表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/8

3 屋上庭園

 屋上庭園とは、淑女が過ごす楽園をコンセプトとして作り上げられた花畑である。という説明は薔薇のような真っ赤な嘘であり、本当は工作が得意な幽霊部が暇つぶしに屋上を改造した結果、生まれたものである。


 学校側からしてみれば偶然の産物でしかない。


 庭園に改造された屋上がある棟は、普通教室のある一号館ではなく三号館であり、詳しい広さは明確にされていないが、50メートル走は測れるサイズだろう。


 そんな広大な屋上を、たった一人で無から庭園へと生まれ変えさせる力を持つのだから、学校側は何としてでも迎え入れたかったのだろう。


 しかし、屋上庭園は校内で最も人気な場所と聞いていたが、入学式後に訪れる人はいないらしい。一号館と三号館を繋ぐ連絡通路や、通り道である廊下は閑散としている。


 二段飛ばしで階段を上がっている途中、廊下の奥から女性の濁音が響いてきた。

 人を罵倒することを目的とした怒鳴り声。喧嘩か、いじめか、どちらにせよ放置はできない。お母さんに迷惑をかけないために、わたしが介入して事態を収拾させないと。


 罵声の発生源である家庭科室へ忍び足で近づき、引き戸のガラスから片目を覗かせると、贅肉のついた年増に華奢な少女が襲われているのが見えた。


 あの年増、どこかで見たことが……あの少女が来ている制服、幽霊部のものだ。


 黒のワイシャツに、白のネクタイ。それと、白のスカートに……履いているのは、長靴? 顔は、お母さんに見せてもらった資料と一致している。確か名前は……。


 そんなことを考えていると、年増が鬼の形相で「あんたのせいよッ!!!」と、手を振り上げるのが見えた。


『ガラガラ‼︎』


 華奢な少女に向けられた拳が宙に止まった。

 引き戸を開けるのが少しでも遅れていたら危ないところだった。


 二人の注意が私に向き、場の動きは静止したものの、肝心の状況は理解できていない。

 殴られそうになっている少女は、それ相応の悪事を働いたのかもしれない。だが、大人の握り固めた拳での教育は見過ごせない。脂肪でブヨブヨとした年増の拳でも、だ。


「経緯は分かりませんが、子供に暴力はいけません。おしりぺんぺん程度なら見逃しますが、女の子の顔に痣なんてつけたら逮捕ものです」


「……あんた誰よ」


 年増はわたしを睨みつけ、威圧するように言ってくるも、低俗な視線を送られたぐらいで怯めるほど、わたしの人生経験はやわではない。


「わたしはこの学校の生徒です」


「だったら家族の問題に口を出さないでくれる?」


「口を出すつもりはありません。……ただ」


 ぷすーと空気を吐く年増を素通りし、パイプ椅子に縋っていた少女をお姫様抱っこする。

 初対面の高校生に抱かれても抵抗しないのは助かるが、カカポのような警戒心の低さは心配になる。……いや、年増から助かるためには、選択肢がなかったのだろう。


 少女が履いている時期外れの長靴が落ちないようバランスを整えると、体がすっぽりと腕の中に収まった。モデル体型と形容するには、あまりにも軽すぎる。体感だが、三十キロにも満たない。生傷や痣は……見える箇所にはない。


 お姉ちゃんは虚弱体質で幸が薄そうな子が好みなのかな。


「……助けて、くれるのか?」


 いたいけな容姿とは裏腹に、低く物腰ある口調。

 好きなキャラクターの真似をして心を支えているように思える。


「後のことはわたしに任せてください」


 この子が安心するような台詞を口にするが、後のことは未定である。

 年増の動きを制限しなければ、学校の敷地内に逃げ場など存在しない。保健室でも、幽霊部の部室でも、理事長室でも、興奮状態の年増は追いかけてくるだろう。


 行き先に困っていると、少女が自身の口をわたしの耳元へ近づけて言う。


「図々しいかもしれないが、屋上庭園のベンチまで送ってほしい」


「……承知しました」


 年増に荒らされたらと思うと気は進まないが、要望されては仕方あるまい。家庭科室の出口へ歩くも、年増がミノタウロスのように、ふてぶてしい体で進路を塞いできた。


「あたしの子供を誘拐してどうするつもり!? ふざけないで! あたしの大切な子供を奪おうとしてッ! 犯罪者! ケダモノ! 変態ッ!! お前もあのバカ女と一緒か!」


 年増は脂ぎった汗と汚らしい唾を撒き散らし、テリトリーを広げて妨害してきた。構わずに立ち去りたかったが、出口を抑えられているうえに、少女を抱いて窓は飛び越えられないので、力技しか選択肢が残されていない。


 幽霊部であるわたしが起因する学校内での問題行動の一切は許されている。そのため、暴力で物事を解決しても、然して問題ではない。


 肉体のどの部位を攻撃しようか悩んでいると、豚のような手が少女を支えている腕に掴みかかってきた。腰を回すことで、その豚足を避けることに成功。


 勢い余ってバランスを崩した年増の膝裏を目掛けて、馬が足蹴するように、わたしは左足の踵を上げて軽く蹴った。年増の膝がカックンと直角に曲がり、受け身を取れず、顔面から地面に倒れる。


「ただ、足は出させていただきます」


「こんの……クソガキがぁあ!!」


 年増は腕の力だけで立ち上がれないのか、うつ伏せでもがいている。


 ……思い出した。そうだこの顔。昨年、写真集の打ち合わせでラム社へ訪問した時にすれ違った推理作家だ。その時と体型が変わっていて、すぐにピンとこなかった。

 こんな野蛮な人でも小説が描けるというのに、わたしはたった四百字の読書感想文に一週間も費やさなければ完成できないときた。これも同年代と関わらないせいで、感性が育たなかった反動か。


 冗談を考えるほど心が弾んでいる。お姉ちゃんに会えると期待した瞬間、これだから救えない。


 年増が移動不能になっている間に、家庭科室を脱出する。

 追ってはこられないと思うが、念の為に一言。


「ふがふがと脂肪に塞がれた喉で鳴く暇があれば、無駄に大きく平たい鼻の穴から無様に流れる血を止めて、冷静になることをお勧めします」


 年増は肘を地面につけて、恐る恐る自身の人中を触った。床に垂れる赤い雫。ぽたんと跳ねる。血を見て血の気が引いたのか、年増は奇怪な叫びで起き上がり、わたしと少女に目もくれず、暗い廊下の奥へ奥へと、稚拙な走りで消えていった。


 結局は自分のことを優先するのかと呆れながら、ポタポタと地面に赤い点を生み出す背中を最後まで見送ることなく、安眠する少女を抱いて階段を上がった。


 廊下に人気は無かったものの、屋上庭園のあちらこちらで胸ポケットに造花を飾っている生徒が、花を愛でながら談笑している。年端も行かぬ少女を抱いているわたしに人が集まってしまわないかと危惧したが、一目向けられるだけで話しかけてはこなかった。


 新入生からも軽蔑した視線を送られるとは、流石幽霊部、噂に違わぬ嫌われようだ。それはともかく、少女に頼まれた通り、人影の少ないベンチに小さな体を寝かせる。


 わたしの役目は終えたので、早急にでも幽霊部の部室に入りたかったが、年増が屋上庭園に出没しないとは言い切れないので、この子が起きるまでは座って待とう。


 わたしを見上げる年増の目には、強い執着があった。子供を取られた母親の執着ではない、この少女の背後にある何かを盗られまいという執着。


 この世にある無数の歪んだ愛情表現は、双方の同意があって初めて意味を成す。わたしも同意があると分かれば無視をするが、母親から歪んだ愛情を受けていたこの子は、見ず知らずのわたしに助けを求めたのだから、そこに同意はないと断言できる。


「うっ……んんーぅ」


 ベンチの質が寝るのに適していないのか、少女は唸っている。学生鞄は枕に適していないし、幽霊部の部室にベッドがあるかも分からない。腰を平行に動かし、小さな頭を持ち上げて、わたしのふとももに乗せる。唸り声は聞こえなくなった。


 少女の顔に垂れる白髪が、目や鼻に触れないように掻き分ける。程良い温度の風が花を揺らし、ほっと一息つけるような匂いが漂ってきた。


 赤のスイートピー、桃のカーネーション、黄のスイセンに紫の牡丹。


 目に見える範囲ではこれだけになってしまうが、屋上庭園には計二十種類以上の植物が植えられていると、お母さんから訊いたことがある。

 入学式で飾られていた壇上花は美術の先生が屋上庭園の花を用いて作ったようで、それを示すかのように、花壇の一部分に摘んだ形跡がある。


 ……おっと。


 少女が寝返りをしてベンチから落ちてしまったら、膝枕の意味がない。踵を上げてふとももを傾かせる。これで寝返りは打てないはずだ。


 手入れの跡が見受けられない白髪を手櫛で整えながら、お姉ちゃんと交わす言葉を考える。一言目は決まり文句があるため、問題はその後だ。


 妄想や夢の中では噛むことなく会話できるが、現実だとシミュレーション通りの動きは不可能だ。だって、人との会話はお互いの言葉によって完結するものだから。


 変だな。……緊張している。意識して空気を吸っている。

 お姉ちゃんと離れ離れになってから色んな経験を積んだけど、お姉ちゃんのことを想うだけで全ての事象が初体験だと感じるほど、人生の経験値が失われてゆく気がする。


 少女が起きてしまわないかと心配になるほど大きな心臓の音が、ここまで来たのだと実感させる。


 ふと、空を見上げると、雲に隠れていた太陽が裸眼を刺激する。熱い。不規則だった呼吸がリズムを取り戻す。全身が白い輝きに包まれ、白のスカートの小さな毛玉が鮮明に映る。


「家庭科室へ行けと言ったはずだが、なぜこんなところで寝ている……ん、だ?」


 少女の足先から、声が聞こえた。古く、懐かしく、待ち望んだ声。


 ――――お姉ちゃん。


 ……お姉ちゃんだ、お姉ちゃんお姉ちゃん‼︎


 うわぁ、きれー。かっこいい、天才的……神様?

 わたしよりも身長は高い……170近くかな? 胸は、おっきい。髪型は変わっていない、腰まで艶やかに伸びている。目元は荒んでいるけど、隈はなさそう。……よかった。


 えっ、待って。お姉ちゃんの生の制服姿……その似合い度は予想できないよっ! パリコレものだよっ! あー、もうっ! 月並みな言葉じゃ、お姉ちゃんの御身を表せないよっ! この歯痒い感じ、どうしたら解消できるの!?


 花の香りがお姉ちゃんの体臭の邪魔をする。集中して嗅ぎ分けるも、お姉ちゃんの匂いに馴染みはない。香水じゃないけど、どこかツンとくる正体不明の匂い。


 わたしが御身を上から下まで吟味している間、お姉ちゃんは戸惑う表情で固まっている。


 匂いの正体は後にするとして、五年ぶりのお姉ちゃん。


 ようやく会えた憧れの人、大好きな人。

 再会した一言目には、あの言葉が最適解と世論が認めている。


「久しぶりッ! お姉ちゃん!」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ