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ルームシェア  作者: 響子
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04

「僕と一緒に健康的な汗をかこうよ」「ふざけんな、ユキ」「部屋の掃除をしようって誘ってるんだけど」「……」

「大丈夫か?」

「……うん、何とか」

 カオルに慰められてるのも、格好悪い。

「ユキも多分、引っ込みがつかなくなったんだと思う。美佐緒が現れたことで、動揺したんだろう。嫌がってるのを無理に襲うような奴じゃない」

「それって、やっぱ……男が好きってこと……?」

 俺の問いには、カオルは言い難そうに、横を向いた。

「多分、な。でもほら、実害はないから。少なくとも、ガキができるとかそういう心配は」

「何、言ってんだよ。今ので十分、実害だろ」

「はははっ……、そうか。そうだな」

 カオルは頭をかき、キッチンの冷蔵庫を開けて、中を覗き込む。

「お前ら、飯まだだよな。俺が特製チキンライスをご馳走してやるよ」

「……冷凍食品じゃねーか」

 俺の突っ込みは無視して、目分量で二枚の皿に盛る。ラップをかけ、電子レンジのタイマーをぐるぐる回した。

「半分ずつ食え。……おいユキ! チカが、仲直りに飯食おうってさ」

「……いいよ。食欲ない。カオルが食べておいて」

 声を張り上げて呼んだが、ドアの向こうから、力ない返事が聞こえる。さすがに顔を合わせ難いから、それはそれで助かるんだが……。

「おれがチカを食っていいのか?」

「だめ!」

 すごい勢いで、ドアが開いた。とても分かりやすい。対象が自分じゃなければ、きっと面白い……、と思う。


 俺たちがもそもそ食っていたら、カオルがまた冷蔵庫を開け、卵を二つ取り出す。どうせなら食べる前に出してくれれば、オムライスにできたのに、と思ったが、鍋に割り入れてしまった。紙パックの牛乳も足して、ガスの火をつける。

「何作んだ?」

「んんー」

 砂糖の袋を出してどさどさと入れ、マグカップを三つ並べた。

「ほい。ミルクセーキ」

「……風邪ひいた子供かよ」

「ありがとう」

 俺は呆れたが、ユキが礼を言ってカップを取り上げる。カオルが気を遣ってくれたのだと理解した俺も、もう一つを手に取った。非常に甘い。

「飲んだら、歯磨いて寝ろよ」

「ごっつい母さんだな」

 俺が言い返したら、カオルも笑う。

「うっせえ。あとユキ」

「うん?」

「チカに夜這いかけんじゃねーぞ」

 ミルクセーキを噴きそうになり、何とか堪えた。

「はいはい。僕の部屋には鍵かけないで置くから、いつでも来ていいよ」

 こっちを見て言ったのではない、と、無理やり思い込む。実際、俺よりはカオルの方を見ていた気がしないでもない。わざと目を逸らしたのかもしれないが。


 翌週の月曜は入社式。全社での新人研修が三日あって、俺たちは各々の配属先に放り込まれる。

 仕事が始まったら、三人は休みもバラバラになった。ユキは普通に土日休み、カオルは水曜定休で、前後どっちかをつけて連休らしい。俺は……、再開発部っていうのは、どうも窓際的な部門だったらしく……、やたら役職のついたおっさんばっかりで、何をしたらいいのかも分からない。基本的に使い走りで、講習会に出ろとか、週末に販売応援を頼むとか言ってこられると、それは全部、俺。って訳で、水曜と土日のうち、いつが休みなのか分からない状態。それでもまあ、サービス出勤を命じられないだけ、マシなのかもしれない。


 今週は、土日が休めることになった。とはいえ、何の予定もない。ゴロゴロして過ごすだけだろうと思う。

 だが、土曜の朝。俺の部屋のドアを、誰かが……って決まってるが……、ノックしてくる。

「チカ? 一緒に食事しようよ」

「うーっ」

 食費はそれぞれ同額を出して、ある程度のものはいつも冷蔵庫に入っている。冷凍食品と飲み物くらいだけど。ちゃんとしたものが食べたかったら、外食かコンビニで十分だ。

 ぐずぐずしていると襲われそうな気もするから、俺はちゃんと着替えて出て行った。ユキがコーヒーを淹れてくれたので、有難くいただく。どこかで買ってきたのか、クロワッサンを軽く温めて出してくれた。さくさくしてて、美味い。

「明日も休み?」

「……ああ」

「じゃ、今日は掃除しない? ここの」

「へっ」

 ねっとり過ごそう、などと言われたら、ぶっ飛ばしてやろうと思ったのに。まともな発言で、逆に驚いた。

「窓開けて、掃除機かけてさ。今のうちから綺麗にしておけば、大掃除も要らないし」

「う、うん」

 拒む理由もない。もう一か月くらい経ってるし、誰もタバコは吸わないが、リビングの壁紙もたまには拭かないと汚れていそうだ。

「始めようか」

 ユキが立ち上がり、自分の部屋のドアを開け放す。窓も開いていて、爽やかな風が通り抜けてきた。と、いうか。それまで避けてたから、ユキの部屋なんて、ちゃんと見たことがなかったのだ。

「青いんだな、部屋ん中」

「よく見る? 入ってよ」

「いや……、いい」

 ユキの部屋は散らかってなんかいないって言うから、俺の部屋だけだがざっと片付け……、リビングの天井や壁を軽く拭いて、掃除機をかけ、だいぶすっきりした。

「カオルの部屋も、掃除してやるって言えばよかった。鍵、置いてったかも」

 だが、ユキは首を振る。

「カオルは綺麗にしてるよ。平日休みのとき、掃除してると思う」

「へえ。意外だな。……どんな部屋なんだろ」

「見る?」

 見る、って。どうやって? きょとんとしていた俺の腕を引っ張り、ユキが自分の部屋を通り越して、バルコニーに出た。

「えええっ? なんだよ、こっちってバルコニーつきなのか?」

「何を今更。その分、君の部屋は二面に窓があって、少し広いじゃない」

 もっと文句を言ってやろうと思ったんだが、それよりも、バルコニー側から見えるカオルの部屋の様子に、俺はぶったまげた。カーテンはピンク色で、白いレースのカーテンの裾には、可愛らしく丸い玉がついている。つい覗き込んでしまったベッドも童話のお姫様のような金色のフレームで、白とピンクのファブリックに覆われていた。

「なん……だよ、あれ……」

「カオルは少女趣味なんだ。特技はお菓子作り。普通の料理も、ある程度はできるんじゃない? さっきのクロワッサンも、そうだし」

 だから手早く、ミルクセーキなんか出してくれたのか。意外、なんて一言じゃ済まない。

「いつまでも覗いてても悪いから、戻ろうか」

 確かに、そうだと思い、俺は頷いて、窓からユキの部屋に入った。だって、そこを通らなきゃリビングには戻れないし、毎度の油断なんだろうが、あいつも、特に変なところはなかったんだ。

「窓、閉めようかな」

「うん、もういいんじゃね?」

 短い会話をしたから、足が停まってた。そこでユキが、俺を軽く押す。

「何すんだよ、おい」

 目的は、分かりきってる。バランスを失って倒れていく先は、深い藍色のカバーがかかったベッドだ。やつは俺に絡みつくようにして、一緒に横たわった。

「止めろって」

「僕の部屋も、見ていくといい。ベッドからになるけど」

「遠慮させろ」

 この前のことがあるから、俺も無駄に暴れたりはしなかった。隙を見て逃げた方がいいと、知恵はついている。

「抵抗しないんだね。その気になってくれたのは嬉しい」

「……っとに、自分に都合よく受け取るやつだな。力押しで敵わないのは、もう分かってるからだ。それに、カオルも言ってた」

「カオルが? 何を?」

 動揺したのか、少し声を上ずらせて訊いてくる。

「ユキは、嫌がってる相手に、無理強いなんかするやつじゃないって」

「……そう」

「だから俺に、乱暴なんかしないだろ。……信じてる」

 微かな舌打ちが、聞こえた気がする。そして、俺を押さえていた腕の力はもう、抜けていた。

「くっ……、そう来たか。参ったな……。でも、僕が理性をかなぐり捨てて、君を襲ったらどうする?」

「そのときは、死ぬ気で暴れる」

「ううん。チカは僕の情熱に応えてくれるよ、きっと」

 それが、今じゃないらしい、のだけが救いだ……。

「ほら、起きて。いつまでも寝てたら、誘ってるのかって、僕が調子に乗るよ?」

 すごい理屈だ。自分が押し倒したくせに。上手い返しが思いつかず、俺は黙って起き上る。

「でも、これくらいはいいのかな。いいよね?」

 何がいいのか、一瞬、気付けなかった自分が悔しい。やつは眼鏡も外さなかったし。素早く顔を近づけてきて、こっちの唇を軽く噛んだ。驚いたところで頬を押さえ、唇を重ねてくる。

「ディープなキスには、確かに眼鏡が邪魔だな。この程度にしておこうか」

「……その前の段階で、思い直せよ」

「遠慮しなくていいのに」


 うるさく誘うから、夜はユキと食事に出ることになった。都心の繁華街まで足を延ばして、久しぶりに、気分だけは遊びだ。

「腹は膨れたけどさあー。土曜の夜に、同じ会社の男と二人で飯かよ」

「僕は嬉しいよ」

 聞き流して、外に出る。普通の男だったら、『ナンパでもしようぜ』と、それこそ口だけでも言ってみるんだが。こいつじゃ、なあ……。何の気なしに、周囲に目をやった……俺の視線が、留まった。

「どうしたの?」

 ユキも気づいて、そっちに目を向ける。背の高い外国人の男が、女の人と話をしていた。ダヴィだ。そして向こうも俺を見つけて手を振るから、仕方なく歩み寄った。

「デート中? 邪魔じゃないの」

 微妙に声が尖っているのが、自分でも非常に腹立たしい。

「ノゥ。この人は、奥さん……、ex-mujer、何と言う?」

「それを私に訊くの? ラモン」

 ラモン、って何だ? ミドルネームか? 女の人は笑って答えず、逆にダヴィに聞き返す。

「生徒さん?」

 あいつは何か言いかけたけど、結局、黙って頷いただけだった。日頃あんなに迫ってきたくせに、女性に訊かれれば、ただの『生徒さん』か。有難いくらいなんだけど、やっぱりどこか面白くない。そしたら、ユキが俺の腕をとった。

「帰ろう。チカ」

「チーカ、お友達?」

 ダヴィが訊いたが、ユキが首を振る。

「どこまで日本語が通じるのかな。でなきゃ、そちらの方に通訳をお願いします。僕は今、彼と一緒に暮らしてるんだ。そういう関係」

 確かに、間違ってはいない。だが、非常に誤解を受けそうな表現ではある。そして思いっきり、感情も入ってる。

「おい、ユキ」

「チカは黙ってて! 逆らうなら、引きずってでも連れて帰るよ」

 別に俺は逆らいもせず、ユキが停めたタクシーに押し込まれて、そのまま帰った。


 部屋に戻って、ダイニングテーブルにつく。ユキがコップに、ミネラルウォーターを注いでくれた。

「exって、元とか、前の、って意味。あいつ、バツイチだったんだな」

 ぼそぼそと、呟きが口から出ていく。さっきは、とっさに思い出せなかった。

「そうでもなかったら、こんな極東まで流れてくるわけないか」

 軽く笑って顔を上げたが、ユキがじっと見つめていたから、思わず目を逸らす。

「僕は、チカにこんな顔をさせた、彼を許さない。僕なら誰にだって、チカを愛してるって言える」

「いや……、それは別に、言ってもらっても嬉しくな……」

 ただ、ちょっと驚いただけ。何も知らなかった、何も教えてもらえなかった自分は……、それこそただの『生徒』の一人だったんだって思い知って、少し……何て言ったらいいか、自分が可哀想なだけだ。

 そのとき、コトン、と小さな音がした。ユキが眼鏡をテーブルに置いたのだと気が付いたのは、唇を重ねられてからだった。今度のキスは、深くて、長い。そして俺には、反抗する気力もなかった。……だけど、それだけだった。

「今の君なら、簡単に僕のものにできる。でも、無理強いも……、弱みに付け込むのも……、嫌いだ。自分の真面目な性格が、いっそ憎らしいよ」

「……どこが、真面目なんだよ」

「言い返す元気はあるんだね。じゃ、自分から誘ってごらん。寂しいから、今夜は一緒にいて欲しいって」

「絶対に、言うもんか」

 ユキはくすくす笑って、俺の背中を押した。部屋に入り込む気までは、ないようだった。何となく、あいつを見直してしまう。

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