第四回: 作品の世界の広がりについて
作品の世界の広がりについて
たくさんの文章を書いていて、わかってきたことがある。
なんぼ一生懸命書いて世界を広げても、書いている世界自体は、そんなに広がってこない。
本編の設定では、銀河中に配置されたワームホールによるゲートウェイである「扉」によって、事実上、どこへでも行ける。そこに書くべき世界は無数にあるのだが、なぜか無限に書くことを想像できない。
これ、旅行に行った時と同じなのだ。すべては見てない。自分の目に入るもの、いや、むしろ、自分の見たいものしか見えてこない。それ以外のものは、いくら見えていても、自分の中に入ってこないのだ。
いくら行ったことのない場所で、興味津々でも、自分の興味のないことは、まったく見えないし、印象にも残らない。もっといっぱい見よう、そしてそれに基づいて、もっといっぱい書こうと思うと、自分の見える、そして見たい範囲を広げなければならない。
本編では、いくつかの異星の知的生命体と出会った。で、その、もし現実だったら、超刺激的な経験が、ほんの自分の興味の範囲でしか描けてないと思うのだ。
たとえば、あなたが地球を訪れた異星人と出会ったら、もし、何らかの方法で意思疎通が可能だとしたら、何の話をするだろうか?
ボクの物語の中では、主人公たちは、自分が探求している「謎」の答えを知ろうとしかしないのだ。それは、物語の展開上、仕方がないことであり、「謎」を解きたいから、その異星人を登場させているのだ。
でも、実際には、それを読んでる人たちは、もっと違うことを知りたいのではないだろうか。
たとえば──
家族のことをどう考えているのか。
どんな社会構成なのか。
友だちはいるのか。
何をして遊んでいるのか。
趣味は何だ。
どんなテクノロジーを持っているのか。
どうやってそれを獲得したのか。
社会における問題は何か。
それをどうやって解決するつもりなのか。
どんなペットを飼っているのか。
知りたいことは人それぞれであり、おそらく、いや、きっと、自分の知りたいそれを、物語の中の登場人物たちに聞いてほしい、そして答えを聞き出してほしい。そう、思っているのではないか。
だから、ボクが書いてることと、その読者の望みが一致してたら、興味を持ってくれるだろうし、全然興味のないことが話題になってたら、読むのをやめてしまうだろう。
そう考えると、やっぱ、作品紹介の最初の文章は重要だな、と思う。
自分の読みたいようなことが、そこに書いてありそうなら、読んでみようと思うし、そうでないことだったら、最初から読みたいとは思わない。
もしかしたら、自分の読みたいこと、知りたいことが書いてそうなのに、実際に読んでみたら裏切られた、とか。これはやっぱり、読んでる方にとって多大な時間の無駄なので、作家としては、そういうことは避けるべきだろう。
誰にとっても、「これこそ自分の知りたかったこと、経験したかったこと」なんてないから。