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第十回: 衝撃! 光速は有理数だと思っていたけど、有理数、しかも整数なのだった

光速は有理数か無理数か


 ある晩、私はふと妙なことが気になった。


 光速は秒速二億九千九百七十九万二千四百五十八メートルである。これは物理の教科書にも載っている有名な数値だ。しかし、この数は有理数なのか、それとも無理数なのか。円周率や自然対数の底のように、永遠に続く小数なのだろうか。それとも、きれいに割り切れる数なのだろうか。


 考えてみれば、自然界の定数が有理数である必然性はない。むしろ無理数である方が自然ではないか。円の周長と直径の比が無理数であるように、光の速さもまた、人間の都合とは無関係に決まっているはずだ。だとすれば、測定精度が上がるにつれて、小数点以下の桁がどこまでも続いていくのではないか。


 そう思って調べてみると、意外な事実に行き当たった。


 光速は測定値ではなく、定義値なのだという。


 一九八三年、国際度量衡総会は光速を正確に二億九千九百七十九万二千四百五十八メートル毎秒と「決めた」。小数点以下はない。完全な整数である。整数であるからには、当然、有理数だ。私の素朴な疑問は、あっけなく解決した。


 しかし、ここで新たな疑問が湧いた。人間が自然界の定数を「決める」とは、いったいどういうことなのか。


 調べを進めると、光速だけではないことがわかった。プランク定数もまた、二〇一九年に固定値として定義されている。電気素量も、ボルツマン定数も、アボガドロ定数も、すべて「定義」によって確定した値なのだ。


 正直なところ、最初は違和感を覚えた。自然界の根本的な定数を、人間が会議で決めてしまうというのは、なんとも傲慢な話ではないか。神が創りたもうた宇宙の法則を、人間が勝手に書き換えているようなものではないか。


 だが、しばらく考えているうちに、自分の認識が間違っていたことに気づいた。


 人間が決めたのは「光速」ではない。人間が決めたのは「メートル」の方なのだ。


 これは視点の転換だった。光速を固定値として定義したということは、裏を返せば、一メートルという長さを「光が真空中を二億九千九百七十九万二千四百五十八分の一秒で進む距離」と定義し直したということなのである。自然を人間の単位系に合わせたのではなく、人間の単位系を自然に合わせたのだ。


 考えてみれば、メートル法には前例がある。


 十八世紀末、フランス革命のさなかに生まれたメートル法は、当初、地球の子午線を基準としていた。北極点から赤道までの子午線弧の長さを一千万メートル、つまり一万キロメートルと定めたのである。地球一周が四万キロメートルというのは、この定義に由来する。


 これは革命的な発想だった。王や領主の身体を基準とした旧来の単位を捨て、地球という普遍的な存在を基準にしようとしたのだから。しかし、この定義には致命的な弱点があった。


 地球は完全な球体ではない。


 地球は自転の遠心力によって赤道方向に膨らんだ回転楕円体であり、さらに言えば地殻の凹凸や密度分布の不均一によって、厳密には楕円体ですらない。したがって、子午線の長さは測定する場所によって微妙に異なる。パリを通る子午線と東京を通る子午線では、長さが違うのだ。


 これでは「一メートル」の定義が一意に定まらない。そこで十九世紀末には、メートル原器という白金イリジウム合金の棒が国際標準として採用された。だが、物質でできた原器には経年劣化や温度変化の問題がつきまとう。どれほど精密に管理しても、原子レベルでは少しずつ変化してしまう。


 そこで人類は、より普遍的で不変な基準を求めた。その答えが光速だったのである。


 アインシュタインの特殊相対性理論によれば、真空中の光速は観測者の運動状態によらず常に一定である。地球がどう動こうが、銀河がどう回転しようが、光速は変わらない。これは理論的な仮定ではなく、数多くの実験によって確かめられた物理法則だ。


 光速が絶対的に不変であるからこそ、それを長さの基準にできる。


 つまり、こういうことだ。一秒という時間は、セシウム原子の振動数によって極めて精密に定義されている。そして一メートルとは、光がその精密に定義された時間の二億九千九百七十九万二千四百五十八分の一だけ進む距離のことである。光速を「測る」のではなく、光速を使って長さを「定める」のだ。


 子午線の長さは場所によって変わる。メートル原器は劣化する。しかし、光速は宇宙のどこでも、いつでも同じだ。アインシュタインがそれを保証してくれた。だからこそ、光速を基準に選んだのである。


 私の最初の疑問に戻ろう。光速は有理数か、無理数か。


 答えは有理数である。それも、完全な整数だ。


 しかし、それは人間が傲慢にも自然界の定数を丸めてしまったからではない。むしろ逆だ。人間が謙虚にも、自分たちの作った物差しの方を、宇宙の不変の法則に合わせたからなのである。


 ふとした疑問から始まった夜の調べ物は、こうして私に小さな知的満足をもたらしてくれた。

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