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17 金門幽その4

 車に揺られること数十分、親戚が運営する病院に到着。事前に連絡を送っていたので、待つことなく幽さんの足を検査してもらい、手術、入院の手配を手早く済ます。


 普通の人の足の骨折は二ヶ月程度で退院できる。しかし、幽さんの場合は骨折してから日にちが経っていたこともあり、完治するにはかなりの時間を要するようだ。


 わたしの焼けた手のひらは数週間で完治するも、傷跡や痒みは残るだろうと言われた。

 両利きなので右手が使えずとも日常生活に支障はないが、傷跡が醜い模様でないことは祈ろう。


 粗方の検査を終えて、幽さんは病院の個室のベッドに横たわり、近くのパイプ椅子に座っていたわたしに手招きをする。側へ行くと、幽さんに左手を掴まれた。幽さんはそれを両手で強く握ってから自身の頬に当てる。


 幽さんの身体と精神はこの一日でかなりのダメージを負ったのだ。わたしという心の拠り所に触れることでストレスを軽減できるのなら、両腕が使えなくても気にしない。


 しばらくすると、幽さんは寝言を呟き始めた。わたしの左手に掛かる力が弱まったので、起こさないようそっと引き剥がすも、幽さんの上半身がのっそりと起き上がってしまった。


 しかし、開いた瞳の色は澄んでいながらも、どこか闇を感じる暗い色をしている。


「匁嬢、此度は多大なる迷惑をかけたのさ。ユウの分を含め、改めて謝罪と感謝を」


「謝罪は要りませんし、お礼はお姉ちゃんに言ってください。わたしは頼まれただけです」


「できればそうしたいが、退院した頃にオレがいるとは限らないのさ」


 神門さんは窓に映る桜の木を見つめる。まるで、木の葉が枯れ切った時に死んでしまうことを悟る人みたいに、じっと見つめている。


 神門さんはやりきったのだ。幽さんの代わりに痛みを耐えて、幽さんの代わりに頭を下げて、幽さんの代わりに幸福の門を叩き、通った。


 神門さんはこの時点で幽さんの精神に生まれ落ちた意味を完遂したのだ。

 どうしてだろうか、たった数日しか会話をしていないのに、神門さんがいなくなると想像すると、心のどこかがぽっかりと空いたように体が軽くなる。


「一緒に喜んであげたいのですが、少し、寂しいですね」


 自分の中での優先順位の変化には驚かない。神門さんと幽さんとの関係を自覚したのだから。この二人が、わたしにとっての初めての友人だと、自信を持って言えるから。


「なに、人格とやらはそう簡単には消えてくれない。だからきっと、死ぬまで一生ユウの中にオレがいるはずさ。……だからさ、困ったことがあったら頼ってくれ、ユウを通して親愛なる匁嬢に助言をしてやるのさ」


「それは困ります」


「……何がだ?」


「わたしが立ち止まってしまう様な事象は存在しませんので、神門さんに会えません」


 風に吹かれて、桜の花びらが舞い落ちる。一片、一片、木の枝から千切れ、落ちてゆく。


「匁嬢、悪いんだが帰ってくれないか? ……少し、泣く」


 神門さんはそっぽを向いて、手元の布団を強く握る。


「こんな時にまで格好つけなくても良いのです。先ほど、あなたが取り繕う原因がなくなったのでしょう? それに、抱きしめられながら泣くのは、案外悪いものではありません」


 そう言うと、神門さんは振り向いた。今にも目尻に溜まった涙が流れそうな顔。右手は使えない。ベッドに膝を乗せて、恥ずかしそうに両手を広げる神門さんを胸で迎え受ける。


 ずっと、ずっと我慢していたのだ。生まれた時から泣くことは許されず、常に前を向くことを信条としてきた女の子の涙は、とてつもない熱を持っている。


 わたしに体を預けて泣きじゃくるその姿は、お姉ちゃんにすら見せたくない。



 ――太陽が落ち、月明かりが街を照らす頃、神門さんは掠れた声で言う。


「匁嬢、臥煙嬢がアイドルだったのは知っているな。ユニット名、シュライン。臥煙嬢は本名で活動し、同級生の落戸衣おちところもとの二人組で活動していた。落戸衣は、現在の清廉高校の衣服部に所属する三年生さ。臥煙嬢について調べるなら、そいつに訊くのが一番無難だ」


 と、助言をくれた。


 衣服部という部活動は、二号館にあるミシンルームで週に二回ほど活動していると、どこかで聞いた覚えがある。落戸さんが意欲的に部活動に取り組んでいるのかはわからないが、いつかの放課後にミシンルームへ訪ねてみよう。


「さっそくの助言、ありがとうございます」


「気にするな。……話の途中だが、オレは眠るのさ」


「ええ、おやすみなさい、神門さん。……明日、下着類を部室から持ってきます。それとこの靴、幽さんに渡しておいてください」


 潰れた箱を開けて、ショッピングモールで購入した厚底靴を取り出し、机の上に置く。


 金門さんは母親の思い出の品と決別したというのに、同じ様な品物を贈ることに申し訳なさはある。けれど、金門さんが欲しいと願ったのものだから、誤魔化したくない。


「断る。オレが渡すよりも匁嬢が手渡した方がユウは喜ぶのさ。だから、またな……匁嬢」


「……それも、そうですね。神門さん、また会いましょう」


 突き返された厚底靴を箱に戻し、処方された鎮痛剤や塗り薬の入った袋と一緒に持って立ち上がる。扉が閉じ切るまで、神門さんとの視線は交差したまま違えない。


 名残惜しさは不必要。彼女がまた会えると言ったのだ。それを信じるのが友人だろう。


 病院特有の重い扉が自重で閉じる。包帯を巻いた手のひらを、神門さんの涙で濡れた胸に近づける。憎悪でもなく、後悔でもない涙から滲み出る暖かさを感じて、わたしは歩く。


 病院の駐車場。


 高瀬さんが運転する車の後部座席に乗り込む。わたしが床につけた血痕は綺麗さっぱりなくなっていた。


「色々とお手数おかけしました。車内を血で汚した挙句、高瀬さんに乱暴な言葉使いもしてしまい。申し訳ございません」


 急いでいたとはいえ、長年お世話になっている人に向かって怒鳴るような真似をしたのだ。怒られる覚悟をして謝るも、高瀬さんはいつもとなんら変わらない声色で答える。


「匁様が謝るようなことではありません。それよりも、お怪我の具合はいかがでしょうか?」


「お医者さん曰く、二、三週間で完治するみたいです。あと、お母さんにはこのことを」


「体調不良で病院に行くも、普通の風邪でした、と伝える予定でしたが」


「ありがとうございます。それに加えてですが、六月……いえ、七月末までお仕事を休んでも大丈夫か、お母さんに訊いておいていただけますか?」


 幽さんが退院するまでの期間は多く見積もって三ヶ月程度。それまでは毎日、お見舞いに行ったり、ご飯を作ってあげたり、お話しをしたい。


 それに、なんだろうか。金門さんの件が終わり、ひと段落した雰囲気があって、お姉ちゃんを無理に追わなくてもいいのではないか、という気持ちが芽生え始めてしまっているのかも。


 ……それは疲れからくる現実逃避に思えるが、否定はできない。


「もちろんです。匁様は今までの間、お休みになられなかったので駄目と言われることはないでしょう。お母様も忙しそうにしている匁様を見て、よく心配されていましたよ」


 その一言で、肩の力が無駄に入ってしまった。


 ただでさえお姉ちゃんのことで心労があるお母さんを、基本的に快調なわたしのことで心配させられないという思いを隠していたはずのに、高瀬さんに見破られるとは。


 わたしは心の内を隠すのは苦手なのだろうか。表情管理を勉強するべきか? と悩んだところ。


「親はいつだって子供の心配をするものです。匁様のそれは要らぬ気遣いです」


 と、わたしの考えに気づいたように一言付け足された。


「……高瀬さんにもお子さんが?」


「匁様、メイドにもプライベートがあるのですよ」


 冗談っぽく言う高瀬さんに肯定の咳払いで答え、背もたれに寄りかかる。神門さんの眠気が移ったのか、欠伸が止まらない。明日のことは明日に考えよう。


 お母さんの目からこの包帯を隠す方法を。


 斑目さんと落戸さんのことを。


 厚底靴を金門さんにプレゼントする計画を、明日考えよう。


 今日は久々に安眠できる気がするよ、お姉ちゃん。


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