幕間その3
部室へ足を運ぶのは二ヶ月と十九日ぶりか。ユウは起きていないな。……なら、丁度いいのさ。オレがこのドアノブを回すのをどれだけ待ち望んでいたか、ユウですら分からない。
着慣れた制服、履き慣れない厚底靴を履き、夏とは思えぬ冷えたドアノブに触れる。一息置いてから扉を開けると、夏の暖かい風がお出迎えしてくれた。空を舞う花弁に、メルヘンチックな花壇と噴水。それに、匁嬢に膝枕をしてもらったベンチ。
座っているのは……、ふひひっ。
コツ、コツ、と厚底靴特有の音を自慢するかのように鳴らして、隣に座る。
入院中に一度もお見舞いに来なかった薄情者をからかうように、それでいて、会いたかった気持ちを抑えるように、口にする。
「久しぶり、どうしたんだよ涙なんか流して」
「……歩けるようになったのか、神門」
クリスマスの寒さを思い出すような懐かしい声だ。
「そうさ、部長。お見舞いにこねーからこっちから会いにきてやったのさ」
「すまない。斑目君から止められていてな。君と会って気が抜けるのが、怖かったんだ」
「頭は下げないでくれ。オレが土下座しないと割に合わなくなるだろ」
「……そうだったな」
二人で幽霊部にいた時、毎週のようにしていたこの掛け合い。これをできるのもあと少しだと思うと、哀愁が亀に乗って目の前を通り過ぎる。
「神門は最後まで見届けてくれるのか?」
もちろんさ、と安易に答えられないほど、オレの人格は薄くなっている。
そりゃあそうさ、オレが存在する根本的な問題が匁嬢の手によって解決されたから、消えるのが自然の摂理さ。オレだってそれを望んでいるが、培ったものが消えるのは淋しいものがある。
「見届けるさ」
夏のそよ風が、抗えようのない眠気を引き起こしてくる。
「ユウが、きっと」
「…………ああ」
部長に体重を預けると、そっとふとももにオレの頭を移動させられた。以前とは違う、骨や脂肪の感触ではなく、スプリンターの筋力を身につけているふともも。
タバコの残り香もない。匁嬢と同じ、フレグランスな匂い。
よかった。これでオレも心残りなく、オレの世界へと戻れる。あいつに会いにゆける。
「部長、匁嬢を紹介してくれて、助かったのさ。オレも、……ユウも」
「こちらこそ、ありがとうと言わしてくれ。……神門という友人、金門という仲間ができて、私も……嬉しかった」
ぽた……ぽたと、頬に涙が落ちてくる。匁嬢よりも温かい涙が落ちてくる。
オレの頬に当たり、重力に従うその水滴はもう一つの体温と合わさり、二つの線が綺麗な垂直線となって、地面に当たる。
「ふひひっ、部長。次に泣く時は誰かの胸の中をお勧めするのさ。それも、自分が恋して恋してやまない誰かさんの胸をね」
「ああ、――――」
部長。成仏するオレに送る最後の言葉としては、相応しくないのさ。
「…………その言葉は、匁嬢に……、言って、やれ」
目を手の甲で擦りながら体を起こす。
「……あれ? 部長? もしかして、神門と何か話してたの?」
ふわぁ、と大きなあくびをして部長の顔を見ると、部長の目元が赤くなっていた。
もしかしたらユウ、起きたらいけないタイミングで起きちゃったのかも! 神門がユウに教えずに勝手に動くからこうなるんだよ。まったく。
……あれ? 神門? 寝ちゃってるの?
入院中はずっとユウとおしゃべりしてくれてたのに、いきなり無視するのは酷いじゃんか。……ほんとに寝てるの?
いくら待っても返事をしない神門は久々で、ユウが変なタイミングで起きたことで怒っちゃったのかもしれない。
あわあわしていると、部長が咳払いをしてから、目線をユウの足元へ移す。
「新しい靴、似合っているぞ」
神門の事情を知っているはずの部長が何も言わないなら、ユウに秘密の話をしていたに違いない。だったら、ここでユウは神門について深く訊いちゃいけない。
「でしょでしょ!? これね、匁ちゃんがプレゼントしてくれた靴なの!」
病院でいろんな検査をした次の日に、匁ちゃんからプレゼントしてもらった厚底靴。足のリハビリを頑張る一番の理由になった、ユウの宝物。飾りたい気持ちはあったけど、匁ちゃんが似合うって言ってくれたから、大切に履くことにした。
「って、部長と話してる場合じゃなかった! 部長、今何時?」
部長はスマホを見て、
「もうすぐで十二時ぴったりになる」
「やっ、やばいの! 匁ちゃんにね、退院祝いにパンケーキ作ってあげるから、お昼までには家庭科室にいてって言われるの! またね、部長!」
パンケーキを作ってもらう約束をしてからだいぶ時間は経っちゃったけど、ユウが退院するまでは我慢するって決めたの。それが今日だから、遅刻なんてできない。
「あの子の作ったパンケーキはおいしいか?」
そんな当たり前のことを訊かれたらね。ユウの返事は決まってるの。
「もちろんさっ!」




