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10 神門その1

 「今週中は部活動の体験期間です。興味のあるものは忘れずに、以上。ごきげんよう」


 一日の授業が終わり、担任が退出すると同時に教室内は喧騒に包まれた。文武両道を掲げる清廉女子高校は、部活動に必ず入部しないといけない校則がある。といっても、活動的ではない生徒や、勉強に重きを置いている生徒もいるので、そういった人たちが入部する形だけの文化部も存在する。


 人に話しかけることが苦手な人が友人を作るには、そういうコミュニティに属すのが最も楽で、学生生活に彩りを与えるからと、お母さんは昔ながらの校則を残しているそうだ。


「あのっ、夜灯さん。わたくしたち、これから吹奏楽部に体験入部しようという話をしていまして、よければ、夜灯さんも……ご一緒にどうですか?」


「お誘いは嬉しいのですが、あいにく放課後は予定がありまして」


「いっ、いえ! こちらこそ突然話しかけてしまい申し訳ありませんっ!」


 整えられたボブカットの髪を揺らしながら、ペコペコと何度も頭を下げてくる。


「ふふっ、そんなに慌てなくても構いません。わたしたちはクラスメイトですから、気なんて使わないでください」


「いえいえいえいえ! 気は使わせてくださいっ。……とっ、ところで、ずっと気になっていたのですが、三時間目に幽霊部の人と、何をお話されていたのでしょうか?」


「ほんの世間話ですよ。わたしも、彼女と同じ幽霊部ですので」


「……えっ、せっ、でもっ! せっ、制服……は」


「白色のブレザーと、黒色のワイシャツはわたしに似合いませんし、こちらの制服のデザインが好みなのです。それでは、お先に失礼します」


 学生鞄を手に持ち小さく手を振ると、話しかけてきたクラスメイトは残像が見えるほどの勢いで手を振り返してきた。


 中学時代も同じような挙動の女の子を覚えている。どう接したかは忘れてしまったが、寄り添ってきた行為を無下に扱うわたしの姿が容易に想像できる。


 その時とは違い、この学校にはお姉ちゃんとお母さんがいる。二人の顔に泥を塗るのはありえない。幽霊部だからと、無法な態度で学校生活は送れない。

 ざわざわと騒いでいるクラスメイトに一瞥しつつ、一人静かに屋上庭園へ向かった。


 お姉ちゃんの衣食住が詰まっている極上の部屋に入れると思うと、にやけが止まらない。匂いの付着した服を回収するために、同じサイズの制服を準備してきた。音の鳴らないカメラやジップロックも完備している。


 部室のドアの前で前髪を整えてから、お母さんから譲り受けた鍵を鍵穴に通すも手応えがなく、握ったドアノブは軽い。不用心だが部室に侵入する学校関係者はいないのだろう。


 鍵をブレザーのポケットに入れてドアノブを回すと、籠った空気にエアコンの熱風が目を乾かしてきた。瞬き。長靴の横に脱いだ靴を並べる。


 内見。レイアウトは思いのほか平凡。十畳ほどのワンルーム、煌びやかな照明、冷蔵庫はあるが、他の電化製品は見当たらない。四人用のテーブルもあり、金門さんが寝息を立てているソファはくたびれておらず、シングルベッドには脱ぎ捨てられているパジャマに、畳まれていない羽毛布団。クローゼットの戸はきちっと閉められているが、タンスの一段上は開けたまま。


 お姉ちゃんの残り香のする枕に顔を埋めたい気持ちを抑制して、ソファで眠る金門さんの肩を揺らす。


「お待たせしました」


 反応はない。

 いつごろ保健室から部室へ移ったのかは分からないが、放っておいても起きる気配がないほどの深い眠り。しかし、長靴を履いたまま器用に眠っている。靴底には土の汚れが見当たらないので、室内用の長靴を履いている。


 そこまでして長靴にこだわるとは、母親の洗脳具合の強さが窺える。

 ソファで丸まり、指を咥えて寝ている金門さんの肩を強く揺さぶるも、まだ起きない。この状態でわたしが帰ったら、金門さんは約束を破ったと拗ねてしまうだろう。


 熟睡している人はどうやったら起きる? ……耳元で叫んでみるか。なんて考えていると、金門さんは目を擦りながら、のっそりと体を起こした。呆けた顔で、ぐーっと腕を伸ばし欠伸をする。


「んんっ……来てもらって悪いが、ユウは祝日の独身貴族のように深く眠っているのさ。すまんが、今日のところは帰ってくれ」


「は…………金門、さん……です、よね?」


 金門さんの風貌をしているのに、同一人物には思えない言葉遣い。呆気にとられて、変な声が出てしまった。幼稚な声色や姿は同じだというのに、動きの所作が、どこか大人っぽい雰囲気を漂わしている。なんだが、家庭科室で初めて会った時と似ている。いや、あの時と同じ人物だ。


「ああ、オレはオレさ。初めましてじゃないのに、自己紹介をするってのは嫌いでね。たっぷり詰まった脳みそで察してくれ」


 と、雄弁に語るも、片膝を立てて座る金門さんのスカートからはかわいらしい下着が露わになっていて、いぶし銀を感じない。金門さんの下着の色はさておき、普段とここまで差異があると、多重人格……解離性同一障害と予想がつく。


 わたしは自分の身を守るために母親の前で好きなキャラクターの真似をしているだけだと思っていたが、真似ではなく本当に別人になっていたとは。


 嫌なことから逃げる方法を学んでいない子供は別人格を生み出すことがある、という話は聞いたことがあるが、実際に目にするのは初めてだ。


「多重人格の方ですね。ちなみに、どちらが主人格ですか?」


「ったく、あんたら姉妹はリアクションが薄くて面白みがない。っと、答えはもちろんオレじゃない。オレはユウの描いた物語の主人公の人格さ」


「……小説を描いているのは、母親ではありませんでしたか?」


「子供みたいな質問にゃあ、答える気はないのさ」


 お姉ちゃんが問題視する退っ引きならない事情とやらは、このことか。

 金門さんが母親に向ける洗脳に近い感情、娘を自身のゴーストライターに、ネグレクト、身体的虐待。わたしが分かっている罪状だけでも、母親の人格が人の域に達していないことは確定している。


「では、大人な質問を……、長靴を脱ぎたいとは思いませんか?」


 母親の虐待を引き受けた人格が、元凶との思い出の品を大切に扱う理由は不明瞭。人格が変わっている間は、嫌いな人に関わるものを目にしたくないのが普通ではないか。


 わたしはお姉ちゃんのことが大好きだから、お姉ちゃんの部屋で毎日過ごしているし、あのジェットコースターの写真にも毎日欠かさずキスをしている。蹴られた跡が残った制服も額縁に入れて部屋に飾った。でも、この人から見た母親は敵でしかないはず。


 金門さんは鼻で笑うと、寝る間も履いていた長靴をすっと脱いだ。露呈した細い足の甲は、真っ赤に腫れている。それも、捻挫と比べものにならないほど尋常なく、真っ赤に腫れていた。


「ユウにはオレの存在を知ってほしくないのさ。やっとの思いで、地獄から抜け出せたんだぜ。なのにさ、足に包帯が巻かれているのを見ちゃあ、神様だってパニックになる」


「……足のことを、お姉ちゃんは知っていますか?」


「部長を責めないでやってくれ。その……、あれだ、訊かれなかったのさ」


 訊かずともお姉ちゃんは変な歩き方を見ただけで、足を痛めていることに気づくはず。本人が気にするなと言っていようが、お姉ちゃんなら見て見ぬ振りなんて絶対にしない。


「人を過剰に崇めていると首が痛くなるぜ。あんまし部長を虐めてやるな」


「この気持ちは崇拝なんかじゃ」


「いーよいーよ、あんたらの甘い気持ちなんざ、洟かむティッシュにもならん。オレはただ、……オレの現実に戻りたいだけなのさ」


 金門さんはポケットから紙箱を取り出して、一本口に咥える。人格が変わったとしても、幼い体はそのままなのだからタバコはやめさせないと。


「あわてんな、ただの菓子さ。知り合いに駄菓子屋がいてな。動けないオレの代わりに、菓子やおもちゃを持ってきてくれるのさ。菓子は甘ったるくてオレの味覚にゃ合わねーが、ないよりマシさ。そういりゃ、ラタトゥイユだっけ、あれ、美味かったぜ」


 金門さんは、口に含んだタバコのお菓子を噛み砕く。


 ラタトゥイユ……先生に捨てられたと思っていたけど、この人が食べてくれていたんだ。

 人からおいしかったと言われるのは、案外悪いものではない。


 その言葉をお姉ちゃんから聞けたら、もっと嬉しいだろうな。パンケーキ以外のお姉ちゃんの好物のレシピを勉強してみようかな……って、和んでいる場合ではない。


 人格の変更がどのタイミングか分からないので、母親について詰問しなければ。


「金門さん……失礼。同じ名前ではないでしょうし、あなたのことはどのようにお呼びすれば良いですか?」


「オレか? オレの名前は神様の神に、門番の門で神門こうど。敬称はいらん。あと、ユウはオレの人格の存在を自覚していないが、オレはユウの記憶を持っている。それに、取引を決め……あっと、余計なことを言う口にはチャックするのさ」


「つまり、神門さんは金門さんの過去を全て把握しているが、金門さんは神門さんのことを、自分が多重人格であることを自覚していない、と」


「だーかーらーさっ、オレはさっきからそう言っているだろーが」


 天真爛漫が服を着た金門さんの肉体から発せられるキザな言い回しが鼻につくも、神門さんから過去を訊くことに躊躇いはない。どうしてか、金門さんに母親のことを訊こうとしたら言葉が詰まったので、この機会は逃せない。


「でしたら神門さん、わたしに金門さんの過去を詳細に教えてはくれませんか?」


「質問ばかりで面白味がないのさ。もう少しさ、オレを楽しませようっつー気持ちはねーのか? それに、敬称はいらんと言ったが?」


「さん付けは癖みたいなものです。それと、わたしに近づきたいという欲求が生まれるのは仕方のないことですが、わたしには心に決めた人がいます。申し訳ございません」


「どーゆう順路を辿ったら、オレが匁嬢を好きって解釈できんだよ。ったく、まーいいさ。興味はねーだろうが聞かせてやるよ。オレがこの世界に生まれた原因と、ユウが進んできた不幸な人生の話を」


 そう言って、神門さんはわたしにコーヒーを淹れるよう促した後に、語り出した。


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