第二回: 思想と哲学ってどう違うのだ
自分で書いておいてなんだが――ちょっと混乱してきた。
「思想」と「哲学」って、どう違うのだ?
この前の文章では、こんなふうに書いていた。
「物語の展開には、必ず思想的な根っこが必要だと思っている。」
「行動に意味を与えるもの、それが思想であり、哲学であり、物語の魂なのだ。」
……全然区別してないじゃないか。
要するに、そのときは感覚で使っていたんだ。
でも、ちょっと冷静になって、自分の文章を読み返してみた。
すると、意外にもちゃんと筋道が立っていた。
たとえば、こんな感じだ。
「なぜ人間は存在するのか」→ これは哲学だ。
「人間は自由であるべきだ」→ これは思想だ。
「だから主人公は支配に抗う」→ これは物語上の行動だ。
ほら、こうやって分解してみると、案外すっきりしている。
つまり、「哲学」は“世界をどう捉えるか”という根源的な問いであり、「思想」は“どう生きるべきか”という選択の軸になる。そしてそれが、キャラクターたちの行動として物語に結実していく。
うん、書いてるときは感覚でつないでいたけれど、ちゃんと筋が通っているじゃないか。
◇◇◇
「思想」なのか「哲学」なのか――はっきりとはわからないけれど、ボクには文章を書くときに絶対に決めていることがある。
それは、
「自分が読みたくない話は、書かない」
という、極めて単純なルールだ。
ボクは、人間の汚れた心が大嫌いなのだ。
暴力、残虐、戦争、喧嘩、言い争い、反目、対立――
そういうものは、見たくない。読みたくない。だから書かない。
妬みや嫌悪、悲しみ、怒り、腹いせ、嫌がらせ――
これらはレベルが違うだけで、根っこは同じだ。人間の「醜さ」だ。
だから、書かない。
この姿勢は、作家としての信念であり、たぶん思想でもあり、もしかしたら哲学とも言えるかもしれない。
したがって、ボクの書く物語では人が反目することはない。
たとえ議論があっても、それはあくまで前向きな議論だ。
誰かが後ろ向きな態度をとることはない。
登場人物たちは、自分の立場や役割を理解し、それぞれの信じる正義に従って行動する。
「そんなのリアリティがない」と言う人もいるかもしれない。
でも、それは現実の模写こそが物語の義務だと思っている人の発想だ。
ボクにとっての物語とは、「あるべき姿を書く場所」であって、「現実をなぞるもの」ではない。
だからこそ、宇宙を描く。
人類がまだ知らない価値観、まだ到達していない未来。
そこには、「汚れ」よりも、「希望」があってほしいのだ。
◇◇◇
ボクは、雪景色が好きだ。
ずっと昔から、ずっと変わらず、好きだった。
なぜ好きなのか、あまり考えたことはなかった。
でも最近になって、やっとわかった気がする。
雪は――すべてを覆い隠すのだ。
見たくないもの。
美しくないもの。
触れたくない現実や、無造作に放置された記憶の痕跡。
シンシンと降り注ぐ雪は、それらすべての上に、静かに、しかし確かに降り積もっていく。
誰かが置き去りにしたゴミや、壊れた自転車、濁った水たまり、つぎはぎだらけの舗装道路。
そういったものの上に、均質で、無垢な白が積もる。
まるでそれらが最初からなかったかのように。
そうして、世界が再構築される。
白く、明るく、美しい、静寂の風景へと。
もちろん、覆い隠されたものが本当に消えてなくなるわけじゃないことは知っている。
雪解けがくれば、またすべては顔を出す。
だから、ボクは――春が嫌いだ。
満開の桜が好きだ。
あの圧倒的な一瞬の美しさは、現実の粗さを忘れさせてくれる。
でも、桜が散りはじめて、葉が混じってくると、急に憂鬱になる。
緑の葉が、「本当の季節」の存在を告げはじめる瞬間が、怖いのかもしれない。
これは単なる趣味嗜好なのか。
それとも、もっと深いところで何かがおかしいのか。
自分でも、ときどき考えることがある。
ボクは、田舎の景色が好きだ。
ただ、山があって、川があって、畑が広がって、風が吹き抜けるだけの場所。
でも、そこに電線が見えたり、やたらと派手な看板があったり、不揃いの家並みが混ざったりすると、がっかりする。
ボクは、ただ「何もない」ものが好きなのではない。
整っていて、静かで、汚されていないものが好きなのだ。
それはたぶん、ボクの物語にも、そのまま流れ込んでいる。
◇◇◇
そして――ボクがSF小説という形式を選んだ最大の理由。
それはつまり、自分の嫌いな「汚いもの」を書かなくて済むからだ。
この世界では、すべてを自分で作っていい。
舞台も、人物も、文化も、歴史も――全部、自分の手で。
宇宙という空間。
そこは、何もない。まっさらな空虚だ。
空間も、時間も、まだ誰にも支配されていない場所。
だからこそ、そこに何かを置くなら、自分の好きなものを、好きなように並べることができる。
ただし――
その並びには、厳密な秩序がなければならない。
でなければ、美しくない。
整っていない世界は、ボクにとってはただのノイズでしかない。
その秩序を支えるのが、物理法則だ。
物理法則って、美しいと思わないか?
不可侵で、冷たくて、正確で、どこまでも平等で――それでいて、宇宙の全てを形作っている。
だから、そこに人間の粗雑なもの――たとえば「超能力」とか「魔法」とか――を混ぜてしまうと、一気にその美しさは崩れてしまう。
それらは、人間臭さの象徴だ。
特に、ネガティブな感情――怒りや恨み、欲望や執着――そういうものが根っこにある。
一度でもそれを物語に書き込んでしまえば、世界はもう、ボクの書きたくない方向に引きずられていってしまう。
だからこそ、ボクは厳密に従うのだ。
物理法則に。宇宙の真理に。
そこにこそ、静けさがあり、調和があり、汚れのない秩序がある。
◇◇◇
ハードSFと、とてもよく似たジャンルがある。
それが、「本格的ファンタジー」だ。
そう、たとえば「ハリー・ポッター」や「ロード・オブ・ザ・リング」。
もう少し古くなら、「ダーク・クリスタル」などもそうだ。
ボクは、魔法とか超能力が嫌いなわけではない。
いや、むしろ大好きなのだ。ワクワクする。心が躍る。
でも、それらが乱用されて、なんでもアリの展開になってしまうと、一気に現実的な感情のごちゃごちゃ――つまり「人間臭さ」に引きずられてしまう。だから、嫌いなのだ。乱用が。
だが、先に挙げたような作品群は、決してそんなふうにはならない。
なぜなら、彼らは完全に異世界を作り上げているからだ。
その世界の中では、魔法というものがしっかり体系化され、秩序をもって扱われている。
「なんとなく強いから勝った」とか「気合いで炎を出した」なんて展開はない。
世界の中の一貫したルールとして魔法が存在し、ご都合主義を許さない。
だから、面白い。
たとえば――一度USJに行って、ハリー・ポッターの世界で「魔法の杖」を振ってみるといい。
正しく振らないと、決してトランクは開かないし、雪は降らない。
やってみればわかる。あの難しさに、頭を抱えること間違いない。
ハードSFにおいての規範が「物理法則」であるように、
本格的ファンタジーにおいての規範は「魔法体系」なのだ。
そして、それが完璧に構築されていなければ、物語は一編たりとも書けない。
書いたって、「ご都合主義の駄作」になるだけだ。
そういう意味では、ハードSFのほうがまだ易しいとも言える。
なぜなら、物理法則はすでにあるからだ。
誰かが用意してくれた、美しくて厳密な秩序がそこにある。
けれど、ファンタジーの作家たちは、その秩序すらゼロから自分で作る。
だから、本格的ファンタジーを書いている作家たちは、本当にすごいと思う。
ローリングなんて、すごい。
あんな世界、誰も書いたことがなかっただろう。
……とはいえ、ハードSFもまた、秩序の上に物語を乗せるという意味では変わらない。
そして、話を面白くしようとすれば、現実の物理学だけでは足りないことに気づく。
アインシュタインが「光の速度は超えられない」と言ってしまったがために、
広い宇宙へ飛び出そうとした瞬間、物語は困難にぶち当たる。
相対性理論を超える新しい物理学を構築しなければならないのだ。
凡人にそんなことができるか?
できるわけがない。
でも――それでもやらないといけない。
じゃないと、太陽系から一番近いアルファ・ケンタウリに行くだけで何百年もかかってしまう。
それじゃ、物語にならない。
それじゃ、「冒険」が始まらないのだ。
◇◇◇
で、ボクはハードSF作家なわけだ。
つまり、その「凡人にできるわけがない」こと――
新しい物理学を創るなんていう、ほとんど無謀なチャレンジを、やらなきゃならない立場ってわけだ。
凡人のボクが。だ。
あることないこと、思いつく限りをでっち上げて、
それっぽく整え、組み立て、それなりの理屈にして書く。
やってることは、アインシュタインごっこだ。
とんでもない話だ。でも、やるしかない。
だから、小難しい理屈がどうしてもたくさん出てくる。
それがないと、読者に納得してもらえないし、何より自分が納得できない。
一応、自分の中では筋道が立ったと思ったら、ChatGPTに読ませて論理矛盾をチェックさせる。
で、生意気にもあれこれ指摘してくるから、それをまたひとつずつ直して、修正して、なんとか「それっぽい」ものに仕上げていく。
だって、嘘くさくて、突っ込みどころ満載のまま出したら、読者はもうそれ以上読んでくれない。
信用は一発でなくなる。
逆に、こだわりすぎて難しすぎたら、空想科学論文になってしまう。
誰がそんなの読む? ボクなら読まない。
だから、物語にする。
ちゃんと読んでもらえるように、面白くなるように、でも秩序だけは壊さずに。
だから、ボクは書く。
一生懸命書く。
「これは、ちゃんとした物語だ」と言えるように。
「これは、ハードSFだ」と、胸を張って言えるように。
それが、ボクにとっての宇宙の探索方法なんだ。