり、抱きしめられる。ユキとは違って、直接的に、力が強い。
「放せよ」
「頼む。許してくれ。そうじゃなかったら、おれ……」
あんまり口調が弱々しいから見上げたら、心底、辛そうな表情だった。
「何て顔、してんだよ。カオル」
「そう……か?」
「俺が泣かせたみたいじゃないか。こないだの理屈じゃ、俺が悪いのか?」
わざと軽く言ったら、カオルはほっとしたように見えた。
「……機嫌、直してくれたのか?」
「その、痴話げんかみたいな表現は止めろ」
「ただいま」
ドアが開き、ユキが姿を見せた。リビングで立ったまま、二人が抱き合っている姿が目に入れば、普通は驚くだろう。
「……お邪魔、だったかな」
逆に、恐ろしいほど冷たく落ち着いた声は、内心どんなに怒っているのだろうと……、分かってしまう自分も、少々情けない。
「ユキ。チカにばれた。おれたちの関係」
「……で? 無理に抱いて、こっちに引きずり込もうと? そういうやり方は許せないって、カオル自身がそう言っただろう?」
「あ、いや……、これは……、チカが怒って出てくって言うから、それは力ずくでも止めたくて。えっと、深い意味はない、から……」
それこそカオルはユキが怖いらしく、慌てて俺を放す。
「やましい気持ちがあったら、僕を見た途端に放して、言い訳を始めるだろうからね。カオルを疑ってはいないよ」
「そ、そうか」
全身でほっとしている様子が見て取れて、いっそ微笑ましいくらいだ。
「じゃ。ほんとに落ち着かないから、部屋引っ込むんで。あとは二人で好きなように過ごしてくれ。あんまり……大きい声とか、出さないでくれると有難い」
言い捨てて部屋に入ろうとしたが、ユキが決めつける。
「心配しなくても大丈夫だよ。今までだって、チカは気づかなかったんだもの。鈍いのかも知れないけど」
「おいユキ、言い過ぎだぞ。チカがまたへそ曲げたら、どうすんだよ」
もう、十分に曲がってるよ。
「悪かったね」
「僕の真剣な気持ちも、全然分かってくれてないし。それなのに、次々に他の男にも好かれちゃって。致命的な鈍さだね」
「そういうのって、鈍い方がいいような気がするぞ?」
言い返したが、ユキは首を振った。
「初めて会ったとき、チカはすぐに出て行ったからさ……。僕たち、バルコニーから君を見送ってたんだ。そしたら、一度も振り向かないどころか、腕時計ばかり気にして……」
「そうそう。それからユキが機嫌悪くって、困ったっけ」
カオルが相槌を打つ。
「何の言いがかりだよ。それに、こっち側にバルコニーがあるなんて、ついこの前まで知らなかったっての」
「そのときの相手が、あの彼でしょ? まさか、もう逢ってないよね」
ユキの真剣そうな眼差しに、射すくめられそうだった。
「あ、あ、逢うって表現は、ちょっと……。でも、電話かかってきてグダグダいうから、会社の寮なんだって説明はした」
「どうしてそんなに、八方美人なんだよ! 誰からも好かれたいのか? 少しは自覚を持ちなよ。危なっかしすぎる。……ねえ、カオル。やっぱり、僕が教えた方がいいかな?」
急に激したと思ったら、カオルを振り返って問いかける。カオルは何度か空咳をしたが、それでも喉に引っかかったような声で答えた。
「……う、うん。ユキがそう考えるんなら。おれも、チカを他の男には取られたくない」
「何で、男限定なんだ! 今日会った連中でもいいだろ?」
「今日?」
ユキが聞きとがめ、カオルが説明した。
「会社の女子。映画行くってことになってて、出がけにチカが起きてきたから連れてった」
「そう。でもチカも、僕たちと同じ匂いがするから……、もう、無理じゃない?」
ゆっくり歩いてくるのがどうにも恐ろしくて、ずるずると後ずさる。どんだけ素早かったら、捕まる前に部屋に逃げ込んで、鍵をかけれるんだろう? そのとき、俺の携帯が鳴った。誰でもいい、いっそ助けを求めてしまおうかとまで思う。
「出なよ。隙をついて襲ったりはしない」
ユキの言葉は全く信用できないが、取り出してみる。画面にはあまり見覚えのない、女の名前……、ああ、そうだ。今日、番号を交換したんだった。
『チカ、大丈夫? カオルと仲直りした? っていうか、襲われてない?』
「サンキュ。ユキも帰ってきて、三人で喋ってたとこ。雰囲気が微妙なんで逃げようと思ってんだけど、俺が明日ケツを押さえてたら、同情してくれる?」
電話の向こうには他の子もいるらしく、けらけら笑う声が響く。
『頑張ってね。おやすみー』
「うん。おやす……み」
電話は、切ってしまった。いつの間にか目の前に、ユキが立ってる。俺の背後にはカオルがいて、逃げ場はない。どっちも俺より背は高いし、力でも技でも敵わないのはもう知ってる。今の話が事実になりそうで、非常に拙い状況だ。
「悪い、ユキ。俺には無理だ。こいつ、震えてる」
カオルが、ぼそっと呟く。ユキも、視線が柔らかくなった。
「……そうだね。時期を待とう。チカが自分から、僕の腕の中に飛び込んでくるのも、そんなに先のことじゃないよ」
「絶対にねーよ」
「意地っ張りだね。僕が心理的に無理なら、カオルにだったら抱きついてもいいよ。カオルはそっち側だから、キスくらいはするかもしれないけど、それ以上の行為には及ばないだろうし」
「わかんね。チカは可愛いから」
カオルが恐ろしいことを言い出して、俺はまた震えが来る。
「おやおや。僕たちを二人とも振り回すのか。悪い子だね……、チカの魔性は、美佐緒の比じゃないな」
「だって美佐緒は、ユキの影響だろ? チカは天然だもん」
「ひとに、変な属性をつけるな!」
「仕方ないよ。真実だから」




