1 誓いの言葉
わたしが入学する清廉高校には、清廉潔白と呼ぶのを憚られる人間が稀に在学している。
地域最難関と揶揄されるほど偏差値が高く、おはようとさよならの言葉はごきげんようと言わねばならない校則がある高校で、なぜ、自作した爆弾で教室を爆発させた生徒が卒業できているのか。
教科の担任と授業内容で討論し、担任を言い負かした挙句、担任を鬱に追いやって退任させた生徒が卒業できているのか。
金属バットで人をぶん殴った生徒もいれば、昼休みの時間に毎日ピザの出前を頼む生徒すらもいた。
そんな生徒らを学校関係者は、悪しき人間と呼ぶ。
悪しき人間と呼ばれる人らは決まって黒のワイシャツ、白のスカート、さらには白のローファーと、一般生徒が着用する制服と真逆の色をした制服を身に纏っており、クラス名簿に名前は存在しているが、教室内には姿を現さない。
中等部を合わせ、約1000名在学している中で、黒のワイシャツを所持している生徒は僅か1%にも満たないため、普通に学校生活を暮らしていると悪しき人間と出会う機会がなく、ただ、その人物が起こしたド派手な事件を噂で聞くことから、黒のワイシャツを着た生徒のことを、学校の幽霊だと主張する生徒が現れた。
その結果、悪しき人間たちを学校の幽霊に準えて、幽霊部と呼ぶようになった。
わたしの姉――夜灯冽がそうである。
『皆さまご起立ください。只今より、令和六年度、私立清廉女子高等学校の入学式を始めます。一同、礼』
雨月ホールにマイク音が響いたのを皮切りに、校長先生や理事長の祝辞、来賓の紹介が始まった。起立、礼、着席を度々。
そして、わたしの出番が訪れた。
「誓いの言葉。新入生を代表して、夜灯匁さんが誓いの言葉を述べます」
出番だ。静かに席を立ち上がり、真っ直ぐ壇上へ向かう。
リハーサル通り交互に足を踏み出す。敷かれた緑のマット。座っている生徒を通り過ぎる度に視線を感じる。ステージに近づくにつれ、お姉ちゃんと別れてからの出来事が脳裏に浮かんできた。
お姉ちゃんの代わりとして、祝賀会の司会を務めた。多種多様のスポーツ大会で日本記録を更新し、MVPとして何度も表彰台に上がった。テレビの不躾な企画や、お義母さんが立ち上げたアパレル企業のモデル撮影もこなした。
スケジュールは過密で、媚びてくる大人や近寄ってくる厄介なファンもいた。そのせいではないが、仕事や競技に楽しさを見出すことはできていない。
疲れを解消できない日々を過ごす中でも、当時のお姉ちゃんを知っている人から話を聞くことができた日は、うんと眠りが深くなり、お姉ちゃんが夢に現れてわたしを優しくあやしてくれた。
……唇がかさついている。
骨の軋む音ですら苛まれる環境を、わたしは壊そうとしている。許されざる行為をする覚悟はわたしに躊躇しろと訴えるように、心臓の鼓動を加速させ、視界を狭くし、呼吸を荒くする。
鉄骨を渡るかのように慎重に歩き、壇上へ到着。ライトの灯りが体に熱を持たし、多くの視線がわたしを監視する。
校長先生へ一礼。来賓にも一礼。
演台のマイクの位置を調整。ポケットから紙を取り出し、滑りの悪い唇を人差し指でなぞる。
誓いの言葉。
私立清廉女子高等学校は進学校に分類される、創立百年を目前とした由緒正しき女子校だ。地方最難関の偏差値や制服の人気の高さから、入学する生徒の多くは第一志望らしい。
吸って、吐いて……深呼吸。目を閉じて視界をリセットすることで、期待と不安を隠しきれていない新入生と、その両親と、学校関係者の顔を見なかったことにする。
死角になっている演台の卓上で、教師から託された用紙を破り、ポケットに入れる。
この行為に気付いたのは後ろで司会をしていた先生と、お義母さんだけだ。
紙に記されている誓いの言葉は一言一句覚えているが、お姉ちゃんの足跡でないなら進む気は毛頭ない。息を呑み、瞬きすらしないお義母さんにごめんなさい、と声を漏らす。
非常出口の緑のマークを見つめる。
刹那、マイクがリップ音を拾った。
「暖かな春風は…………お姉ちゃんとお別れした日のことを思い出させます。わたしは、お姉ちゃんに恋をしています。しかし、お姉ちゃんはそうではありません。夕日に反射する横顔はまるでモナリザの横顔のようで、ピンと伸びた背筋は、海岸にそびえ立つ灯台のように思えました。わたしがどれだけ憧れようと、どれだけ追い詰めようとも、お姉ちゃんはわたしに気づかれないよう努力をし、憧れの存在であり続けてくれました。だからこそ、わたしは無遠慮に甘えてしまい、飛び越せないほどの溝を生んでしまったと後悔をし、生きる希望を失う事態を引き起こしてしまいました。けれど、俯くわたしは今日を以って亡くなります。お姉ちゃんに恋々とする心を恥じることなく、未練を果たすために行動することを、誓いの言葉とさせていただきます。令和六年、四月八日。新入生代表、夜灯匁」
――礼。
ガタン……ガタンと、一段ずつ、木製の階段を降りる。
スポットライトから退いても、体の熱が冷めやまない。
心臓が伸縮を繰り返し、視界は早朝の街のようにクリアで、呼吸のリズムが心地よい。
わたしはようやく今、人生で二度目の給水地点を通り過ぎたのだ。
「……つっ、次は、生徒一同による校歌斉唱。一同、起立」
ざわざわと、周りの生徒、教師、母父が狼狽している。
その理由はわたしの暴走か、はたまた、誰も知らない校歌を歌えと言われたことに動揺しているのか、真相が明らかになる日は訪れないだろう。




