五.
*
ここで、もう一人の同期との話しをしよう。
この出来事が僕の今に繋がる分岐点となった気がする。
だいぶ日が短くなってきた晩秋のある日のこと。
舞台稽古が終わった後、同期の高丘が話があるからつきあえ、と帰るため自分のカバンを肩へかけていた僕をつかまえて言ってきた。
「そこでだが君、どこか良い場所知らないか?」
どうやら場所は僕が提供しなくてはいけないようだった。
一体僕に何の用があるのだろうか。高丘と僕は昔から顔は知っているものの普段は特に話す仲でもないのだ。そもそも僕は団員の誰とも特別親しいわけではない。
夕方、僕と高丘は稽古場近くにある昔ながらの喫茶店で話すこととなった。
彼は高丘 強助。
彼の演技は同期や若手のなかでも圧倒的な存在感があり、劇団内で大いに活躍している実力ある役者である。話によると彼は劇団だけでなくテレビ業界にも近々進出するとこ噂らしい。こんなにも存在感がある彼ならばきっと成功するだろうと僕は思っている。
僕たちは喫茶店へは入り、窓際の一番奥の席に向かい合って座った。
店内のお客は夕方のためかまばらであった。
お互い注文をした後、僕は高丘が話し出すのをしばし黙って待っていた。そうするものの彼はなかなか話しださない。結局高丘は注文の飲み物が来るとやっと話し出すのだった。
「話というのはな、まず、俺のテレビ業界進出の話しは知っているよな」
僕はうなずく。それを見て高丘は満足げに続ける。大変もってまわった口調である。
「そのために俺は現在、様々な準備を進めている。そこでだ君、芸能界でやっていくために必要なこととは何だと思う?」
僕は少し考えてから答える。
「えっと……演技の練習、かな」
「それは問題以前の事項だよ」
そう指摘してから高丘は得意気げに言う。
「進出準備の一つとして俺は今、自分の芸名を考えている」
芸名か。それこそ初歩の初歩のではないだろうか。
僕が口を挟む間も無い。彼は続ける。
「君、侮ってはならない。別にどのような名前で通すかなんて自由だから今のように本名を使ってもいい。しかし、名前は演技を見なくとも自分の存在を広く大衆に知ってもらう重要な手段。百聞は一見にしかずというものの実際に実物を見るより俳優の名をなんとなく、耳にすることのことの方が多いだろ。そのため俺としては一度聞いたら記憶に残る印象的な名前にしたいのだよ。そしてここが肝心なところ。名はその役者のイメージに影響するのだよ」
なんでもそこで生じる問題がこれだ。
と、高丘は区切ってから。
「俺の高丘強助という名前はすこぶる平凡だと思わないか?」
と言った。
僕は高丘の濁流のような語りの問いかけに対して「え、いや……まあ、」と思わず曖昧に首肯して答えてしまった。
そして気持ちを落ち着かせるため、注文したコーヒーを一口飲む。
一体彼は何が言いたいのだろうか。論点があっちこっちして要領を得ない。
ふと考えが浮かぶ。
『そうは言うけれど、百人聞く人がいても一人も実際に君の演技を見た人がいなかったならばもっとも子もないよね』
なんて茶茶をいれられる仲でもないか。
そんなこと、この人に言えるはず無いのだ。
僕は聞きに徹することにした。高丘は僕の返答に特別気分を害するわけでもなくつづける。
「だろ?それにこの『タカオカ・キヨウスケ』だとまるで役者ってよりも野球選手かなんかみたいだ。さらさら、俺は芸名を考えているわけで野球が出来ても仕方ない。というわけで本名は辞めだ」
実際彼は中高と野球部であったのだから(彼が自分で話していた)その頃だったら充分申し分の無い名前であっただろうにと、当時同じ高校の同級生であった僕はぼんやりと思う。
それでも高丘の考えには確かになと思った。
しかし、次に彼の発することには僕はどうにも同感できるものではなかった。
「そこで頼みがあるんだが、お前の名前を俺にくれないか?お前のヨダカ・ユタカって言うのはなかなか良い、印象に残る名前だ」
俺の探していた名前にぴったりなんだよ、と彼は言うのだった。
「……ちょ、ちょっと待ってくれよ。これは僕の本名なんだからさ、いきなり言われても困るよ」
ましては「くれ」なんて。とんでもない横暴である。
高丘は役者としての才能だって、僕よりも断然ある。しかし、彼は少々どんなことにも強引なところがある。
僕の訴えをきき彼は、
「ふむ、確かに困るな……」
と神妙な顔をして呟く。そしてこう続けるのだった。
「なんでも、役者で同じ名前が二人いることになるのだからな。でも、心配するな。これから君は劇団では違う名前を名乗れば良いじゃないか。お前はいつも目立つことがないのだから改名ともなれば少しばかりは話題になるだろうよ」
「そんな無茶な……」
「大丈夫だ、俺が考えてやる。ええと、そうだなあ……よーよー……世澤平太なんてどうだ。うん、それが良い。ちょうど月末に公演があるのだからそこで名乗れば良いさ」
「そんな、無茶苦茶な……」
あまりの横暴振りに言葉を失う。
「それじゃあいいな。今日の飲み物代はおごってやる。俺が近いうち売れたときは、倍にして返せよ。じゃあな」
無理矢理はなしを終わらせ彼は席を立つ。そそくさと去ってゆく彼が扉を開け外へ出て行くときのカランカランという扉の乾いた音がずっと頭に残っていた。
「……逆だろ、それ」
彼がとっくにいなくなって開けた正面の席を見て僕はやっと呟くのだった。
*
自分が自分で嫌になる。
そんなことをいつも思っていた。
僕が喫茶店を出たのはすでに辺りが暗くなり星がかなり見えるようになった頃であった。
高丘との話しはあっという間だったように感じたけれど思いの外時間が経っていたようだ。
星の瞬く夜の町中を歩き、考える。
それにしても、これからどうすればよいのだろう。
『世鷹 豊』はもう高丘にとられ彼のものになってしまったのだろうか。
そしたら僕はこれから、『世澤 平太』なんて彼が出鱈目で考えたような名前でやっていかなければならないのか。
……いやもう僕の存在自体忘れ去られてしまうのかもしれない。僕など、いなくなっても構わない。皆は高丘を必要としているのだから。
世澤は姿を消し、それと同時に彼、世鷹が舞台へと……
振り返ってみる。今までのことを。
考えてみる。これからのことを。
「はあ……」
人々には疎まれ、嫌がられ、疑念の目を向けられてきた人生。自分の名前も奪われた。僕はただの嫌われ者の嫌な役でしかないじゃないか。
そうそう、こんなときだがよだかの結末を思した。
よだかは少しも醜くなどない。青く燃え輝く夜空の星になったのだ。
自分とよだかはどこかでずっと似ていると思っていた。
しかし、僕はよだかのようにはなれないと思った。
空を見上げて瞬く星を見る。
「……よだかはすごいよ」
と呟いた。




