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幕間その1

 

 夕日が白い花弁を朱色に染める。

 匁と別れたあの日も、空は残酷なまでに赤々しかった。


 身が焼けるような空模様の日は天から責められているように思え、灰色の煙で色彩を誤魔化さないと体が震えてしまう。


 校門を通る匁の後ろ姿を見下ろしてから、ベンチに座る。瞳を閉じて、小鳥の囀りに耳を澄ましていると、長靴特有の足音を奏でる幽霊部員が隣に座ってきた。


「よくできた妹じゃないか。オレには部長さんが卑屈になる意味がわからんな」


「……よくできた、では表現できないほどの才能の持ち主だ。お前だろうと、関われば自ずと慄くぞ」


「お生憎様、オレは恐怖という感情を理解できる立場でないんでな」


 未成熟な子供の体に副流煙を吸わす行為を、私は何ヶ月続けているのか。頭で理解していても、体が吸えと強要してくる。

 ああ、嫌だ。本当に、自分の全てが嫌になる。


「……ッー。言い訳になるが、あの豚が不法侵入してくるほど追い詰められているとは思わなかったんだ……すまない」


「頭は下げないでくれ。オレが土下座しないと割に合わなくなるだろ。しっかし、部長さんを追って幽霊部に入るとは、愛されてるねぇ。羨ましいよ、オレの隣を歩ける人はこの世にいないってのにさ。……だからこそ、匁嬢を慰めたくなる」


「……私は匁に謝罪して、元通りに近い姉妹仲へと戻りたかったが、それでも、匁の声を聞いた瞬間に敵意を抱いてしまった。匁に追われる恐怖を、まだ私は覚えていた」


 私は尊敬される姉として生きたかった。


 火葬場で泣くことができなかった匁を人道へ導いてやりたかったし、私にならできると確信していた。なぜなら、当時の私は自身を完璧だと妄信するほど、周りと比べて秀でてしまっていたからだ。


「自分の中だけで完結させようとするのが、部長さんの悪い癖だ。せっかく、オレという聞き手がいるのにさ。迷惑だと、孤独に背負い込まないで語ってくれ。何より、それが作家に対する一番の報酬さ」


「……井の中の蛙大海を知らず、されど空の深さを知る。……有名な言葉だが、聞き覚えはあるか?」


「語源までは知らないが、記憶にある。狭い世界にいるからこそ、深い知識を得られる、っつーのだよな」


「ああ、私がその井戸から飛び出し、大海の深さを知った蛙であり、匁はその蛙を無神経にいたぶれる人間だ」


「……ハハッ! なるほどなるほど。そりゃあ恐ろしい」


「蛙が人間に並ぼうなんて、おこがましいのは理解している。……それでも、私があの子の隣を諦めてしまったら、完全に孤立してしまう。基準値から逸脱した才能の持ち主は決まってそういう扱いをされる。匁に私と同じ思いをさせたくはなかった」


「ほう、ますます卑屈になる意味がわからんな。例を聞くに、部長さんも逸脱した側じゃないか。蛙の中で、だかさ。大海を知る同類が現れて嬉しくはなかったのか?」


「同類? お前まで私を贔屓目で見てくれるな。あの子と関われば、どう足掻こうとも自分が引き立て役にしか思えなくなる。これは誇張ではない、あの子の隣に立とうとした人間全てが思い知る現実だ」


 新聞に掲載される写真と文字の大きさが私のものと反比例になる様は、息を呑むほど圧巻だった。


「妹にとって姉はおこがましいものさ。別に悪いことじゃない」


 私にとっては、善悪で判断できるような簡単なものじゃない。


「…………そういえば、前に頼まれていた小説、図書館に取り寄せたはずだ。他の生徒に借りられる前に読んだ方がいい」


「本当か! 例のブツかついに読める! ククク、恋愛ものだと侮っていたが、なかなかどうして感情移入ができてしまう。これも、儚い恋しかできなかったオレの性のせいさ。すまんが、聞き手はこれにて終了だ」


 幽霊部員はパシャンと水たまりを蹴って歩く。水面を弾く波紋が世界を揺らす。まるで、幽霊になってしまったかのように、私の姿が揺らいで見える。


「……図書館までおぶってやろうか?」


「いらん! 余計な世話なら匁嬢にやってやれ」


 車椅子や松葉杖を用意しようとしても、金門君が使えないからオレも使わない、と一蹴される日々。

 匁からも雑に扱われてみたいが、叶うことはないだろう。


 一人になれたので、新たなタバコに火をつけようとしたら、


「部長さん、……戦え。英気は溢れるほど養えたはずさ。誓いのキスをしたな。取引もしたな。武器は持ったな。時間もあるな。あとは、逃げない意思だけさ。恐怖なんてあって当然。それを克服するための戦いさ。オレは一度くらい見逃してやるが、二度はないぜ。もし、部長さんが戦いを放棄するなら、恵まれている匁嬢をオレが貰ってやる」


 小さくとも、頼り甲斐のある拳が胸を叩いてきた。


 あの子が……、匁が受けた私の足蹴は、どれほどの痛みだったのか。

 先延ばしにしてきた問題を妹に任せ、再会の計画も他人任せ。人に任せてばかりの生き方はもう終わらせないといけない。


「……わかってはいるが、私はそこまで強くないんだ」


 身に染みてわかっている。私が臆病だってこと。

 取引の期限、本当は夏休み終了までの八月末と二人で決めたのに、咄嗟に十二月末まで伸ばしてしまった。


「自己嫌悪は自死への一歩目さ。オレと臥煙嬢は幽霊になれて、幸せな日々を歩めているっつーことを忘れなさんな。……そういえば、匁嬢がラタトゥイユを作ってくれていたな。一緒にディナーといかないか?」


「……固形物を食べれるようになったのか?」


「ああ、なんだか……久しぶりにお腹の音が鳴った気がしてね」


「……あの子の手料理は期待できないぞ」


「手料理は味じゃなく、風情を感じるものさ」


 その言葉に息を呑み、取り出したタバコを箱に戻す。

 吸いたいという欲求はあるものの、匁のあの顔が、タバコを吸っている私を見たあの顔が思い浮かんできて、やるせない気持ちになった。


「……かわいかったなぁ」


 二人で誓いの言葉を言う匁の姿を、雨月ホールの二階から見た。

 匁の噂は何度も聞いていたが、成長した姿をこの目で見るのは五年ぶり。


 凛々しくとも、あどけなさが残る顔。肌にハリと弾力のある骨格ストレート。高くも響かない艶声。そのどれもが懐かしく、いとも容易く私の感情を煽ってきた。

 けれど、観客のざわめきが大きくなるにつれて、瞳に写る匁の姿は大きくなり、歓喜のパレードの幻聴が聞こえるようになってきた。


 私を負かした唯一の人間は、未だに完全なる敗北を味わっていない。

 まだ、私を好いてくれている。


 どうしようもない私に、恋をしてくれている。

 久しぶりに直視する夕日は、わたしを照らしているかのように思えた。


「私も会いたかったんだよ、匁」


 今日、言えなかった言葉を、今度は匁の前で言ってみせる。


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