22 斑目臥煙その3
小走りでグラウンドに着くと、髪をポニーテールにまとめた部長が待っていた。
「ころもと話してて遅れた。すまん」
「問題ない。ところで、今日も20周でいいのか?」
「ああ、有酸素っつっても、マラソンしねーなら一日20キロ走れば充分だ」
ジャージを脱いで、軽く手足を回して準備運動をする。
「よし、行くか」
「ああ」
誰もいないトラックの上を部長と並走する。
「先の話の続きだが、新田君に何か伝言があれば今のうちに聞いておくぞ」
「はっ、ンなもんねーよ」
「本当か? 君たちはかなり仲が良かったように見えたんだが」
あの異常者と仲がいいだなんて言われたくねーよ。
「……つーか部長も部室に放置してある爆弾と銃がなけりゃ、面会に行かなかっただろ」
「それを指摘されたら何も言えないな」
部長は冷笑気味に笑い。少しペースを早めた。
他愛のない会話をしながら周回を繰り返す。
部長も最初の頃と比べてかなり体力が伸びた。初めは10キロ走るだけでギブアップしていたが、その一週間後には20キロ完走できるようになり、その二週間後にはランニング中でも話せるほどの余裕が生まれた。
筋トレの成長幅も目を見張るものがある。女性のベンチプレスは体重の半分を上げられれば上級者レベルだが、部長は鍛え始めて一ヶ月で体重の三文の二以上の四十キロに成功。
今まで筋トレや体力トレーニングをしたことありませんって人が今の部長に至るには、普通なら三ヶ月は要する。あたしが見る分には部長も才能がある側だ。だからこそ、部長が化け物だと評する匁が実際にどれほどのものなのか、想像できない。
「部長……あたしが匁に会っちゃいけない理由ってなンだ?」
「興味がなかったんじゃないのか?」
「気が変わったンだよ」
たった一日とはいえあたしの相方になる女だ。入学式の誓いの言葉を部長と一緒に見ただけじゃ何もわからない。それにその日も、部長が匁を見て恍惚とした表情を浮かべていたのが印象的で、匁の顔すら覚えていない。
「斑目君と匁は似たもの同士だ。そして、私と落戸君も似たもの同士だ」
「ンな馬鹿な理由であたしが納得するとでも思ってンのか?」
部長は口元の汗を拭って、顔を逸らして答える。
「……付け加えるとするならば、私が匁のことを好きだと知られたくないからだ」
「…………はぁ?」
まさか、二十歳の部長から女子小学生のようなことを言われるとは思えず、腑抜けた声が漏れた。あたしが冷ややかな目を送るも、部長は恥ずかしそうに続ける。
「恐らくだが、匁は私と相思相愛だということに気づいていない。落戸君は似ている私の気持ちを察してくれると思うが、斑目君はそうじゃない」
「嘘だろ。……好きだと気づかれたくないって、ンなガキみてーな理由で……」
「しょうがないじゃないかっ! ただでさえ私は匁の前だと自分の感情をコントロールできないんだ。それなのに本人に好きだとバレてみろ、猛烈にアピールされたら私は簡単に落ちるぞ!」
こっ、こんなダサい部長は見たくなかった。
あたしを幽霊部に誘った時の頼りになる雰囲気はどこにいったんだ? これにあたしは一瞬でも憧れたのかよ。ざけんじゃねーぞ!
「だが、斑目君。君は私を責められる立場かね。想像してみろ。斑目君が私に明かした落戸君へ行った変態行為の数々を。それらを密告される恐怖を」
部長の手から放たれた強烈なブーメランがあたしの頭に直撃し、ころもに蔑んだ目で見下される妄想をしてしまった。
しばらく無言で並走し、
「……この話はやめンぞ」
「ああ、どちらも幸せにならない」
と、協定を組んでからは大人しくランニングに勤しんだ。
ランニング、シャワー、筋トレを午前中に終わらせてから部長と別れ、部室に置いていた幽霊部の制服に着替えた後に手土産を持ち、幽が入院している病院に訪れる。
幽のいる病室をノックする。……返事がきたのでそっと扉を開けて中に入る。
「幽、元気にしてたか?」
「うんとっても元気だよっ、久しぶりだね、臥煙ちゃん」
幽は開いていた本を閉じて、笑顔で出迎えてくれた。神門の人格が薄くなっていることは部長から聞かされていたけど、屋上庭園の時となんら変わっていない。いつもの幽だ。
「これ、差し入れ。部室にあった本を持ってきたけど、食べ物の方がよかったか?」
持ってきた紙袋の中から数冊の本を取り出してベッドの上に置く。
「ほんとだ! ありがとね、臥煙ちゃん。ずっと続きが気になってて、あと一ヶ月の辛抱だーって我慢してたの!」
真正面から受ける感謝はくすぐったい。
「入院してるとこ悪いンだが、鬼ごっこの逃走経路を部長に送っといてくれ」
「もちろんさっ! 必要なものも一緒にメールで送っておくよ」
ああ……やっぱり以前の幽とは違う。確実に話し方が悠長になっている。辿々しくなくて、テンポが遅れることなく会話できている。
人の成長をこう目の当たりにすると、武道館の日から立ち止まっているあたしが置いてけぼりになっている気がする。……気のせいじゃ、ないか。
「……本、渡せたし、幽が何もなけりゃあたしは帰る」
来てすぐだが、人のお見舞いに来て何を話せばいいのかわからない。だから、帰る。その前に撫でたかった幽の頭に手を伸ばすと、幽があたしの手を両手でぎゅっと掴んだ。
「臥煙ちゃん、ライブ頑張ってね」
あたしを見上げる幽の純粋な瞳が、私の手を握るこのか弱い手を振り払えなくする。
「頑張るも何もねーンだよ。あたしにとっちゃ、部長に頼まれたからやるだけのしょうもねーもんなンだよ」
「幽は臥煙ちゃんにそう思ってほしくないな。よっしゃー返り咲くぞー! って意気込んでほしいし、真剣にやってほしい。何より匁ちゃんがいるんだから、臥煙ちゃんが甘えたままだと、匁ちゃんに負けて衣ちゃんに愛想尽かされるよ」
幽にしんとした声で詰められると、深い海に潜った時の水圧が体にのしかかったように感じる。浮上しようとするも、ひどい耳鳴りのせいで頭が痛くなる。
「はっ、あたしがあいつに負ける要素なンかねーよ」
「そうかな? 今の幽は臥煙ちゃんより匁ちゃんの方が魅力的に感じてるの」
真正面からンなことを言うんじゃねーよ。……辛くなるじゃねーか。
足に力が入らなくなり、近くにあった椅子に座る。
幽は項垂れるあたしに何も言わず、ずっと手を握り続けてくれている。
あたしも分かってンだ。変わるべきだってことに。新田は刑務所に行ったけど、ころもはファッション甲子園で入選したらしいし、幽はこうして人として成長し始めたし、部長は未来の話をするようになった。
あたしだけ意地になってンだ。あたしのアイドル街道はころもと違って平坦な道だってのに、意地になって歩こうとしない。ただの怠慢だ。だけど、あたしがこれ以上頑張ったせいでころもと離れることになったら、立ち直れるとは思えない。
『ガラガラ』
どうしてこのタイミングだ?
神の悪戯だ。
試練だ、これは。
幽のお見舞いに来る人は限られている。あたしか、部長か……匁か。だったら一人しか残されていない。
「おはよう、幽。それと……斑目さん?」
最も会いたくない奴が現れた時の反応なんて決まってる。拒絶だ。
「ンだよ。……あたしがいたら嫌なことでもあンのかよ」
「あります。わたしはお姉ちゃんに、あなたと会うなと言われていますので」
気まずさなんて欠片も感じていないその顔。部長に似てやがる。
「はっ、そりゃそうだ。あたしと話すことで部長の秘密がてめーに伝わっちまうからな」
あたしは匁の顔が曇ったのを見逃さなかった。
入り口で棒立ちの匁の顔をまじまじと見て、狂気的に笑う。
「あたししか知らない部長の秘密があんなことだとはな。口止めもいっぱいされたンだぜ。色んな方法でよぉ……くくく、ははははっ!」
ころもを誑かした腹いせに八つ当たりするも、
「そうですか。幽、昨日の宿題は終わらせましたか?」
「あっ、うん。終わってるけど……」
匁は過剰に反応することなく、あたしを素通りして幽の枕元に座った。部長の言うことを守っているとはいえ、こうも露骨に無視されるのは初めてで、感じる屈辱が拳を握る手の力を強くする。
あたしが動けずにいる間、幽と匁は数学の勉強をしていた。幽からはちらちらと視線を送る気配がするも、匁の方はあたしを認識すらしていない。
極端な無視を前に、苛ついていた心が冷静になる。
「ちょっと付き合えよ、匁。……話がある」
「結構です。わたしはお姉ちゃんとの約束を守らなければいけませんし、幽に勉強を教えて、清廉高校に入学できる学力まで伸ばさなければいけません」
キッパリと断られ、苦笑する。試練を突破するのを諦めて帰ろうとしたが、シャーペンを握っていた幽が首を上げて、匁に言う。
「幽のことはいいから、今は臥煙ちゃんのお話を聞いてあげて」
「ですが……、はぁ。幽の頼みなら断れません。斑目さん、待合室に行きましょう」
匁が幽に課題を指示してから、二人で静かな病院の廊下を歩く。
「部長にはあんたと会ったことを言うつもりはねーよ」
「そうですか」
「……ころもには会ったか?」
「はい、斑目さんのことをよく話してきます」
「どんなことだ?」
「アイドル時代の話です」
あたしからボールを投げても、匁はそれをあたしに向かって投げ返すことはなく、不穏な雰囲気を纏ったまま何人か座っている待合室に着いてしまった。
かなりでかい病院で、四人掛けのソファが十個以上ある。その中でも、人がいない隅っこのソファに隣同士座り、一息つく。
「ところで、わたしにどんな話があるのでしょうか?」
「……清廉祭のことに決まってンだろーが」
「では、手短にお願いします」
「……ちなみに、ころもからどこまで訊いてる?」
「当日のセットリストと、ダンスの振り付け。入場の仕方や退場の仕方くらいです」
「それだけ知ってりゃ問題ねーよ。合わせに関しては、本番の前に一回のリハで十分だろ」
匁はこくりと頷く。
「以上でしたら、戻ります」
立ち上がる匁の腕を握って、引き留める。
「生き急ぐンじゃねーよ。ちょっとそこで見てろ」
何を? とでも言いたげな顔をする匁の口を人差し指でしーっとする。
タイミング良く、あたしの、シュラインの代表曲の一つ、『黎明の塔』が待合室に流れる。イントロに合わせて、リズムを口ずさむ。
タン、タン、タターン。
タッタラ、タッ。
タタタン、タッタ。……ターン。
この待合室には落語家や演奏家を呼び込むイベントがあるのか、ちょうど人一人がパフォーマンスできるステージがあった。そこの段差は、床と階段一個分しかない。
ころもと始めて立ったライブハウスを思い出す。……久々だ。
受付の人に注意されないくらい自然にステージに上がる。腕を伸ばして、気持ちを作る。
イントロが終わり、スピーカーからあたしの声が聞こえてきた。
『重なる吐息 赤い熱が凍るような季節』
タッタ、タッタ。
タタタン、タタターン。
白いローファーが奏でる音が、スマホを見ていたソファに座る人の首を上げさせる。一人また一人とあたしを見る。
『あたしは認めない。勝手に流れる涙を』
待合室にいるすべての人と目が合う。そうだよ。あたしは人を魅了する才能があンだよ。
だからあたしを見ろ! 観ろ! 魅ろ!
ステージを感情で埋め尽くすあたしの求愛行動が、人の視線を釘付けにする。
ダダン、ダダダダッ!
ダダダダダ。
『否定してやる。そう決意した黎明の塔』
ピタッと止まる。荒い息、ささやかな拍手。
隅っこのソファに目をやると、瞳孔を開かせた匁と目が合った。
「ほらな、ころも。あたしの方が……カッコイイ」




