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(5)

 

 映像が消えたディスプレーをわたしはボーっと見ていた。

 なんだかとても疲れていて、力が抜けたようになっていた。

 それは彼女も同じだろうと思って隣を見たが、それどころではなかった。

 その目から生気が消えているように見えたのだ。

 まるで体から魂が抜けているみたいだった。


 もしかして『小椅子の聖母』に引き寄せられて戻って来られないのだろうか? 


 そうだとしたらマズイ。

 このままにしておくわけにはいかない。

 とっさに彼女の体を大きく揺さぶって名前を呼んだ。


「絵美さん!」


 しかし魂は戻って来なかった。

 生気のない眼が前を見つめているだけだった。


「絵美さん!」


 もう一度呼んで右手の甲で頬を叩いた。

 それでも効果はなかった。

 精神と肉体が完全に分離しているように思えた。

 その後もひたすら体を揺すって名前を呼び続けたが、なんの反応もなかった。

 わたしはパニックに陥り、どうしていいかわからなくなった。


「誰か助けてくれ!」


 声の限りに叫ぶと、連結ドアが開いてロボコンが現れた。


「ピピパポピパポピパピポピパ」


 音と共にディスプレーに難しい数式が並んだ。

 すると、間を置かずにロボコンの胴体から超小型の電極パッドのようなものが現れ、アームでそれを彼女の額に貼り付けた。


「ピピピピピピピピピッ!」


 電極が光ると同時に彼女の体がガクンと揺れた。

 その瞬間、彼女の目に生気が戻った。


「もう大丈夫!」


 そう言い残して、電極パッドを回収したロボコンが連結ドアの中に消えた。


        *


「私は……」


 魂が戻ってきた彼女は不安そうにわたしを見つめたが、ハッとしたような表情になってジーンズのポケットの中に手を突っ込み、恐る恐るという感じで写真を取り出した。


「あっ!」


 写真の中に高松さんはいなかった。

 彼女一人だけが取り残されるように写っていた。

 それは何か大きな力が高松さんを瞬間移動させたようにも思えた。


「ラファエッロが高松さんを呼び寄せたのかもしれませんね。それとも」


「小椅子の聖母が……」


 高松さんがいなくなった写真を見つめてゆらゆらと首をふった。


「望みが叶ったんですよ。喜んであげないと」


 彼女は頷こうとしたように見えたが、その動きを止めた。

 高松さんとの永遠の別れを素直に受け入れることは難しかったのだろう。

 写真の空白部分に指を這わせて「お兄さん……」と呟いて目を伏せた。


 すると、それを待っていたかのようにディスプレーに新たな表示が映し出された。


『特別臨時停車:2026年駅』


 と同時に減速が始まり、音もなく停車した。


「ピポピポピピピポピ」


 音と共にディスプレーの画面が変わって、新たな映像と字幕が現れた。

 マドリードだった。

 アトーチャ駅前に位置する4階建てで横長の建物の中に彼女はいた。


 彼女の前には1枚の有名な絵が飾られていた。

 1937年に描かれ、1981年までニューヨーク近代美術館に委託され、その後スペインの国立プラド美術館に移送され、今はこのソフィア王妃芸術センターで展示されている有名な絵だった。ピカソの『ゲルニカ』


 当時内戦状態にあったスペインで反政府軍を支援するナチス・ドイツ軍がバスク地方にあるゲルニカという小さな町に侵攻した。

 そこで無差別爆撃を行い、市民のほとんどを虐殺した。

 スペイン人であるピカソはそのことに強い衝撃を受け、そこでの悲惨な殺戮(さつりく)を多くの人に知らしめるべくカンヴァスに向き合った。

 直接的な戦闘場面は描かれていないが、女性や子供や動物たちが恐怖に(おのの)き、悲しみに震え、絶望の中で絶叫する姿は強烈なパワーとなって見るものを釘づけにした。

 戦争の惨さをこれほど如実に表している絵は他には見当たらない。


 字幕を必死になって目で追っていると、映像が変わった。

 サバティーニ館と表示されていた。

 その2階には三大巨匠と呼ばれるピカソ、ダリ、ミロの作品が展示されているため、この日も多くの見物客で賑わっていた。


 その間を縫うように歩いていた彼女は、1階に降りて中庭に出た。

 そこにはミロの彫刻『月の鳥』があり、その斬新なデザインの前で彼女は立ち止ったが、〈またね〉というように手を振って、新館のヌーベル館へ移動した。


        *


 カフェレストランに入ると、奥のテーブルで女性が待っていた。

 日本人であり、国立西洋美術館のキュレーターだった。

『ピカソ・ゲルニカ展』の打ち合わせに来たのだと字幕が説明した。


『ゲルニカ』は1962年に国立西洋美術館と京都市美術館、愛知県美術館で展示を行って以来、日本にやってくることはなく、諸々の事情から日本での展示は永遠に閉ざされたような状態になっていた。

 しかし、徳島絵美がソフィア王妃芸術センターのキュレーターに就任したことを知った国立西洋美術館のキュレーターが、このチャンスを逃してはならないとマドリードまで飛んできたのだ。


 絵美が席に着いて互いの自己紹介が終わると、その人はバッグから1冊の本を取り出した。

 表紙の中央には、あの有名な絵が描かれていた。

 本のタイトルは『暗幕のゲルニカ』だった。

 原田マハの著書。


 絵美はその表紙を見て、にっこりと笑った。

 絵美が原田マハの大ファンであることを掴んでいたのだろう、その人はしめた(・・・)というような笑みを浮かべて、前置きなしに本題に突入した。


「来年の2027年は『ピカソ・ゲルニカ展』を初展示してから65年の記念すべき年となります。日本での再展示にお力をお貸しいただけないでしょうか」


 押しの強そうなその人の直球だった。

 しかし、絵美は首を強く横に振った。


「電話でもお伝えいたしましたが、ゲルニカの貸し出しは極めて難しいと言わざるを得ません」


「わかっています。あのⅯoMA(モマ)(The Museum of Modern Art:ニューヨーク近代美術館)からの貸し出し申請でさえ却下されたのですから、簡単でないことは十分承知しております。でも」


 絵美は右手を上げて発言を制した。


「ご存じの通り、この絵はとても傷みやすいのです。工業用のペンキが使われていることもあって保存状態を保つのは至難の業なのです。ですから、移動という危険を冒すことはできません」


 日本で再び展示ができれば素晴らしいことだし、過去に悲惨な戦争を経験した国として、唯一の被爆国として、戦争を起こしてはならないというメッセージを多くの日本人に伝える重要性はよくわかっていると絵美は理解を示したが、それでも責任あるキュレーターとしてこの絵の保存を第一に考えなければならないのだときっぱりと告げた。


 その人は絵美の話が終わってもすぐには口を開かなかった。

 瞳を動かさないまま絵美をじっと見つめていた。

 絵美はその視線の強さに耐えられなくなったのか目を逸らしたが、それでもその人は絵美から視線を外さなかった。

 どうしても聞いてもらいたいことがあるというような強い眼差しだった。

 少しして彼女の口から思い詰めたような声が漏れた。



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