エピローグ
「……わっかんねぇなあ」
頭の後ろで腕を組んだ白悧がそうつぶやいた。
硬い床で、カツン、カツンと小さな音をたてていた踵が急に止まったと思うや、くるりと後ろを向く。彼の後ろには、碧凌と蒼駕が並んで歩いていた。
白悧の目は蒼駕1人へと向いている。
眉を寄せたしかめっ面で、のぞき込むように顔を近づけた。
「今朝になって急にやる気を出したように見えたと思ったら、いきなり途中退場だって?
一体何考えてたんだよ?」
自分のために気分を害していることに、申しわけない思いで笑みを浮かべる。
「大したことじゃないよ。参加したものの、彼らとは感応できないと分かったから、やめたんだ」
「じゃあ何だったんだよ? あの、できるかも知れない兆しってのは」
「気のせいだったようだね。
みんなには悪いことをしたと思っているよ」
本当か? と探るようにじーっと見つめてくる白悧をさらりとかわすと、横を抜けて先を行っていた碧凌へ追いつくため、蒼駕は再び歩きだす。
歩調を合わせて横につき、操主を得ることができなかったというのに全く落ちこんでいるように見えない横顔を覗きこんで、白悧はがりがりっと頭を掻いた。
「あーあ。ったくもお……。
俺ができないのは分かるよ? 自分でも理想は高いと思うし、かといって妥協するのはいやだしさ。
でも、今朝のおまえならいけるって本当に思ったんだぞ?」
それはそちらの勝手な憶測だろう、と意地悪く返すこともできたが、蒼駕はそんなことはしなかった。ただ、「ありがとう。ごめんね」と受け止めるだけだ。
そのさっぱりとした口調にはもはや二の句さえ告げなくなってしまったのか、白悧は中途半端に開けていた口を閉じると、言葉を奥歯で噛みつぶした。
こんな蒼駕には、何を言っても無駄だと。
そして、心機一転を図るようにことさら大きく息を吸い込んだ。
「ってことは、まーた同じ教え長か。
ちぇっ。もうその顔は見なくてすむと思ったのにな。あーあ、残念だ」
もちろん仲が良いからこそ言える冗談だが、半分より少し少ないくらいは本気のようだと考えさせられる笑みを見せると、白悧はさっさと自分の居室へと続く横の通路へ入って行く。
ぼんやりとその行方を見ながら聖衣を肩から引き抜くその側で、今度は碧凌がつぶやいた。
「どうやらふっきれたようだな」 .
「……うん。区切りはつけられたと思うよ」
にっこり。笑って返して、ふと思いだす。
「せっかく参加を勧めてもらったのに、こんなことになって。悪いことをしたね」
「いいさ。目的は果たせた」
そう言って前を向いた横顔に、めずしく笑みらしきものが浮かんでいたのを見つけて、はっとする。
幻聖宮一の無口・無愛想者で通っている彼が、こんな表情を見せるのはめったにない。
それだけに、それは真実の思いを語るのだ。
「碧凌……」
「あんなおまえは見ていたくなかったから、しただけだ。
6年後には、出て行くのだろう? そう決めているのなら、それは感応したということさ」
風邪に気をつけろよ。などとさらりと言うところを見ると、どうやら昨夜の一件も見られていたらしい。
何もかもお見通しなんだな。
一体どの辺りから見られていたのか分からず、つい、照れを隠すように笑う蒼駕に向かって、碧凌は一つの名を口にした。
アスールだ、と。
それがあの少女の名であるということを直感的にさとった瞬間。
蒼駕の胸に、昨夜の少女の顔と温もりが完全によみがえった。
「そうだね。これは、きっと、そうなんだろう」
胸に染み入った名を幾度も反復し、噛みしめる。あの温もりを抱きしめるように。
自分は、もうあの少女以外は見えないだろうということは、容易に想像できた。
何よりもあの子が、自分にとって1番になるだろう。
少しずつ、さながら水滴で器が満たされるように、少女は自分の中でその存在を深めていくに違いない。きっと。
◆◆◆
移りゆく季節、蒼駕は少女を見ていた。
新たに入宮してきた新規生たちの教え長としてついたこともあってすれ違いが続き、あの夜以来、口をきくどころか顔を合わせることもなかったが、彼はいつも少女の姿を追い、その成長を見守ってきていた。
歳月を重ねるごとに少女は姿を変え、大人の女性へと近付いていく。その強い生気をみなぎらせたあふれんばかりの輝きは何者も魅了せずにはいられない。
腕も気性も男勝りと教え長同士の間でもうわさされ、仲間に囲まれて楽しげに笑う彼女に、どうやら孤独ではないらしい、とほっと胸を撫でながら、彼は同時に鈍い痛みも感じていた。
胸の奥、まるでしこりのようなその痛みが一体何なのか。はたして何を意味するものなのか。このときはまだ知ることもなく。
蒼駕はただ、見守り続けたのだった。
6年は瞬く間に過ぎてゆき、やがて少女は18歳で成人する。
上級退魔剣士としての才を開花させた彼女は、背の中ほどまである、波打つ紅茶色の髪を白いうなじで束ね、髪よりは暗めの紅褐色の正装衣をまとって堂々と感応式式場へ姿を表す。
170をゆうに越えた長身のせいか目立つな、と横で囁きあう魔断の化身たちの言葉に、違うと蒼駕は胸の中でつぶやいた。
あれは、彼女自身が光り輝いているからだと。
だから惹かれるのだ。だからこそ、こんなにも目を奪われる。
だが感応ばかりは本人の意志で左右されることではない。先に彼女が手に入れた魔導杖が魔断の力に見合う器でなく――あるいは、その魔断では不服として受け入れなければ、魔断は刀身化し、収まることができない。
一列に並んだ退魔師候補生たちが、左右に別れて並んだ魔断たちの前を進んでいく。ある者は足を止め、己の魔断と向き合い、ある者はまだ現れない共鳴者にあせり、不安げな表情で顔を曇らせて早足で通り過ぎる。
やがて、目の前を過ぎようとする、足のひとつが蒼駕の前で止まった。その手に持つ魔導杖と自分が共鳴を起こしているのが蒼駕にも分かる。
自分の操主がもし彼女でなければ、自分はどうするのだろう?
そんな不安に揺れる心を静めるため、伏せていた目を徐々に上げていく。しかし、その穏やかな水面を想起させる青藍の瞳が、あめのように光沢のある、未来への希望に満ちあふれた瞳を見返した瞬間。
蒼駕は自分をからめ捕えた、めまいを起こしそうなほど甘い絆をはっきりと感じることができた。
魂までも惹きつけられたような、強烈な共鳴が彼女と自分の間に起きるのを感じることができた、その至福の思いに知らず、彼女の名をつぶやく。
その言葉に彼女は応じるように赤く染めた唇を開き、そしてあのころより少しだけ大人びた声でこう言った。
「あなたはだれ?」
その、強い思いは何もこめられてはいない、まるで初めて会った者に話しかけるような言い方に、一瞬で心まで凍りつく。
自分と彼女は感応する運命にあるのだというのは自分勝手な思いこみで、彼女にとってあれは何の意味もなさない、ただの幼いころの出来事にすぎないのかもしれないと、考えなかったわけではなかった。
初めてのことに出会う毎日、忙しく過ぎる日々に紛れて記憶の底に沈み、もう思い出しもしない出来事なのではないか、と。
それを認めたくないという思いがひたすら隅の方へと押しやっていた苦い痛みが、急速に膨れ上がって全身に広がる。
無言で見つめるだけの蒼駕に鋭くそれと感じ取ってか、突然アスールは吹き出した。
「やあだ。ちゃんと覚えてるわよ」
とん、と胸を突く。
「ただ、あなたは知ってたのにあたしのほうは知らないままだったなんて、ちょっとシャクだと思っただけよ。あたしはちゃんとあなたから聞こうと思ってたんだから」
違う? と目前笑っておどけるように首を傾げる彼女に、可愛いと、ほころぶ口元で蒼駕は名乗った。
青颯牙の蒼駕、と。
「蒼駕、ね。青颯牙の、蒼駕。やっと分かったわ」
口の中で繰り返し、うんうんと頷く。その顔を再び上げたとき。彼女は、直視するのも辛いほどまぶしい笑顔でまっすぐ彼の目を覗きこんだ。
「こんなだったかしら? あのころは、もっとずっと大きいと思ってたのに」
すっ、と一歩、間を縮められる。今では10センチ弱しか違わない身長差を測るように上げた彼女の手が、胸へと触れたと思うや次の瞬間。彼女の体は蒼駕へとぴったり押しつけられていた。
まるで、全信頼を委ねるように。
「うん。でも、ここは変わってないわね。よかった」
安心したようにつぶやき、ぎゅっと背に回した手に力をこめる。
そんな彼女を抱き返しながら、蒼駕もまた、心から喜んだのだ。長く夢見てきたことの成就を。彼女と2人で過ごすことのできる、これからの日々を。
「きっと、きみを必要とする者がまた現れるから……」
胸に響くルイスの言葉に、はい、とうなずく。
はい、ルイス。はい……と……。
◆◆◆
「そーがーっ!」
なだらかな丘の上、突然名を呼ばれて、蒼駕はそれまでの夢想を断ち切った。
声のしたほうへ振り返る。
背丈ほどもある草の波に前をふさがれ、進む邪魔をされながらも必死に駆け寄ってくる、小さな少女の姿が見えた。
短く切り揃えられた白金色の髪が、真上から降りそそぐ真夏の強い光を弾いている。そのまぶしさに目を細めつつ、少女を抱きとめるため、蒼駕は屈みこんだ。
なんとか走れるようになってまだ数日。いまだ何かにぶつからないと止まれない、危なっかしさの塊のようなこの少女は、彼にそうしてもらうのを特に喜ぶのだ。
「そーがっ!」
ばすんっ、と音をたてて蒼駕の胸に飛びこんでくる。
どうやらずっと遠くから走ってきたらしい。額まで真っ赤になって荒い息をしている、小さな愛しい存在を抱き上げる。
同時に、己の中に満ち始めた温かな思いを感じながら、蒼駕は少女の来たゆるやかな斜面を見た。
裾をつまみ上げながら、1人の女性がこちらへと歩いてくるのが見える。
結った紅茶色の髪にもう片方の手をあて、急ぐことなくゆっくりと近付いてくる、彼女の上げた目と合うと、どちらともなくほほ笑みあう。
「おかーさんっ! こっち、こっちー」
蒼駕にしがみついたまま、ちぎれんばかりにぶんぶんと手を振る少女の元気につられて、蒼駕も声を上げる。
「アスール、早くいらっしゃい。ほら、きれいですよ」
そうして少女が来るまで目に映していた前を指差す。その先に広がる海辺の街を見下ろしながら、蒼駕は心から願っていた。この幸福のときが続けばいいと。
いつまでも。いつまでも。
決してこの世に永遠のものなど存在しないと知りながらも、願わずにいられない。
「ほんと。きれいだわ」
追いつき、横についたアスールが向かい風に髪をほどきながら、夢見心地のように応えた。
そして自分を見ている蒼駕に気付き、薄く笑いかける。
至福のとき。
あのまま、失うことを恐れて萎縮したままでいたなら得られることのなかったぬくもりが今、満ちあふれている。
たとえいつか失われようと、きっと忘れることはない。できないと、そう強く思う彼の空色の髪に触れて、このとき、少女が言った。
「そーがとーさん、大好き」
と。
【魔断の剣2 約束という名の永遠-想いは巡る。いつか再び出逢うために- 了】
ここまでご読了いただきまして、ありがとうございました。
蒼駕は構想時に一番最初に生まれた、そしてわたしの一番好きな魔断です。
これは『魔断の剣1 碧翠眼の退魔師』で蒼駕が朱廻についてセオドアに言っていたことにかかる話でした。
『碧翠眼の退魔師』の内容と合わせて計算されると分かっちゃうので書いちゃいますが、蒼駕とアスールは5年くらいで死別しています。
その後、蒼駕はアスールの忘れ形見であるセオドアを連れて幻聖宮に戻り、彼女を退魔師候補生として育てることに従事するのです。
また、最後にセオドアは蒼駕のことを「父さん」と呼んでいますが、あれは、生まれたときから一緒に暮らしているからそう思っているだけで、実際には違います。外見は似ていても人と魔断は全く別の種族であるため、子どもはできません。
(のちにセオドアは、蒼駕からこのことを聞かされて、羞恥心に「あああああ……」となったりしています(笑))
基本的に、退魔師は魔断のことを人間とは区別しているため恋愛の対象にはなりにくく、外見がきれいなことからアイドルのようにキャーキャー騒いでもそれだけで、魔断を本気で好きになる者は変人扱いをされます。
(つまり、マシュウは変人……)
セオドアの実父はほかにいます。……その話もいつか書けたらいいなあ、と思いつつ。




