21 斑目臥煙その2
アンコールで三曲歌いきり、武道館のライブを成功に収めた。
周りのスタッフは慌ただしく動き、隣を歩くころもは、ライブの余韻を楽しむべく舞台裏から満足げに帰るファンの顔を眺めていた。
「臥煙……楽しかった?」
「んだよ、急に。……まぁ、悪くはなかった」
そう言うと、ころもはふらふらと歩き始めた。あたしはころもの背中を見て歩く。
「よかったー。じゃあさ……疲れた?」
「はっ! こんなんで疲れるような柔な体じゃねーンだよ」
ころもが足元のコードに躓きかけて、その場に立ち止まった。ころもは、はぁはぁ、と息を吸っては吐いてを繰り返し、呼吸を整えている。
最近のライブ終わりはいっつもこうだ。疲れが溜まっているなら無理にライブをしなくてもいいだろ。焦んなくても、あたしらには充分過ぎるファンがいるじゃねーか。……って、口に出して伝えても、ころもがあたしの言うことを聞くわけねーよな。
「……ころも?」
動く気配のしないころもの横に立つ。顔を覗くと、普段よりも濃いメイクをしたころもがあたしの耳元に口をやって、告げる。
「臥煙、あーしね。アイドル引退する」
なんの葛藤もなく告げられたそれは、最高潮だった気分を簡単に最悪にした。
「てめーは知ってンだろ。あたしがクソみたいな冗談が嫌いだってことを」
あたしも知っている。ころもは笑いに消化できない冗談が嫌いなことを。それでも、望みは捨てたくなかった。そんなあたしの思いを踏みにじるように、ころもは淡々と話を進める。
「あーしは疲れた。臥煙の隣を歩けないほど疲れたの」
「だったら一ヶ月……いや、半年ぐらい活動休止すればいいだろ。疲れたから辞める? ふざけんのもいい加減にしろ」
なんとかして思い留まらせないか考えても、あたしの訴えに眉一つ動かさないころもの覚悟は本物だ。こういう目をしたやつは、どうしようもない。
「ころもが辞めんならあたしも辞める」
「それは駄目」
「……あ?」
「臥煙はあーしと違って才能があるの。だから一人で続けて。……もしソロが嫌なら、どこかのグループに入れるよう、あーしが――」
ころもが言い切る前に、手のひらをころもの口に押し付ける。
「言うな。……あたしを想うなら、黙ってくれ」
ころもはあたしの体をぎゅっと引き寄せて、聞き分けのない子供に言い聞かせるような優しい口調で話す。
「ごめんね、臥煙。詳しい話は家でしよっか。ここじゃー、みんなの邪魔になるし、着替えたいの。自分で作った衣装なんだけど、とっても重たいんだー」
「……アイドル辞めて何すンだよ」
「衣装制作に専念するつもり。臥煙に似合うとびっきりにかっこいいやつを作りたいの」
ころもは自分勝手すぎだ。アイドルに誘ってきたのはそっちだろーが。どうしてお前が先に諦めて別の道に行くンだよ。引退を決める前に相談の一つでもしてくれたら、このやるせない気持ちに整理がついたかもしれないのに。
「自己中でごめんね、臥煙」
ころものつむじが見える。綺麗な螺旋状。照明に反射する数本の白髪。汗ばんだ肩に、痙攣している瞼。……その姿を見て、あたしはグッと飲み込んだ。
あたしは謝って欲しい訳じゃねーだよ。……ころも。
『タタタン、タタタータ、タタターターター』
ゴミ収集車が奏でる赤とんぼの音色で夢から覚める。
少し寝過ぎたな。
目覚めの憂鬱を吹っ飛ばすために、眠たい目を擦りながらカーテンを開けて日光を吸収する。グッと背伸びをしてから、パジャマを脱ぐ。
中学時代の体操着の上からジャージを着て、家を出る。
電車を乗り継いで、授業開始の鐘が鳴る清廉高校に到着。長い階段を上がって屋上庭園に入る。幽が入院して二週間経つが、今だに幽のお気に入りのベンチの前を通ってしまう。
それでもバイト先の駄菓子屋で、社割で買ったおもちゃや駄菓子を持ってこなくなっただけマシな方だ。
部室の扉をノックして、入る。
「おはよう、斑目君。すまないが飲み終わるまで待ってくれ」
と、ソファで寛いでいる部長がマグカップを揺らし、一瞥してきた。
「この時間に起きてるのって珍しいな」
部長はあたしが起こさなければ昼過ぎまで寝ているのが常だ。
「これも肉体が健康になってきている証拠さ」
そう言って、部長はマグカップに口をつける。
「午前中に有酸素運動して、午後は新田に会いに行くんだっけか」
「そうだ。許可取りが面倒だったから、今日を逃すわけにはいかない」
新田。下の名前は知らない。あたしの一個上の先輩だ。今は刑務所にいるらしい。
「まぁ、あたしは予想してたけどな。新田ならいつか法を犯すってな」
「……ありえない話ではないから、私も捕まったことを知った時に驚きはしなかった。さっ、続きは走りながらでいいだろう」
部長は飲み干したマグカップを水で濯ぎ、服を脱ぎ始めた。
部長の下着姿を見ると、一ヶ月前と比べて筋肉質になってきているのが分かる。垂れていた二の腕は上腕三頭筋と二頭金が張り始めて艶がある。ただ細かっただけのふとももは太くなり、腰もきゅっとくびれている。ただ――。
「そのでけー胸は邪魔だな」
「なんだと? 匁も見惚れていた誇れるおっぱいだぞ」
「あ? ころものような手に収まるサイズのおっぱいこそが至高なンだよ」
「触ったことはあるのか?」
「……ねーよ、ンなこと」
「あはは、そうかそうか。私は匁に何度も触られたがな」
変に張り合ったせいで、マウント勝負に負けた上に笑われた。
あたしと部長では立場が違うし、そもそも妹におっぱい触られたことを誇らしげにするな、と言いたくなったが、部長にそれを言っても言い包められる気がして、悔しい気持ちを押し殺すことにした。
「チッ、先にグラウンドに行っとくかンな」
連絡通路を渡ってグラウンドへ向かう途中にふと、ころものことが気掛かりになった。
ころもの裸は見慣れていないが、視界に収めることは何度もあった。テレビの企画で温泉に入った時や、下着のCMに出た時、それこそ一緒の家に住んでいるんだから、偶然たまたま、ころもがお風呂に浸かっている時に間違って入ったこともある。
「転ぶふりをしてでも揉んどくべきだったか?」
そんな答えのない疑問を頭に浮かべながら歩いていると、ころもがいる教室に来てしまった。教室から漏れ出る声から、国語の授業中だと分かる。
しゃがんで壁に近づき、そっと窓から頭を覗かせてころもの席を見る。
いた。昔から集中しているころもの顔は好きだ。
眺めるのは程々にしてグラウンドへ行きたいが、ころもから目を離したくない。そんな熱視線を送り続けていると、当たり前のように気づかれてしまった。
「すみません、お腹が痛いのでトイレに行ってきます」
廊下にも聞こえる声量でころもは言い、教室から出てきた。
しゃがんだままのあたしと目が合ったころもは、ウインクをしてトイレの方向へ歩き始めた。あたしはころもの背中を追うと、ころもは女子トイレを通り過ぎて、ミシンルームに入っていった。
「授業中じゃ、ここでもないと先生が来ちゃうからねー」
ころもは机に腰掛けて、個包装された最中を食べる。
「別に話があって見てた訳じゃねーよ」
「そう? まー興味ない授業だしサボろっかな。臥煙も食べる? おいしいよ」
「いらん。ライブまで二ヶ月切ってンのにお菓子なンか食えっかよ」
昔のころもはライブ前になると甘味類を絶っていたのに、引退してからはあたしに構わず食べやがって。……幸せそうだから何も言わねーけど。
「それで、あいつはどうなんだ?」
「あいつって?」
「……匁があたしの隣で踊る資格があったのかって訊いてンだよ」
元々、清廉祭はあたし一人で踊るつもりだったが、部長が匁を踊らせて少しでも疲れさせるのに協力しろ、だなんて言ってきたから、匁のパフォーマンスをころもが見た感想次第だと返した。
部長はそれを聞いても尚、問題ないと断言した。身内を贔屓するのが人間だ。あたしは部長の言葉を信用できていない。
「あー、そのことなんだけどね」
言いづらそうにしているころもを見て、やっぱりか、と安堵するも、すぐに心の平穏は乱されることになった。
「まーぢで……臥煙に負けないくらいかっこよかった」
最後の方は早口だったが、何を言っているのかは理解できた。理解したくなかった。
「チッ! こーいう時はふつー嘘吐くンだよ!」
「怒んないでよー。だって臥煙のかっこいい姿は二年前まで遡らないといけないんだよ?」
あたしがステージに立たない弊害がここで影響すンのかよ。おもンねーし笑えねーよ。
「だから清廉祭で踊ンだよッ!」
吐き捨てるように叫んでミシンルームから出た。
ころもが引退して二年経った。あたしらの仲は元通りとまでは直らずとも、二人でご飯を食べるまでは戻った。ころもはあたしがころものアイドル復帰を諦めたと思っているようだが、そんなことはない。
清廉祭のステージの話は部長が持ちかけてきた話だ。ちょうどいいと思った。ここであたしが身も知らない奴と相方を組んで踊れば、ころもが嫉妬するかもしれない。
臥煙の隣にいる資格があるのはあーしだけだって、ライブ中に割って入ってくるかもしれない。そんな未来があるから、あたしは死地となったステージに再び立つことを決めたんだ。




