第2話:最初の獲物
森を抜けたとき、月は高く、赤黒く歪んでいた。
——いや、歪んで見えるのは俺の目が変わったせいかもしれない。
全身に漲る力。
かすかな風の流れや、遠くを歩く小動物の心臓の鼓動すら感じ取れる。
指先に意識を向ければ、空気そのものが震えた。
「これが……契約の代償、か」
森の奥で息絶えた魔物たちを見下ろす。
牙も爪も、俺の手のひらで砕け、肉は無残に引き裂かれていた。
戦っている間、俺は笑っていた——その事実が、何より恐ろしい。
「その感覚に溺れろ。そうすれば、より強くなれる」
深淵の主の声が、頭の奥で響く。
「……ああ。だが、俺には目的がある」
——復讐。
あの三人を、地獄の底に叩き落とす。
夜明け前、森を抜けた俺は小さな街に辿り着いた。
門番が俺を見るなり顔をしかめた。
……そうか、俺の瞳はもう人間のものじゃない。
「旅の者か?」
「……ああ。宿と情報が欲しい」
ぎこちない会話の末、街に入ると、空気の違いに気づく。
人々の笑い声の中に、怯えや不安の匂いが混じっていた。
——戦争の前触れ。
兵士の数が多すぎる。
酒場に入ると、聞き慣れた名前が耳に入った。
「……真田勇者様、また魔物の群れを討伐したらしいぜ」
「今度は隣国との同盟も決めたとか。やっぱ本物の勇者は違うな」
杯を握る手が、音を立てて割れた。
中の酒が手の甲を伝い落ちる。
胸の奥で、何かが静かに燃え上がる。
——最初の獲物は、決まった。
宿に戻る途中、路地裏で兵士が少女を突き飛ばしているのを見かけた。
「——助けて……!」
少女の声に、一瞬だけ昔の俺が顔を出しかける。
だが、次の瞬間、俺は兵士の首を掴み、壁に叩きつけていた。
骨が砕ける音。兵士は呻く間もなく地面に崩れ落ちる。
少女は怯えながらも、震える声で礼を言った。
「……あなたは、誰……?」
「……ただの旅人だ」
背を向け、闇に消える。
「いい顔をしてきたな、契約者」
深淵の主の声が愉悦を帯びる。
夜の街を歩きながら、俺は呟いた。
「次に会う時は……お前の心臓を抉ってやる、真田——」