第八回: 自分の作品を校正するということ
ことしは八日間という、なかなか長い夏休みを確保できたので、これまでに書いた文章の校正を行っている。
自室の窓から揺れる木立や、大阪平野が見渡せて快適だが、くっそ暑い。
部屋の日当たりがいいので、エアコン全開でもキーボードにずっと手をかけていると、肘のところに汗がにじむ。
自分が書いたものとはいえ、何十万文字にもわたる文章を見直すというのは大変なことだと実感する。
まず、読むこと自体が苦痛である。
執筆は当然のことながら紙ではなく電子文書だから、画面を長時間見つめることになるが、これがつらい。
そこで、フェイスブックのSF作家のフォーラムでのアドバイスに従って、読み上げソフトで読み上げた音声を聞くという方法を採用する。
これがすこぶる良い。
ひとつの章でだいたい1万何千文字ってところなので、これを読むのにだいたい30分くらいかかる。
いちおう、目の前に文書を開いておき、何か引っかかるところがあれば、すぐに目印をつけておいて、後ですぐに修正できるようにしておく。
読み上げソフトによる読み自体が完ぺきではないので、その修正も同時に行い、後でもう一度読むときに正しく読むようにしておく。
こうしておくと、多少長い文章でも、しっかり読めて、かつチェックも同時に行える。
これはすごくいい方法だ。
昔のITが使えなかった時代の作家たちは、いったいどうやって推敲、そして校正したのだろうかな、と思う。
そうやって読むと、自分の作品というものが、自分でわかってくる。
書くときは作品の世界に没頭して一気に書くから、それがどのように見えているかは、正直言ってわからない。
しかし、読み聞かせてもらうと、読者目線で読める。これは実際に文章を読むよりも、文字と脳に少し距離が置かれるためか、作家の自分と読者の自分がはっきりと分離する。
読者の目で見た自分の作品――
これが実におもしろい。
自分で書いたものなので、展開も結末もわかっているのだが、それでもおもしろい。夢中になる。
完全に物語の世界に没入し、登場人物の意識と同調する。
これは、やはり、どうしても多くの人に読んでもらいたくなる。
「面白かった?」と聞きたくなる。
「どの登場人物が好き?」と聞きたくなる。
「いちばん感動した言葉は何?」と聞きたくなる。
そう。自分で「面白い」と思って書いたところは、時間が経ってから自分で読んでも面白いのだ。
自分が思い入れて書いた人物は、やはり「好き」なのだ。
そして、自分の書いた言葉に感動したりもするのだ。
それを、多くの人と共有したいと思う。だから、多くの人に読んで欲しい。感想が欲しい。
そんな風に読んでいると、読んでいるだけで、一時間や二時間はあっという間に過ぎてしまう。
じっと座って読んで(聞いて)いるから、腰も痛くなる。
もちろん、読み返すことで、ミスタイプや誤変換、カット&ペーストなどの編集のミスもいっぱい見つかる。
さらには厄介なことに、設定の無理なところや、矛盾なんかも見つかる。
作品の多くは、既に投稿作品として公開しているものだから、読者のみなさんに対して申し訳ない気持ちと恥ずかしい気持ちが湧く。
それでも、既に多くのイイネやブックマークをいただいているので、なおさらだ。
文章というものは、磨けば磨くほど、洗練され、輝いていく。
こだわりをもって書いたところも、読み直してみると蛇足であったり、ともすれば誤解を招くよう表現であったりもする。
文章は生きているのだ。
見直せば見直すほど、変化していく。進化していく。時には退化も劣化もする。
世の中の作家には、「書き下ろし」と呼ばれる、一発書きで作品を書いてしまう人もいるようだ。
ボクが読んだ中では、平井和正さんなんかがその典型ではないかと思う。
アニメとコミックの世界では、冨樫義博さんなんかも、そうではないかと思う。
違ったらごめんなさい。
でも、どうしても、そのように読めてしまう。原作は完全な「一発書き」で、そこにものすごい校正が入っているのではないのかな、と感じる。
自分の書き方もそういうところはあるので、その「一発書き」の爆発力は大切にしたいが、これから賞レースでの受賞を目指す限りは、校正も自分でやらなければならない。
出版社は、ポテンシャルだけで採用するような暇はないだろう。
であれば、最初から完璧なものを目指さなければならない。
いま、実験的にいくつかのシリーズを並列で書いている。
本流はハードSF。非常に冷徹な語り口の、読み応えのあるものだ。ハードSFに慣れない人からすると、最初の数ページで投げ出されてしまうかもしれない。
傍流は、冒険もの、より深く真理を追究した人間ドラマ、ジュブナイルなどにも挑戦している。
しかし、これらの物語の根底に流れる思想はただ一つ、「問い」だ。
今回の校正作業で、その基本思想が自分の著作物に一貫して流れていることを確認できた。
これは良かった。自分は作家として生きていける。その確信を持つことができた。
まだ、それらのシリーズは一つとして完成していない。
書きたいことが次から次から湧き上がってくる。
もう、そろそろ商業作品を意識した、完璧な作品を仕上げないといけない時期だと思うが、自分の内圧がそれを許さない。
もっと書きたい、そして作家としてのすそ野を広げたい。
この夏に積み重ねた時間が、きっと次の一行の力になると思う。
そんな気持ちで、この夏休みを過ごしている。