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9 パンケーキ

 始業時間前の廊下でも教師や生徒が歩いており、幽霊部の制服を着た金門さんを抱っこしているわたしに奇怪な視線が送られる。


 わたしも幽霊部の制服を着れば、そんな視線を送られることはないだろうが、授業に参加するうえで、幽霊部の制服を着ていては授業の妨げになってしまう。わたしが幽霊部であることは守秘でないが、大っぴらに宣言するようなものでもない。


「金門さんは幽霊部にこだわりをお持ちでしょうか?」


「こだわり? なんの?」


「斑目さんは、特待生という言葉を嫌っているように思えまして、金門さんはどう思っているのかと疑問が湧きました」


「んー、ユウはどっちでもいいけどね。部長と臥煙ちゃんは幽霊部って絶対に言うの。たぶんだけどね、臥煙ちゃんは特別なのが、嫌いなんじゃないかな」


 だとしても、特待生と呼ばれただけで殺気を向けてきたことに納得はできない。


「金門さんは斑目さんがアイドルとして活動していたのをご存知でしょうか?」


「なんかね、シュライン? だっけ。んーとね、あんまり知らないの、ごめんね」


 お母さんは武道館で公演した過去があると言っていたが、世間的に有名でなくとも武道館程度の会場なら立つことができる。わたしの想定よりファン数は少ないのだろうか。ともかく、ユニット名で検索すれば、斑目さんの抱える問題は浮き彫りになるかもしれない。


「ぱーんけーきっ、ぱーんけーんきっ!」


 家庭科室に到着すると、金門さんはわたしの腕から飛び降りて、ポケットから家庭科室の鍵を取り出し、開錠。長靴のまま中に入る。


「ざっ、材料はユウが用意するの。だからね、匁ちゃんは見ててね」


 金門さんは牛乳、卵などを机の上に運び始めた。

 わたしが準備する方が早く済むも、子供がすると言ったことを拒否すれば、機嫌を悪くさせてしまって、一時間目に間に合わなくなるかもしれない。


 金門さんが歩き回っている間にフライパンを熱しておく。材料の準備を終えた金門さんは、オレンジジュースの入ったコップ片手に、昨日も座っていた椅子に座った。


 教師用の台所から見て、左側の机の一番前。……覚えておこう。

 過不足なく用意された材料に手を伸ばしつつ、


「よく覚えていましたね」


 と、感心を言葉にする。


「ユウ、えらい?」


「はい、えらいです」


「ふふーん。ユウ、えらいもんねー」


 金門さんの能天気な顔から、けん玉のことを忘れているのは確実。

 調理中も金門さんの機嫌を損ねないよう、金門さんの言動や行動から察して、適度に褒める。露骨なよいしょは嫌悪感を与えかねないので、顔色を伺いながら褒め言葉のみを口にする。人の承認欲求を満たす方法も、お姉ちゃんの足跡から身につけた。


 パンケーキを焼き上げてお皿に盛り付ける。金門さんのコップが空になっていたので冷蔵庫を開けると、ラタトゥイユの鍋が消えていた。


 お姉ちゃんが食べてくれたのかな。……嘘。家庭科の先生が捨てたに違いない。どうせなら、お姉ちゃんにあ〜んってしたかった。取引が成立すればお願いする? ばかばか、そんな子供みたいなこと願っちゃもったいない。キスはもう一回したいけど、付き合えばそれ以上のことができるかも。……でも、付き合うってお願いするなら、いっそのこと結婚!? ふふっ、お姉ちゃんと結婚かぁ。……夢みたいだなぁ。ほんと……あれ? もしかして、毎日夢に見ていた新婚生活が現実になるの!?


「匁ちゃん、冷蔵庫。開けっぱなし、だよ?」


 金門さんの不安そうな声と、冷えた右手が上の空だった意識を取り戻させた。咳払いをしてから、オレンジジュースを金門さんの前に置いて、冷蔵庫を閉める。

 白くなった右手を左手でさすりながら、


「少し、考え事をしていました」


「……考え、ごと?」


「はい、お姉ちゃんと、金門さんのことを」


「ユウの? えへへ、どんなこと?」


「本人に話すようなことではありません。わたしは授業に出席しないといけませんので、もう出ます。食べ終わったお皿は洗って片付けておいてください」


「んっ! いってらっしゃい」


 意外にも、金門さんはわたしを引き留めてはこなかった。今も、はちみつをたっぷりかけたパンケーキを黙々と口に運んでいる。

 その姿に既視感が生まれるも、無理に思い出そうとはせずに教室へ向かった。


 制服は着ていないが、わたしも幽霊部の一人だ。真面目に授業を受ける必要はないが、お姉ちゃんが体験したであろう授業を欠席するのは勿体無い。いずれは、お姉ちゃんが座っていた椅子に座りながら、お姉ちゃんが過ごしていた教室でご飯を食べてやる。


 授業開始十分前に入室。個人用のロッカーに保管していた教科書を取り出して、授業の用意を終わらせる。授業が始まるまでの時間で、金門さんの家庭環境や肉体について現在判明していることをまとめるため、ノートを開き、シャーペンを持つ。


『金門幽、誕生日は不明、年齢は十四歳 清廉高校中等部三年生。精神年齢は小学生と同等、承認欲求は高め、身長は135〜138ほど、体重は28〜30で平均より低め。幼少期にきちんとした栄養を摂取できていない。髪を染めた形跡はないが、栄養失調で髪が痛んでいる。長靴を愛用、母親からの贈り物? 母親から洗脳を受けている可能性、微弱。母親の仕事はもの書き。母親はここ一年間ほど、執筆活動を休止している。理由は娘の受験の応援のため。離婚経験、あり。幽霊部になった経緯、不明。家庭環境に問題あり』


 本人に詳しい家庭環境を訊く?


 いや、トラウマを蘇らせると、金門さんを嫌な気持ちにさせてしまう。…………どうしてそれが否定材料になる? 本人に訊くことが一番の近道。金門さんがパニックを起こそうが、さほど問題ではない。なら、どうしてわたしは本人に訊きたくないのだろうか。


「ごきげんよう、ホームルームを始めますので、席に着席してください」


 自問自答は教室に入ってきた担任によって、解がでぬまま終了を迎えた。

 もやもやとした気持ちをスッキリできないのは久々で、シャーペンの芯と黒い粉がノートを汚す。一時間目が始まる前にノートのページを捲り、心を落ち着かせる。


 初回の授業は先生の自己紹介やら雑談を数分、後の時間で教科書の内容を進めた。

 この高校で学ぶ授業内容は全て把握しているが、生意気に教科書を開かなかったり、ノートに板書を写さなかったりするのは論外だ。


 教師から反感を買ったところで意味はない。

 二時間目以降も同じことを繰り返すと思っていたが、三時間目の途中、教室に予期せぬ来訪者が現れた。


「どこに、いるの? 歩くの……疲れちゃったの」


 おどおどした口調に特徴的な長靴の音を奏でる人物は、この学校に一人しかいない。

 扉の開く音に授業は一時停止するも、黒板にチョークが触れる音で再開した。当たり前だ。幽霊部が授業中に乱入しようと、この学校では問題にならないのだから。


 金門さんは扉に体重を預けて、教室内を見回している。目が合った。金門さんは、ぱあっと表情を明るくして、わたしの席まで一直線に歩いてきた。


「あのね、ユウ。……きちんと洗い物、したよ? 褒めてもいいよ? 臥煙ちゃんも帰っちゃったし、部長もいないから暇なの」


 わたしは暇ではないの。


「せ、先輩のこと、無視しちゃ怒る、よ? せ、説教して泣かしちゃうぞぉ」


 泣きそうなのはそっちだろうに。泣いて縋ってくる金門さんを無視して授業を受けたいのは山々だが、お姉ちゃんにわたしが金門さんを泣かせたという話を聞かせたくない。


 悩んでいると、金門さんがよいしょ、と言って、わたしの太ももに乗っかってきた。金門さんの頭で黒板は見えないし、周りの生徒からも視線が集まる。さらに、先生からは訝しむ視線が送られている。


 先生やクラスメイトに嫌われると色々と面倒だから、教室内では静かに過ごそうと思っていたのに、これでは不可能だ。


「ねぇねぇ、ノートに何書いてるの?」


 計算問題しか書いていないから見られても……、駄目だ。

 空き時間に書いた金門さんの情報が最初のページにある。それを本人には見せられない。金門さんがノートを捲る前に、金門さんの両脇に手を通し、抱き上げようとした時、既に金門さんはノートに触れていた。


 しかし、ページは捲られることがなく、からん、とシャーペンが床に落ちる音だけが教室内に響いた。


「すみません、腹痛なのでトイレに行ってきます」


「はい。……では、問2を桜田さん……桜田さん?」


「……あっ! はっ、はい! ええと……問2は」


 横の席の桜田さんが答えている隙に、金門さんを引き連れて教室を出る。変に言い訳をしなくても良かったが、授業中に教室から出るのに理由を申告するのが常な中学生活だったので、あたかも生理中のように装ってしまった。わたしの内臓は健康そのものだが、廊下で話すと会話音が教室に聞こえるだろうし、女子トイレの化粧台の前でお説教する。


「金門さん。わたしはあなたと違って授業を受けたいのです。休み時間ならまだしも、授業中に来られては迷惑です」


「で、でもね……臥煙ちゃんは匁ちゃんが遊んでくれるって言ってた、よ?」


 金門さんは俯き、人差し指を合わせながら呟いた。

 二人の方が時間を持て余しているはずだから、わたしに子供の世話を押し付けないでほしい。お姉ちゃんがわたしと取引をしていなければ、泣き出しそうな金門さんを教室内で放置していたところだ。


「わたしが遊んであげられるのは、朝と放課後の時間だけです。それまで待っていただければ、喜んで金門さんと遊んであげます」


「ほ、ほんとに? ……でも、放課後って何時から?」


 授業を受けていないから分からないのか。

 六時間目が終わるのが一五時半で、終わりのホームルームを考慮すると。


「十五時五十分からですね」


「……ん! その時間までね、ユウ、部室で待っとくね!」


 金門さんは目を閉じて敬礼するも、ちらちらと瞼を開けてわたしの様子を伺っている。

 ……そうか。手を伸ばして頭を撫でてやると、金門さんは口を三日月のように曲げて、感嘆の声を漏らす。

 少し、頬が湿っている。……息遣いも荒い。……もしかして、洗い物が終わってから、わたしを探すために学校中を歩き回ったのか?


 そうとしか思えないほど、金門さんの顔からは疲れが見えている。

 いくら撫でてやっても一向に満足する気配はなかったので、頃合いを見て手を離した。金門さんは名残惜しそうにわたしの指先を見つめるも、


「放課後になれば、また撫でてあげますから」


 と言って、諦めさせた。


 家庭科室のある三号館から、教室のある一号館までの道のりは、わたしが歩くと十分ほどだが、金門さんの歩き方と歩幅では何倍もの時間が必要になっただろう。


 授業時間内までに教室へ戻りたかったが、金門さんの労力を考え、保健室まで運んであげることにした。屋上庭園にある部室へ届けても、わたしは内見に夢中になって、次の授業すらも欠席する可能性がある。


 手すりや壁に体重を預けながら進む小さな体を抱き上げて、一階の保健室まで向かう。

 ……以前も疑問に思ったが、それほど異質な歩き方だと長靴だけでなく、身体に問題があるように思えてきた。人に言いにくい特別な理由があるとしても、長靴を普段使いしている理由は訊いておいた方が得策か。


 金門さんの体で見えにくい地面に気をつけて歩きながら、


「金門さんは長靴に何か思い入れがあるのですか? 天気に関係なく長靴を履いてらっしゃるので……」


 これを訊くのには躊躇しないのか。


「思い入れ? ええっとね、ユウが長靴を履いてるのはね。あ、……あのね、この長靴、ママがユウのためにね、買ってくれたものなの」


 そう告げる金門さんの表情は、わたしの手作りパンケーキを食べた時よりも明るく柔和に笑っていた。長靴を履いている理由が酷くシンプルだからこそ、親子の関係性を知っているわたしからすると、無駄な行為だと思わざるを得ない。


 お姉ちゃんは、……だからわたしに母親のことを伝えるな、と忠告したんだ。

 養護教諭が出払っていたので、空いているベッドに金門さんを横たわらせる。


「わたしは教室に戻ります。金門さんは」


「わかってるよ! ユウ、匁ちゃんの邪魔はしないからね。……だからね、待ってる。良い子で待ってるから、ユウと遊んでくれるよね?」


「ええ、私は生まれてこの方、約束を破ったことがありませんので安心してください」


 心配がる金門さんに布団を被せると、すぐに寝息が聞こえてきた。よほど疲れたのだと、眠る顔にかかる髪を整えてから、保健室を後にする。


 お姉ちゃんが金門さんを施設に入れない理由の半分は理解した。残りの半分を事解するには、金門さんの母親と接点を持つことが最低条件。しかし、面の割れているわたしと、友好的な関係は築いてくれないのは明白。


 離婚した父親に接触しても意味はないだろうし、強引な手段を使ってあの粗暴な母親と会おうがヒステリーを起こされるだけで、情報を得られる気はしない。


 ならば、母親と通じている編集者はどうだろうか。著者の知人と名乗っても個人情報までは無理だと思うが、偶然にも、わたしは同じ出版社で写真集を出した過去がある。それを利用すれば、母親と話くらいはできるかもしれない。


「すみません、戻りました」


 授業が終わる十分前、教室の自席に戻る。


「……じゃあ夜灯さん。問八を」


「九通りです」


「…………えっ?」


「はい? 腹痛は治りましたので、どうぞ授業を再開してください」


「あっと、その……みなさん、教科書の次のページを開いてください」


 問八の次のページは30。進学校だからか授業のペースは速い。教科書とノートのページをめくって、板書の内容を書き写す。


 ……いつになったら、お姉ちゃんに会えるのかな。


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