02
引っ越し当日。主人公はカオルの「姉」、ユキの「妹」と知り合う。すでに総受状態……。
翌朝、あの部屋に越してきた俺は、玄関ドアの横の、普通は表札を取り付けるスペースを見て呆れた。『ゆき☆かおる☆ちか』と書いたボール紙が貼ってある。それも、汚い字だ。
「郵便とか、ちゃんと来なかったらどうすんだよ」
「一階の集合ポストに来るでしょ。君の分もちゃんと、姓だけ書いてあるよ」
七瀬が落ち着いた答えを返し、俺はやっと気づく。小清水は不満げだ。
「いいじゃん。可愛くて」
「小清水が書いたのか? きったない字だな」
「カオルって呼べ。ユキは、ユキでいいって。お前は、被るからチカな」
「チカが、ユキでもいいけど。その場合は僕のことを、七瀬さんって呼んでくれる?」
「やなこった」
俺が何か言う前に、小清水が言下に打ち消した。俺より数日、付き合いが長いだけだと思うが、いいコンビだ。
「じゃ俺、荷物片すんで……」
こいつらと遊んでたって、しょうがない。来週からは仕事だし、居場所を早く作らなくては。俺はそのまま、自分の部屋に入ろうとしたが、奥のリビングが目に入り……、そのまま固まった。ダイニングテーブルのところに、女の人がいた。こっちを見て、くすっと笑ったような気がする。
「……誰?」
うっかり、声が出たらしい。小清水が、隣で大声を出す。
「おいタマキ、珍しがられてるぞ。挨拶くらいしろよ」
「姉さんって呼びなさい。カオルの姉の環です。よろしくね。様子見に来させてもらったの。迷惑だろうから、今日だけね」
「あ、いえ……」
落ち着いた、少し低い声だ。弟は要らないが、こういう人は毎日いてくれていいんだけど。女優さんみたいな化粧に巻き髪で、歩いてきたらワンピースの裾がひらひらして……、香水だろうか、いい匂いもする。ちょっと背が高すぎる気もするが、モデル体型なんだと考え直した。
「気をつけろよ、チカ。こいつはお前みたいなのが大好物だからな」
小清水が注意してきて、七瀬も横で頷いた。
「チカは、分かってないんじゃない?」
「分かってないって、何が?」
俺の問いには答えず、小清水が両手を打ち合わせる。
「あっ、そうか」
「ダメよう、カオルったら」
赤いルージュの唇が、色っぽく動いた……、が……。
「タマキはおれの、双子の兄だから。男」
「……」
ふんわりした気持ちが、一瞬で打ち砕かれた。七瀬が親切にも、追い打ちをかけてくれる。
「良かったね。填まる前で」
「酷いわ。可愛い子だと思ったのに。カオルみたいにむさ苦しくないし、ユキなんか一目で見破っちゃって、視線が冷たいし……」
「女性の格好なんかするからですよ。そういう人には、興味ないんだ。環さんは、素でもきっと綺麗だと思う。それで迫られたら、僕もどうなるか分からないな」
どこまで本気なのか、こっちも分からないよ。
「あら、そうなの? 嬉しいわ。でも……、お化粧もしたいしスカートもはきたいし、ジレンマだわ……」
勝手に悩んでくれ。俺は管理人に借りた台車にのっけてきたダンボール箱を、部屋に運び入れる。
「手伝おうか?」
七瀬が一応、声をかけてきたが、首を振った。
「荷物、少ないし。一人で大丈夫だよ」
「でもさ、皆でやればすぐ終わるんじゃね?」
小清水が出しゃばってくる。環さんは勝手に俺の部屋に入って、窓を開けた。
「最初に、掃除機かけた方がいいわよ。アタシができるのは、そこまでだけど」
確かにあの長い爪じゃ、力仕事なんか何もできそうにない。俺が何も答えないうちに、廊下の物置から掃除機をひっぱり出してきて、床を一回りかけてくれる。四角い部屋を丸く……どころか三角な気もするが、しないよりはずっといいのだろうか。
「ったく、雑なO型だな」
「お黙り。そんなごついなりしてるくせに、血液型を気にしてるなんて。これだからA型って嫌いよ」
やっぱり兄弟だなと思って見てたら、七瀬が腕を組んで、何か考えていた。
「どうしたんだ?」
「うん。これでいいや」
いきなりダン箱の上に、図面を書きだす。それから、小清水を手招きした。
「最良の家具配置。こうしてくれる?」
「オッケー。タマキは役に立たないから、向こう行ってな。おいチカ、やるぞ」
俺の部屋だっていうのに、勝手に決められてしまった。まあ、深く考えてなかったから、いいけど。置いてあった机と書棚とベッドを動かし、持ち込んだ本を並べ、クローゼットに服をかけて……、一時間もしないうちに終わった。
「ど、どうも。おかげで早く終わった」
「引っ越し祝いしようぜ。チカのおごりで」
小清水が勝手なことを言う。隣で七瀬も頷いている。
「ええーっ。酷いじゃんか」
「そうよ。可哀想だわ」
環さんが助け船を出してくれたが、小清水は嫌味な口調で返した。
「じゃ、タマキのおごりか? 定職に就いてないやつにゃ、無理だろ」
「……モデルのお仕事、してるじゃない」
「それで飯食えるようになってから、威張るんだな。……じゃ、四人で割り勘にすっか。出前の寿司とって」
言葉はきついが、後腐れはないようだ。皆で同額を出して出前を頼み、俺が台車を返しがてら、コンビニに飲み物を買いに行くことになった。
引っ越し屋のサービスで、午後からの、荷物少ないパックだったから、もう夕方だ。買い物して戻ってきたらもう、管理人室はカーテンが引いてある。5時までの勤務らしい。
エントランスのインターホンの前に、振り袖姿の少女が立っていた。ワンピースの綺麗なお姉さんは、お姉さんじゃなかったが……、この子は女の子だろう。12,3歳に見えた。七五三にしては大きいし、成人式にしては幼すぎる。第一、時期も違う。しかし、普通に街中を、着物姿で歩くものだろうか。
……だが、行きずりの他人だ。興味を持つ必要はない。
「こんにちは」
深い意味はなかった。エントランス内の掲示板に、挨拶励行、って書いてあったし。そしたら、その子は俺を見て、口を開いた。
「あのう、これ……、わからないの」
オートロックに戸惑っていたらしい。可愛いもんだと思う。
「誰かの家に、遊びに来たの? 部屋番号押して、呼び出すんだよ」
不審者と思われても困るから、あえて明るく教えてやる。
「何号室? 押してあげようか。出たら、自分で話してね」
「301」
……俺の部屋だ。
「ええっと……、小清水か、七瀬の知り合い? 俺も住んでるとこだけど」
「七瀬ミサオといいます。美、佐、緒」
一文字ずつ、指で空に字を書く。
「美佐緒ちゃんか。じゃ、一緒に行こう」
少々若すぎるが、可愛い妹がいるのは悪くない、というか羨ましい。ちなみに俺は一人っ子だ。
「ただいま。おい七瀬ー」
「ユキ。でなきゃ、七瀬さん」
玄関で声をかけたが、返事の代わりに、命令が来た。
「……ユキ、妹さんが来てるぞ。美佐緒ちゃん」
「僕に、妹なんかいないよ」
それでもやつは出てきて、美佐緒ちゃんを冷たい目で見下ろす。
「何だ、その恰好は」
「酷いよ。優希お兄ちゃん」
仲が悪いんだろうか? 顔はそんなに似ていないが、落ち着いた感じで、よく言えば品のある、雰囲気は似ている。知らない訳でもないみたいだし、もしかして、腹違いとか……。俺がそんな妄想をたくましくしていたら、環さんが顔を出した。
「あら、可愛い。こちらが噂の美佐緒ちゃんね」
「噂の、って?」
「ユキがアタシを男だって思ったのは、自宅にもそんな子がいるからなんだって、ちょうど話してたとこなの」
「じゃあ……」
俺は恐る恐る、美佐緒ちゃんを見た。この子も、男なのか? どう見ても、少女なんだが。声だって、細くて高い。
「日本舞踊やってるからね。綺麗だからって、振袖なんか着たがって。呆れたものだよ」
「おうちのお仕事なのに、優希お兄ちゃんが嫌がるから……、ボクが……」
「ふうん。口答えするのか」
やつの言い方は酷く冷たくて、思わず顔を見てしまったくらいだ。振り返ってみたら、美佐緒ちゃんは泣きそうだった。
「ごめんなさい」
それだけ言ったところで、ぽろりと涙がこぼれる。
「泣くな。鬱陶しい」
「いくらなんでも、子供に向かって言い過ぎ、」
俺が口を挟んだら、七瀬が首を振る。
「いいんだよ。こいつはドMだから」
「ドMって……、そんなはず、ないだろ。苛められても我慢して、そっちのことを慕ってるだけじゃないか。もっと優しくしてやれよ」
俺がむきになって言い返してたら、美佐緒ちゃんが……美佐緒くんというべきか……美佐緒でいいか、後ろからシャツの裾を引いた。
「ありがとう、お兄ちゃん。でも大丈夫、ボクが悪いんだ。……ごめんなさい、優希お兄ちゃん」
「分かればいい。それから、チカに色目は使うな。わざとらしく、服の裾なんか引くんじゃない」
「い、色目って何だよ」
「美佐緒を、ただの子供と思わないことだね。油断大敵だよ」
物騒なことを言うやつだと思って、もう一度、美佐緒の顔を見た。涙で潤んだ瞳が光って、一瞬、惹き込まれそうになる。環さんの唇と同じ、魔力がありそうだ。
「言った端から、これだ」
七瀬が……もう面倒だから、ユキと呼ぼう……、美佐緒の襟首を掴んで引きずり寄せる。
「裸に剥いて、表に放り出そうか?」
「止めて、優希お兄ちゃん。ボクは何も……」
美佐緒は泣き出してしまい、見かねたカオルが間に入った。
「おれが相手をするよ。耐性あるし。ほら美佐緒、こっち来い。おれはカオルだ。こっちの化け物は、タマキ」
「ちょっとカオル、何よ化け物って」
「カオルお兄ちゃんは、顔は怖いけど優しそう。タマキお姉ちゃんは綺麗だね」
子供らしく、すぐ気が散っている。少し、ほっとしたが……。
「チカお兄ちゃんは……、大好き」
ユキがつかつかと歩み寄り、いきなり美佐緒の頬を打った。ピシッと、乾いた音が部屋に響く。
「チカに色目を使うなと、言ったはずだ」
「おいユキ、今のはやりすぎだぞ」
美佐緒を庇うように抱いて、カオルがユキを責める。
「カオルには分からないんだよ。チカも。こいつは性悪なんだ」
「全く。いくら自分が、チカのこと好きだからって、子供にまで……」
「カオル?」
「やべっ……」
ユキのきつい言い方と、焦ったようなカオルの態度に、俺は嫌な予感がした。まさか、な。
「冗談きついぜ。二人とも、俺をからかうのは止めてくれよ」
無理にそう言ったが、場の空気は全く解れなかった……。