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第十二回: センス・オブ・ワンダーを「創る」ために――SF作家が知るべき閃きの構造

深夜二時、原稿に向かっている。手元のコーヒーはすっかり冷めている。ディスプレイには、もう何時間も同じ段落が映っている。 設定は練った。科学考証も調べた。登場人物の来歴も書き出した。なのに、何かが足りない。書いているこの物語が、なぜ書かれなければならないのか――その確信が、どうしても湧いてこない。


SF作家なら誰もが知っている、この行き詰まりの正体。それは「センス・オブ・ワンダー」の不在だ。



「驚き」と「センス・オブ・ワンダー」は違う


最初に断っておきたいのは、センス・オブ・ワンダー(以下SOW)は単なる「驚き」ではないということだ。


宇宙船が光速を超える。タイムマシンで過去に戻る。AIが意識を持つ。これらは確かに驚きを与える設定かもしれない。けれど、SOWはそこにはない。読者は「へえ、そういう設定なのか」と思うだけで、次のページをめくる手は止まらない。


SOWが起きる瞬間というのは、もっと別の何かだ。


イギリスの思想家コリン・ウィルソンは、人間の意識を蓄音機の針に例えた。私たちは普段、レコードの上を一点ずつなぞっていく針のように、「今、ここ」という狭い一点にしか意識を向けられない。過去は記憶の彼方に霞み、未来は不確かな予測でしかない。


けれど稀に、その針が飛び跳ねる瞬間がある。突然、レコード盤全体が――過去も未来も、あらゆる可能性も――一望のもとに見渡せる瞬間が。バラバラだった断片が一気に繋がり、世界が劇的に「合点のいくもの」へと変貌する。


これがSOWの正体だ。



「思いつく」という行為そのものの重さ


ここで重要なのは、SOWとは「思いつく」という行為そのものに宿るということだ。


グレッグ・イーガンの『順列都市』を例に挙げよう。この作品で提示される「塵理論」は、こんな問いを投げかける。私たちは、自分が存在するから意識の連続性があると思っている。でも、もし因果関係が逆だったら? 宇宙に散らばる塵の配置がたまたまある「順列」を形成したとき、そこに意識が生じる。私という連続性は、実は情報のパターンが偶然生み出した幻想にすぎない。


この着想に初めて触れたとき、あなたの脳裏で何が起きたか。


おそらく、一瞬の混乱。そして、じわじわと広がる奇妙な納得感。これまで疑ったこともなかった「自分」という前提が揺らぎ、けれど同時に、そう考えれば確かに辻褄が合うような気もしてくる。足元が崩れると同時に、新しい床が現れる感覚。


イーガンがこの着想を「思いついた」瞬間にも、おそらく同じことが起きていたはずだ。そして読者がそれを読み、同じ閃きを追体験するとき、SOWが伝播する。


つまりSOWとは、作者が経験した「認識の転回」を、読者に追体験させることなのだ。



SOWを創るための三つの手がかり


では、どうすればその閃きを意図的に生み出せるのか。


一、スケールをずらす

アーサー・C・クラークの『幼年期の終り』では、人類という種そのものが進化の踊り場に立たされる。個人の死、国家の興亡、文明の盛衰――私たちが大きな出来事だと思っていたものが、種の変態という巨大なスケールの前では、蝶が繭を脱ぎ捨てる程度の些事に過ぎなくなる。


このスケールの転換が、SOWを生む最初の鍵だ。


普段私たちが考える「大きな問題」をさらに巨大なスケールに置き直してみる。あるいは逆に、宇宙規模の現象を個人の体験に圧縮してみる。その落差の中に、認識の転回が生まれる。


劉慈欣の『三体』に登場する「二次元化」は、この手法の極端な例だ。三次元空間が二次元に崩落していく――その恐怖は、単に「死」を描くのとは質が違う。私たちの存在そのものを成り立たせている次元という土台が奪われる。生きている/死んでいるという二項対立すら、より深いレベルで無効化される。


二、「当たり前」を裏返す

コリン・ウィルソンの小説『賢者の石』の主人公は、道端の石ころを手に取り、その石に刻まれた数百万年の歴史を透視する能力を得る。


重要なのは、彼が透視しているのは超自然的な何かではないということだ。その石が実際に経験してきた地質学的な時間、そこに含まれる鉱物が形成された過程、恐竜が闊歩していた時代の空気――すべては科学的に実在する事実だ。ただ、私たちは普段それを「感じ取れない」だけ。


この「見えないけれど確かにそこにある時間の堆積」を突然知覚できるようになったとき、世界は一変する。石ころは石ころのまま、けれどその石ころが孕んでいる時間の重みが、突然実感を伴って迫ってくる。


SOWを生むための二つ目の手がかりは、この「当たり前の再発見」だ。私たちが日常的に見過ごしている事実を、その重さにふさわしい仕方で描き直す。


三、論理を一気に延長する

レイチェル・カーソンは『センス・オブ・ワンダー』の中で、自然への畏敬の念が科学的好奇心の土壌になると述べた。「なぜ?」という問いと「なんて美しいんだ」という驚嘆は、実は同じ根から生えている。


この視点をSF創作に応用するなら、こうなる。一つの科学的事実や仮説を出発点にして、その論理を徹底的に延長してみる。延長し続けた先に、最初は予想もしなかった帰結が待っている。そして、その帰結が最初の前提と繋がったとき、閃きが生まれる。


『順列都市』の塵理論も、「意識とは情報処理である」というシンプルな前提を延長した先にある。その延長が「自分という連続性は幻想である」という結論に至ったとき、読者は自分の存在について、これまでとは違う仕方で考えざるを得なくなる。



閃きは「待つ」ものではなく「招く」もの


最後に伝えたいことがある。


SOWは、天から降ってくるのを待つ類のものではない。


確かに、閃きの瞬間そのものはコントロールできない。けれど、その瞬間が訪れやすい状態に自分を置くことはできる。異分野の知識を意識的に取り込むこと。日常の風景を「当たり前」として流さず、その背後にある構造を問い続けること。一つのアイデアを、もうこれ以上は無理だと思う地点まで論理的に押し進めてみること。


コリン・ウィルソンはこれを「脳にギアを入れる」と表現した。受動的に待つのではなく、能動的に知ろうとする意志。その意志が、閃きを招き寄せる。


冒頭で書いた、深夜の行き詰まり。あの瞬間に欠けていたのは、設定でも考証でもなかった。物語を書く自分自身が、その物語の核にあるべき認識の転回を、まだ経験していなかったのだ。


SOWを読者に届けるためには、まず書き手がそれを体験しなければならない。逆に言えば、書き手がある着想に心底驚き、世界の見え方が変わった経験を持っているなら、その驚きは必ず文章を通じて伝わる。


センス・オブ・ワンダーとは、最終的には、作者と読者が「認識の転回」を共有する体験なのだ。


そしてその体験は、あなた自身が世界に向ける眼差しの中で、すでに始まっている。いつもの通勤路の風景が、本を閉じた後に少しだけ違って見える。その変化の萌芽を感じ取れたなら、あなたはもうSOWの入口に立っている。




◇◇◇


私も辿り着いた、センス・オブ・ワンダー。

そして、ポチったぞ。(^^)

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