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15 金門幽その3

 金門さんの足だと移動できる距離は限られている。金門さんが店を出てから四分しか経過していないため、エレベーターやエスカレーターまでは辿り着けないだろう。どこか、金門さんの興味を惹くような場所を手当たり次第に探せば見つけられるだろう。


 と、安易に考えていたわたしを殴りたい衝動に駆られるほど、一向に見当たらない。


 誘拐された? 


 まさか。金門さんなら大声を出して抵抗するはずだし、何よりそれは神門さんが許さないだろう。一人で行動したいタイプではないし、…………一階を歩く、見覚えのある肥満体型の女性。


 手を繋いでいるのは、金門さん?


 他人の空似ではないのは着ている幽霊部の制服が物語っている。肥満体型の女性が振り返った時に見えた、してやったと悦を浮かべる表情に、神経が逆撫でされる。


 無自覚に振り上げた拳は宙に止まり、行き場を失う。人生で初めての屈辱を噛み締めるように、歯と歯の重なり合う力が増した。


 なるほど。

 あの母親、学校からわたしたちを尾行していて、わたしが金門さんから目を離した隙に、金門さんを連れ戻したのだろう。


 警戒していたはずなのに、このわたしがあれに遅れをとるなんて、何が原因だ? いや、そんなことを考える暇はわたしにない。今は金門さんを奪い返すことを第一に考えるべき。


 一階のあの場所なら、出入り口までおよそ八分。エスカレーターやエレベーターだと、見失う可能性や、人が邪魔でスムーズに移動できない可能性がある。階段も同様。


 ならば、直線距離で行くまでだ。

 運良く、私の目の前には垂れ幕が設置されている。


 三階の高さから一階へ降りても、適切な着地をすれば軽傷で済むが、垂れ幕をつたって降りれば、足へのダメージはないと断言できる。


 わたしなら、できる。ジャンプして、垂れ幕を掴む。勢いを殺しながら降下。走って、金門さんに追いつく。わたしなら、……できる。


 シミュレーションは完璧。あとは、その通りに体を動かすだけだ。

 車椅子はその場に放置し、靴箱の入った袋を左手首に通す。木製の手すりに足をかける。バランスを崩さないよう膝を折り曲げて、力を貯める……垂れ幕に向かって、飛ぶ。


 右手を目一杯に伸ばし、ガッチリと垂れ幕を握り締める。ヘリからロープで降りるように、徐々に力を緩めて降下する。


 垂れ幕の埃が舞い落ち、摩擦で手のひらが焼けて、スカートが捲れるも、気にしない。

 あの二人を見失わないように、目を凝らせ。


 地上二メートルになったら垂れ幕から手を離して、五点着地。

 母親までの距離、およそ十五メートル。

 シミュレーションの誤差、なし。


「あとは、走って追いつくだけ」


 垂れ幕を掴んでいた手のひらの皮は無残に剥けたが、この痺れは、この痛みは後回し。

 早く……疾く金門さんを助けないと、母親と引き剥がさないと。


 ……でも、どうしてわたしはこんなに躍起になっているんだ? 金門さんはお姉ちゃんじゃない。金門さんはわたしにとってはただの可哀想な子供でしかないはずだ。


 なぜ? なぜ?


「……ちょっとキミ! 何してんの! 危ないだろ!」


 二つの背中に向かって走ろうとしたところ、着地地点の近くにいた警備員に捕まった。

 ……ッ、余計な自己問答をしたせいで反応が遅れた。


 既に三人に囲まれていて、逃げられない。

 ああ、手のひらの痛みが思考を制御してくる。


「あのさ、どっかで撮影でもしてるの? って、あーあ、怪我してるじゃんか。まったく、最近の若者は……、一応キミに訊かないといけないことがあるから、一緒に来てもらえる?」


「……っ、分かり、ました」


 ここで抵抗すれば拘束時間は伸びてしまう。ならば、従う振りをして、警備員がわたしから視線を外した隙に逃げよう。あの年増は騒ぎに気づいているが、ゆっくりとした歩幅とスピードで歩いている。猶予は残っている。


 しかし、事はそう上手く運んでくれない。

 その場で警備員から名前や住所を訊かれたり、垂れ幕をロープ代わりに使った理由を訊かれたりした後、従業員専用のドアへ連れてゆくため、警備員が振り向いた。


 警備員の視界から外れたと確信し、母親の歩いていた方向へ全速力で走る。手の痛みがあろうと、一介の年老いた警備員がわたしの走りに追いつける道理はない。


「おっ! あ、待て! 止まれ!」


 警備員の怒号がショッピングモール内に響く。

 職務を全うしている警備員には悪いが、今のわたしには余裕がない。走っている間に、血で滑るスマホの画面を袖で拭いながら操作し、高瀬さんに電話する。


「高瀬さん! 今すぐ車を!」


「行きと同じ位置でよろしいですか?」


「いいからっ! 早く!」


 投げやりに言って、電話を切る。

 止まったら、駄目だ。走って走って走って、わたしは追いつかないといけない。


 ショッピングモールの外に出ると、高瀬さんが後部座席の扉を開けて待機していた。入ろうとした瞬間、前を通る軽自動車の運転席にいた、あれと目が合った。屈辱感がさらに増すも、地団駄を踏める時間はない。急いで後部座席に乗り込んで、


「前の黒い軽自動車を追って! とにかく早く!」


 そう言うと、高瀬さんはシフトレバーを操作して、わたしがシートベルトを付ける前に発車した。


「わかりました。人を轢かないことを最低限に考えて運転しますので、しっかりとシートベルトを着用してください。それと匁様、最大限の努力はしますが、目的地がハッキリしない場合、撒かれてしまうかもしれません」


「わかってるよ! そんなこと!」


 いくら平日の昼間だろうが、探偵ドラマのように張り付くのは現実的でない。それにあの母親なら、逃げるために信号や標識を無視したり、無茶な車線変更したりするはずだ。


 あの母親の行き先は……会社? 違う、あれは働いていない。実家? 違う、身内との仲が良いとは思えない。なら、自宅しか、神門さんが話していたボロアパートしかありえない。


 靴箱の入った袋を手首から外す。握り続けていたスマホをタップして、連絡先を開く。

 わたしのスマホには、三つしか電話番号が登録されていない。


 高瀬さん、お母さん、最後に、お姉ちゃんの番号。


 五年間、ずっと怖くて、眺めることできなかったお姉ちゃんの電話番号の発信アイコンを、躊躇いながらも、……押す。


 デフォルトの着信音が鳴る度に、胃が萎縮する。


 電話番号を変えていないで、わたしだからって無視しないで、着信拒否していないでよ。お願い、電話に出て……出てよッ! お姉ちゃんじゃないと訊けないの!


「デート中に私に電話するとは、金門君が拗ねてしまうぞ」


 望み続けたその声に、一喜一憂していられない。


「お姉ちゃん! 今すぐ金門さんの自宅の住所を教えて! 母親に攫われたの!」


「それだけか?」


「……それだけって、どういう意味? ……お姉ちゃん、金門さんが攫われるのを分かっていて、外出させたんじゃないよね」


「だとしたら、お前が責めるべきは私ではない。……それに、お前も他人に同じことをしてきたのに、どうして文句を言える立場にいると勘違いしている? 住所以外に要件がないのなら切るぞ」


 電話越しに冷たくあしらわれ、言葉が詰まる。手のひらの鈍い痛みが、返答させないよう襲ってくる。ローファーに滴れる血液が、真っ赤な色をしている。


「……じゃあ、パソコンでA4サイズの白紙の紙に、今から言う文字を――」



「――それで、お願い」


「任せておけ。住所は高瀬さんに知らせておいた。資料が完成したらメッセージで送ろう」


 ――ピッ。


「高瀬さん、あとどのくらいで着きますか?」


「二十分ほどです」


「……わかりました」


 乾燥した血が、粉屑となって車内に落ちる。痛みはある、けれど……耐えられる痛みだ。

 金門さんが母親の手に掛かってから判明した。


 時折、金門さんの面影に重なる正体を。

 わたしが金門さんに顔を向けると、磁石のように目が合って、過去を追究しようとすると罪悪感が止めに入り、わたしと一緒にいれると知った時のあの晴れやかな顔。


 金門さんはお姉ちゃんじゃない。わたしが金門さんにとってのお姉ちゃんだったんだ。


 ――。――。――――。


 ……こんな気持ちだったんだね、お姉ちゃん。


 窓に反射するわたしの顔は青白くも、口は三日月のように曲がり、涙の粒が、軌跡を描いていた。


「パンケーキを作ってあげるって約束……守らないと」


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