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20 斑目臥煙その1

 


 金門さんが入院してから、一ヶ月の夜が明けた。


 初めて幽霊部の制服に腕を通した、そんな日の放課後。衣服部の活動拠点であるミシンルームにマスターキーを用いて鍵を開け、入る。


 普通教室の半分ほどの広さ。一つの机に一台のミシンが置かれているせいで全体的に窮屈感があり、床は四散した布と糸で散らかっている。壁には制作したと思われる多種多様の衣服。奥の部屋には、製作過程で必要になるマネキンが二体ほど背筋を伸ばして立っていた。


 もし、床に散らばっている布を踏んで落戸さんの機嫌を損ねるようなことがあれば面倒なので、使い道が残っていそうな大きさの布をテキパキと拾い上げる。


 落戸さんの経歴や性格を調べた限り、その程度で機嫌を悪くするような性格ではなかったが、不安要素を減らすに越したことはない。


 粗方の布を拾い終えたタイミングで、勢いよくドアが開く。


「あれ? 噂のニューゴーストじゃん! どったん? あーしに話とかある系女子?」


「はい。落戸さんの元ユニット相手である斑目さんについてお聞きしたいことがあります」


「ほーん、てか電気つけな? まーあーしが点けたげるんだけど。あっ、そこのロッカーにお菓子入ってるから一緒に食べよー。けっこー有名なやつでさ。ファンの新入生がくれたんだ。やっばいほど旨かったよ」


 入ってきたと同時に話し出しては止まらない口を持つこの人こそ、シュラインの愛嬌担当、落戸衣。活動名はひらがな表記で、ころも。


 落戸さんは乱暴に扉を閉めると、手に持っていた学生鞄を床に投げ捨てて、床に散らばる糸屑を足で払いながら歩き、ミシンを退けて机の上に座った。


 大雑把でお喋りが好きなその姿、ネットに上がっている情報と似通っている。斑目さんはともかく、落戸さんは取り繕わない性分なのだろう。


「匁ちゃんてさ……あっ、名前合ってるよね。でさぁ、匁ちゃん……実はあーし、幽霊部の部長さんから口酸っぱく言われてんだ。匁ちゃんと臥煙を合わせるなって」


「それは……一体?」


 お姉ちゃんから斑目さんの悩みを解決しろと頼まれたのに、これでは取引が失敗してしまう。もしかして、落戸さんが嘘を吐いているんじゃ。……いや、それをする意味は落戸さんにはないはずだ。


「うーん、あーしも部長さんと臥煙の関係はあんま知んないけど、あーしの夢を手伝ってくれてる部長さんを裏切りたくない。だからさっ、匁ちゃんも我慢よろしくっ」


 和やかな言い方ながらも、警戒心が漏れ出ている落戸さんから斑目さんについて聞き出せるとは思えず、手元に集めた布を机に置き、


「我慢と言われましても、わたしにはやらなければいけないことがあります」


 そう言って、落戸さんを横切りミシンルームを出ようとした時、わたしの進路を止めるべく、長くしなやかな足が遮断棒のように降りてきた。


「は? あーしの夢を邪魔するほどのことがあんたにあるわけ?」


 年齢に似合わない凄んだ声で訊かれても、わたしに効果はない。


「あると言えば、落戸さんはどうするんですか?」


「…………」


 互いの目が合っている状態で、沈黙が続く。

 グラウンドで活動している運動部の掛け声が、夕陽が照らす町内を滑空するカラスの羽の音が、廊下から楽しげにカラオケに行こうと誰かを誘っている声が、それだけが聞こえる。


 先に口火を切ったのは、


「ハハハハッ! いいねっ! 噂と変わんないその根性、あの二人が褒めることはある」


「その二人とは……」


「臥煙と部長さんに決まってんじゃん! もー、匁ちゃんは質問ばっかで面白くない! もっとさ、こう、人にお願いするときはね、相手の気分を上げてかないと知りたいこと訊けないよ」


 落戸さんは机から腰を上げて、ロッカーから缶を取り出す。空いた手で木の椅子をわたしの前に用意してくれた。


 そこに座ると、落戸さんが缶の中から小分けされたクッキーを一つ、放物線を描くように私に向かって投げた。わたしはそれを両手でキャッチして、封を開ける。プレーンのクッキー。破片を溢さないように食べる。


「……食べやすいですね」


「なんたって、あのがらんのクッキーだからね。値段知ってる? この手のひらサイズのクッキーが一個5百円だよ? まぢ自分で買う気にならん値段すぎ、くれた梅ちゃんには感謝しなー。あっ、でも匁ちゃんは幽霊部だから話しかけても無視されちゃうかな。うけんべ」


 落戸さんのチョコレートやストロベリーの味のクッキーを頬張るその姿からは、警戒心が見えなくなっていた。けれど、わたしを信用したわけではない。落戸さんも引退しているとはいえ、新進気鋭のアイドルだった。業界を歩く過程で感情をコントロールする術が培われたのだろう。


「ところで、お姉ちゃんが協力しないと叶えられない落戸さんの夢とはなんでしょうか。アイドル業界へ舞い戻ることではないでしょうし……」


「質問ばっかで面白くないって指摘したばっかでしょ? はぁ、まーいいよ。話題を振らないいあーしが悪いんだし」


 膨れた落戸さんは奥の部屋へ行った。しばらくして、落戸さんは暗色の衣装を着た一体のマネキンを運んできた。


「これを着た臥煙をステージに立たせるのがあーしの夢」


 落戸さんは声色を良くして、近くの小箱からチェーン、リボン、ネックレスなどを出して机に広げる。その姿はまるで、着せ替え人形で遊んでいる幼女のように見えた。


 どこかの記事で読んだことがある。シュラインのライブ衣装は全て落戸さんの手作りであると。


『変なことに時間使ってるから、ライブのパフォーマンスが斑目に劣るんだ』


『アイドルならアイドルらしくダンスと歌に集中しろ』


『衣装制作を任せられないほど稼げてないの?』


 などの下世話なコメントがその記事に書かれていたし、人間性を疑うようなコメントも多くあった。落戸さんはファンの声を直に聞きたいと、エゴサーチは日常的にするらしく、誹謗中傷をよく目にしているはずだが、引退するその日まで衣装制作を自身で制作することを貫いた。


「それで、お姉ちゃんは何を手伝っているのですか?」


「あーしの夢で一番難しい臥煙の気持ちをステージに向かわせること。こればっかりは表舞台から消えたあーしはできないからね」


 そう呟く落戸さんの目線は、どこか遠くを見つめている。


 わたしはこの表情を知っている。お姉ちゃんがわたしを見つめていた時と同じ表情だ。


「落戸さんは……斑目さんのことを敵だと思っていますか?」


 落戸さんは予想外の質問を訊かれて、齧っていたクッキーの破片が床に散らばった。


「んー、今は違うけど、シュラインでステージに立ってた時は憎らしかったよ。親の仇レベルでね。解散理由に不仲説がでちゃうぐらいだった。ほんと、あの頃は思い出したくない」


 今は違う。その言葉を聞いて、少し気が楽になった。


「匁ちゃんと部長さんは喧嘩でもしてるの? 姉妹なんでしょ? あそこまで会いたくないって思われるの、相当な理由があるんじゃない?」


「他人に話すような理由ではありません」


 五年経っても消化できていない結石を人に明かすことは難しい。感情的に嫌だというわけではなく、言語化できていないからだ。


「さっきまでの質問に答えた報酬がほしいなー」


 落戸さんはねだるように言ってきた。もしかすると、斑目さんと仲の良い落戸さんとは長い付き合いになる可能性がある。ここで信頼や友情を得ることに努めるのは悪くない。


「わたしはお姉ちゃんのことが好きです。大好きです。お姉ちゃんが噛んだガムを飲み込めるくらい愛しています」


「あーしだって臥煙の噛んだガムくらい飲み込める」


 変に張り合ってくるも、返事はせずに話を続ける。


「お姉ちゃんはわたしのことを好きではありません。若くして両親を亡くしたわたしに多少の情があったのかは分かりませんが、色んなことを教えてくれました。しかし、わたしが義理の愛情に甘んじてしまい、お姉ちゃんを絶望させるまで追い詰めてしまったのです」


 ……予想はしていたが、あまりにもまとまっていない稚拙な文で喋ってしまった。


 この言葉で落戸さんに伝わったか不安に思うも、落戸さんは口を手で隠して、考える人のポーズで一点を見つめている。わたしが口を開くと、変な注釈を言ってしまいそうなので、落戸さんの感想を待つ。すると、


「だから部長さんは臥煙と近づかせるなって言ったんだ……」


 落戸さんは一人で納得した雰囲気を醸し出して、静かに笑う。


 わたしは話題に出ている斑目さんのことを微かも知らない。金門さんとけん玉をしていたのは覚えているが、まともに会話をしていなければ、嫌われているかもしれない。


 あのぶっきらぼうな性格はアイドル時代からそうらしいので、斑目さんの本性だと思うが、お姉ちゃんの前では猫を被っているのか?


 じゃないと、お姉ちゃんに乱暴な言葉遣いと態度をしているということになる。例えお姉ちゃんの友人だとしても、お姉ちゃんに不敬を扱うなんて人の所業じゃない。


「……てる。聞いてる? 匁ちゃん」


「…………すみません。何かありましたか?」


「もー一回言うからちゃんと聞いてね。匁ちゃんの大好きな部長さんからの伝言なんだから。えーっと」


 お姉ちゃんの伝言と言われ、自分の世界に浸っていた脳が瞬時に現実へ戻ってきた。


「匁、突然だが斑目君と清廉祭のステージで踊ってもらう。詳しい事情は落戸君に問え。それと、取引は忘れてくれ。全ては清廉祭の日に会って話そう。それまでは別行動だ」


「……以上ですか?」


「うん」


 落戸さんがスマホの画面を見せつけてきた。確かに、落戸さんが言った以外のことは書かれていない。

 清廉祭は清廉高校の文化祭の通称である。


 去年は新田という幽霊部の部員が学校を爆破したせいで、開催日が十二月と遅れたそうだが、例年だと、七月七日に開催予定。今年は校舎が壊されていないので、無事にその日に開催できそうだと、お母さんが安堵していた。


 ……えっ? ていうかお姉ちゃん、清廉祭まで別行動っていうことは、二ヶ月先まで会わないつもり!? 部室に侵入すれば会えると思ってこの一ヶ月まるまる療養に努めたのに。


 でもでも、逆に考えてば清廉祭では絶対に会ってくれるってことだよね。だったら我慢するだけ。たったの二ヶ月。約六十日。五年じゃないもん。平気じゃないけど、忍耐力は鍛えられているから頑張ろう。

 両手をグーにして気合いを入れていると、


「……てかさ、このメールさっき来てあーしもびっくりしたんだけど、匁ちゃんって踊れる人なん?」


 と、訊かれた。


「ヒップホップ、バレエ、ストリート、他のジャンルでも、振り付けを見れば踊れます」


 答えても落戸さんは怪訝な表情をしたまま動かない。

 わたしができると言っても疑う人は存在したので、言葉で疑いを晴らすよりも、実際に見せてあげた方が早く相手を納得させられることを知っている。


 落戸さんの好きな曲を検索してもらい、音を出して動画を鑑賞する。



 ――――できた。


 脳内シミュレーションを終えたわたしはブレザーとネクタイを脱いで、ぐっと体を伸ばす。いくつかの机を退けて最低限のスペースを確保。落戸さんにスマホを手渡す。


「落戸さん。この辺りで踊っても壊れるものはありませんか?」


「……あっ、うん。えっ? ほんとに踊れるの?」


「再生ボタンを押していただくだけで構いません。では……」


 半径二メートルの空間。中心で膝をつく。

 三、二、一のカウントダウンの後、曲が再生される。


 体に響く重低音のシンセサイザ―キック。それに合わせて上半身を脱力……力を入れてヒットを打つ。ヒット、ヒット、ヒット。繰り返す。


 ピアノの入りにダンッ、と地面を強く蹴って立ち上がり、三秒の静止。肩を前後左右に揺らす。少し歩いて、足を肩幅に広げる。次のリズムで腰を落として膝を直角に。右腕で自分のお腹を抱きしめる。顔の向きを後ろにしてから、それからそれから――。


「お分かりいただけましたか?」


 わたしのダンスを見ていた落戸さんは、わたしの呼びかけに遅れた拍手で応える。


「……凄すぎん? さっき見たばっかりだよね。……おかしいでしょ」


 よく聞いた畏怖の声。

 わたしのような存在と接し続けていた落戸さんでさえ、わたしと勝負した人と同じ感情を抱いてしまうのか。


 ちょうどいい。取引がなくなったことで、落戸さんに気を遣う必要もなくなったのだ。どうせなら、今の心情を問いただしてみよう。


 そうすれば、わたしに負け続けた昔のお姉ちゃんが、どれほど追い詰められていたのかを知ることができるかもしれない。


「落戸さんもわたしが怖いのですか? わたしはただわたしのできることをしただけです。それなのに、どうして人はわたしに恐怖するのでしょうか」


 落戸さんは、地球は丸いのかを尋ねられた時のような口ぶりで言う。


「自分からかけ離れた存在だからに決まってんじゃん」


「……距離の話ですか?」


「違うっての。例えばさ、死ぬのが怖いって人と、そうじゃない人がいるじゃんか。まず、死ぬのが怖いって人は、死とは離れた場所で生きているから、死を怖がる。逆に、死ぬのが怖くない人は、死の匂いがする場所で生きているから、死を怖がらない。あーしはずっと臥煙の隣で生きてきたから臥煙は怖くない。だけど、初対面で圧倒的な才能を見せつけきた匁ちゃんは怖いのさ。あーしの持論だけど、誰しもがそうだと思うなー」


 落戸さんの言葉は、どうにもわたしに希望を持たせてくる。


「臥煙さんとはどのくらいの付き合いですか?」


「中二からだから……もうちょっとで五年かな」


「わたしも……お姉ちゃんとはそれぐらいです」


 落戸さんは微笑み、乱れたわたしの髪を直してくれた。

 落戸さんがわたしとお姉ちゃんの関係をどれくらい把握しているのかは興味がない。だが、お姉ちゃんと同じ、身近に天才がいた人の経験や考え方には興味がある。


 缶からクッキーを一つもらい。食べる。口の中でほろほろ崩れる甘い味。


「やばいほどおいしいですね。本当に」


「でしょ? こーゆーおいしいお菓子、あーし結構知ってんだ。だから明日も食べにきなよ。あーしは匁ちゃんとお近づきになりたいんだー」


「……はい。明日も同じ時間に伺います」


 お姉ちゃんじゃない人からの誘いを承諾するのは初めてのこと。


 お姉ちゃんを諦めるわけじゃないけど、神門の言う通り、お姉ちゃんを過剰に崇めるのは中断しよう。そうすれば、この目で見える景色は変化するかもしれない。


 その日からわたしは屋上庭園へ行くことはなく、ミシンルームで落戸さんとの談笑に花を咲かせることが日常になった。



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