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プロローグ

 ピチュピチュという小鳥の鳴き声に煩わしさを覚え始めた頃、私はようやく重い瞼を持ち上げた。カーテンの隙間から入り込む朝日を見ながらあくびを漏らす。今日の予定はなんだっけ。そんなことを考えながら着替え始めた。

 お昼から仕事があるので、それに間に合うように支度を始めていく。職場に行く前に最近出来たらしいカフェにも行きたいな、そんなことを思いながら進めればあっという間である。

 お兄ちゃんには魔法で支度もすませれば? なんて言われるけど、こうして考えながらするのが好きなのだ。ちょっとうるさいよ! そう頭の中にいるイマジナリーな兄に文句を言う。


「うん、今日も可愛いぞ、ソフィア」


 鏡に映る自分を褒める。オン眉気味な前髪を気にしつつ、いい感じになってきたゆるいパーマのかかった髪も完璧だ。父親譲りの淡い金髪に似合いの髪型を見つけられたのがここ最近で一番のハッピーニュースである。

 玄関に置いてある赤縁の伊達メガネをかければ出かける準備は後はもう何もいらない。お気に入りのピンク色のローファーを履いてドアを開く。私の今日が、始まる。



 帝都クレンティアの端に住んでいるので、職場の図書館までは少しかかるが今日は午後からなので余裕もたっぷりある。ランチもカフェで済ませてからでもいいかもしれない。そんなことを考えながら歩いていると、ふと視界の端に映った店に目が止まる。

 どうやら魔法道具専門のお店らしい。店内の様子は窓からしか窺い知れないが、パッと見ただけでも様々なものを置いているのだろうとわかるほど物があった。どうやらすでに開店はしているらしいので少しくらい寄り道してみようかな。そう思い、私は思い切ってドアノブを捻った。

 カロンカロンというドアベルの音が響く。ふわりと甘い匂いが漂っていた。お客さんは私以外にはいないらしく、奥のカウンターに店主らしき影が一つあるだけだ。最近ペンの調子が悪いので、いいものがあればいいな。そんな風に考えつつ店内を物色する。


「あ、可愛い」


 魔法石が埋め込まれたガラス製のペンに惹かれ、手に取ってみる。保護魔法もしっかりかけられているうえ、値段も予算内に収まる。光に当てるとキラキラと七色に光るのがとても気に入ったので、私はそれを持ってカウンターへ向かった。


「すみません、これください」

「はいはい……はいじゃあこれは六千クレイね」

「え、お、おかしくないですか!? これ、値札には六百って書いてありますよ」


 店主の提示した値段に驚きのあまり声を上げてしまった。値札にはどう見たって六百としか書いていないのに、彼がこちらへ要求してきたのはゼロが一つ多い物だった。私の一日辺りの給料のさらに半分くらいはある値段の魔法ペンなんて買えやしない。日々酷使するせいですぐにボロボロになってしまう消耗品だ、そんな高いもの買っていては首が回らなくなってしまう。そもそも値札と違う額なんて払うつもりはない。

 しかし私の顔を見た店主はハンッと鼻で笑い「文句があるなら買ってくれなくて結構!」と言ってきた。朝の気分の良さはどこへやら、今の私はバカにされたことに非常に腹を立てていた。確かに文句が合うなら買うなというのは道理も通っているが、店側の要求する値段がおかしいのにどうしてそんなことを言われなきゃいけないんだ。そう思ってもおかしくないだろう。

 もう一度抗議しようとした時だ。


「おじょーさん、ここはちょっと俺に任せな」


 不意に後ろから男性の声がかけられた。驚いて振り向こうとしたが、肩に手を乗せられたため視線は先にそちらへ向いた。年季の入った黒い革手袋が見え、自然とその人物を見ようと上に向こうとしたがその前に会話が耳に入ってきたため、私は店主の方へ向き直した。


「こりゃ良い品だ。おっちゃん、これで良いかい?」

「ふん、初めっからちゃんと払ってりゃいいんだ」

「はは、そりゃ悪いね。ただ値札はちゃーんとこの後見とけよ? じゃないと悪い噂になっちまうんだから」

「大きな世話だ!」


 男がどうやら代わりに支払いを済ませたらしく、カウンターには六千クレイがあった。あ、という間もなくその男に肩を掴まれたまま私は店の外へ連れ出された。店主の言い値で買っているのも気に食わなかったが、何より勝手に買われてしまったので妙に私はムカムカと気分を害し始めた。値札は老眼なんて言い訳が出来ないくらいはっきりと黒いインクで書かれていたのに、女だと思って足元を見られた。その悔しさと見ず知らずの人に揉め事を起こす前に解決された悔しさでいっぱいだったのだ。


「ちょっと! 離してください!」


 ある程度店から離れた頃合いを見計らって私は男の手を振り払った。その時ツンとしたオイルの匂いが鼻をかすめたのだが、男の顔を見た瞬間そんなことは頭の隅へ追いやられた。

 太陽の光を反射し、眩しく輝く稲穂色の髪の毛。対照的などこまでも深い海を思わせうような青い瞳に吸い込まれてしまう気がして、思わず唾を飲み込んだ。緩めなのか、オールバックにしているはずの前髪からは少し髪の毛が垂れているのがセクシーさを助長しているようで、何か背徳的なものを見ているかのように錯覚させてくる。


「ああ、悪い悪い」


 鼓膜を揺らすテノールの声は心地よくて、うっとりとしてしまいそうになるのを抑えながら私は彼を睨んだ。


「あんた、もっと上手くやらねぇといつかでっかい問題に巻き込まれちまうぞ」

「大きなお世話です! というか、なんであなたはあんな、言い値のまま払ってしまったの!? どう見たってあれは」

「そういうとこだぞ? ありゃ爺さんがおかしいのはわかるが、あんたがなんもしなくたってありゃそのうち潰れるさ。最後の夢くらい見せてやってもいいだろ」


 最後の夢? その言葉について聞こうとした時だった。

 それまで賑やかだった街が一瞬でシンと静まり返り、しかしすぐに大勢の足音が聞こえてきたのは。ザッザッザという規則的な足音がこちらへ近づいてきている。一体何事だろうと思わず肩を震わせていると、男が声をかけてきた。


「安心しな、こっちじゃない。さっきの店にあいつらは用があるだけだ」

「え?」


 大勢の足音と共に現れたのは帝国警備隊で、規則的な足音だったことに納得する。そして男の言葉通り彼らは私たちには目もくれず、先ほどまでいた店へ真っ直ぐ進んで行った。きっとあの店主はすでに私以外でもあんな風に悪徳なことをしていたのだろう。それで既に通報されていたのだろうなとすぐにわかった。


「よかったな、逮捕直前に買い物できて」


 そう言って男はペンを投げ渡してきた。慌てて受け取り、それを呆然として見る。傷はついていないか、割れてしまっていないか、欠けはないか。丁寧に確認して何もないことを確かめてやっと息を吐き出した。それから私は男へ文句の一つでも言ってやろうと視線を向けた。


「あれ……」


 しかしそこにいたのは「にゃあ」と鳴いている黒猫一匹だけで、先ほどまで会話していたはずの男はどこにもいなかった。視線を彷徨わせて探しても、誰かがいたような形跡はなく私は戸惑うばかりだった。


「なんなのよ……」


 残されたのは一本の美しいペンだけで、先ほどまでのことがまるで全て夢のような地に足のつかない感覚に襲われた。せめてお金くらい返したかったのに。


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